和を以て貴しと為す

雨宿り

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第二章

第十一話 渡る世間に鬼はない

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まずい、と思った時には、涙が溢れかけていた。


御厨が飛び出ていってしまった食堂は騒然としていて、今度はなにやら集った生徒会のメンバーで揉め事が起きているらしい。

隣に座る真田川の視線がこちらに向く前に、急ぎつつも物音をあまり立てないように片付けた弁当を手に取る。丁度その時、別の生徒が何か慌てた様子で真田川に話しかけたので、和はその背後を抜けるようにして食堂から脱出した。目立たないことは得意だ。
存在感がなくて本当によかった。腕にランチバッグだけを抱えて、無我夢中で校舎を飛び出す。


暫くしてから気がついた。
溢れてくる涙を一生懸命に拭うが、間に合わなくて頬がずっと濡れている。どうしよう。おかしくなってしまった。

どこまでそうしていたのか。
とうとう嗚咽が堪えられず、その場でしゃがみ込むと、悲鳴のような声で名前を呼ばれる。

「蓮水!どうした?なにかあったか?」

背中をさするように添えられた手は熱いくらいに暖かく、顔を上げなくても声の主は分かった。和は自分が寮まで戻ってこられたことにその時気がつく。
事情も言えぬまま蹲っていると背中を覆うような熱を感じ、驚いて体が強ばる。

「ごめんな。ちょっと我慢して」

確かに和は比較的小柄な方ではあるけれど、それでも軽々と体を持ち上げられたことには流石に驚いた。
気付いたら横抱きのように持ち上げ直されていて、あまりのことにぎょっとして顔をあげると、歪んだ視界に映る尾長は眉を下げて優しく笑っているように見えた。何かを言わないと、そう思ってもやはり言葉を選べずに唇を噛むと、尾長は何故かふふ、と声を出して笑う。

「そんな顔されちゃうとおじさん困っちゃうよ」

尾長のどこかおじさんなのか、なぜ笑われたのか、和にはさっぱり分からずとにかく首を横に振ってみるが、尾長はまた微笑むだけだった。




十一話  渡る世間に鬼はない

 


「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「全然迷惑なんかじゃない。染さんにも早退の連絡入れたし、今日のところはゆっくり休めよ」

染さん、とは恐らく新しい担任のことだろう。染井、確かそんな名前だった気がする。
改めて、尾長には心の底から土下座をしたい気持ちで頭を下げるも、軽快に返されてはどうしていいか分からない。手渡されたマグカップを受け取って口につけると、不思議な味わいのハーブティーであった。ほっとして、息が零れる。
どうしようもなくなって帰ってきてしまったけれど、もう五限は始まっている時間だ。休みたい訳ではなかったが、まだどこか混乱はしていて、暫くぼんやりとしていた。

復帰初日、何事もなくやり過ごすという目標は虚しく散っていってしまった訳で、落ち込んでいる理由としてはそちらの方が強いのだが、泣いてしまった原因といえばまた全く違うので、気まずいったらありゃしない。
向かいに座る尾長に改めて目を向けると、罪悪感が押し寄せてくる。

「服も汚してしまって…」
「あぁ。涙なんて、乾いたら残らないよ」

抱き抱えられたときに胸元にシミを作ってしまったことに気が付いておろおろする和に、尾長はあっけらかんとそう言ってから、自らもカップに口をつけている。
それから暫く、互いに言葉を発することなく、ただそのハーブティーを飲むだけで時間が流れていった。

すると、何故だかまた突然涙が溢れ出てくる。和自身も訳の分からなそれを、必死に袖口で目元を抑えた。尾長は隣までやってきて、背中をさすってくれる。

「蓮水、泣いていいんだからな。お前やけに大人っぽいとこあるけど、まだ十五の子供なんだ。嫌な目に沢山あった寮に帰ってきてすぐ登校出来ただけで立派だし、昼まで授業受けただけで充分すぎると俺は思う。頑張ったね」
「…ありがとう、ございます」
「うん、よしよし」

そのあと、いつまで泣いていたかは分からない。ただ次第に意識がぼーっとしてきて、それが眠気と気がつく前に瞼は落ちていってしまった。

またふわふわと体が宙に浮き上がっている感覚で目が覚める。初めは心地良さに身を任せていたが、頭がはっきりしてくると思わずたじろいでしまう。しかし、すぐに優しく降ろされた。
そこは自室のベッドの上で、覗き込むようにこちらを見る、心配そうな顔をした尾長と目が合った。

