婚約破棄されるはずの悪役令嬢は王子の溺愛から逃げられない

辻田煙

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第4章「竜巫女の呪いと祝福」

第47話「ハンナ・ロールという少女」

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 あたりに鈍い音を響かせ、手から全身に痺れるような衝撃が伝わってくる。

 ミラは顔を俯かせていたのだが、手の感触で結果は分かっていた。

「……ダメかー」

 顔を上げた先、拳は透明な壁に阻まれたまま。その先には貫通していない。壁も壊れてはいない。失敗だった。

 拳を下ろし、思わず天を仰ぐ。

 ――出られない。

「ふぅー……、さて、どうするかなー」

 訳もなく独り言で自分を安心させる。状況は不明だが、これでは籠の中の鳥だ。

「うーん……」

 目印代わりにと、近くの木に寄って枝を数本折り、さっきまで居た場所に積み重ねる。ここがどういう場所かは分からないが、とりあえず穴を探してみるしかない。

 見えない壁に触れ、それに沿ってミラは歩き始めた。

 しばらく経って、ミラは教会に向かって歩いていた。

 結局、この場所を離れることができなかった。透明な壁沿いに歩いたのだが、枝を置いた目印の場所に戻るまで、穴はない上に、森であることも変わらなかった。動物も人間もいない。

 牢屋だ。もはやそうとしか感じられない。ここに至って、ようやく思い知る。自分は閉じ込められている。ハンナや黒ハンナ達がどういうつもりで閉じ込めたかは不明だが。そもそも、ハンナ達もいないのでは、訊くことすらできない。

