生き急ぐオメガの献身

雨宮里玖

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8.仲のいいふり

「あ、あの、シノン……」
「はい」
「……その、コイツは、アランって言うんだが、三日前に子どもが生まれたばかりなのだ。俺は嫁のそばにいろ、来なくていいと言ったのに、盗賊討伐に加わってくれた。それで、命を落としそうになったところ、お前の魔法で助かった」

 ヘリオスはたどたどしく話す。

「もう少しで、可愛い子どもと嫁を置いていなくなるところだった。あ、ありがとう、シノン」

 ほんの少し視線を逸らしながら、気恥ずかしそうにしているが、あのヘリオスがシノンに礼を言ってくれた。そのことが嬉しくて、シノンは思わず頬を緩める。

「役に立てたなら、俺も嬉しいよ」

 シノンは微笑み返す。すると周りから「美しい」「女神だ……」と声が上がった。

「シノン様、ありがとうございますっ」

 兵士のひとりが感極まった様子で、シノンの手を握ると、別の兵士がそれを制した。

「ダメだ、シノン様はヘリオス様の奥方だ。軽率に触れるなっ。眺めるだけにしろっ」
「す、すみませんっ、無礼なことをいたしましたっ」
「そのくらい、気を遣わなくてもいいのに……」

 シノンは手を握られるくらい構わないと思っている。こっちから手を握り返そうかと思案していたときだ。

「さぁさぁ、シノン様はお疲れなんだから。このままじゃシノン様の握手会が始まってしまいます。そろそろお部屋に戻られては?」

 オーウェンは「それではヘリオス様、失礼いたします」とヘリオスに頭を下げ、シノンを保管庫から外へ連れ出した。

 それももっともだ。兵士たちが武器や防具をしまうために、保管庫が人でごった返している。部外者のシノンは邪魔になるからここから出ていくべきだ。


 保管庫の外に出たあと、オーウェンはシノンの顔色を窺い、心配そうな顔をする。

「シノン様、お疲れのご様子です。頑張りすぎたんでしょう。お部屋にお茶とお菓子を用意させますから休んでください」
「わかった。オーウェン、そうするよ」

 たしかにシノンは、ずっと魔法を使い続けている。さっきも少し眩暈がしたし、休んでからプロテクトの魔法をかける続きをしようと思った。
 でも休憩は少しだけにしよう。明日からはヘリオスたちは船に乗り沖合に出てしまうから、今日中に仕上げたい。

「ひとりじゃつまらない。オーウェンはこのあと時間ある? よかったら、一緒に……」

 オーウェンをお茶に誘って、話がしたかった。オーウェンならヘリオスのことをいろいろ知っているのではないかと思ったのだ。

 オーウェンは以前ヘリオスに、「結婚を機にあの人のことを忘れてください」というようなことを言っていた。つまり、ヘリオスの想い人か誰なのかを知っている可能性がある。

「シノン、俺が相手になる」

 オーウェンとシノンのあいだに急に割って入ってきたのはヘリオスだ。

「えっ?」

 避けられていると思ったのに、ヘリオスから歩み寄ってくるとは思わず、シノンは驚いた。

「お、俺は、これから時間がある。たまたま空いているんだ」

 どういうことかとシノンがヘリオスを見上げると、ヘリオスは手で半分顔を隠して照れている様子だ。
 あの、ヘリオスが照れているなんて。

「ちょうど喉が乾いているんだ。オーウェン、部屋にふたりぶんのお茶を用意させろ」
「はい。わかりました……」

 オーウェンもヘリオスの態度に首をかしげている。それでもヘリオスに従って「すぐに用意させます」とその場から去っていった。

 仕方がないので、ヘリオスとふたり並んで歩き出す。
 シノンには、どうしてヘリオスがこんな真似をしたのか見当がついている。
 ここには人の目があるからだ。本当はシノンのことなどどうでもいいと思っているくせに、仲のいいふりをしたかったのだろう。

