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テオドアに声を掛けるとぼやけた返答があったが、何を言っているか聞き取れない。酔っ払いらしく意識が殆どないのだろう。
食堂で働いているとテオドアを見かけることはよくあった。同僚らしき騎士と同席している姿を見たし、彼らの楽しげな会話は自然と耳に入ってしまう。
「テオドア、家を出て一人暮らししてるんだよね?」
薄暗い夜の路地を、肩に手を回させてテオドアを支えながら歩く。
耳にした会話で兄の結婚を機に家を出たと知っていた。うん、と頷きを返され、どこに住んでいるのか尋ねると空いた手が方向を示した。
「……東通り……」
「東通りだね。気分は悪くない?」
「ああ……」
見上げるとテオドアの顔色は赤みが薄まり、気分も悪くはなさそうだった。眠いのか瞼は閉ざされているが、自分で立って歩いてくれているだけで充分だ。
「……なんか夢みたいだなぁ」
思わず呟く。小さな声だったので聞こえていないらしく、テオドアからの反応はない。
盗み見くらいしか出来ない憧れの存在だったテオドアと話すことが出来たばかりか、補助の為とはいえ連れ立って歩いている。
「……」
浮かれた気持ちは頭に過る記憶に沈められる。いつだったか、テオドアが同僚と食事をしていた時のことだった。
三男とはいえ家は貴族に違いなく、上司からの覚えも良く、何より美男子であるテオドアはよくモテる。名家のご令嬢が求婚したなんて噂がよく聞こえてくるが、彼が頷くことはなかった。
伯爵家の美人と評判のお嬢様の求婚すら断ったらしく、彼らは妬ましく羨ましげな目を彼に向けていた。
「お前、誰か狙ってる人でもいるのか?」
「ああ。その人とでなければ結婚はしない」
あっさりと意中の存在を明かしたテオドアに驚いたのは隠れて様子をうかがっていたシミオンだけではなく、同僚達もぽかんと口を開けて呆けていた。
「……お前が求婚すればお姫様とだって結婚出来るだろ」
「その人に釣り合うような男になるまでは想いを伝えたりは出来ないさ」
そんなことを言われれば本当にお姫様とでも結婚したいのかと思ってしまう。シミオンはそう思ったし、おそらく同僚達も同じだろう。
けれど今夜のテオドアを見ていると彼の想い人はメリッサなのではないかと考えてしまう。テオドアは食堂によく通っている。質の悪い男に絡まれるメリッサを助け、彼女の為に飲み比べに参加してこんな目に合っている。
特別な好意がなければここまで出来ないだろう。
(……ビルさんに認められるような男にならなきゃ、メリッサとは結婚出来ないもんね)
目に入れても痛くない程にメリッサという愛娘を可愛がっているビルがメリッサの結婚相手に望むことは少なくて重い。メリッサを心の底から愛して、メリッサを悲しませないことだ。
親バカ親父の話を聞いてくれる人がいないのか、シミオンはビルからよくメリッサのことを語って聞かされる。
ビルより強かったり稼ぎがいいに越したことはないらしいが、そんなことよりも彼女への愛が大切なのだ。わかるだろ、と肩を抱いて問われればそうですね、としか返せない。
妬ましい程に羨ましくて眩しく輝かしい。シミオンには縁のないものだった。
意識のはっきりとしないテオドアに根気強く話しかけ、どうにか聞き出して辿り着いたのは単身者向けの共同住宅だった。仮にも貴族の彼が住むには庶民的過ぎるが、自立した若い男が暮らすとなるとこの程度の物なのだろう。
言われた通りの部屋番号の扉を探し、鍵はどこかと尋ねると上着のポケットだと返され、探る。見つけた鍵で扉を開けて部屋に入ると一部屋しかないようで、部屋の隅に置かれたベッドへテオドアを横たえる。
「テオドア、聞こえる?」
「……」
