ウロボロスの輪が消える時

魔茶来

文字の大きさ
上 下
3 / 6

01.「あなたなの?」 ③森の中で

しおりを挟む
 翌日姉が裕也と絵里子を迎えに来た。

「大丈夫冴子?」
 姉は心配そうに私を見ながらそう言うと、準備が出来ていた子供たちに声を掛けて靴を履かせていた。
「裕也君久しぶりね、さあ叔母さんと一緒に幼稚園に行こう、絵里子ちゃんもいらっしゃい今日は病院で遊びましょ」

 姉は私の方を見ると薬を差し出した。
「いつもの精神安定剤よ、もし眠れないのであればこっちも飲んで」

 私が発作に襲われるときに処方されるいつもの薬だった。
「ありがとう、子供達をお願いします」

 子供達を家の前まで送って行った。

 裕也は幼児期のこともあるのだろう、多分私より姉になついている。
 絵里子は私の顔を見て泣きそうになっているのに裕也は嬉しそうに姉と話をしていた。

「ごめんね、お母さん失格だね」
 そんなことを呟きながら家に入るが、涙が溢れて来た。
 玄関で座り込んだ。

「本当に情けない、こんな母親でごめんね、ごめんね……、何故、何故なの、今頃何故、博さんは私が憎いの」
 やるせない気持ちが高ぶり、そんな言葉が出た。

 思い出の中でも、博さんはそんな人では無かった、間違いなくそんな人では無かった。

 昨夜の夢を思い出し、また泣いた。
「裕也は私の子、それ以外あるはずが無い」

 情けない気持ちのまま家事を始めた。

 せめて裕也と絵里子の好きなものを作ってやろうと思い、昼前に夕食の材料を買いにスーパーに行こうと思った。
 車を準備したが、空模様が怪しくなってきた、ガレージなので安心して鍵も掛けず車を出る。

(雨が降るといけないから洗濯物を取り込んでおこう)
 そう思い洗濯物を取り込み始めた。

 そうすると隣の奥さんが話しかけてきたので適当に返事をしていたが、なかなか解放してくれなかった。

 気が付くと昼をすっかり過ぎてしまった、雨が降る前に買い物に行こうと思っていたのだが、少し雨が降り始めた。
 急いで車を走らせスーパーを目指していた、だが朝の思いが高まって来ていたので感情的に不安定になっていた。

「居ない方があの子達には幸せなのよ……」
 私を振り返らず姉と話し続けている裕也を思い出しながら、そう呟いてアクセルを踏んでいた。
 いつも間にかスーパーを超えて車は走っていた。
 良く知っている道だった父と一緒にドライブした道、この道を進むと父の所有していた山がある。
 いつも遊んだ山だったが、今は全く行かない。
 なぜならここで博は事故に遭ったからだ。

「貴方が私を呼んでいるのなら、行ってあげるわ、話が出来るのであれば話をしたい。過去は過去、私には今の生活がある、子供達だけは……、子供達だけは守りたい」

 車で行けることろまで走ると、後は山の中に入る。
「あの時の記憶は殆どないのに、何故か分かるわ、やっぱり呼んでいるの博さん?」

 あの時の記憶は姉の催眠療法で何度も忘れるように暗示が掛けられている、その効果なのか殆ど思い出せない。
 だがこの山は小さい時から知り尽くしているためか簡単に目的の場所に向かうことが出来る。

 暫く進むと小雨が降って来た。
 雨なんか気にならない、そして降っていても森の木々が傘になってくれていた。

 最終的な目的地に着いた。
 少し開けた場所に突き出るような崖だった。
 一番危険な場所は一人で立つことがやっとというスペースで下を覗くと、その場所はオーバーハングしている場所だった。

「貴方は、ここから落ちたとしか覚えていない、そう姉が何もかも忘れさせてくれたわ」

 風が吹く、後ろから風が吹くと「落ちろ」と言っているような感じがする。

「そうよ、いっそのこと此処から……」

 忘れた筈のあの日の記憶が蘇るかのようだった。
 たばこの臭いと姉の香水の匂いだと思う。
 でも博は煙草は吸わない、きっと今は止めているが直人の吸っていたたばこの臭いだ。

