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1章 ランドセル編
1.ゆめ
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「ねぇ、ひつじちゃんまだ帰らないの?」
日が傾き始めた放課後の教室で、男の子が頬を膨らませていかにも不機嫌そうな女の子の顔を覗いていた。
「ひつじちゃん?」
名を呼ばれているであろう女の子は返事も返さずに、うつむき加減で机のとある一点を見つめている。
「はやくお家に帰らないと、お母さん心配するよ」
「……」
「ひつじちゃん」
「……」
何度声をかけても口を一文字に結ぶ女の子に小さくため息を吐く。いつも笑顔で優しい彼女は、いったいどうして口を利いてくれないのか、心当たりがない訳ではなかったが、男の子はどうしても聞けなかった。
しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。何度も繰り返された反応無しのやり取りだが、時間は待ってはくれなかった。傾いた太陽は役目を終えようと山の頂に身を潜めようとしていた。目の前に広がる山並のなか、はやく彼女を家へと帰らせなければ。
――自分には、何もできないのだから。
「め……」
覚悟を決めて彼女を見据えた時、先に口を開いたのは黙り込んでいた女の子だった。
「目、おかしいの?」
しかしその言葉は、男の子の元へ届かないで途中で落ちる。
「頭、おかしいの?」
どうしたのかと聞き返そうとする男の子より先に、また女の子が口を開いた。
「ひつじが、おかしいの?」
「っ……」
「ねぇ、らん君。ひつじの目と頭、変なのかな」
涙を目の端に浮かばせた彼女と目が合えば、彼は自分の下唇を嚙むことしか出来なかった。
「らん君、らん君」
彼女が自分につけてくれた愛称でさえ、彼の頭をひどく打ち付ける言葉になる。
「らん君、らん君、ら」
「帰ろう、ひつじちゃん。ほら、もう外は真っ暗だ」
「……うん」
男の子は女の子の手を握ると、教室から出ていた。
「らん君……」
懐かしい夢を見た後は、布団から出たくなくなる。
口にするとくすぐったくなる名前を呟けば、わたしはその夢の続きが見たくて目を閉じた。
の、だけど……
「ひつじ、はやく起きないと学校に遅刻しますよ」
「……やだ、いきたくない」
「ひつじちゃんは学校行かないの! ボクとずっとこうしてお布団の中でくっついているんだもん!」
「うー……静かにして」
「んもう、捨てぬいぐるみばっかりメェちゃんを独り占めしてんじゃないのっ! ほら、メェちゃんのために今日のランジェリー選んであげたから早く着替えましょうね」
「ひゃ、どこ触って……!」
「おいこら変態野郎! メェに指一本でも触れんじゃねーよ!」
「”弱い犬ほどよく吠える”って言うわよねぇ」
「ンだこら変態! 俺様が”弱い犬”だって言いてぇのかよ。ああ?! 俺様怒らすとチンチ――」
「……ひつじ、朝から聞いてはいけない」
「……」
騒がしい部屋の布団の中。今更両耳を塞がれたって、おかげさまでわたしは夢の中へ身を委ねることができなかった。
ああもう久々に”らん君”に会えたっていうのに。この心地良さ忘れたくないのに。
わたしは、目も頭もおかしくなんてないのに。
「朝からうるさいー!」
布団から起き上がるわたしを見て一番最初におとなしくなったのは、さっきまで抱きついていた宇佐君。こういうときはすぐ逃げるんだから。今じゃ彼は布団の上に転がるウサギのぬいぐるみに姿を戻していた。
それを見た姐さんも、すぐさま下着に戻る。
「もう! お願いだから姿戻すときはクローゼットの中でって、何度も言ってるのに!」
下着を隠すように抱きしめると、背後から豪快な笑い声が聞こえた。
「アイツなんだかんだ言ってちゃっかりしてんなぁ」
「レンジ君が一番うるさかった」
「なんだよ。俺様が悪いって言いたいのか?」
「うん。だから一週間電子レンジ使わない」
「はあ?!」
「反省してください」
「そりゃねーぜ!! だいたいメェは自炊なんて出来ねぇんだから俺様が必要だろ?!」
「うぐっ……ガ、ガンバルジスイスキジョシリョクアップ」
「ひつじ、無理は禁物」
「む、無理じゃないもん! もうっ学校行くからミミ君も戻ってカバンの中に入ってくれる?」
「……分かった」
そういうと、ミミ君は卓さんに抱き着いた。彼の手の中で、元の姿に戻ったのだ。
「学校行く気になってくれて助かりました」
手の上のイヤフォンをスーツの内ポケットの中に仕舞えば、卓さんは嬉々としてわたしの高校の制服をクローゼットから取り出す。
「……ねぇ、やっぱり学校行かなきゃダメ?」
「勿論です。さあ、なんだかんだ毎朝このやり取りも私は文句ひとつも言わずに付き合ってあげているのですから、今日はおとなしく制服に着替えてくださいね」