返事はなかった。疲れて眠ってしまったのか、胸が穏やかに上下し、かすかに寝息が聞こえてくる。
「……」
テオドアを送り届けたらそのまま帰っていいと言われていたので、シミオンの腰に締めたベルトには小さな荷袋がくくりつけられており、中には最低限の必需品が入っている。いざという時の傷薬から採集用の小瓶まで。
「……テオドア」
返事はない。穏やかな深い眠りに包まれる彼にシミオンなんかの声が聞こえるわけがない。今なら何でも出来てしまえるのではないかと考え、咎める良心を抑えたシミオンは行動に出てしまった。
荷袋を探って小瓶を取り出し、テオドアに比べたら細い体が動く。片膝をベッドへ付け、乗り上がる。
テオドアの足元へ、開くように投げ出された彼の足を跨ぐように座る。逡巡の末、精液を貰うだけだから、と手を伸ばす。下履きを寛げ、下着をずらすとテオドアの性器が見えた。平常であってもシミオンの物より大きい。自分以外の物を見るのは初めてだった。
思わず固唾を飲む。頬に熱が集まるのを感じながら、ゆっくりと肉棒に触れる。硬さのない柔らかなそれを指で撫でながら、自然と顔が近付いていく。
「んん……」
舌で亀頭を舐める。嫌悪はない。ちょっとしょっぱかった。
口を開けてしゃぶりつき、頭を、竿を舌で撫でる。初めは熱の欠片もなかった肉棒は、シミオンの熱を分け与えられるかのように少しずつ、じわじわと硬さを持ち始めていった。それが嬉しくてシミオンは夢中になって奉仕する。
肉棒をしゃぶるだけではなく、喉奥まで使って吸い付く。重たげな玉も指で揉んでやるとテオドアが呻いた。慌てて様子を見るが、眠りは覚めていなかった。
「んぶっ……んっんっんんっ……じゅっ……じゅぽっ……」
顔を上下させて、舌を絡めて吸い付いて。口内全てで雄を扱く。夢中になるあまり、頬をすぼませて滑稽な顔で吸い付いても嗤う者はいない。
顎の疲れから一度離れたシミオンの顔に向けて、生温かい白濁が散った。
「あ」
思わず目を瞑る間に、すっかり興奮した雄はびゅるびゅると勢いよく精を吐き出していく。無防備な顔や、慌てて庇おうとした指に精液がかかる。
「あわ。勿体ない……小瓶……」
傍らに用意していた小瓶を手にし、顔に付着したものを掬い集めていく。親指程の大きさの小瓶一杯に詰まった精液を見て、充分だろうと息をつく。
後はテオドアの衣服を正して証拠隠滅、何事もなかったことにして帰ればいい。そう思っていたのに。
「うわっ」
突然起き上がったテオドアに腕を掴まれ引き寄せられる。逞しい胸板に抱かれ、見上げると据わった目と視線が合った。
「……今日の夢は……やけに……」
ぼそりと呟かれる。夢を見ているのだと思っているようだ。
それなら幸いだと、シミオンは努めて優しい声を意識した。
「テオドア、これは夢だから。まだ眠ってていいんだよ」
声を聞いて、テオドアの顔が緩んだ。子供のように笑っている。寝惚けた彼の瞳には現実ではない人が映っているのだろう。きっとその相手はシミオンと違って可愛らしい顔立ちと魅惑的な声を持った、美しい彼女なのだ。
「……お休みなさい」
ベッドへ寝転がるよう促すと、テオドアはされるがままに寝入っていった。今度こそ衣服を正す。
大切に握っていた小瓶、その中に詰まった白濁を見つめて、シミオンは唇を噛む。シミオンが手に入れられるものは、それだけなのだと。
翌日のシミオンは朝から動き回っていた。
入手困難だと思っていた良質な精液を手に入れ、素材が劣化しないうちに作業を始めるべく他の素材集めに駆け回り、夕方からは食堂へ働きに向かう。
ビルの計らいで貰えた休みの始まりは二日後だ。備蓄は充分だろうか。錬成は成功するだろうか。仕事をしていてもそんなことばかり考えてしまう。