「休憩はさっさと終わらせよう。俺も早く続きがしたいんで」

 ヘリオスは一秒でも早くお茶を終わらせたいと思っているに違いない。だから早めに切り上げてあげればきっとヘリオスも喜ぶだろう。

「えっ?」

 なぜかヘリオスは一瞬、立ち止まった。シノンが不思議そうにヘリオスを見ると、「きゅ、休憩なんだからそんなに急ぐことはないだろう」としどろもどろに答えてきた。

 変なヘリオスだ。シノンの顔なんて見たくもないだろうに。

「シノン。お前、なんで保管庫でオーウェンとふたりきりでいたんだ?」
「俺がひとりでいたときに、たまたま会ったんだよ」
「本当か? 嘘をつくなよ。随分といい雰囲気だったじゃないか」

 ヘリオスの勝手に決めつけたような態度に、シノンはカチンとくる。

「お互いの生活に干渉しないんだろ? 自由にしていいって言ったのはヘリオスだ」

 シノンが言い返すと、ヘリオスは黙った。
 それもそのはず。自分でルールを作ったのに、それを破るわけにはいかないだろう。
 シノンがさっさと先を行くと、ヘリオスが慌てて追いかけてきた。

「待てって、シノン。一緒に行こう」

 ヘリオスは何を必死になっているのだろう。別に部屋まで戻るくらい、バラバラでいいのにとシノンは思う。

「シノン。お前はオーウェンがお気に入りなのか」
「まぁ、いい人だなと思うよ」
「へぇ」

 ヘリオスはどこか怒っているようにも見える。でもシノンには、そうされる理由がわからない。

「いいか、シノン。あいつの見た目に騙されるんじゃないぞ。ああ見えてすごく頭がキレる男だ。油断するなよ」
「はいはい。ご心配ありがとうございます」

 ヘリオスは、きっと誰とでも気さくに話せるオーウェンを羨んでいるんじゃないだろうか。
 オーウェンは優しくて人懐っこいから、第一印象がとてもいい。ヘリオスもそうなりたいと思っているのだろう。

「俺が平民で、オーウェンが子爵の息子だったらよかったのにな。そしたらお前はオーウェンと結婚できた」
「それなら俺は平民のヘリオスを選ぶよ」

 何気なく答えたのに、ヘリオスは驚いてバッとシノンを振り返る。

「そ、そうか、顔か。顔が好みなんだもんな。別に俺の中身など見ちゃいないんだろ。か、勘違いはしないからな」

 どこかヘリオスの様子はぎこちない。
 今日のヘリオスは何か変だ。いつもシノンのことなど気にせず放っているのに、妙に突っかかってくる。

「うわっ!」

 シノンは、ヘリオスばかり見ていて段差でつまずいた。慌てて隣にいたヘリオスの腕を掴む。

「ごめんっ……」

 手を離そうとしたのに、ヘリオスは「そのままでいい」とシノンの腕を自分の腕に絡ませる。

「魔法の使いすぎで疲れてるんだろう。危なっかしいから掴まってろ」

 ヘリオスと腕を絡ませて歩くことを強要される。案の定、周囲はふたりのことを仲睦まじい夫夫だというような目で見てくる。

 ああ、とシノンは合点がいった。
 これがヘリオスの狙いだ。
 こんなときだけシノンに優しくして、いい夫を演じ、周りに対して仲がいいと見せかけて、不穏な噂が立たないようにしている。

「わかったよ、ヘリオス」

 シノンはヘリオスの腕に寄りかかる。
 この際、仲のいいフリでもいいかと思った。こんなときだけは、ヘリオスに堂々と触れることができる。

 昔からヘリオスの隣は、シノンの唯一の安らげる場所だった。

「シノン……」

 寄りかかりすぎだと怒られるかと思ったのに、ヘリオスはそれを許すかのように、シノンの髪に触れ、そっと撫でた。
 初めてだ。
 初めてヘリオスに優しくしてもらえた。
 ヘリオスに冷たくされて、突き放されても、少し髪を撫でられると嬉しくなる。嫌われているとわかっているのに離れられない、ちょっと優しくされただけで、またヘリオスに心を寄せる自分自身に呆れてしまう。
 でも微々たる変化だが、ヘリオスにも変化があるような気がする。

 望みはあるかもしれない。ヘリオスの愛のほんのひとかけらだけでいい。全部はいらないから、少しだけ分けてもらえたら、シノンに思い残すことはない。
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