生き急ぐオメガの献身

雨宮里玖

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10.契約

 ヘリオスと最後に会った日は、忘れもしない季節外れの寒い日だった。
 年相応になり、ニアはバース性を調べる検査を受けてオメガだと判明した。
 両親からオメガだったと教えられたとき、ニアは内心小躍りした。ヘリオスと「アルファとオメガだったら番になろう」と約束していたからだ。
 ニアがオメガなら、ヘリオスの番になれる。このことを知ったら、きっとヘリオスも喜んでくれるに違いないと思っていた。

「よくやったぞ! ニア!」

 ニアを一度も褒めたことのない父親が、喜びをあらわにしてニアの肩を揺すった。

「さぁ、あんたの荷物は支度できてる。今すぐ出発するわよ」

 なぜか気味の悪い、薄ら笑いを浮かべる母親。その態度を見て嫌な予感がよぎる。

「出発って……? どこに?」
「ウィーヴィル公爵のところに決まってるでしょ。あんたがオメガだったら養子に迎えたいって言ってくださったのよ。ニア、あんたはなんて幸運の持ち主なの!」
「嫌だ……行きたくない……」

 ウィーヴィル公爵家は、王都に住む父方の親戚だ。ニアが幼いころから「この子は美しい」とニアを目にかけてくれていて、ニアは王都にある屋敷に泊まりに行ったこともある。
 養子に行ったらヘリオスに会えなくなる。オメガを養子に迎えたいだなんて、政略結婚に利用するために違いない。ニアが好きな人と番えなくなる。

「あんたの意思なんて関係ないの。公爵様の申し出を断るなんて許されないことだからね! あんたなんかにいくら払ってくれると思うの? さっさと行くわよ!」

 腕を掴まれ、無理矢理連れて行かれる。十二歳のニアには、両親に逆らう術はない。

「じゃあ、お願いっ、最後にヘリオスに会わせてっ。少しだけでいいから……」

 このまま急にいなくなるのは嫌だった。せめて、ヘリオスに会ってからいなくなりたかった。

「あー。あの子爵の息子ね。今ごろ、のたれ死んでるんじゃないかしら」
「え……?」

 ニアの手が震え出す。まさか、まさかと恐ろしくて青ざめる。
 ニアは今までの経験から知っている。母親は容赦ない人だ。

「ガキのくせに、私たちに口答えするからいけないのよ。ニアを虐めてるって、私たちを王立監視兵に引き渡すから、態度を改めろって、何様?」
「ヘリオスがそんなことを……」

 ニアの預かり知らぬところで、ヘリオスが両親にそんなことを言っているとは知らなかった。正義感の強いヘリオスは、ニアの話を聞いて黙っていられなかったのだろう。

「だから、あんたの名前を使って、死の森に呼び出した」
「死の森っ?」

 死の森は町外れにある鬱蒼とした森だ。遠征隊と避けて通る、忌み嫌われた森で、モンスターの巣窟と化している危険な森だ。

「あんたをお仕置きするために森に置いてきたと言ったら、慌てて走って行ったから、今ごろ死んでるんじゃない?」
「なんて、ことを……!」

 いくらヘリオスが強くても、ひとりじゃ無理だ。死の森に入って無事で済むはずがない。
 ニアは力任せに母親の腕を思い切り振り払った。

「こらっ! 待ちなさいっ!」

 両親の声など聞こえない。ニアは全速力で死の森に向かって走り出す。
 近づくことすら怖かった森なのに、ヘリオスがいると知ったら恐怖心なんて吹き飛んだ。ニアは迷わず森に飛び込んで、ヘリオスの姿を探す。
 死の森に入ってどのくらい経ったのか、わからなくなったころだ。森の奥からモンスターの咆哮が聞こえてきて、嫌な予感がして、ニアはその方角へと走った。
 ニアの目の前を何かが、ものすごい勢いで通過した。
 人の身体だった。それは木の幹に激突し、大きく枝を揺らし、地面に崩れ落ちた。

「へ、リオス……」

 ヘリオスは倒れたきり、びくともしない。身体中が傷ついており、血を流している。

「ヘリオスっ!」

 無事を確認しようとニアが駆け寄ったとき、背後から「オオオオ……」と不気味な咆哮が聞こえて素早く振り返る。
 牛の頭と大きな角を持つ人身のモンスターだ。しかもニアの身長の三倍はある。ニアの知識よりもかなり大きい。こいつは異形種だ。
 おそらくヘリオスは、このモンスターと戦闘することになり、恐ろしいほどの怪力でここまで吹き飛ばされた。

「なんとかしなきゃ……」

 ニアはヘリオスが手放した剣を拾い、ヘリオスを庇うように立つ。
 剣はずっしりと重い。ヘリオスは、いつもこんな重いものを握って戦っていたのかと驚くくらいだ。これを振り回すだけで精一杯なのに、まともに戦えるだろうか。

 負傷したヘリオスを連れて逃げることはできない。ならば自分がここで食い止めるしかない。
 剣を持つ手がカタカタと震えている。

 どうしたらいい。

 考えろ、考えろと必死で言い聞かせるが、何も浮かばない。
 そのあいだにも、モンスターはニアに迫る。
 ニアが覚悟を決め、震える手で剣の切先をモンスターに向けたときだった。
 不意に、頭上から声がした。何者かがニアの頭の中に直接話しかけてくる。

