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「……はぁ」
 帳簿をつけながら大きなため息を吐くシミオンに、側で道具の手入れをしていたヘロイーズは目を細めた。数日前に都を騒がせた『真夜中のゴーレム召喚事件』以来、素直で真面目な弟子がわかりやすく悩んでいるのだ。
 事件はその名の通り、夜の街中でゴーレムと呼ばれる巨大な土人形が突如現れ、その場に偶然居合わせた騎士見習い達に襲い掛かった。勇敢な騎士見習いのおかげでゴーレムは倒され、怪我人はいなかった。
 だからヘロイーズは犯人を隠蔽している。目撃したわけではないが、十中八九シミオンの仕業だと、そしてその行動には意味があると確信していた。
「……あ。もうこんな時間だ」
 壁掛け時計は正午を示し、それに気付いたシミオンは時間の経過に驚いていた。ヘロイーズが帳簿の進捗尋ねると、シミオンは肩を揺らす。怯えた様子からわかるように、帳面は真っ白だ。
「今日やらないといけないことではないし、構わないよ。そうだ、ご飯を食べたら森へ行こうか。必要な薬草がいくつか切れてしまってね」
「…………はい」
「シミオンと何処かへ行くのは随分久しぶりだな」
「……そう、ですね」
 何をするにしても上の空、バイト先からも心配の声を聞いているヘロイーズは、そろそろシミオンに何があったのか向き合うべきかと考えていた。



 
 都から少し離れた森は多様な植物が茂り、動物や魔物が暮らしている。リスやウサギは無害で可愛らしいが、猪に見付かると突進してくるので注意しなければならない。
「師匠。剣の音……だけじゃない、足音や話し声が聞こえます」
「ん……ああ、そういえば……近々騎士学校の実技訓練で森の魔獣狩りをするとか言ってたな。最近数が増えて、森を出て旅人を襲うものも出てきているらしい」
 シミオン達が森に入り、奥へ向かってしばらく進むと、音が聞こえてきた。他者が踏み入っている状況に、ヘロイーズは先日教えられた話を思い出す。
「出直しますか?」
「邪魔しなければいいだろ」
 ヘロイーズは身を守る手段を数多く用意している。シミオンも爆薬や獣避けの香袋、傷薬などを持たされており、何かあっても対処は出来るだろう。
 歩みを進めるヘロイーズの背に続きながら、シミオンは森の様子に注視する。危険なのは魔物だけではなく、気性の荒い動物達の姿が見えなければ兆しということでもある。
 必要な薬草を摘み集めながら森を進んでいくと、遠くから唸り声が聞こえてくる。辺りを見回しながら足を進めようとしたシミオンの前に、ヘロイーズの右腕が伸ばされた。
「ししょ」
「し。音を立てるな」
 小声の制止に素直に従い、口を塞ぐシミオンにヘロイーズは唇を笑ませつつ、辺りを見た。唸りはまだ距離がある。背後に敵意は感じられない。
「ハウンドにしては唸り声が高いな……?」
 森にはハウンドと呼ばれる、狼の姿をした魔獣の群れが棲んでいる。一頭のリーダーにより統率され、狼よりも高い知性を持ち、森に住む動物や森を進む人間に襲い掛かってくる厄介者だ。
「……師匠、いま」
 訝しむヘロイーズに、シミオンが小声で囁く。何かと尋ねようとしたヘロイーズだが、その必要は森中に響き渡りそうな絶叫で不要となった。
「師匠!」
「ああ、こっちだシミオン」
 年若い人間のものだろう叫びのもとへ、二人は駆け出していく。その後も苦痛に呻くような声や何かを地にぶつけるような音が続き、誰かが戦っているのだとわかる。
 シミオン達は幸いにも魔獣と遭遇することなく、騎士見習いの集団を見つけることが出来た。教官の姿はなく、剣を構えて臨戦態勢に入っているものの、その表情は怯えきっている。
「きみ達! 先程の悲鳴は誰のものだ? 何があった!」
 ヘロイーズが声を掛けながら近付いていくと、彼らは警戒しながらも人の姿に安堵した様子だった。
「クラークは……きみ達の教官はどうした。何故この場にいないんだ」
 ヘロイーズが状況を確認する中、シミオンは悲鳴の主だろう騎士達へ駆け寄る。
 仲間に介抱されている彼らの皮膚には噛み痕の他、火傷も出来ている。鞄に用意していた薬を傷口に塗りながら、シミオンは耳をすませていた。