 あの時飛び降りようとしていた私を必死で止めてくれた時の臭いだろうか、それにしては煙草の臭いがきついような気がする

 そうだ事故の後、私はここで数時間立っていた。
 後から姉と直人さんが車で着いた時に発見してくれたのだ。
 発見されるとどういう訳か私は飛び降りようとしたらしいが、それを二人で止めてくれたらしい。

 だが今日は止める者は誰もいない。
「今は誰も居ないから、貴方のもとに行けるわ博さん、お願いこれで子供達には手を出さないで」

 そう言うと目を瞑り飛び降りようとした。
 
「おかあさん、おかあさん、あぶないよ」
 と絵里子の声がする。

 後ろを振り返ると小雨の中濡れた服で絵里子が立っていた。

「え・り・こ・・・、絵里子なの?」

「叔母さんの所に居たんじゃないの?」

「叔母さん忙しそうだし、お兄ちゃんは幼稚園だから、つまらないからお家に帰ったの
 そうしたらお母さん車でどっかに行くみたいだったから、いつもの様に後ろに座っていたの
 そしたら、ここでお母さんが降りたから追いかけてきたの、でも雨も降っているし、ここ暗くて怖いよ」

 そう言うと絵里子は泣き出した。

 私の父親が整備はしていたが、ここは山道だ。
 山道をスタスタ歩く大人と違って子供の足でここまでは大変だったろう、怖い思いをしたに違いない。

「ごめんね、絵里子、ごめんね」

 そう言うと強く絵里子を抱きしめた。

「大丈夫だよ、これ拾ったからおまわりさんに渡して」

 なぜかは知らないが財布を拾ったようだった、古びた財布だった、殆ど劣化して中身が見えかけていた。

 少ししてハットしたその財布には見覚えがある姉の財布だった。

「確かに個人所有の山だから当然だろうけど、姉の財布が見つかるなんてね」

 そう思うと姉の顔が浮かび、あることを思い出した。

「あれ?あの日私は姉さんと何か喧嘩していたような気がする?」
 そのことを思い出そうとしても思い出せなかった。
 だか酷い喧嘩をしていたような気がする。

 そう言えば何故、博と私はここに居たのだろう?

 姉の暗示でその辺りのことも思い出せなかった。

「お母さん、寒いよ」

 ふいに掛けられた絵里子の声で稀に戻った。

「ごめんなさい、服も濡れているから直ぐに車に戻ってタオルで拭かないと、それと急いで帰りましょ、今日は絵里子の大好きなハンバーグよ」

「ホント!!、直ぐに変える!!」
 絵里子の満面の笑みを見た時、私の仲に幸福感が溢れた。

 幸い雨は小ぶりなのでそこ師濡れた程度だった、すぐに車に戻り助手席に絵里子を座らせタオルで拭いて、エアコンを目いっぱい効かせた。

 最初の目的地のスーパーを目指して車を走らせた。

(忘れているの、忘れている、大事なこと、忘れている)
 さっきから私の仲でそんな声が響いていた。

 信号で止まっている時だった、ダッシュボードに置いたさっきの財布を、まるで子供がやるように後部座席から指差しているような気がした。

 絵里子は横に居た、だから後部座席には誰も居ない筈だ。

 そして不意にバックミラーに一瞬何かが写った。
 それは、顔のようにも思えた、でもよく見直すと何も写ってなどいなかった。

 いや、本当は写っていたしその顔もちゃんと認識できた。
 間違いない博さんだった。
 彼は心配そうな顔だが、でも優しい顔で私を見ていた。

「気のせいだ、そんなことはあるはずない」
 誰に言ってもそう思うだろう、でも間違いなく博さんはそこに居た。

 死んだはず?でも恐ろしくはない、怖くはない、昔の博さんがそこに写ったのだ。

「ピーッ」
 クラクションで我に戻った、信号が変わって青になっていた。

 私は車を走らせるとスーパーに向かった。
「お母さんなんか嬉しそうよ」
 裕也とは違い、絵里子が笑顔で私に話しかけてきた。

「良いことがあったのよ、ありがとう絵里子」
 私も笑顔で答えた。
しおりを挟む

処理中です...