楽しみだったのだ。ホムンクルスという眉唾物の錬成を試みることが。
「シミオン。仕事に集中して」
浮かれているシミオンとは反対に、メリッサはシミオンの休みが近付く程に怒りっぽくなっている。注意されて謝り目を向けると、可愛い頬を少し膨らませてシミオンをじっとりと睨んでいた。
「ごめん。ごめんよメリッサ」
「……ふん。いいわよ」
時間は夜が深まり始め、子供連れの客はいなくなり酒飲み達はまだ意識がはっきりしている頃だった。彼らは看板娘と給仕のやり取りをニヤついて見ている。
何も知らなければ青く初々しい二人は、ドアベルの音を聞いて入口を見た。反射的に「いらっしゃいませ」と声を揃え、迎えられたのは騎士制服に身を包んだ美青年だった。
「こんばんは。一人なんだが」
「こんばんは……お好きな席へどうぞ」
シミオンと目を合わせたテオドアは頷き、空いている席へ足を向けた。店内の奥に設けられた二人掛けのテーブル席へ座るのと同時に、厨房からビルの声が聞こえる。料理が出来上がった報せの声だ。
「僕、料理出してくるね」
「なら、テオドアの注文は私が聞いてくるわ」
頷き合って自分の仕事をこなしていく。テオドアの記憶にはないだろうが、口にするのは憚られる行いをしたシミオンとしては彼と接するのは避けたかった。罪悪感と羞恥心が大きすぎるのだ。
(何もなくても……メリッサの方が嬉しいだろうし)
揚げたてのフィッシュフライ、湯気から旨味が香る野菜スープ、胡椒をたっぷりかけられた鶏肉のステーキ。どれもこれも美味しそうな皿を手に、シミオンは食堂の中を忙しく動き回る。忙しければ誰かの姿をついつい見てしまうこともない。
テオドアの注文はメリッサが運んでくれたようで、彼との接触のないまま時間が過ぎていく。酔っぱらいが増えると、静かな食事を楽しみたかった客が席を立ち始める。彼もそうだった。
メリッサが勘定をしてくれている間にシミオンが席を片付けていく。厨房へ食べ終わった食器を運ぼうとしていると、後ろから声が掛かった。
「シミオン、少しいいかな」
ゆっくり振り向けば、微笑を浮かべたテオドアがいる。声だけでわかっていた。
「あ……何か?」
「昨日、酔い潰れた私を家へ送ってくれたのはきみだと聞いて……その、礼がしたいんだが」
「え? いや、お礼なんて。大丈夫です」
テオドアを送り届けたのは間違いないが、狼藉を働いたシミオンとしては謝礼を貰うわけにはいかなかった。というか精液という謝礼を勝手ながら既に頂いている。
「そういうわけにはいかない。世話になった相手に何か返さなくては、騎士として面目が立たない」
だから礼をさせてくれと頼まれるが、黙ってうんと頷けなかった。
「……えっと、なら、うちをもっと贔屓にして、ご飯を食べに来て下さい。それで結構ですから」
「ああ。遠慮せずに毎日通うよ」
「はい。よろしくお願いします」
納得してくれたらしいテオドアも勘定へ向かい、帰っていく。扉から出ていくその時、振り返って食堂を見渡した彼と目が合い、会釈すると彼も頷きを返してくれた。
「遠慮って何だろう」
然り気無く告げられた言葉の意味がわからず、首を傾げるが特に大きな意味はないのかもしれない。
テオドアは言葉通り、翌日の夜も食事に来てくれた。メリッサに応対される彼を盗み見る。
(メリッサに会いに来るの、遠慮してたのかな。エイダさんは喜ぶだろうけど、ビルさんはムスッとするだろうし)
母親は娘に懸想する若く美しい男を見ても喜ばしく感じるだろうが、父親は複雑な心境だろう。シミオンに娘はいないので完全には理解出来ないが、何となく察することは出来る。
「でも、僕に言われてもなぁ」
暇を見つけて皿洗いをしていると、小さなぼやきが聞こえたらしく、ビルが「何がだ?」と尋ねてくる。その声はいつもより若干低く、機嫌が悪い気がしたシミオンは何でもないと誤魔化した。