 ——我と契約を交わせ。

 男とも女ともわからない、不思議な声帯だった。その声で、ニアは理解する。
 これは、死の精霊の声だ。
 この森にいると噂で聞いたことはある。まさか自分が精霊に選ばれるとは想像すらしなかった。
 精霊と契約を交わせば、魔法が使えるようになる。こんな幸運に巡り会えることなど滅多にない。
 だが死の精霊だけは契約を交わしてはいけない。命を司る死の精霊は、契約の際、人間から大きな代償を奪うのだ。

 ——お前の残りの寿命を半分よこせ。たったそれだけで契約してやる。私はお前を気に入った。

 残りの寿命を半分差し出す。
 ニアは今現在十二歳で、この世界の平均的な寿命は六十歳だ。もし六十まで生きるとしたら、寿命は三十六歳。もし四十までだとしたら、二十六歳となる。
 ニアに迷いはなかった。
 死の精霊の力がなければ、モンスターには勝てない。
 ヘリオスをなんとしてでも守りたかった。文字通り、命に代えても。

「契約する! お前の力を貸してほしい! 今すぐに!」

 ニアの叫び声と共に、ニアの身体は光に包まれる。
 全身の血が煮えたぎるような熱さだ。それと同時に、力がみなぎっていく。
 魔力の使い方なんてわからない。ニアはただ、与えられた大きな力を全身全霊で目の前の敵にぶつける。

 力の暴走、と言ってもよかった。
 魔法に不慣れなニアの小さな身体では、耐えられないほどの巨大なエネルギーだった。
 白い閃光がほとばしり、モンスターだけじゃない、周辺の木々も吹き飛ばすほどの力だ。その反動でニア自身の身体も後ろへ吹き飛ばされた。

「うぅっ……!」

 地面に倒れたニアの目の前には、傷ついたヘリオスの姿があった。ヘリオスは目を閉じたまま動かない。

「ヘリオス……」

 ニアは鉛のように重い身体を引きずり、ヘリオスへと近づいていく。
 ヘリオスの身体を覆い隠すようにして折り重なり、少しでも庇う。もうニアには、そのくらいの力しか残っていない。

 この人だけは守りたい。どうか無事でいてほしい。
 ニアはそのまま意識を失った。


 ニアが目覚めたのは、ウィーヴィル家の一室のベッドの上だった。
 ニアが目覚めると、アストリア・ウィーヴィル公爵、つまり後に父親になる人が「おお! 目覚めた!」と感嘆の声を上げた。
 聞けば、死の森で倒れていたニアとヘリオスは、ニアの両親の通報により、王立警備隊によって発見されたらしい。
 ニアの両親は「行くなと言ったのにニアとヘリオスが勝手に死の森へ行ってしまった」と話していたという。
 王都のほうが最善の治療を受けられると、ニアはここまで運ばれた。その間、目が覚めぬままだったが、王都に来て、城仕えの魔導師の力で目を覚ますことができたそうだ。

「ニア、ニア。もう大丈夫だ。これからはお前にたくさんの幸せを与えてやる」

 アストリアは涙を流しながらニアの身体を抱きしめてきた。
 アストリアはニアの境遇を知っていた。それでオメガを理由に、ニアを自分の元に引き取ってくれたのだ。

「お前は今日からシノン・ウィーヴィルだ。王都で私たちと一緒に暮らそう。お前は何も気にしなくていい。私が守ってあげるよ」
「はい……」

 ニアは虚ろな目で返事をする。
 この時からニアはシノンとして生きていくことになる。

 金髪だったニアは、跡形もなく銀髪へと変貌していた。おそらく死の精霊と契約を交わしたときに変化したようだ。
 十九歳になるころには、成長で顔から幼さが消えた。オメガらしく美麗な顔つきになり、王都で昔の知り合いに出会っても、銀髪のシノンが、あの臆病で寂しがりな金髪のニアだったと気がつく者はいなかった。

 魔法は使えた。つまり、死の精霊との契約は有効だということだ。後に死の精霊と対話をして契約の詳細を知った。

 シノンは人の二倍の速度で寿命を失うことになった。

 余命いくばくかわからないが、シノンの寿命を、シノンと死の精霊の両方で消費しているような状態らしい。
 十二歳のときに死の精霊と契約を交わしたシノンは、今は十九歳。つまり、今のところは七年寿命が短くなった状態だ。

 寿命ばかりは自分でどうにかできるものではない。オメガは元々他のバース性よりも短命だから、三十歳にはこの世を去る覚悟をしている。もしかしたらもっと早いかもしれない。
 というのも、シノンが魔法を使うたびに幾許《いくばく》かの寿命を失うようなのだ。死の精霊の力を借りるたびに、代償をより多く求められる。だからシノンはできるだけ魔法は使わずに過ごしていた。

 でも後悔はしていない。
 あれからヘリオスは一命を取り留め、元気に暮らしていて、若くして副将軍になったという話を聞いた。あのとき死の精霊と契約を結ばなければ、ヘリオスを守ることはできなかった。
 死の精霊と契約を交わしたシノンには、時間がない。

 生き急ぐシノンが、残りの寿命の中で願ったことはただひとつ。
 ヘリオスのそばにいることだった。
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