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番外編「黄昏時にだけ現れる幻の体育倉庫があるらしい」

7.それはやがて訪れる

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 その日の夜のことだった。

 家族が寝静まった深夜、孔雀くんは独り、ふらりと起き出し神社の境内へと向かった。そのまま指定席であるベンチに腰掛け、夜空を眺める。
 ――と。

「また夜更かしか、ぼん

 そんな彼の背後から声をかける者があった。猫の姿のままのクロウさんだ。ちらりと一瞥だけしてその姿を認めると、孔雀くんはまた夜空を見上げ始めた。

「やあ、こんばんはクロウさん。なんだか、つい最近もこういうことがありましたね。――ところで、僕なんかと話をして、霊力の方は大丈夫なんですか?」
「……『黄泉の穴』の中は霊力そのもので形作られた世界だ。むしろ、あの中に身を置くことで我ら妖モノは、沢山の霊力を蓄えることができる。しばらくは霊力の補充に困るまいさ」

 ひょいっと、音もたてずにベンチに飛び乗り、孔雀くんの横できちんとお座りするクロウさん。
 その姿は孔雀くんにもはっきりと視えている。実体化するに困らぬほど霊力に満ちあふれている証拠だった。

「それで、坊。俺に何か話があったのではないか?」
「あはは、クロウさんには全てお見通し、ですか」
「抜かせ。俺がこうやって姿を現すことを期待して、ここにいたのだろう? お見通しなのは、坊の方だろう」

 詰問するような言葉とは裏腹に、クロウさんの口調に責めるような色はない。どちらかと言えば、孔雀くんを案じるような、優し気な声音であった。

「……ひばりは、?」

 ぽつりと、独り言のように孔雀くんが漏らす。その声は彼らしくもなく震えている。

「今はまだ気付いていない。だが、いずれ気付くだろう」

 それに「何を?」とは訊き返さず、クロウさんも独り言のように呟いた。
 二人とも、まるで何か核心に触れるのを避けているかのように。
 言葉にしてしまえば、「それ」が現実になってしまうかもしれないと、畏れるように。

「恐らく、坊の考えている通りだ。ひばりお嬢の力はどんどんと増していっている。、これからも度々起こるかもしれんし、起こらぬかもしれん」
「……そう、ですか」

 それだけ言って、二人は無言になった。
 ただただ、同じような愁いを帯びた瞳で夜空を見上げている。

(……いつまでも誤魔化せるほど、ひばりは鈍くない)

 心の中で独り言ちる。孔雀くんの胸の内では、妹を案じる狂おしい程の感情が渦巻いていた。

 「『黄泉の穴』が突然現れたのは、坂城くんが創作した怪談が原因だった」と孔雀くんは語った。
 それは嘘ではない。だが、全部が本当でもない。精々が半分といったところだった。

 鎌倉のように歴史が古く霊力も強い土地では怪異――「本当にいるもの」も「本当はいないもの」も生まれやすい。
 だが、それにもおのずと限界がある。
 霊力の強い人間、霊力の強い土地、人々を恐怖させる怪談や都市伝説、そして信仰心。それらが全て揃ったとしても、一年の間に生まれる怪異は精々が数件程度だろう。

 しかし、ミステリー倶楽部がこの一年の間に解決した事件は二桁にのぼる。もし以前から鎌倉西小学校で毎年のようにこれだけの怪異が生まれていたのなら、もっと大騒ぎになっていたはずだった。
 それこそ、かつての「口裂け女」や「人面犬」騒ぎのような社会現象になっていたはずだ。

 孔雀くんは以前、自分達が入学する前に西小学校で噂となっていた「学校の怪談」について調べたことがあった。その結果は、「他の学校よりも少し多いか同じくらい」というものだった。
 ここ数年の件数だけが恐ろしく突出しているのだ。ただの偶然では片づけられない程に。

 ――そして、孔雀くんにはその原因に心当たりがあった。
 人々の恐怖や噂が「本当はいないもの」により強い力を与えるように、強い霊力を持つ者は、霊なるもの全てに大きな影響を与える。
 そう、例えば。死にかけていた妖怪が、強い霊力を持つ人間と「契約」することで以前以上の力をもって復活するように。
 強い霊力の持ち主が「本当はいないもの」を視ることで、そのモノの存在強度を高めてしまうように。

