彩色スーツケース

榛葉 涼

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星空の魔法ー①

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 「ねぇ、知ってる? 近頃噂になってる女の人」

 それは私がちびちびとブラックコーヒーを飲んでいた時に隣の席から聞こえてきた会話だった。

「女の人?」
「ほら、町外れに小屋があるでしょう? 最近あの小屋を改装して女の人が住み始めたらしいのよ」
「小屋に住んで……あぁ、知ってるわ。それで、その人がどうしたの?」
「聞いた話なんだけれど……何でも、なにか怪しい実験をしているみたいなの」
「実験? 何よそれ」

 ほうほう、実験か。と盗み聞きをしていた私にも多少興味を惹かれるところがあった。しかし耳をそば立てている奴が隣にいるとバレると、きっと彼女らの話も弾まないだろう。カモフラージュに、私はコーヒーに角砂糖を放り込みまくった。 ……苦過ぎて全然飲めなかったなんてことではない。決して。

「森の中で植物や虫を集めていたそうなの。木こりがそれを見ていたそうで、『そんなものを集めてどうするんだ』って女性に尋ねたみたいなのよ。そうしたらなんて返ってきたと思う? 『魔法の実験のため』なんて言ったそうなの!」
「魔法の実験? 魔法って実在するの?」
「わたしに聞かれても分からないわよ。迷信だとは思うけれど」

 頬に手を当て、考え込む素振りをする女性。その動作を真似したわけでは無いが、私も頬をつねった。頭の中にはグルグルと回る一つの言葉。

(魔法、か)

 もう少し話を聞きたいところだったが、彼女らは用事があるのか退店してしまった。自分から聞けばよかったかな……なんて思ったけれど、盗み聞きしていましたよ? なんて宣言するものだ。だから聞かなくて正解だった……はず。

「人見知り……」

 呟いてすぐ眉間にシワが寄った。いい加減直さないといけないのは分かっているのだが。

 ともかくして。私はじゃりじゃりのコーヒーを飲み干して、立ち上がった。辺りを軽く見渡した後に目下のスーツケースに視線を寄越す。

(ちょっとだけ注意しよっか。スーちゃん)

 いつもより慎重に。ちょっと意識することにした。意識するって言っても、別に普段の行動から何かが変わるわけでもない。あくまで自然体……それが一番なのだ。

(意識した時点で自然体ではない気がするけど)

 そうやって自分に突っ込みつつ、店を後にする。外に出ると陽射しが弱まったように感じた。気のせいではないだろう。現在の時刻は午後の4時過ぎなのだから、太陽は傾き始めている。

「そろそろ宿に向かおっかな」

 スーツケースを引っ張りながら私は宿に向かう。その道中でも、「魔法」なんて言葉が頭の中でこんにちは状態だ。

 魔法、魔法、魔法…………

 …………。

 私は少し予定を変えることとした。少しだけ道を逸れて、ある目的地を目指す。

 大通りから道を外れ、ちょっとした路地を抜ける。空を見上げると洗濯物が干されていた。いかにも生活感がある光景で、でも案外嫌いじゃない。上手く表現できないが、味があると思う。

 そうやって見上げながら考え事をしていたせいだろうか……いや、間違いなくそうなのだろうが、私は何かにぶつかってしまった。

「おっと……ごめんね? 怪我はない?」

 見るとそれは……その人は長い黒髪が特徴の美人な女性だった。

「あ、その……私不注意でした、ごめんなさい! 怪我は大丈夫です」
「ん、ならいいや。今度からはお互い気をつけようね?」

 ひらひらと手を振る女性。私が会釈すると、彼女は私が来た側に歩いていってしまった。

「綺麗な人だったな……あと」

 私は女性とぶつかった右腕のあたりの匂いを嗅いだ。

「……香辛料?」

 鼻をツンとつくスパイシーな香りがした。



 ───────────



 魔法。それはおとぎ話の中で活き活きと存在するメルヘン概念である。男の子は魔法を使って炎や雷を起こすことに目を輝かせ、女の子は王子様と出逢うきっかけとして目をうっとりさせる。でも大人はもちろん、子供の多くも魔法は架空の概念だと認めている。当然だ。実在する魔法なんて、見たことがないのだから。

