少将様の紅袖

和歌月狭山

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第四幕

第三十八話『藤原の男たち』

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 宴の準備は着々と進み、いよいよ本番を迎えた。

 今回もふんだんに遊ばれた呉乃はいつもよりやや着飾った姿で是実よりも先に斐の邸を訪れ、周りに誰も味方がいない中で労働に勤しんでいる。

「藤原宗明様、藤原明行様、お着きでございます」

 遠くから声が聞こえ、呉乃はそそくさと移動する。他の女官と同じように並び、雅なお方の荷物をお預かりしていく。

(これがあの男の弟、藤原宗明……)

 こっそり宗明の顔を覗く呉乃。痩せぎすで柔和な顔立ち。記憶の中にいる宗通と比べると確かに若干の面影があるような気もする。

 しかし優しげなのは顔立ちだけだろう。信仰心が篤く穏健派だなんて評判はあるが結局のところ藤原だ。どうせなにかよからぬことを考え込んでいるに決まっている。

 そうでなければ自分の娘を差し出して権力を得ようとはしない。

「なぁお前」

 宗明へ警戒のまなざしを向けていると不意に声をかけられた気がした。

 顔を向けるとそこには一人の男が立っていた。呉乃に向かってなにか見定めるような目を向け笏で首の横を叩いて顔を寄せてくる。

「源斐殿の女官か? あの派手好きの家人にしては控えめだが、見惚れるほどの華があるな。どれ、もっとよく顔を見せてみろ」

 優雅に笑いながら口説いてくる明行。是実とはまた違った毛色の男に呉乃はやれやれと思いながら視線を逸らす。

「お許しくださいお殿様。私のような端女が顔を見せるなど恐れ多いことでございます」

「よいよい、そう照れるな。顔を見せるだけだ」

 明行はちっとも引かず、むしろ笏で呉乃の顎に触れてくる始末。

 こちらは仕事で来ているだけだというのに。普段の隈があってしみもつけた顔ならばこんな風に誘われることなどなかった。

(藤原明行については是実様から事前に聞いてはいたけど。まったく、藤原と言っても色々だな)

 呉乃は心の中でため息を吐く。仕方なく顔を上げて見せると、明行は目を丸くして驚き呆けてしまう。

 その隙を突き、呉乃は荷物を抱えて離れた――

「役目がございますので……これにて」

「いや、待て待て。これを」

 と思ったら明行はすぐさま距離を詰め懐から絹に包まれた香袋を取り出してきた。

「今夜はこれを枕元に置いて、俺のことを想ってほしい」

 両手が塞がっているのをいいことに強引に袖へ渡してくる明行。少し変わった匂いだ。どこか遠い異国を思わせるような、情緒のある甘い香り。かすかに白檀の香りもする。

「軽やかで柔らかい……やや癖のある樹木の香り……これは乳香ですか?」

「おぉ、よく分かったな。見目だけではなく鼻もいいのか? いや、頭か?」

 しまった。呉乃は心の中で毒づく。気になってつい言ってしまった。余計なことをした。

「ますます気になるな。お前、名はなんという?」

「いえ、私は――」

「いけませんな明行様」

 名前まで聞かれてしまい、なすすべなく困っていると明行の後ろから是実が現れた。

 いつもの穏やかな笑顔――ではなく、冷たさすら垣間見えるどこか男性的な笑みに呉乃は目を見張る。

「斐様の邸で下女を口説くなど。小路姫が知ったら悲しみますぞ」

「げっ、是実。お前も来てたのかよ」

「もちろん、斐様から直々のお誘いでしたので」

 冷静な調子の是実に対して明行は目に見えて焦っている。お役目柄多少見知った仲ではあると聞いていたが、あの砕けた調子を見るに普通に仲が良さそうだ。

「おぉ是実か。そなたも来ていたか」

「宗明様」

 袖を合わせて頭を下げる是実。主人あるじがへりくだっている姿に呉乃は一瞬だけ驚く。偉そうにというわけではないが普段そういう姿ばかり見ている呉乃にとってこれまた新鮮な姿だった。

「聞いておるぞ。最近は色々と裏で動いているそうだの」

「とんでもない。この是実、すべては京の安寧と帝の世の繁栄のためを思ってのこと」

「相変わらず口の上手いことよ。そなたと話していると儂まで口説かれている気分になる」

「お戯れを。宗明様と共寝はいたしませぬ」

 軽やかに笑う宗明と是実。明行は二人のやり取りをやれやれといった調子で眺めている。

 引くなら今しかない。呉乃は荷物を抱えたままそっとその場から離れた。

「藤原光経様、お着きでございます」

 預かった荷物を定位置に置いたところでまた来客が告げられた。

 藤原光経。髪盗り鬼の騒動を仕込んだと思われる藤原の男。是実の話によると暑気払いで訪れた恭子の邸の騒ぎもあの男が一枚噛んでいたらしい。

 藤原宗通の義理の息子。藤原の次期当主と称される堀川の若殿様とは一体どんな人間なのか。

 呉乃がそそくさと荷物を預かりに向かう。何度か往復して分かったが、この仕事、他の女官はあまりやりたがらない。というのも単純に重いものを持って往復するのが面倒だし、やんごとなき方々の荷物などなにか粗相があれば自身の首がとんでしまうからだ。

 だが呉乃としては内裏の者達の素性を探る絶好の機会だった。名前は知っているけれども顔を知らない貴族など大勢いるし、ここで憶えておいて損はない。

 そう思って積極的に動く呉乃だったが――

(こ、これが……藤原光経……)

 その男の姿を見て、呉乃は背筋が凍った。

 決して大柄なわけではない。どちらかと言えば細身だが、身に纏っている衣のせいでどうにも嫌な威圧感を覚える。

 それにあの眼つき。人の温度を全く感じられないまなざしに呉乃は生唾を飲み込んだ。

 蛇のような男だ。あのとき、草葉の陰で身を隠しながら覗き見た宗通と同じまなざし。

 義理の息子と聞いていたがとんでもない。この男こそ藤原そのものだ。

「どうした? はよう受け取らぬか」

 勢いに気圧されていると光経が脱いだ衣を差し出してくる。

 いけない、今はただの女官として働いているのだ。呉乃は「申し訳ございません」と言って恭しく衣を受け取った。

 上等な衣だ。呉乃はその場で丁寧に折り畳み、風呂敷に包んでその場を立ち去る。

 後ろから光経の視線を感じたが、気にしないことにした。
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