竜の王子と鬼の花嫁

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<15・実験。>

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 さらさらと音を立てて、鉛筆が動いていく。スケッチブックの紙の上で生まれつつあるのは、蝶々のような羽根をつけた小さな女の子の姿だ。
 まだ最初の構想段階。ゆえに鉛筆によるスケッチで問題ない。
 そして鉛筆画ということはモノクロであるはずなのだが――なんとも不思議な話である。魂がこもった絵はモノクロなのに、不思議と色鮮やかに見えるような、生き生きと動き出すような錯覚を覚えるのだから。

「凄い」

 エミルは素直に感嘆の言葉を漏らしたのだった。

「オスカー様って、そういうファンシーなキャラクターの絵も描けるのですね。すごい、羽根が今にも動き出しそう。女の子の髪もふわふわで、風になびいているようで……」
「元々は鉛筆画ばかりを描いていたのですよ、わたくしは」

 手元を覗き込むエミルに、オスカーは赤面しながら言った。ちなみにここは、最初に彼と出会った“召喚魔法の研究室”である。この隣に、彼が寝泊まりしている部屋もあるのだ。まずは鉛筆画でデッサンをし、場合によってはさらに色鉛筆で簡単に色を塗り、それでイメージが固まったら油絵に以降する。それが基本的なオスカーのやり方であるらしかった。
 彼にビヴァリーから借りた“妖精大戦”の本を読んでもらってから、一週間。
 まずは妖精くらいのモンスター(モンスターと呼んでいいのかわからないが一応)から顕現させてみよう、という案に彼も納得してくれたらしい。妖精大戦の物語を参考に作り出した妖精の絵を今、エミルと相談しながら描き始めたところなのだった。

「鉛筆画は、全ての基本ですから。……わたくしは幼い頃、それを疎かにしてしまっていて。デッサンが甘すぎる、色鉛筆での塗りに頼りすぎていると、よく絵の先生に叱られたものなのです。そのせいで一時期色鉛筆を取り上げられて、ひたすら鉛筆でばかり絵を描く羽目になっておりました。もっとモノクロの美しさを追求しろ、生き物の骨格を意識しろ、と」
「ふと思ったのですけど……絵が上手かどうか、というのは召喚魔法にどれくらい影響するものなのです?オスカー様は絵によって召喚獣を呼び出しますから、多少は影響するのだろうとは予想できますけど」
「かなり影響が出てしまいますね。なんせ、わたくしが描いた絵のまんま召喚獣が生まれてしまうのですから」

 彼はスケッチブックから顔を上げ、困ったように笑った。

「静止している時はまだいいのです。でも、それがひとたび動き出すと、スケッチの荒さや雑さがもろに出てしまいます。例えば極端な話……左右の足の長さが違う巨人が歩き出したとして、転ぶことなく移動することができるでしょうか?」
「あー……」

 確かにそれもそうだ、とエミルは脳内に巨人を思い浮かべた。圧倒的威圧感をもってして顕現した巨人が、足の長さが違うばかりに体が傾き、歩き出そうとしたところでバランスがとれずにつんのめる。――巨人であるからサイズもとんでもない。転んだ先に民家でもあればぺっしゃんこだ。
 なるほど、これは笑えない事態になりそうである。

「そして、絵の技術だけならば一人でも磨くことができましたが……殊にわたくしは、物語や設定を考えることが苦手で」

 はあ、とため息をつくオスカー。

「特にここ近年、屋敷の外に出ることを控えております。外に出てもせいぜい、敷地内を散歩するくらい。ほとんどの時間を魔法の研究と勉学にあてておりますから……よりインプットが足りないというか。ですので、今回エミル様が本を借りてきてくださって助かりました。ビヴァリーにも、お礼を言わなければなりませんね」
「やはり、外に出ると差別や偏見が強いからですか」
「そうですね。ドラゴンの一族に嫉妬する者もいますが、恐れる者もいます。中には、我々が王政府に対して呪いをかけ、思うが儘に操っているのではないかという者もいるほど。……仕方ありません。人は不満がある時、それを誰かのせいにせずにはいられないものです。政府に不満を向けられるよりは、我々のような影の一族が憎まれた方が遥かにマシでしょう」