「うう……」
卓さんの笑顔が怖い。わたしはおとなしく制服に身を包んだ。
日が傾き始めた放課後の教室で、男の子が頬を膨らませていかにも不機嫌そうな女の子の顔を覗いていた。
「ひつじちゃん?」
名を呼ばれているであろう女の子は返事も返さずに、うつむき加減で机のとある一点を見つめている。
「はやくお家に帰らないと、お母さん心配するよ」
「……」
「ひつじちゃん」
「……」
何度声をかけても口を一文字に結ぶ女の子に小さくため息を吐く。いつも笑顔で優しい彼女は、いったいどうして口を利いてくれないのか、心当たりがない訳ではなかったが、男の子はどうしても聞けなかった。
しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。何度も繰り返された反応無しのやり取りだが、時間は待ってはくれなかった。傾いた太陽は役目を終えようと山の頂に身を潜めようとしていた。目の前に広がる山並のなか、はやく彼女を家へと帰らせなければ。
――自分には、何もできないのだから。
「め……」
覚悟を決めて彼女を見据えた時、先に口を開いたのは黙り込んでいた女の子だった。
「目、おかしいの?」
しかしその言葉は、男の子の元へ届かないで途中で落ちる。
「頭、おかしいの?」
どうしたのかと聞き返そうとする男の子より先に、また女の子が口を開いた。
「ひつじが、おかしいの?」
「っ……」
「ねぇ、らん君。ひつじの目と頭、変なのかな」
涙を目の端に浮かばせた彼女と目が合えば、彼は自分の下唇を嚙むことしか出来なかった。
「らん君、らん君」
彼女が自分につけてくれた愛称でさえ、彼の頭をひどく打ち付ける言葉になる。
「らん君、らん君、ら」
「帰ろう、ひつじちゃん。ほら、もう外は真っ暗だ」
「……うん」
男の子は女の子の手を握ると、教室から出ていた。
「らん君……」
懐かしい夢を見た後は、布団から出たくなくなる。
口にするとくすぐったくなる名前を呟けば、わたしはその夢の続きが見たくて目を閉じた。
の、だけど……
「ひつじ、はやく起きないと学校に遅刻しますよ」
「……やだ、いきたくない」
「ひつじちゃんは学校行かないの! ボクとずっとこうしてお布団の中でくっついているんだもん!」
「うー……静かにして」
「んもう、捨てぬいぐるみばっかりメェちゃんを独り占めしてんじゃないのっ! ほら、メェちゃんのために今日のランジェリー選んであげたから早く着替えましょうね」
「ひゃ、どこ触って……!」
「おいこら変態野郎! メェに指一本でも触れんじゃねーよ!」
「”弱い犬ほどよく吠える”って言うわよねぇ」
「ンだこら変態! 俺様が”弱い犬”だって言いてぇのかよ。ああ?! 俺様怒らすとチンチ――」
「……ひつじ、朝から聞いてはいけない」
「……」
騒がしい部屋の布団の中。今更両耳を塞がれたって、おかげさまでわたしは夢の中へ身を委ねることができなかった。
ああもう久々に”らん君”に会えたっていうのに。この心地良さ忘れたくないのに。
わたしは、目も頭もおかしくなんてないのに。
「朝からうるさいー!」
布団から起き上がるわたしを見て一番最初におとなしくなったのは、さっきまで抱きついていた宇佐君。こういうときはすぐ逃げるんだから。今じゃ彼は布団の上に転がるウサギのぬいぐるみに姿を戻していた。
それを見た姐さんも、すぐさま下着に戻る。
「もう! お願いだから姿戻すときはクローゼットの中でって、何度も言ってるのに!」
下着を隠すように抱きしめると、背後から豪快な笑い声が聞こえた。
「アイツなんだかんだ言ってちゃっかりしてんなぁ」
「レンジ君が一番うるさかった」
「なんだよ。俺様が悪いって言いたいのか?」
「うん。だから一週間電子レンジ使わない」
「はあ?!」
「反省してください」
「そりゃねーぜ!! だいたいメェは自炊なんて出来ねぇんだから俺様が必要だろ?!」
「うぐっ……ガ、ガンバルジスイスキジョシリョクアップ」
「ひつじ、無理は禁物」
「む、無理じゃないもん! もうっ学校行くからミミ君も戻ってカバンの中に入ってくれる?」
「……分かった」
そういうと、ミミ君は卓さんに抱き着いた。彼の手の中で、元の姿に戻ったのだ。
「学校行く気になってくれて助かりました」
手の上のイヤフォンをスーツの内ポケットの中に仕舞えば、卓さんは嬉々としてわたしの高校の制服をクローゼットから取り出す。
「……ねぇ、やっぱり学校行かなきゃダメ?」
「勿論です。さあ、なんだかんだ毎朝このやり取りも私は文句ひとつも言わずに付き合ってあげているのですから、今日はおとなしく制服に着替えてくださいね」
「うう……」
卓さんの笑顔が怖い。わたしはおとなしく制服に身を包んだ。
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