「ハウンド狩りをしていたら、違う魔獣が乱入してきて。教官と数人の騎士が奴らを引き付けてこの場を離れていきました。我々は残ったハウンドの処理で手一杯で……」
「…………おい! シミオン!」
 集団の中で冷静さを取り戻した騎士がヘロイーズの問いに答えると、シミオンは立ち上がり駆け出していく。慌てて追いかけようとするヘロイーズの前に、ハウンドが二頭飛び出してきた。
「うわぁっ!!」
「そんなっ」
 背後にも三頭と前後を囲まれ、狼狽える騎士達を背に庇い、舌を打ったヘロイーズは腰に下げた杖を取る。樫木で出来た杖の先には、魔力の封じられた宝石が輝く。ヘロイーズの本職は錬金術師だが、魔術にも多少の理解はあった。
「分断されたか……」
 シミオンの背は木々に隠れ去り、どこへ向かったのかもわからなくなってしまった。唸りながら涎を垂らす魔獣を倒さなければ無鉄砲な弟子を探すことが出来ない。
「おい! きみ達は騎士になるんだろう! こんな犬っころに怯えてどうするんだ!」
「だっ、だって、あんな……」
「彼女の言う通りだ。怯えてないで立て! そうしなければ殺されるぞ!」
 仲間同士で行う模擬訓練とは違い、言葉の通じないハウンド達はじりじりと距離を詰めてくる。唸り声を上げる獣達を睨みつけながら、ヘロイーズは腰に下げた荷袋を漁った。


 森を駆けるシミオンの背後から、爆音が聞こえた。十中八九師匠だろうと判断し、足は止めない。
 何故走っているのか。シミオンにもわからなかった。シミオンは知人が危険な目にあっているからといって、後先も考えずに体が動くような正義感ではない。そもそも自分一人が動いて、何かが変わるとも思えない。
 けれど今は必死に走っている。いつ獣に襲われてもおかしくない森の中を、師匠から離れて一人走る。森の奥から聞こえてくる気のする、誰かの音を探しながら。
 幸運にもハウンドと遭遇することなく、シミオンは彼らを見つけることが出来た。師匠と同じ宵闇のような髪と目をした男、若い騎士を教え導くクラークと、彼を教官と慕う見習い騎士が数人いる。
 彼らはハウンドとは違う、それよりも大きな魔獣と対峙していた。巨体の毛並みは黄色に黒い縞が入り、顔や腹は白いものが混ざっている。小さな頃に見た動物図鑑の虎に似ているが、大きな口からのぞく牙や体に帯びた魔力の光が異形の魔獣であることを物語る。
 クラークを先頭に、数人の騎士見習いが魔獣と対峙する。クラークの背後で構える青年以外、見習い達は明らかに恐怖し、剣を構えているので精一杯の様子だ。剣を構えるのも戦う為というよりは、牽制のポーズに見えた。
 戦い慣れていないシミオンにすら伝わるのだから、魔獣も察していたのだろう。耳をつんざく咆哮を上げ、動き、狙いを定めたのは後衛の見習い達だった。
「ひぃーっ!!」
「うわっ!! うわぁぁあっ!!」
 巨体から想像出来ない素早さで、魔獣が飛びかかる。体に纏わりつかせた魔力は跳躍と共に炎へ転じ、運良く避けた見習い達の代わりに草を焼いた。
「……なんだ。あれ……」
 呆然と呟くシミオンに答えを与える者はいない。
 クラークと青年が魔獣から見習いを庇うように位置取る。
「首席を取るんじゃなかったのか! 俺の力を教官に見せるのだと大口叩いてついて来たのは誰だ! こんな所でへたりこむな! 邪魔だ!! 役立たずども!!」
 魔獣と睨み合う中、青年が背後の同期達を罵倒する。普段ならそんなことを言われれば血相を変えて怒鳴り返すだろう彼らは、頭を抱えて怯えるばかりだった。
「テオドア、落ち着け。魔獣を刺激する」
「……ちっ」
 青年の張り上げた声に魔獣は警戒しつつも出方をうかがっている。隙を狙っているのだ。
 一触即発の状況が動いたのは、魔獣と騎士達の視界外。木々の隙間から両者を覗き見ていた存在の投げつけた小さな小瓶だった。
「グォッ!!」
 魔獣の頭にぶつかった小瓶はガシャンと音を立てて割れ、中に詰められた黒い液体が獣の目にかかる。
「ギェェッ……!」
「うわっ」
 粘着性のある液体は獣の目を黒く濁らせた。それでも完全に視界を奪うには至らず、赤く燃え上がる目がシミオンを捉える。