 その言葉には、少なからず諦めの色があった。エミルは実際、彼と一緒に外に出たことはない。だから彼が今まで、どのような想いをしてきたのか正確なところを推しはかることはできなかった。
 それでも想像はつく。
 ただ買い物がしたいだけなのに、映画が見たいだけなのに、動物園に行きたいだけなのに、友達と遊びたいだけなのに、学校に行きたいだけなのに――姿を見られるだけで鬼の子だ、出ていけと言われ続けたエミルには。そのたび、歯を食いしばって、己の血を憎まぬよう耐えるしかなかった自分には。
 人間は、弱い。
 かつて、父が悲しい目で言っていた言葉がある。弱い者達は、自分の不幸を誰かのせいにせざるをえない。そしてそれによる不和を避けたいならばやり方は一つしかないと。特定の、たった一人を狼ということにして、みんなで仲良く石を投げるしかない。そうしなければ、不満を解消することも、仲間と手を取り合うこともできない寂しい者達がいるのだと。
 だからこそ、政治がうまくいっていない国や独裁国家は、国民の不満を外に向けようとするのだ。この国が不幸で、民たちが飢えているのは政治が悪いせいではない。外国の者達が自分達を搾取しているせいなのだから、恨むべきは国外の連中なのだ、と。いわば洗脳教育である。心が弱った者達ほどそれに染まりやすく、よりいっそう国の都合のよい人材に育っていくのだろう。

――やっぱり、この人を外に……連れ出して、あげたいな。

 本当は外の世界で、何者にも縛られず自由に行動したいのだろう。好きなものを見て、好きなように笑いたいのだろう。
 かつての自分もそれができなかった。苦しみはよくわかる。なんとか、バイロンに交渉して彼と一緒に町へ出かけることはできないものか。

「とりあえず、一人目の妖精の姿はおおよそ決まりました」

 考え込んでいるうちに、彼は手を進めていたらしい。とん、とテーブルの上にスケッチブックを立てて見せてくれた。

「へえ……!」

 エミルは感嘆の声を漏らす。ひらひらした、エプロンドレスのようなものを身にまとった十二歳くらいの少女がいる。セミロングの髪はウェーブしていて、今にもふわふわと風になびきそうだ。背中には蝶々の羽根がついており、細かな刺繍にも似た模様が散見される。
 頭には、ティアラのような飾りをつけていて、瞳は大きくキラキラと輝いていた。まだあどけない少女の頬は、うっすらと紅色に染まっているようだ。妖精大戦、の主人公であるフレイムと似た性格であると思われる。冒険心と正義感に満ち溢れ、未来に希望があると信じてやまない少女の顔だ。

「妖精大戦の主人公、フレイムの友達という設定でひとまず作ってみました。名前はアリシア」

 オスカーは絵の中の少女の髪を撫でてみせる。

「髪の色は金色で、瞳の色は青。羽根は、ルリイロアゲハをモチーフにしています。明朗快活、ポジティブな性格と……そこまでは決まったのですが」

 どうやら、それ以上はどう設定を作ればいいのかわからず困っているらしい。うーむ、とエミルは腕組みをする。
 ここからは、自分の仕事だろう。妄想大好きなこの頭、ここで利用しなければどこで利用するのか。

「フレイムとまったく同じにしたらつまらないですよね。それに……小説の登場人物をそのまま顕現するのは駄目、なんでしたっけ。著作権でトラブルになるからやめてくれって、王様に言われているとか」
「そうなんです」
「では、彼女の友達というのは脳内設定でしか使えないですよね。……そうだなあ、植物が大好きな女の子にするのはどうでしょう?」

 ぽん、と手を叩いて言うエミル。

「この子、アリシアはお花が大好きなんです。その結果ついつい、人様のお庭の花を摘み取って持ち出してしまうんですよ。そして、最初は普通にお花を摘んでいたんですけど、それだとバレてしまうので……徐々にやり方が賢くなっていくんです。例えば、空間移動の魔法をこっそり訓練して、悪用するようになるとか」