食堂で働いているとテオドアを見かけることはよくあった。同僚らしき騎士と同席している姿を見たし、彼らの楽しげな会話は自然と耳に入ってしまう。
「テオドア、家を出て一人暮らししてるんだよね?」
薄暗い夜の路地を、肩に手を回させてテオドアを支えながら歩く。
耳にした会話で兄の結婚を機に家を出たと知っていた。うん、と頷きを返され、どこに住んでいるのか尋ねると空いた手が方向を示した。
「……東通り……」
「東通りだね。気分は悪くない?」
「ああ……」
見上げるとテオドアの顔色は赤みが薄まり、気分も悪くはなさそうだった。眠いのか瞼は閉ざされているが、自分で立って歩いてくれているだけで充分だ。
「……なんか夢みたいだなぁ」
思わず呟く。小さな声だったので聞こえていないらしく、テオドアからの反応はない。
盗み見くらいしか出来ない憧れの存在だったテオドアと話すことが出来たばかりか、補助の為とはいえ連れ立って歩いている。
「……」
浮かれた気持ちは頭に過る記憶に沈められる。いつだったか、テオドアが同僚と食事をしていた時のことだった。
三男とはいえ家は貴族に違いなく、上司からの覚えも良く、何より美男子であるテオドアはよくモテる。名家のご令嬢が求婚したなんて噂がよく聞こえてくるが、彼が頷くことはなかった。
伯爵家の美人と評判のお嬢様の求婚すら断ったらしく、彼らは妬ましく羨ましげな目を彼に向けていた。
「お前、誰か狙ってる人でもいるのか?」
「ああ。その人とでなければ結婚はしない」
あっさりと意中の存在を明かしたテオドアに驚いたのは隠れて様子をうかがっていたシミオンだけではなく、同僚達もぽかんと口を開けて呆けていた。
「……お前が求婚すればお姫様とだって結婚出来るだろ」
「その人に釣り合うような男になるまでは想いを伝えたりは出来ないさ」
そんなことを言われれば本当にお姫様とでも結婚したいのかと思ってしまう。シミオンはそう思ったし、おそらく同僚達も同じだろう。
けれど今夜のテオドアを見ていると彼の想い人はメリッサなのではないかと考えてしまう。テオドアは食堂によく通っている。質の悪い男に絡まれるメリッサを助け、彼女の為に飲み比べに参加してこんな目に合っている。
特別な好意がなければここまで出来ないだろう。
(……ビルさんに認められるような男にならなきゃ、メリッサとは結婚出来ないもんね)
目に入れても痛くない程にメリッサという愛娘を可愛がっているビルがメリッサの結婚相手に望むことは少なくて重い。メリッサを心の底から愛して、メリッサを悲しませないことだ。
親バカ親父の話を聞いてくれる人がいないのか、シミオンはビルからよくメリッサのことを語って聞かされる。
ビルより強かったり稼ぎがいいに越したことはないらしいが、そんなことよりも彼女への愛が大切なのだ。わかるだろ、と肩を抱いて問われればそうですね、としか返せない。
妬ましい程に羨ましくて眩しく輝かしい。シミオンには縁のないものだった。
意識のはっきりとしないテオドアに根気強く話しかけ、どうにか聞き出して辿り着いたのは単身者向けの共同住宅だった。仮にも貴族の彼が住むには庶民的過ぎるが、自立した若い男が暮らすとなるとこの程度の物なのだろう。
言われた通りの部屋番号の扉を探し、鍵はどこかと尋ねると上着のポケットだと返され、探る。見つけた鍵で扉を開けて部屋に入ると一部屋しかないようで、部屋の隅に置かれたベッドへテオドアを横たえる。
「テオドア、聞こえる?」
「……」
返事はなかった。疲れて眠ってしまったのか、胸が穏やかに上下し、かすかに寝息が聞こえてくる。
「……」
