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5.心変わり
それから二週間後。神乃はまだ物件探し中で、富永の家に居候していた。富永のタワマンに帰宅する生活にもすっかり慣れた。
休日の朝、掃き出しの窓ガラスを拭いていると富永が背後から現れて、神乃の手から布巾を奪って代わりに拭き始めた。
「俺がやる。神乃は働きすぎだ」
富永の家は天井高で、神乃よりも15センチは高い長身の富永が腕を伸ばしてやっと届くくらいの窓の高さだ。だから富永が手伝ってくれると助かるけれど。
神乃のすぐ後ろに富永がいる。背中に富永の体温を感じる。この距離はまるで富永に後ろから抱きすくめられているみたいだ。
すごくドキドキする。でも、このドキドキは富永には悟られてはいけない。
「だっ、大丈夫っ! いいよ、俺がやるから」
金銭的な負担は富永が負っているのだからそのぶん神乃がやるべきだと思っていた。富永は忙しいなりに率先して家事をしてくれているし、仁井との生活と比べたら格段に楽をさせてもらっている。このくらいなんでもない。
「手が荒れてる」
富永に手をとられ、ざらざらの手を眺められるとすごく恥ずかしくなる。
「神乃は昔と全然変わらない。頑張り屋なんだな」
富永は神乃の手を愛おしそうに撫でた。
「おっ、俺、手を洗ってくるっ!」
たまらない気持ちになって神乃は富永から逃れて、洗面台の前に逃げ込んだ。
ザァーっと水を流し、手を洗いながら気持ちを落ち着ける。
——仁井と別れたばかりだぞ。何を考えてるんだ俺は!
別れて一ヶ月も経たずに、次の男に気持ちがいくなんて節操がなさすぎる。
たしかに昔、富永に告白されたことはあるが、それは三年前だ。「三年前の告白はまだ有効か?」なんてふざけたことを本人に訊けるわけもない。
——富永には今、恋人はいるのかな。
一人暮らしというのは嘘ではないようだし、毎晩自宅に帰って来ているので夜を一緒に過ごす相手はいなさそうだ。
——三年前に戻りたい……。
突然現れた富永からの、突然の愛の告白。
あの日に戻って、富永の告白を受け入れることができたら。
後悔しても仕方がないのに、悔しくて涙が滲む。
少しだけ涙を流して、サッと顔を洗って神乃は顔を上げた。
その数日後。神乃がスーパーで買い物をしたあとの買い物袋を引っ提げて、富永のタワマンに帰宅したときだ。
「おい神乃」
マンションの前に立っていたのは仁井だ。仁井は神乃を見つけてズンズン近づいてくる。
「なっ、なんでお前がここにいるんだよっ!」
もう会いたくないと思っていた男がどうして……。
「GPSだよ。お前が出てってすぐに場所を確認したとき、お前がここにいたから」
そうだ。仁井と付き合っている頃、浮気防止だと言われてGPSで居場所を管理されていた。仁井の家を飛び出した翌日にはアプリを削除したが、初日はバタバタしていてそこまで気が回らなかった。そのとき仁井は既に神乃の居場所を突き止めていたのか。
「追いかけてくるな。もうとっくに別れただろ?」
仁井を無視してマンションに入ろうとしたら、仁井に腕を引っ張られた。
「なぁ神乃、拗ねるのもいい加減にしてくれよ。そろそろ俺のところに戻って来いって。お前は一途で、別れてすぐに他の男に乗り換えるような奴じゃないってわかってるよ。どうせあの男には金で買われたりしたんだろ? 家出して、住むとこないってSNSで呟くと、住むとこを貸してくれてさ、そのお礼に抱かせてやるやつ。もうそんなことはしなくていいから、戻って来いよ。今度こそ大事にしてやるから」
仁井は何を言ってるんだ? 呆れて返す言葉もない。
神乃がなんて言い返してやろうかと仁井を睨みつけたとき、不意に仁井に頭を掴まれ、唇を奪われた。
「やっ……んっ……!」
最悪だ。こんな奴とキスなんてしたくない。それなのに仁井はしつこくて無理矢理神乃の唇をこじ開け、深いキスを仕掛けてくる。
仁井はセックスは自分本位なくせに、キスだけは上手かった。今はそのキスがこんなに腹立たしく思えてくるなんて。
買い物袋も、ビジネスバッグも地面に落として、必死で仁井の押さえつける手を振り払い、なんとか仁井から逃げ出した。
「いきなりなんだよ! ふざけんなっ!」
キッと仁井を睨みつけるが、仁井はそれを歯牙にも掛けずにニヤニヤ笑っている。
「相変わらず可愛いな。キスだけで涙目になっちゃうの?」
違う! 気色悪くて涙目になったんだ!