 空間移動の魔法。テレポートとか、アポートとか言われるアレだ。妖精ならばきっとお茶の子さいさいだろう。

「そうですね。……オスカー様に従順なキャラクターである方が動かしやすいでしょうから……オスカー様に恋をしている女の子にしてはいかが?」
「え!?で、でもわたくしにはエミル様が……!」
「しょ、召喚獣ですから!人間ではないですから!浮気になんてなりませんし、そこまで気にしなくていいですってば!……と、とにかくオスカー様が好きだから、オスカー様の命令には素直に従うと言うことにした方が都合がいいと思いまして!」

 そこでちょっとショック受けたような顔をする彼が、なんとも可愛らしすぎる。エミルからすると弟より年下くらいの外見なのに、なんでこういちいち愛しいのか。ドキドキしながら、エミルはメモを取り出してざっと絵と文字を書いていく。
 といっても、自分の“画伯”ぶりでは、頑張っても棒人間が精々なのだが。

「例えば、壁にステッキで円を描くと、壁をすりぬけて別のところに出ることができる」

 棒人間が棒を持って、円を描いている図を描く。――我ながら残念な出来栄えだが、最低限言いたいことは通じると信じたい。

「そして、妖精が体を潜らせると、円は消えてしまうんです。実際に壁に穴をあけているわけじゃなくて、魔法の穴を一時的に開けていると言うか、空間に直接開けているというか」
「なるほど。転移先でも突然地面や空に円ができて、そこから妖精が出てくるというイメージでしょうか?」
「そうそうそうそう、だいたいそういうかんじ!で、花を摘んだらまた空中に円を描いて、自分が行きたい場所につなげるんです。そしてそこから出てきて……そう、例えば外のバラ庭園から薔薇を一輪盗んできて、この部屋にいるオスカー様に渡すということもできるわけです。最初の顕現実験としては、ベターな線だと思いませんか?同時に、この妖精が好きな薔薇の色は白とかにして……白い薔薇をちゃんと持ってくるかどうか、も実験で確認できれば」
「なるほど、名案ですね!」

 オスカーは楽しそうに、エミルの言葉をメモしていく。彼のいいところの一つは、人のアドバイスを素直に聞き入れるところなのではなかろうか。これだけの画力があり、魔法の才能に溢れた人間が、出会ったばかりの部外者にも等しいエミルの言葉を素直に聞き入れてくれるのだから。
 二人で話し合い、一人目の妖精・アリシアの設定は固まった。
 彼はすぐにカンバスと油絵具を取り出すと、本格的に油絵に取り掛かる。油絵というのは一枚描くだけでも相応に時間がかかるはずなのだが、オスカーは上手いのみならず非常に手が早かった。一時間もすれば、カンバスの上に金色の髪に青い瞳、アゲハの翼を持った妖精が誕生していたのである。
 そして。

『はあい、こんにちは!あたしがアリシアなんだぞ!……わあ、君とってもキュートだねっ!』

 アリシアという妖精は、自分達の設定どおりの動きをした。オスカーの顔を見るなり嬉しそうに頬を染めて、壁にステッキで円を描いたのである。そして空間転移魔法を使うと、外の薔薇庭園から白い薔薇を持ってきてオスカーに渡したのだった。
 二人は手を叩いて喜んだ。オスカーは妖精から受け取った薔薇を、そのままエミルに渡してくる。

「これは、エミル様……貴女の成果です。わたくしの気持ち、受け取ってくださいますか?」
「お、オスカー様……!」
『ああああああああちょっとおおおおお!』

 それを見たアリシアが、ぷん、と頬を膨らませて怒ったのは言うまでもない。

『あたしが、オスカー様にあげたのに!オスカー様、すぐ別の女にあげちゃうなんてひどいんだぞー!』
「あ、あ、ご、ごめん!」
「あははははははっ!確かに、ちょっとデリカシーないかも?」
「え、エミル様までっ!?」

 召喚魔法を作るのは、あくまでこの国を守るため。それはわかっている。だけど。

――こんなに楽しくて、いいのかな。

 エミルの心は満ち足りていた。本来の目的を忘れてしまいそうになるほど、この場所が居心地良すぎて。
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