テオドアを送り届けたらそのまま帰っていいと言われていたので、シミオンの腰に締めたベルトには小さな荷袋がくくりつけられており、中には最低限の必需品が入っている。いざという時の傷薬から採集用の小瓶まで。
「……テオドア」
返事はない。穏やかな深い眠りに包まれる彼にシミオンなんかの声が聞こえるわけがない。今なら何でも出来てしまえるのではないかと考え、咎める良心を抑えたシミオンは行動に出てしまった。
荷袋を探って小瓶を取り出し、テオドアに比べたら細い体が動く。片膝をベッドへ付け、乗り上がる。
テオドアの足元へ、開くように投げ出された彼の足を跨ぐように座る。逡巡の末、精液を貰うだけだから、と手を伸ばす。下履きを寛げ、下着をずらすとテオドアの性器が見えた。平常であってもシミオンの物より大きい。自分以外の物を見るのは初めてだった。
思わず固唾を飲む。頬に熱が集まるのを感じながら、ゆっくりと肉棒に触れる。硬さのない柔らかなそれを指で撫でながら、自然と顔が近付いていく。
「んん……」
舌で亀頭を舐める。嫌悪はない。ちょっとしょっぱかった。
口を開けてしゃぶりつき、頭を、竿を舌で撫でる。初めは熱の欠片もなかった肉棒は、シミオンの熱を分け与えられるかのように少しずつ、じわじわと硬さを持ち始めていった。それが嬉しくてシミオンは夢中になって奉仕する。
肉棒をしゃぶるだけではなく、喉奥まで使って吸い付く。重たげな玉も指で揉んでやるとテオドアが呻いた。慌てて様子を見るが、眠りは覚めていなかった。
「んぶっ……んっんっんんっ……じゅっ……じゅぽっ……」
顔を上下させて、舌を絡めて吸い付いて。口内全てで雄を扱く。夢中になるあまり、頬をすぼませて滑稽な顔で吸い付いても嗤う者はいない。
顎の疲れから一度離れたシミオンの顔に向けて、生温かい白濁が散った。
「あ」
思わず目を瞑る間に、すっかり興奮した雄はびゅるびゅると勢いよく精を吐き出していく。無防備な顔や、慌てて庇おうとした指に精液がかかる。
「あわ。勿体ない……小瓶……」
傍らに用意していた小瓶を手にし、顔に付着したものを掬い集めていく。親指程の大きさの小瓶一杯に詰まった精液を見て、充分だろうと息をつく。
後はテオドアの衣服を正して証拠隠滅、何事もなかったことにして帰ればいい。そう思っていたのに。
「うわっ」
突然起き上がったテオドアに腕を掴まれ引き寄せられる。逞しい胸板に抱かれ、見上げると据わった目と視線が合った。
「……今日の夢は……やけに……」
ぼそりと呟かれる。夢を見ているのだと思っているようだ。
それなら幸いだと、シミオンは努めて優しい声を意識した。
「テオドア、これは夢だから。まだ眠ってていいんだよ」
声を聞いて、テオドアの顔が緩んだ。子供のように笑っている。寝惚けた彼の瞳には現実ではない人が映っているのだろう。きっとその相手はシミオンと違って可愛らしい顔立ちと魅惑的な声を持った、美しい彼女なのだ。
「……お休みなさい」
ベッドへ寝転がるよう促すと、テオドアはされるがままに寝入っていった。今度こそ衣服を正す。
大切に握っていた小瓶、その中に詰まった白濁を見つめて、シミオンは唇を噛む。シミオンが手に入れられるものは、それだけなのだと。
翌日のシミオンは朝から動き回っていた。
入手困難だと思っていた良質な精液を手に入れ、素材が劣化しないうちに作業を始めるべく他の素材集めに駆け回り、夕方からは食堂へ働きに向かう。
ビルの計らいで貰えた休みの始まりは二日後だ。備蓄は充分だろうか。錬成は成功するだろうか。仕事をしていてもそんなことばかり考えてしまう。
楽しみだったのだ。ホムンクルスという眉唾物の錬成を試みることが。
「シミオン。仕事に集中して」
