生き急ぐオメガの献身

雨宮里玖

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3.再会

「それは、ヘリオス様と交わした約束ですか? たしかヘリオス様とシノン様は今日が初対面、ですよね……?」

 不思議そうな顔をするオーウェンをシノンは「初対面ではない。王都で見かけたことがある」と軽くあしらう。

「そうでしたか。それは存じ上げませんでした。身分の差を乗り越えて結婚されるとは。シノン様にこんなに想われて、ヘリオス様は本当に幸せな御方です」

 オーウェンは優しい言葉をかけてくれるが、シノンはさっきから不安で身体が震えている。あれから七年の歳月が過ぎ、すっかり変わってしまったシノンの姿を見て、ヘリオスがどんな反応をするのか、怖くて仕方がない。

 ヘリオスはこの結婚を喜んでいるのだろうか。ゼオニアから来た返信の手紙には、ヘリオスの直筆と思われるサインがあった。だからヘリオスは了承してくれたはず。
 きっと大丈夫、この結婚はうまくいく、とシノンは何度も自分に言い聞かせる。

「シノン様。こちらが婚礼式の会場の控え室です」

 オーウェンは「扉をお開けします」とシノンの目の前にある、アーチ状の両開き扉を開いた。
 明るい陽が差し込む部屋だった。部屋には白い正装を身に纏った、長身の男がいる。

 窓の外の景色を見ていた長身の男は、扉が開かれる音に気がついてこちらを振り返った。
 陽射しを浴びて男の金髪がまばゆく光る。碧い瞳が真っ直ぐにシノンを見つめている。

 ヘリオスだ。ヘリオスは婚礼のための服を着て、シノンとの結婚に備えてくれていた。
 式当日に、花婿に逃げられたらどうしようと思っていた。どうやらヘリオスには、シノンからの求婚を受け入れる気持ちがあるようで安堵する。

 七年間、ずっとヘリオスに会いたかった。この瞬間を待ちわびていた。

「ヘリオス様。シノン様がいらっしゃいました」

 オーウェンは畏まり、ヘリオスにシノンの到着を知らせる。
 ヘリオスはシノンを見ても、顔色ひとつ変えない。

「ウィーヴィル公爵令息様。遠路はるばるこのような辺境の地にお越しくださり、ありがとうございます」

 ヘリオスのよそよそしい態度に、シノンはショックを受けた。
 やはりヘリオスはシノンのことなど覚えていなかった。
 あれから七年が過ぎ、シノンの容姿も声も変わってしまっている。でもアルファとオメガなのだから、会えば自然と惹かれ合うのではないかと、どこか期待していた自分がいた。
 その期待は呆気なく崩れ去り、恐れていた事態に直面し、心が打ち砕かれそうになる。思わずシノンの目に涙が滲むが、それを必死でこらえて、シノンはヘリオスに頭を下げた。

「ヘリオス様。私からの求婚を受けてくださり感謝いたします」

 シノンが礼を言うと、ヘリオスは「当然のことです」と返してきた。

「俺は田舎貴族です。あなたほどの御方から求婚されて断ることなどできません。いったい何の間違いかと何度も確認しましたが、どうやら間違いではないようで。あなたが何を企んでいるのか俺にはわかりませんが、ガーレニアの贅沢な暮らしと違って田舎暮らしはキツいですよ? 離縁したくなったらいつでもどうぞ。それも俺には引き留める気はありませんから、お好きになさってください」

 ヘリオスの棘のある言葉が、感情のない視線が、シノンの心に突き刺さる。
 それでもシノンの気持ちは変わらない。七年前の約束だけは、絶対に果たしたかった。

「別に何も企んでなどいませんよ。だってそうでしょう? 俺はあなたから何も奪ってません」
「まぁな。だからこそ、よくわからない」

 ヘリオスはシノンを訝しげな目で見ている。
 ふたりの険悪な雰囲気を察したのか、オーウェンがあいだに割り込んできた。

「まぁまぁ、ヘリオス様っ! あっ、あのですね、シノン様は戦艦一隻と信じられないくらいの大金を我が城にもたらしてくれたんですよ? そんな御方が企み事などなさるはずがないです! しかもこんな美しいオメガです。王太子妃候補にまで名が上がるほどのかたですよ? もう少し喜ばれてはいかがです?」