「起こしたか?」
「すみません、また運ばせてしまって…」
「ううん。部屋、勝手に入ってごめんな。なんか欲しいものあるか?」

身体だけじゃなくて、泣き過ぎたせいなのか気持ちもどこかふわふわと定まらず、少し考える。
思い出したのは昼休みの出来事で、はっとして周りを見渡すと、尾長の腕には和のランチバッグが掛かっていた。視線に気がついたのか、こちらに手渡してくれる。

「そうだ、ご、ごはん」
「食べてなかったのか?」
「いや、僕はほとんど詰め込んできたんですけど、あの…あ、どうしよう…夜ご飯も……」

そう、自分のことはいいのだ。問題は、同室者のことだった。
御厨はきっとあの騒動のあとでは、昼食を取れていないんじゃないだろうか。しかし今の自分は食事を作る気力は全く残っていない。自分一人くらいなら良くたって、己の都合で他人の食事を抜くのはさすがに躊躇してしまう。

「どうかしたか?なんでも言ってくれ」
「…実は」

今朝の御厨とのやり取りと、真田川に話しかけられたこと、それから食堂での一部始終を話すと、尾長はベッドの脇で少し険しい顔をしている。
和は涙を流すほどに追い詰められた理由こそ口に出来なかったが、怒涛の日であったことに違いはなく、この学園では普通だとか、前の担任のように茶化したり誤魔化したりすることなく受け止められただけで少しほっとした。

「あいつ、また巻き込まれてんのか…」
「御厨のことですか?」
「うん。蓮水とは違うけど、あいつも特殊な事情があってな」
「なんか顔隠してますもんね、変なので」

用紙の変貌ぶりを思い浮かべ、手で丸をふたつ作り眼鏡をする仕草をしながら言うと、尾長は勢いよく和の顔を見つめて、大きく見開いた目を瞬く。

「は?知ってんの?」
「はい。ていうか、逆で。初対面が何もつけてない状態でした」

なんならほぼ服も着てはいなかった、とは流石に言うこともないかと口にしなかったものの、尾長はあちゃーと言いながら片手で額を抑えている。何がまずかったのだろうか。そういえば、顔のことは他言するなと御厨から指を突きつけられていたのを思い出す。そんなにシークレットなのか、あの顔は。

「大胆がすぎるな…挙句飯まで頼んだのかよ」
「それは全然いいんですけど…今日このあとお願いしたいことあって」

勿論、御厨の食事のことだ。
詳しい事情とやらは知らないが、まだここのことをさして知らない彼にとって、食堂以外で食事にありつくのは難しい気がする。頼めるのは、尾長くらいしか思い当たらなかった。
きっと食事をとれていないので、多めに食事を持って行ってあげて欲しいこと。それと、少しの皿を貸してほしいと頼んだ。寮監督の自室に泊まった際、洗い物を片していたら皿が沢山あって驚いた記憶があるので、あることは知っていた。

「でも、なんで皿?」
「御厨の分の食器がないんです…僕引越しの荷物の送料減らしたくて、食器もカトラリーもひとつずつしかなく…あ、その内買いにいくとは思うんですけど、その…作る約束を、したので…」

言っていて、どうしてか恥ずかしくなくてしまい俯いたが、返事がない。なにか気分を害したかと顔を上げると、尾長はなんだか感情のない顔をして宙を見つめている。ぎょっとして言葉を取り消そうとしたが、目が合うとすぐにいつもの笑みを浮かべた。
こちらの困惑を他所に、尾長は明るく言う。

「おっけ。任せてよ、そのくらい。蓮水はゆっくり寝てなさいね。あ。開ける度起こすのも悪いからここの部屋の鍵空けとくけどいい?」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ん。じゃあ、おやすみ」

幼い頃、風邪をひいて寝込んでいると、母が甘やかしてくれたときのことを思い出してしまう声色は、心に安寧を齎してくれるものだった。
尾長は頭をひと撫ですしながら立ち上がり、そのまま部屋を出ていく。玄関の重たい扉の音もしたから、寮監督の部屋に帰ったようだった。