 怒りに震える巨体が駆け出す前に、シミオンは木々へ隠れた。間を置かずに響く炸裂音は近くの木を魔獣の爪が裂いたもので、焦げた臭いが鼻を突く。魔獣の炎が木を焼いたのだ。
 逃げ惑うシミオンだけを睨み、木々の間を縫って獲物を殺そうと追いかける魔獣は駆け寄る足音に意識を向けていない。それだけ怒りに身を任せてしまっていた。
「シミオン!!」
 聞き慣れた人の声がシミオンを呼ぶ。魔獣に劣らぬ鬼の形相を浮かべたクラークが、その体躯のように太い大剣を魔獣の頭目掛けて振り下ろした。
 皮を裂いて頭蓋を割り、それでも魔獣は唸り声を上げて威嚇する。動き出す気力は失われたようだが、生きていることに驚くシミオンと違い、クラークの後に続いた青年は獣の後ろ足首へ剣を振り下ろした。
 獣の悲痛な声と、剣が骨肉を砕く音が交互に響き渡る。四肢の腱を斬られても喚き続ける魔獣の元へ、シミオンは歩み寄っていた。危険だから離れるようクラークが注意しても、シミオンは首を振って荷袋を漁る。
「……師匠が作った毒薬だから。効果は折り紙つきだよ」
 取り出された細長い小さな瓶には、青い液体が詰められている。朦朧とする視界の中にシミオンを見つけた魔獣が気力を振り絞って吼え、噛みつこうと開いた口の中へ。シミオンは瓶の中身を垂らした。
 毒が浸透する間シミオンに向かって吼え続けていた魔獣だが、その声は弱々しいものに変わっていく。やがて森には静寂が戻り、項垂れる死骸の首をクラークの大剣が斬り落とした。
 魔力の消えた獣の死骸を前に、息をついたシミオンの頭を衝撃が襲った。硬い拳はクラークのものだった。
「いっっ!!」
「馬鹿野郎! お前……お前なぁ、くそ、怪我はないか?」
「今! 今した!! 頭ぁ!!」
 頭を抱えて呻き喚くシミオンを、クラークの太い両腕が抱き締める。筋肉だらけの胸板に顔を押し潰され、苦しい臭いと喚くシミオンを捕える力はどんどん強まる。
「……良かった。お前がいて良かった。ありがとうシミオン」
「……」
 シミオンにだけ聞こえるような、クラークらしくないか細い声だった。自分を抱き締める腕は相変わらず強くて痛くて苦しくて汗臭くてたまらないけれど、それだけクラークの感謝と心配がつまっている。そうわかるから、シミオンはされるがままになっていた。
「……今度は助けてあげられたんだ」
「ん? 何か言ったか?」
「苦しいって言ったんだよ! 離してよぉ!」
 親密さを感じさせるシミオンとクラークのやり取りを黙って見ていた青年が口を開きかけたその時だった。
「シミオン~!!」
 はっきりとした怒りを滲ませ、シミオンを探す声が近付いてきていた。
「イーズの声か」
「あっヤバっ離して。ほんとに離して」
 クラークがシミオンを抱く力を緩め始めた所で、木々の隙間からロイーズが姿を見せた。その目がシミオンを捉えると、一直線に駆け寄ってくる。
「シミオン! この馬鹿弟子がーっ!!」
「離して! 離してーっ!!」
「うーん」
 クラークに拘束されたままのシミオンに向かって、ヘロイーズの拳骨が直撃する。奇しくもクラークに殴られた箇所へ的確に当たり、絶叫を上げて悶絶するシミオンを見てヘロイーズは溜飲が下がった様子だった。
「クラーク、もういい。世話をかけたね」
「いや。俺達もシミオンに助けられたようなものだからな。あまり怒ってやるなよ」
「もう充分怒ったからね……ほらシミオン。そんなにわざとらしく痛がらなくていいから。帰るよ」
「痛いっ!! 痛いんですっ!! 本当にっ!!」
 自由になったシミオンは頭を抱えて痛みを耐えるが、猫のように首根っこを掴まれ、ヘロイーズに引き摺られていく。二人の姿が木々にまぎれ見えなくなってしまうまで、クラークは黙って見送っていた。
「教官」
「ん? ああ、今の二人か?」
 ようやく口を開けたテオドアの疑問に、クラークは答えを返してやる。
「女の方はヘロイーズ。都の外れで店を開いてる錬金術師だ。男の子はシミオン。イーズの弟子だよ」
「教官と親しい様子でしたが」
「妹とその……息子? 弟? みたいな存在だからな。可愛いもんだよ」