 オーウェンは明るい声を出して、その場を取り繕おうと必死だ。

「もちろん、喜んでいる。俺は表情と態度に表すのが苦手なだけだ」

 ヘリオスはどう見ても喜んでなどいない。その冷たい態度からは少しの愛情も感じられない。

「ヘリオス様、シノン様をもっとよく見てくださいっ。最上級オメガです。ヘリオス様もアルファなら本能で感じるでしょう?」

 オーウェンの言葉に、ヘリオスがチラリとこちらに視線を向けてきた。シノンはその深碧色の瞳を見つめ返して訴える。

 どうか思い出してほしい。

 あのとき、アルファとオメガだったら番になろうと最初に口にしたのはヘリオスだったのに。「オメガだったよ」とずっと伝えたかったのに。

「顔は綺麗だと思うが、こ、好みじゃない」

 ヘリオスはそれっきりシノンに背を向けてしまった。そのまま何も言わずに窓の外を眺めている。

「嘘でしょ、ヘリオス様っ。ダメですよ、そんな子どもみたいに……」

 オーウェンはヘリオスに近づいていく。

「いい加減に、あの人のことは忘れてください。これ以上ない縁談です。これを機に気持ちを切り替えて、シノン様と幸せになったらいいじゃないですか」

 オーウェンは小さな声で言っているが、聞き耳を立てていたシノンには聞こえてしまった。

 ヘリオスには誰か想い人がいるのだ。

 この七年のあいだ、ヘリオスがどう過ごしていたかはシノンは知らない。その間に、ヘリオスは誰かに恋に落ちていてもおかしくはない。むしろ年齢を考えると自然なことなのではないか。

 だが、公爵令息であるシノンの求婚は受け入れざるを得なかった。
 この結婚は、シノンにとっては念願だったが、ヘリオスにとっては不本意なものに違いない。

「俺はシノンと結婚する。誰に言われたからでもなく、俺自身が決めたことだ。それ以上言うな」
「だったらその態度を改めてください。シノン様に失礼です」
「……っ!」

 ヘリオスはオーウェンのほうを素早く振り返る。返す言葉がないようだ。

「覚悟を決めたんでしょう? 大切にしないとバチが当たりますよ!」
「わかった。わかったから」

 オーウェンとヘリオスは主従関係にありながら、仲がいいのかもしれない。ヘリオスはオーウェンに言われっぱなしだ。
 オーウェンはヘリオスに言いたいだけ言ったあと「シノン様。私はこれで失礼いたします」とシノンに丁寧に頭を下げて、その場を去っていった。
 オーウェンは立ち去る際、シノンに意味深なウインクを送ってきた。きっとシノンのことを無碍に扱うヘリオスに忠告しておいた、ということを伝えているのだろう。
 その場にヘリオスとふたりきりで残される。
 シノンが思い描いていた再会ではなかった。それでもヘリオスが自分の意思でこの結婚を決めてくれたことがわかって少し安心した。

「シノン……と呼んでもいいか?」

 ヘリオスがゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。さっきオーウェンに散々言われて、己の態度を反省したのかもしれない。

「じゃあ、俺も、ヘリオスって呼んでもいい……?」
「ああ。当然だ。俺たちは今日から夫夫になるんだから」
「うん……」

 今日は、念願のヘリオスとの婚礼の日だ。
 ずっとこの日を待ち望んでいたのに、気持ちが晴れない。
 その理由は明白だ。
 古い約束にこだわるシノンのワガママで、好きでもない人と結婚せざるを得ないヘリオスに、申し訳ないと思っているからだ。

「さぁ、行こうか。俺たちのために人が集まってくれているから」

 ヘリオスは力無く、シノンに微笑みかけてきた。
 ヘリオスは疲れた顔をしている。目の下のクマがひどいから、昨晩はあまりよく眠れなかったのかもしれない。

「ごめん……」

 思わず口をついた謝罪の言葉を、「えっ?」とヘリオスが聞き返してきた。とても小さな声だったから、よく聞こえなかったのだろう。

「なんでもない。結婚してくれて感謝してる」

 シノンにできることはただひとつだけ。ヘリオスにできる限りのことをすること。そうすれば、ヘリオスに少しでも好きになってもらえるかもしれない。

 幼かったとはいえ、一度は気持ちを通わせた仲だ。月日が経ってしまったが、今からでも一縷の望みはある、とシノンは考えていた。
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