「こんなところでっ……!」
仁井に言い返そうと思ったら、神乃の手放した買い物袋の中身を拾って袋を持つ、スーツ姿の男が目に入った。
間違えようもない、それは富永だ。
見られた。
仁井とキスしているところを富永に見られた。
「あ! お前、あのときのっ!」
仁井も富永の存在に気づいたようだ。
富永は無表情でこちらに向かってくる。
「おい、言っただろ? 神乃は俺の恋人だって。お前、人の恋人に何してんだ……?」
富永の目がマジだ。見たことがないくらい怖い顔をしている。
「はぁ? どうせ嘘だろ? 神乃は真面目だからホイホイ男を取っ替えるような真似はしない。それに俺にベタ惚れだったんだ。お前こそ神乃の身体目当てに家に置いてるんだろ?」
「そんなわけないだろ。神乃は俺の大切な恋人だ!」
富永は仁井の前だから、嘘をついてくれている。恋人のフリを続けてくれているようだ。
「今後一切神乃に関わるな。お前のやったことを少しは反省しろ!」
富永は仁井に冷たく言い放ち、神乃の荷物まですべてを片手に持った。
「行くぞ神乃っ!」
富永に手を繋がれた。そのまま引っ張られ、マンションの中へと連れ込まれた。
「なぁ、富永。もう離せよ……」
仁井の姿が見えなくなったのに、未だ富永は神乃の手を握ったままだ。
「神乃はあいつと何回キスしたの」
「え……」
仁井とは三年付き合っていた。仁井は性欲が強い男だったから頻繁に身体の関係は持っていた。キスはそれ以上だ。
「……なんでもない」
富永は神乃から手を離した。
なんだろう。軽蔑されているんだろうか。あんなクソ男とのセックスに応えて、数えきれないくらいのキスをして、汚れきった身体だと思われたのか。
やっぱり三年前とは違う。振られた相手を三年も思い続ける奴なんていない。富永だって心変わりするに決まっている。
休日の朝、掃き出しの窓ガラスを拭いていると富永が背後から現れて、神乃の手から布巾を奪って代わりに拭き始めた。
「俺がやる。神乃は働きすぎだ」
富永の家は天井高で、神乃よりも15センチは高い長身の富永が腕を伸ばしてやっと届くくらいの窓の高さだ。だから富永が手伝ってくれると助かるけれど。
神乃のすぐ後ろに富永がいる。背中に富永の体温を感じる。この距離はまるで富永に後ろから抱きすくめられているみたいだ。
すごくドキドキする。でも、このドキドキは富永には悟られてはいけない。
「だっ、大丈夫っ! いいよ、俺がやるから」
金銭的な負担は富永が負っているのだからそのぶん神乃がやるべきだと思っていた。富永は忙しいなりに率先して家事をしてくれているし、仁井との生活と比べたら格段に楽をさせてもらっている。このくらいなんでもない。
「手が荒れてる」
富永に手をとられ、ざらざらの手を眺められるとすごく恥ずかしくなる。
「神乃は昔と全然変わらない。頑張り屋なんだな」
富永は神乃の手を愛おしそうに撫でた。
「おっ、俺、手を洗ってくるっ!」
たまらない気持ちになって神乃は富永から逃れて、洗面台の前に逃げ込んだ。
ザァーっと水を流し、手を洗いながら気持ちを落ち着ける。
——仁井と別れたばかりだぞ。何を考えてるんだ俺は!