さっきの、一瞬の心の抜けた落ちた表情はなんだったのだろう。その後の優しい表情と差が激しすぎて、余計に少し怖い。
とはいえ、今は誰より頼りになる人に違いない。戻ってくるまで寝ているのも申し訳ない気持ちなり、立ち上がってどうしようとリビングスペースまで行ってそわそわとしていたが、尾長は十分も経たずに帰ってきて、すぐにベッドに戻された。持ってきたという皿を収納にしまい、食事も頃合いみて持ってくると言って、とてつもない速度で頼みを叶えてくれた。
感激して礼を言うと、また自然に頭を撫でられる。大きな手は暖かく、兄達のそれに重ねて目を細めてしまう。
あぁ、会いたくなってしまったな。

ぼんやりとしていると、尾長は思い出したように言う。

「あと、後でレシピも探して持ってくるよ」
「っいいんですか?」
「蓮水の元気が出るなら、お易い御用」
 
喜びで跳ね上がった心だったが、その分、すぐに緩やかに沈んでいく。ここまでして貰ってよいのだろうか、と。
一介の生徒に過ぎない自分が、あまりに特別に扱われてしまっている気がして、妙な不安が胸を占めていく。あの事件において、やけに責任感を抱いているみたいたが、たまたま巻き込まれただけである。彼には責任はないと、和は当然思っている。
なのに、その隙に入り込んで助けもらってしまっている様な状況は、どうも心苦しく思ってしまう。

「すみません、こんなに色々…なにもかも…」
「蓮水はさ。あんな目にあっても、学校がんばりたいんだろ?」

頷く。そう、頑張りたい。ここで生きていく術を見に付けなくてはいけない。絶対に。
和は、自分というものを立て直したかった。揺らぐことのない自分が欲しい。
克服しなければいけないことがある。だから、ここに来た。

「なら、できる限りの事させてくれ。人助けと思って頼ってくれたら嬉しい。あの日助けられなかった贖罪になんてならないけど、もう泣かせたくない」 

勝手に泣いただけだというのにこの責任感。
和はあまりに真っ直ぐな言葉をどこか他人事に受け止めつつも、丁寧に感謝する。それからは、ぶり返してくる泣いたことへの恥ずかしさわ笑われつつ、尾長と話しながら気が付けば寝かしつけられてしまった。

和はその日、学校をサボった。

涙を流した本当の意味を、誰にも明かすことが出来ないまま。
 

目を覚ますと、夕焼けに照らされた御厨が、顔を真っ赤にして部屋にいた。
その美しさは形容しがたく、夢かと思ってぼけっとしてしまったが、普段通り以上に取り乱す彼に、つい笑みが零れてしまっていた。なんだか、安心してしまったのだ。

自分だった嫌な目に遭っていたはずなのに、一生懸命心を砕こうとしてくれているような気がして。
どうしようもなくなって逃げた自分とは違って、強いその姿が羨ましくて。
逃げ出してここにいる自分が途端に情けなくなってしまって。

また、流れ出した涙を御厨は咎めることなく、ただ鞄だけ投げつけて部屋を出ていってしまった。

怒っているというより、戸惑った顔をしていたけれど、彼が決して横暴で威勢がいいだけの人間じゃないことを、和はとっくに知っている。尾長も、彼を取り巻く環境が特殊なことを少し零していた。きっと、御厨なりに戦っているのだ。


明日からは、しっかりと食事を作ろう。
感じた恩義を胸にしまった和は、三度睡魔に誘われ、次に目を覚ましたのはまだ外が薄暗い、翌日の早朝のことであった。


御厨からの置き手紙はすぐに見つけて、思ったことをつい口に出していた。


「字が綺麗すぎる…!」


書き殴っているはずなのに、確証もないその綺麗な字を彼が書いたのだと思うと、あまりにもギャップがありすぎる。
それは何故か和のツボにはまってしまって、ひとしきり笑ったあとはもう、元気いっぱいになっていた。
机の引き出しにそれをしまって、一度頬を叩いて立ち上がる。沢山寝たし、お皿もあるし、素晴らしいレシピまで貰ってしまった。


さあ、ヤマガミに行こう。
今日の和は、やる気に満ち満ちていた。






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