浮かれているシミオンとは反対に、メリッサはシミオンの休みが近付く程に怒りっぽくなっている。注意されて謝り目を向けると、可愛い頬を少し膨らませてシミオンをじっとりと睨んでいた。
「ごめん。ごめんよメリッサ」
「……ふん。いいわよ」
時間は夜が深まり始め、子供連れの客はいなくなり酒飲み達はまだ意識がはっきりしている頃だった。彼らは看板娘と給仕のやり取りをニヤついて見ている。
何も知らなければ青く初々しい二人は、ドアベルの音を聞いて入口を見た。反射的に「いらっしゃいませ」と声を揃え、迎えられたのは騎士制服に身を包んだ美青年だった。
「こんばんは。一人なんだが」
「こんばんは……お好きな席へどうぞ」
シミオンと目を合わせたテオドアは頷き、空いている席へ足を向けた。店内の奥に設けられた二人掛けのテーブル席へ座るのと同時に、厨房からビルの声が聞こえる。料理が出来上がった報せの声だ。
「僕、料理出してくるね」
「なら、テオドアの注文は私が聞いてくるわ」
頷き合って自分の仕事をこなしていく。テオドアの記憶にはないだろうが、口にするのは憚られる行いをしたシミオンとしては彼と接するのは避けたかった。罪悪感と羞恥心が大きすぎるのだ。
(何もなくても……メリッサの方が嬉しいだろうし)
揚げたてのフィッシュフライ、湯気から旨味が香る野菜スープ、胡椒をたっぷりかけられた鶏肉のステーキ。どれもこれも美味しそうな皿を手に、シミオンは食堂の中を忙しく動き回る。忙しければ誰かの姿をついつい見てしまうこともない。
テオドアの注文はメリッサが運んでくれたようで、彼との接触のないまま時間が過ぎていく。酔っぱらいが増えると、静かな食事を楽しみたかった客が席を立ち始める。彼もそうだった。
メリッサが勘定をしてくれている間にシミオンが席を片付けていく。厨房へ食べ終わった食器を運ぼうとしていると、後ろから声が掛かった。
「シミオン、少しいいかな」
ゆっくり振り向けば、微笑を浮かべたテオドアがいる。声だけでわかっていた。
「あ……何か?」
「昨日、酔い潰れた私を家へ送ってくれたのはきみだと聞いて……その、礼がしたいんだが」
「え? いや、お礼なんて。大丈夫です」
テオドアを送り届けたのは間違いないが、狼藉を働いたシミオンとしては謝礼を貰うわけにはいかなかった。というか精液という謝礼を勝手ながら既に頂いている。
「そういうわけにはいかない。世話になった相手に何か返さなくては、騎士として面目が立たない」
だから礼をさせてくれと頼まれるが、黙ってうんと頷けなかった。
「……えっと、なら、うちをもっと贔屓にして、ご飯を食べに来て下さい。それで結構ですから」
「ああ。遠慮せずに毎日通うよ」
「はい。よろしくお願いします」
納得してくれたらしいテオドアも勘定へ向かい、帰っていく。扉から出ていくその時、振り返って食堂を見渡した彼と目が合い、会釈すると彼も頷きを返してくれた。
「遠慮って何だろう」
然り気無く告げられた言葉の意味がわからず、首を傾げるが特に大きな意味はないのかもしれない。
テオドアは言葉通り、翌日の夜も食事に来てくれた。メリッサに応対される彼を盗み見る。
(メリッサに会いに来るの、遠慮してたのかな。エイダさんは喜ぶだろうけど、ビルさんはムスッとするだろうし)
母親は娘に懸想する若く美しい男を見ても喜ばしく感じるだろうが、父親は複雑な心境だろう。シミオンに娘はいないので完全には理解出来ないが、何となく察することは出来る。
「でも、僕に言われてもなぁ」
暇を見つけて皿洗いをしていると、小さなぼやきが聞こえたらしく、ビルが「何がだ?」と尋ねてくる。その声はいつもより若干低く、機嫌が悪い気がしたシミオンは何でもないと誤魔化した。
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