 一方で魔法は確かに存在すると主張する一定の勢力があることも事実だ。民族史の中には、大雨を引き起こすことで日照りの問題を解決した記録が残っているらしい……いわゆる雨乞いというものだが、これが魔法ではないかと唱える学者がいる。未来に起こる天災を言い当てる預言者の存在についての記録。これも同様だ。

 無論、近年まではこのような学説は一蹴されていたのが現実で、魔法とはしょせんオカルトの域を出ることがない概念だった。明確な証拠なんて無いのだから。でも……

 …………。

 私は分厚い本を閉じ、今度は紙束を取り出した。いわゆる論文で、その題は『光の放出の性質を所持する特異体質の人間から考える魔法の実在可能性』。内容もタイトルとまんまで、光を自在に放出する女性の存在記録から、魔法とは現実に存在するのではないか? と推察を広げたものだ。

 この論文が……というよりは特異体質の女性の記録が衝撃だったらしく、魔法の実在可能性の話は一気に広がった。未だに存在を否定する勢力が大きいのは現状だが、魔法の存在について簡単に一蹴することはできなくなってしまった……これが世間一般における魔法に対しての評価の現状である。

「ふぅ……」

 パラパラと論文を捲って、私は閉じた。

「結局、目新しい情報はなかったなぁ」

『魔法』という言葉を聞いた私は、世間から見た魔法がどのような立ち位置にあるのかが気になったのだ。それで、街にある図書館に向かい、魔法に関する歴史の本と論文を拝借して読んでみることにしたのだ。半年前、同様に論文を読んだ時から何か変化はあったのか? それが気になって。……収穫と言える収穫は無かったのだが。

「ぬーーー」

 声を絞り出しながら、私はベッドに横たわった。木の板が張り巡らされた簡素な天井が視界に入る。私は天井に向けて右腕を伸ばした。手を振ってみる。意味のない、何となくの行動に過ぎないけれど。

 横を見るとスーツケース 。ミルクコーヒーの色をした、大きなスーツケースがある。

「おいで、スーちゃん」

 私がそう呼びかけると、スーツケースがその車輪をコロコロと転がして私の元へとやってきた。私はその取手の部分に手を置く。

「魔法はあるよ」

 私と旅を共にする、不思議な不思議なスーツケース……魔法のスーツケース 。私の速度に合わせて自動で走行し、私に危険が訪れればその身を助けてくれる。それに私の意思を汲み取り、まるで人間のような行動を取る。他にも色々と。

「これを魔法と呼ばずに、何というのかね」

 私の独り言を聞く人間はいない。まぁ、宿の部屋にぽつんと一人なわけだから当然だけれど。……旅をする中で、私はスーツケースの扱いには気をつけている。魔法のスーツケースだなんてバレることは……バレて良い未来なんて、私は思い描けない。

「魔法の研究をしている女性かぁ……」

 喫茶店にて隣の女の子が言った人物。 ……大丈夫だと思うけれど、万が一ってことがあるかもしれない。

「……丘の方には行かないようにしよっか。スーちゃん」

 魔法の研究には多少なりとも……ううん、かなり興味はある。でもバレるリスクはちょっと大きすぎるから。

「ふああぁぁぁぁ………………ねむ」

 洗面所に向かい、歯を磨く。そのまま直でベッドに潜り込んだ。灯りを消してから眠るまでそこまで時間はかからなかった。



 ───────────



 なんて決心した翌日。私は借りていた本と論文を返そうと図書館を訪れていた。そこで……

「ねぇ、君。昨日会ったよね? 路地裏でさ。ひょっとして魔法が好きなのかな?」

 そう呼びかけられて後ろを振り返ると、昨日私が肩をぶつけてしまった黒髪の女性が立っていた。その顔には人懐っこい笑みを浮かべている。……というか今何とおっしゃった?

