生き急ぐオメガの献身

雨宮里玖

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26.死の森

 シノンはヘリオスとふたりで、死の森へとやってきた。
 ヘリオスによると、精霊との契約解除は、契約した精霊の棲家で行うものらしい。森の奥深くまでは入らなかった。この森は相変わらず不気味な様相を示している。命を失いかけた記憶から、近づくことすら憚れる場所だ。

「ヘリオス、本当に大丈夫なの……?」

 シノンが恐る恐る訊ねると、ヘリオスは「わからん」と返してきた。

「ええっ!」
「俺も一度きりしか成功していない。それと、死の精霊を追い払うのは初めてだ」
「あんなに自信満々に言ってたのにっ?」
「自信はあるさ。ただ実績がないだけだ」

 ヘリオスはニヤッと笑う。本当にヘリオスは面白い男だ。
 ヘリオスは大きな白い布を地面に広げる。そこには複雑な魔法陣が描かれていた。
 古代精霊文字のようだが、そこに何が書いてあるのかシノンにはわからない。

「この中心に立って、精霊と対話しろ。魔法を使うときのように」

 シノンはヘリオスの指示どおりに魔法陣の中央に立ち、祈りを捧げた。
 シノンの中に、精霊が降臨してきたのがわかる。魔法を使うといつもこのような状態になるのだ。
 魔法陣の外側からヘリオスが、不思議な言葉で話を始めた。シノンに向かっているわけではなく、おそらく精霊に直接話しかけているようだ。
 人に降りた精霊と話ができるとは、知らなかった。精霊たちは往々にして恥ずかしがり屋だ。主の心に声を響かせるだけで終わるものだと思っていた。
 ヘリオスと精霊の対話は続く。ヘリオスは険しい表情をしていた。

「うわっ……!」

 突然足元の魔法陣が光り、熱を持つ。シノンは思わずのけぞった。
 ヘリオスが呪文のようなものを唱える。すると突然目の前が眩しくなり、何かがシノンの身体を貫いた。
 痛みはない。不思議な光がシノンの身体を貫通していった感覚だった。
 これは呪咀の槍だ。魔導師の中にいる精霊に直接攻撃を加えるときに使うものだ。
 そんなものを具現化できる者はそういない。古代精霊語が難解すぎるのと、かなりの修練が必要になるからだ。
 シノンの中に棲まう者が離れていくのを感じた。それが、森の中を漂っている気配がわかる。
 死の精霊との離別だ。精霊は再び死の森へと還っていったのだ。

「シノン、こっちへ来い!」

 ヘリオスがシノンをかっさらうようにして魔法陣の中に飛び込み、腕を引いて魔法陣の外へ連れ出した。途端、魔法陣の布が炎に包まれた。
 シノンはぼんやりと燈色の炎を見つめている。シノンを支配していた積年の呪縛が燃えてなくなっていくように思えた。

「どうだ……? 髪の色はそのままだな。精霊祓いはうまくいったか?」

 ヘリオスがシノンの顔を覗き込んでくる。

「うまくいったと思う。あいつは俺から離れていった。力を使おうと思っても、ここに何も感じないんだ」

 シノンは自分の胸に手を当ててみる。魔力を使うときに感じる力は何もみなぎってこなかった。

「お前の中は居心地がいいらしいぞ」
「え?」
「棲んだら離れられないくらいに、温かいそうだ。それでも俺は無理矢理追い出した」
「精霊と会話をしたの?」
「ああ。俺は相当勉強したからな。副将軍でいられなくなったら精霊祓いの祈祷師にでもなろうか」

 ヘリオスはつまらない冗談を言って笑う。その裏には死ぬほどの努力があるはずだ。ヘリオスほど優秀な男が、七年間、苦労に苦労を重ねた結果の能力だ。

「精霊から聞いた。シノン、お前は俺のことを……いや、やめておこう」
「えっ? 何っ? 気になるよ。すごく気になる」

 死の精霊は、ヘリオスにいったい何を伝えたのだろう。
 魔導師の中にはしょっちゅう精霊と話をする者もいるらしいが、シノンは魔法を使うとき以外は対話をしない。

 シノンは王都にいたころは、ほとんど魔法は使わなかった。辺境の地に来てから頻繁に魔法を使うようになったが、そう時は経っていない。それで精霊はシノンから何を感じたのだろう。

「シノン。もっと早く助けてやりたかった……」

 ヘリオスは大きな手のひらでシノンの頬を包み込む。

「失ったものは取り戻せない。だがその代わり、俺がシノンを幸せにする。失ったぶん、離れ離れだったときのぶんまで、人の二倍、いやもっと幸せにしてやるからな」
「うん」

 ヘリオスがいてくれれば怖いものなんてない。シノンのなによりの願いはヘリオスと番になって一緒に生きることだ。

 シノンはヘリオスを見上げる。ほんの一瞬、ふたりの視線が絡み合い、それからシノンの望みどおりに、ヘリオスからのキスが落ちてきた。
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