 何もせず、ずっと閉じ込めているというのも無いとは思う。殺すつもりなら、寝ている最中に出来る。何か目的があり、一時的に幽閉しているのだろう。

 そこまで考え、教会の扉前に戻ったのだが――

「……開いてる?」

 ここを出る時、しっかりと扉は閉めたはずだった。記憶違いではない。一体、誰が来たのか。とりあえず浮かぶのは二人。ハンナと黒ハンナ。どちらか。

 ミラは、そっと扉に手を掛け、中に入る。荘厳さを感じさせる教会内部。天井高い空間には誰もいなかった。音も聞こえない。

 目が覚めた時の部屋に行ったのだろうか。こんな場所なのだ。目的は自分に会いに来るくらいしかないと思う。

 目覚めた部屋――二階の一番奥に向かう。階段を上り、廊下を歩く。ぎしぎしと鳴る床が憎らしい。相手がどう出るのか分からない以上、慎重に行きたいというのに。

 教会の扉同様に、部屋も開いていた。わずかにベッドが見え、その隣にさっきまではなかった椅子に座っている人物がいた。

 長い赤髪に白いチョーカー、ハンナだ。ベッドを見ている。

 どこかほっとする自分がいた。黒ハンナよりは話が通じるはず。ここに来る前、彼女は涙を流していた。なにか事情があると思う。

 しかし、同時に警戒もしなければならない。ハンナは好きだが、事情が分かるまでは油断は出来ない。なにが、ハンナをここまでさせたのか。

 見える限りではハンナ一人のようだった。ここに来るまでも他の人物は見かけなかった。音も気配もない。

 ハンナは動かない。じっと、ベッドを見て何かを考えている。一旦引き下がり、様子を見るか、話しかけて事情を訊くか。

 そもそも訊くことはできるのか、分からないけど……。

 戦闘になったら、この場所を知らないミラの方がかなり不利だ。相手が一般人なら別なのだが……。

 ぐるぐるとこの先の判断について思考が回る。気持ちとしては、ハンナには色々訊きたかった。しかし、ハンナの事情が分からない以上、どういう行動に出るのかも分からない。

 いきなり殴りかかれた場合、対処できるだろうか。

 迷っているうちに、足が動いていたらしい。

 ぎしっと、廊下に一際大きく木の音が響いた。ビクッと身体が震えて、さらに音が響く。

 音に反応し、ハンナの顔がこちらを向いた。

「……ミラ先輩、襲いはしませんから、こっちに来てください」

 未来視を使って近付こうかと思ったが、やめた。今、使用して肝心な時に疲労で使えないのでは意味がない上に、命取りになる。

 ハンナはまだこっちを見ている。次の瞬間には嘲笑うような表情になるのではないのかと不安になった。

 緊張しながらも、平静を装ってハンナのいる部屋に近付き、入る。ベッドに座るまで、ハンナは無言だった。

「ミラ先輩、訊かないんですか?」

「訊いたところで答えてくれるの?」

「本当なら、ダメですね」

 彼女は終始、暗い顔だった。覇気が感じられない。以前までの彼女と同一人物とは思えない。

「……でも、私には無理ですから。殺すことなんて出来ないんですよ。ミラ先輩、あなたはずるいです」

 ぽと、ぽと、とハンナの目から雫がこぼれる。彼女は声を震わせ、勝手に悲嘆に暮れてしまう。

「こんなはずじゃなかったのに。……私にはミラ先輩を殺せない」

 驚きはしなかった。そういう可能性もある。わざわざこんなとこまで誘拐してくるのだ。なんだってあり得るだろう。

 だが、そうするといくつかの疑問が浮かぶ。ハンナの言い方だと、まるで誰かに命令されているようなのだ。

 黒ハンナと何か関係があるのかもしれない。しかし、自分の想像の範囲内では何も思いつかない。情報が少なすぎる。

「誰に言われたの?」

「え?」

 ミラの問いにハンナは驚いていた。

「なんで、誰かに命令されているって分かるんですか?」

「んー、言い方的になんとなくね。それに、ハンナが私を殺したいと思えないし。あんなにベタベタしてきていたくせに」

 ハンナが顔を真っ赤にする。意外な反応だった。

「分からないじゃないですか。演技かもしれないですよ」

「だとしたら、上手すぎね。役者にでもなったほうがいいわ。だから、大丈夫」

「私の演技は下手ってことですか?」

「ハンナ、結構分かりやすいわよ?」

「ふふっ、なんですか。それ」

 やっと、笑顔が見れた。やはり、彼女は笑っている方がいい。落ち込んでいると、こっちまで引き摺られる。

「ミラ先輩、隣座ってもいいですか?」

「もちろん」

 ミラは隣をポンポンと叩いた。普段のハンナの雰囲気にいくらか戻ったような気がする。

 ハンナは隣に座ると、ミラの膝上に体を預けてきた。すぐ真下にハンナの顔が見える。小さい子供のような甘え方に、思わずミラは彼女の頭を撫でた。

 ハンナは目を細め、くるっとお腹側にひっついてくる。腕を回し、顔がミラのお腹に埋まった。

「ミラ先輩、お話ししてもいいですか? ここには誰も来ないので」

「話すのはいいけど、そうなの? ちゃんとした名前は分からないけど、あの黒ハンナ達も来ないの?」

「いいですよ、黒ハンナで。彼女達はここに来ません。そう教会から指示されているはずなので」

「まさか、竜教?」

「そうです。あの娘達は、竜教で作られた私の分身ですよ。学園を襲ったのも、ミラ先輩を殺すためです」

「ちょ、ちょっと待って。一気に話されると頭が混乱しちゃう」

「そうですか? とにかく、一定期間はここに誰も来ません。私とミラ先輩の二人きりです。……そう考えると、これも良いですね」

「私は逆に不安になったんだけど……。変なことしないでよね」

「どうでしょう? ふふっ」

 冗談だとは思うが、ちょっと怖い。考えるべきことが他に沢山あるのに。

「もう……、冗談はそのくらいにして。ハンナの話、訊きたいわ」

「冗談じゃないんだけどなー」

 小さくぽつりと漏れた呟きは無視しつつ、ミラはハンナの肩を叩いて先を促す。

 ぎゅっと彼女の抱き付く力が強まる。少しばかりくぐもった声が、ハンナから聞こえ始めた。

「……そもそも私は、ハンナ・ロールじゃないんですよ」

 語り出した彼女の声は、どこか虚ろだった。
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