「んんっ!」

 喉を鳴らし、私は笑みを浮かべた。

「あ、昨日はどうも……えっと魔法ですか?」
「うん。ほら、君持ってるじゃん」

 彼女が指を差したのは、私が脇に抱えた本……彼女からはタイトルが丸見えだった。

 ───私のバカ! あれだけ注意しようって思ったのに!

 なんて大声で叫びたい気分だ。……いや、でも、そんな食いつくかな普通。

「あたしさ、ソルエって言うんだ。風貌を見る感じ、君は旅人かな?」
「え、あ、う……はい。えっと私はカリュです」
「カリュちゃんかーよろしくね。……でさ、カリュちゃんは魔法が好きなのかな? やっぱり」
「えっと……まぁ、はい」
「そうだよね! 一眼で分かったもん」

 両手を胸の前でパンと合わせ、あはーと笑うソルエ。……あぁ、きっとこの人は。

「あたしさ、魔法について研究しているんだよね、実は。あっちの丘の上に小屋があるの知ってる? あたし、今そこに住んでるんだよね」

 ───やっぱり。

 上げた口角が引き攣ってはいないか、大分それが不安だ。とにかく、自然体。ただ魔法が好きな女の子としてこの場は収めよう。

「ここに越してきてからさー色んな人と話したんだけど、なっかなか魔法について語れる人がいなくてね? ……もし魔法が好きだったらさ、ちょっとだけお話ししない?」
「……えっと、ごめんなさい。私、先を急ぐもので。お気持ちだけ頂戴します」

 私は頭をぺこりと下げた。 ……これでもまだ言葉を重ねるようなら、多少強引にでも退散しよう。

 なんて身構えたけれど。

「……そっか。ごめんね? 急なお話過ぎたかもね」

 予想に反して、ソルエはあっさりと諦めてくれた。彼女は眉をひそめ笑っている。 ……私の中でちょっとだけ罪悪感が湧いた。だからって、私が折れることはないけれど。

「すみません。失礼します」

 またぺこりと頭を下げて私は図書館へと向かう。 ……ところで。今私は左手でスーツケースを引っ張って、右脇に本と資料を抱えている状態だ。もしこの時転びそうになったら、どうやって受け身をとればよいだろう?

「わっ」
「あぶなっ……!」

 私の口から小さく声が漏れた。何故か? 躓ずいたから。視界が一気に傾いて、どんどん地面が近づいてくる。反射的に手が出るはずだが、塞がっていたせいだろうか? なかなかどうして、前に伸びない。

 危機感や恐怖心を感じる余裕もなく、私は頭から地面に激突を………………

 …………? 痛く、ない?

 とっさに瞑った瞼。恐る恐る開いた先にあったのは……スーツケース 。

「あぁ、私」

 どうやらスーツケースがギリギリのところで私の体勢を支えてくれたらしく、地面に激突することを回避できたらしい。寄っかかった体を元に戻す。特に痛みを感じる所もない。

「ほっ……危なかった」

 一つ安堵して体が弛緩したところで、酷い悪寒を覚えた。背中がゾクリとする感覚。……そう言えば、私さっきまで。

 恐る恐る、振り返る。

「……それ 、勝手に動いたよね?」

 スーツケースを指差し、呟くソルエ。

「……違います」
「嘘だ。あたしは見たよ」
「気のせいです」
「カリュちゃん」

 私が顔を上げると、そこにはジッと私を見るソルエの姿。至って真剣な瞳が私を捉えていた。

「一つ質問。違うならそう言ってもいいから。 ……そのスーツケースさ、魔法がかかっている?」

 ───違う。 そう言おうと思った。でも……

 刺さる視線が痛い。真実を見極めようと欲ほっす、ソルエの瞳。圧がすごくて、私は抗おうとしたけど、上手く言葉が出なくて……震える口から飛び出た言葉は。

「………………はい」

 人見知りは直さないとならない。しかしながら、それ以前に私は強い心が欲しいだなんてひたすらに願った。
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