「…………教官のご家族。だからあんなに肝が座っていたのですね」
「んー? いやぁ、イーズはともかく、シミオンは臆病な奴なんだがなぁ。何かあったのかな……」
 冷静になるとシミオンらしくない行動だったと思い返し、クラークは首を傾げる。テオドアはシミオン達が消えていった木々の先を見つめていた目を細めた。
「……シミオン」
 彼に認知された瞬間だった。



「師匠。ごめんなさい」
 ずりずりとヘロイーズに引き摺られていたシミオンは、しばらくすると謝罪を口にした。
「何が」
「勝手に一人で離れて、心配かけてごめんなさい」
「うん」
「それと……僕、師匠に話さないといけないことがあります」
「……それが今回の勇気ある単独行動の理由かな?」
 シミオンは善良な少年だが、自ら渦中に飛び込むような性格ではない。ヘロイーズを置いて一人で危険な場所へ向かう何かがあったのだろう。
「……昨晩の、ゴーレム事件。犯人は…………僕です」
「まぁそうだろうね」
 シミオンとしてはとても重大な秘密を打ち明けたつもりだったので、驚きもなくに受け止めるヘロイーズに「え?」と目を剥く。
「弟子がゴーレム作るって言い出して、数日経たずにゴーレムが暴れかけたなんて事件を耳にすれば察しがつくよ」
「……」
「理由があるだろう。人を悪意だけで襲うような人間に育てたつもりはないよ」
 頷いたシミオンはぽつぽつと話し始めた。酒場の仕事帰りに騎士見習い達が揉めている様子を見て、助けなければという思いからゴーレムを喚び出したこと。人の詳しい判別など出来ないゴーレムが騎士見習い全てを敵と見なして襲いかかり、絡まれていた騎士に打ち倒されたこと。
「なるほど。まぁそうだね。ゴーレムは人を区別する程の思考力はない。我々が蟻の個性を判別できないことと同じさ」
「……」
「力加減も出来やしないから、たとえ悪さをしていても人に向かわせるべきじゃない。ゴーレムを倒した見習いがいなければ本当に死人が……いや、そもそもその見習いがいたから馬鹿に絡まれていたのでは?」
「師匠」
 引き摺られたまま話をしているので、シミオンの思い詰めた顔をヘロイーズは見ていない。けれどその声色の微妙な沈みだけで、シミオンの心境を察している。
「僕、出頭します。ゴーレム事件の犯人だって……」
 未遂ではあるが自分は罪を犯したのだと思い悩んでいたシミオンは、ようやく心を決められた。どれ程になるかわからないが、ヘロイーズとは暫しの間会えなくなるだろう。
「はぁ? 何で。別にいいだろ。怪我人なんていないし、そもそもきみのゴーレムだけぶっ壊されたんだぞ。おあいこだおあいこ」
 予想していたものとは全く違う返答に、シミオンは呆けてしまう。
「え? でも……」
「クラークに全部話したってどうせ同じことを言うよ。それ所か揉め事の当事者探しを始めるんじゃないか。あいつはそういうの大嫌いだからな」
 言われて、確かにと頷いてしまう。クラークはヘロイーズと血が繋がっているのが不思議なくらい善良で真っ直ぐな熱血漢だ。そんな所が好きだけど、たまにとても鬱陶しい。
「……で。ゴーレムを壊されて、どうして魔獣との戦闘に突っ込んでいったんだい」
 重要な部分を、シミオンの心理を話していなかった。まだシミオンの中でもごちゃついて整理出来ていないが、どうにか言葉にする。
「昨晩は間違って人を傷付けようとしてしまったから……だから今日は、人を助けたかったんです。師匠に教わった錬金術は、人を助ける為のものだと思うから……」
 錬金術師の作り出す不可思議な道具の数々は、人を助けるものもあれば人を傷付ける為のものもある。けれど結局は、使い方次第なのだ。
「立派な心掛けだが、自分の力量を知りなさい。一人で森を走り回ってハウンドの群れに見つかれば、きみなんかただの餌だろう」
「う……はい……」
 けどね、と言葉を足すヘロイーズの顔を、引き摺られるシミオンは見ることが出来ない。
「きみを、私は誇りに思うよ」
 頭上から掛けられた声の優しさは、シミオンに充分伝わっていた。
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