別れて一ヶ月も経たずに、次の男に気持ちがいくなんて節操がなさすぎる。
たしかに昔、富永に告白されたことはあるが、それは三年前だ。「三年前の告白はまだ有効か?」なんてふざけたことを本人に訊けるわけもない。
——富永には今、恋人はいるのかな。
一人暮らしというのは嘘ではないようだし、毎晩自宅に帰って来ているので夜を一緒に過ごす相手はいなさそうだ。
——三年前に戻りたい……。
突然現れた富永からの、突然の愛の告白。
あの日に戻って、富永の告白を受け入れることができたら。
後悔しても仕方がないのに、悔しくて涙が滲む。
少しだけ涙を流して、サッと顔を洗って神乃は顔を上げた。
その数日後。神乃がスーパーで買い物をしたあとの買い物袋を引っ提げて、富永のタワマンに帰宅したときだ。
「おい神乃」
マンションの前に立っていたのは仁井だ。仁井は神乃を見つけてズンズン近づいてくる。
「なっ、なんでお前がここにいるんだよっ!」
もう会いたくないと思っていた男がどうして……。
「GPSだよ。お前が出てってすぐに場所を確認したとき、お前がここにいたから」
そうだ。仁井と付き合っている頃、浮気防止だと言われてGPSで居場所を管理されていた。仁井の家を飛び出した翌日にはアプリを削除したが、初日はバタバタしていてそこまで気が回らなかった。そのとき仁井は既に神乃の居場所を突き止めていたのか。
「追いかけてくるな。もうとっくに別れただろ?」
仁井を無視してマンションに入ろうとしたら、仁井に腕を引っ張られた。
「なぁ神乃、拗ねるのもいい加減にしてくれよ。そろそろ俺のところに戻って来いって。お前は一途で、別れてすぐに他の男に乗り換えるような奴じゃないってわかってるよ。どうせあの男には金で買われたりしたんだろ? 家出して、住むとこないってSNSで呟くと、住むとこを貸してくれてさ、そのお礼に抱かせてやるやつ。もうそんなことはしなくていいから、戻って来いよ。今度こそ大事にしてやるから」
仁井は何を言ってるんだ? 呆れて返す言葉もない。
神乃がなんて言い返してやろうかと仁井を睨みつけたとき、不意に仁井に頭を掴まれ、唇を奪われた。
「やっ……んっ……!」
最悪だ。こんな奴とキスなんてしたくない。それなのに仁井はしつこくて無理矢理神乃の唇をこじ開け、深いキスを仕掛けてくる。
仁井はセックスは自分本位なくせに、キスだけは上手かった。今はそのキスがこんなに腹立たしく思えてくるなんて。
買い物袋も、ビジネスバッグも地面に落として、必死で仁井の押さえつける手を振り払い、なんとか仁井から逃げ出した。
「いきなりなんだよ! ふざけんなっ!」
キッと仁井を睨みつけるが、仁井はそれを歯牙にも掛けずにニヤニヤ笑っている。
「相変わらず可愛いな。キスだけで涙目になっちゃうの?」
違う! 気色悪くて涙目になったんだ!
「こんなところでっ……!」
仁井に言い返そうと思ったら、神乃の手放した買い物袋の中身を拾って袋を持つ、スーツ姿の男が目に入った。
間違えようもない、それは富永だ。
見られた。
仁井とキスしているところを富永に見られた。
「あ! お前、あのときのっ!」
仁井も富永の存在に気づいたようだ。
富永は無表情でこちらに向かってくる。
「おい、言っただろ? 神乃は俺の恋人だって。お前、人の恋人に何してんだ……?」
富永の目がマジだ。見たことがないくらい怖い顔をしている。
「はぁ? どうせ嘘だろ? 神乃は真面目だからホイホイ男を取っ替えるような真似はしない。それに俺にベタ惚れだったんだ。お前こそ神乃の身体目当てに家に置いてるんだろ?」
「そんなわけないだろ。神乃は俺の大切な恋人だ!」
富永は仁井の前だから、嘘をついてくれている。恋人のフリを続けてくれているようだ。
「今後一切神乃に関わるな。お前のやったことを少しは反省しろ!」
富永は仁井に冷たく言い放ち、神乃の荷物まですべてを片手に持った。
「行くぞ神乃っ!」
富永に手を繋がれた。そのまま引っ張られ、マンションの中へと連れ込まれた。
「なぁ、富永。もう離せよ……」
仁井の姿が見えなくなったのに、未だ富永は神乃の手を握ったままだ。
「神乃はあいつと何回キスしたの」
「え……」
仁井とは三年付き合っていた。仁井は性欲が強い男だったから頻繁に身体の関係は持っていた。キスはそれ以上だ。
「……なんでもない」
富永は神乃から手を離した。
なんだろう。軽蔑されているんだろうか。あんなクソ男とのセックスに応えて、数えきれないくらいのキスをして、汚れきった身体だと思われたのか。
やっぱり三年前とは違う。振られた相手を三年も思い続ける奴なんていない。富永だって心変わりするに決まっている。
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