 現在、西小学校やその付近で怪異が頻発しているのは、強い霊能力を持つ「ある人物」の影響によるものだ。そう考えるのは、あまりにも自然な帰結だった。

 常人には視えない世界を自然に視てしまう、生粋の霊能力者。
 強力な怪異とも渡り合い、妖怪をも使役するその人物の名前は――。

「クロウさん……僕に、できることはあるのでしょうか」
「できることがあるもなにも、お前はよくやっているぞ、坊」

 孔雀くんの弱気の虫を一蹴するように、クロウさんが答える。夜空から孔雀くんへと視線を移し、クロウさんは更に言葉を紡いだ。

「霊能力を欠片も持たぬくせに、お前の言葉は人々を動かし、真実さえも覆い隠してしまう。『言霊』というのなら、お前の言葉こそがそれだ。もっと自信を持て」
「あんなものは、全て詭弁ですよ。真実ほんとうじゃない。嘘を嘘で塗り固めても、いつか限界が来ます。きっと、そう遠くない日に」

 一方の孔雀くんは決してクロウさんの方を見ようとせず、夜空の星を見上げ続けていた。
 海がほど近く都市部よりも街灯りの少ない鎌倉では、星が良く見える。目の良い孔雀くんには、六等星すらもくっきりと見えた。

「――塗り固めた嘘が崩れる日が、やがて訪れます。僕とひばりが兄妹であるが故に、いつか別れる日がやってくるのと同じく、です。それが、何年くらい先のことなのかは分かりませんが、ね」

 そこでようやく、孔雀くんはクロウさんのことを見た。
 泣いてはいない。いつもの彼らしい爽やかな笑顔がそこにはあった。
 けれども、クロウさんにはそれが泣いているように感じられた。

 孔雀くんは賢い。その精神は、同年代の子供達とは比べ物にならないくらいに大人びている。
 だからこそ、分かってしまうのだろう。妹の抱えているものの重さを、あるいは本人以上に正確に理解しているのだ。そして、その重さを自分が肩代わりできないことも。
 ――がむしゃらに手を伸ばせば届くかもしれない等という子供の夢想を、孔雀くんは抱けないのだ。

「……やれやれ。頭が切れすぎるのも、良いことばかりではないな。坊よ、お前の危惧は尤もだが、『それ』がくるのは今日明日という訳ではあるまい? もっと肩の力を抜き、今を楽しめ――お前もまだ、子供なのだから。心お嬢のように……とまでは言わないが。あの笑顔には救われただろう?」
「あはは、心ちゃんのあれは……狙ってやっているのだとしたら、大したものですよ。彼女はそう……僕らの、太陽だ」

 この一年で仲良くなった年下の友人の顔を思い浮かべ、苦笑する。彼女の分かっているようで分かっていない、無神経なようでとても優しい笑顔に、自分も妹も何度救われたか分からない。そんな想いと共に。
 クロウさん以外に理解者のいなかった孔雀くんとひばりちゃんにとって、心ちゃんの笑顔は初めての寄る辺だった。

「そうだ。笑顔だけで他人を救える心お嬢のように、ただそこにあるだけで誰かの救いになることがあるのだ。坊……いや、孔雀よ。たとえお前の力が及ばなくとも、ひばりお嬢の抱えた霊能力者としての宿命を肩代わりできなくとも、ただお前がお前らしくあるだけで、お嬢にとっての太陽になることもあるのだ――それを覚えておけ」
 
 それだけ言うと、クロウさんの姿と気配はスゥっと消えてしまった。
 言いたいことを言って気が済んだのか、はたまたひばりちゃんに不在を気付かれそうになったのか。

 一人残された孔雀くんはベンチに仰向けになり、再び空を見上げ、そこへ手を伸ばした。
 遠い、あまりにも遠い星の光には決して手が届かない。当たり前のことだ。

「『ただお前がお前らしくあるだけで』、か。僕らしくって、一体なんだろう? ……はは、哲学だね」

 クロウさんの言葉を反芻しながら、独り言ちる。
 しかし、皮肉めいた呟きとは裏腹に、孔雀くんの表情は先ほどよりもほんの少しだけ晴れやかなそれになっていた。

 星々だけが、それを見守っていた――。


(番外編「黄昏時にだけ現れる幻の体育倉庫があるらしい」 おしまい)
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