彩色スーツケース

榛葉 涼

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星空の魔法ー③

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 人一人が通れる幅の石段を降りた先。ソルエが古びた地下室の扉を開けると、ツンと鼻につく匂いが広がった。

「香辛料…?」

 私がそう呟くとソルエは「あー」と困ったような声を出した。

「やっぱ匂う? 一昨日にちょっと使ってみたんだけど思ったより匂いが付いちゃったみたい」
「使うって何にですか?」
「実験だよ」
「……星空の魔法の?」
「まぁね」

 スキップしながら地下室に入ったソルエがその場で一回転して両手を大きく広げた。

「じゃーん! ようこそあたしの実験室へ」

 そこは多くのモノでごった返した、日常からはちょっと外れた部屋だった。リビングにあったものとは負けず劣らずに大きな本棚。部屋中央には大人数で囲むような長机がデンと置かれており、その上には束ねられた紙の山やどこかで見たことがある実験道具がところ狭しと並べられている。そして部屋の奥には簡単なベッドが設置されている……仮眠用だろうか? 一つ一つの家具はありきたりのものだが、揺れるランタンの灯りのせいで不気味な雰囲気を醸し出していた。

「どう? 結構雰囲気出てるでしょ?」

 そのくせしてソルエがこんな態度な為、違和感がすごい。絶望的に彼女はこの場に合っていないのだ。

「出てるですネ」
「……? 文法変だし、なんか棒読みだね」
「気のせいですよ」
「棒だけにね」
「……え?」
「”木”のせいってね」
「……」

 私は後ろ髪を掻き、長机の上に目を向けた。さっき一通り見渡した時に気になるものがあったから。

「その、机の上にあるすり鉢って何が入ってるんですか?」

 私が指差したすり鉢。その中には灰色に染まった粉のようなものが入っていた。すりこぎ棒にもその粉は付着している。

「あぁ、これね」

 ソルエはそれを手に取ると、私に差し出した。

「触ってみても?」
「もちろん」

 私は粉を手に取り、自身の手の甲に乗せた。感触はサラサラというよりはザラザラといった感じで粗っぽい粉だ。遠目から見た色は灰色だったが、近くで見てみると茶や緑といった色も混ざっている。……まぁ、すり鉢に入っていたのだから何かと混ぜていたのだろうけど。

「これって何が混ざっているのですか?」
「ベースは遺灰。そこに植物の種と葉っぱ、あとは砂と少量の水を混ぜて擦り潰したものだよ」
「いはい……遺灰ですか」


 まじまじと私はその粉を見た。灰色のこれはただの灰じゃなくて、遺灰……

「あ、言っとくけど人間のじゃないからね? それはネズミの遺灰だから」
「そうですか……でも何故、そんなものを」
「実際に見てもらった方が早いかな」

 そう言ってソルエが持ってきたのは一冊の本だった。片手では持てないほどに分厚く、大きな本。しおりが挟まれており、ソルエはそのページを開いた。

「この本はいわゆる歴史書ってやつで、北国を中心として色々と書かれているんだ。文化、インフラ整備、争いの記録とかね。その中でここは風習の項目に当たるんだ」

 ソルエが開いたそのページは少々黄ばんでいた。左半分に一枚絵が描かれており、右半分には所狭しと文字が羅列されている。

「これってもしかして……」

 絵を見ながら呟いた私の言葉にソルエは頷いた。

「そう。これは『星空の魔法』の使用記録にあたるものなんだ」

 絵の中の男性が自身の右手を口元に添えている。男性の周囲には何か粒状のものが舞い、それは空へと立ち昇っていた。粒状のものは徐々に形を変え、最後には星に。それを見上げる人々は笑みを浮かべていた。

……先ほどソルエがジェスチャーした、儀式めいた動き。あれはこの本の絵の再現だったのか。

「こっちのページには星空の魔法がどんな役割を持っていたのかだったり、材料として何を用いるのか、あとは『詠唱』について記載されているよ」
「詠唱、ですか?」
「カノコユリ 彩りの夜空 魅せ給え」
「あぁ……あれが」
「うん。それでもって、材料の記載に……ほらね」

 遺灰に植物の種、葉っぱ、砂……ソルエが言っていたこととまんま同じものが書かれている。

「この記録によると『星空の魔法』は葬儀の場で使用されることが多かったらしいんだ。そして、様々な地域で行われていた。風習の一環としてね」
「主流な魔法だった……ってことですよね?」
「っぽいねー見る感じ。他のさ、ぜんっぜん違う国の民族史を漁ってみても似たような記録が見つかったんだ。名称は多少異なったりしていたけどねー。『夜空の魔法』『星座の魔法』『彩りの魔法』とかね」
「やっぱり、名称には魔法が共通するんですね」
「面白いよねーそれ。つまり、今と違って昔は魔法なんて至極当然の存在だったってことでしょ? さっき全然違う国の民族史なんて言ったけどさ。時系列的には前後100年も差はないんだよ」
「へぇ……ソルエさんはこういう資料って全部一人で集めたんですか?」
「まさか。翻訳の仕事してるって言ったでしょ? その伝で手に入ることが多かっただけだよ」

 それでも十分にすごいと思うのだが。

「……でもさ、一つ不思議なことがあって魔法専門の本がないんだよね。全部さ、風習とか習慣とか伝統とか……そういうものの中に包含されているだけで、魔法書? 魔導書? みたいなのが見つからないんだ」

 眉を潜めながら語るソルエ。私は顎に手を当てて直感的に答えた。

「魔法が当然のことだったから、一冊の本にする必要もなかった……とかですかね?」
「うーーーん、どうかなぁ?」
「……私も言ってて違う気がしてきました」
「まぁ、考える根拠も手元に無いわけだし、とりあえずは迷宮入りってことで置いておこう」

 迷宮入りならもうどうしようも無さそうなのだが……まぁ、いいか。

 ごほん、と私は咳を1つ。話を戻そう。

「ソルエさんは『星空の魔法』について書かれた資料を再現しようとしているのですよね?」
「そーだよ。結果はまぁ…お察し」

 やれやれと手を広げるソルエ。

「あたし1人だけだとさ? 色々手詰まっちゃってね……どうすれば状態だから、他の人の知見が欲しいわけなのだよ」
「魔法の実在を訴える人達って少なからず居ますよね? 魔法の研究者も一定数いるわけで……そういう人たちには聞いたのですか?」

ソルエは両手と肩を大袈裟に上げた。やれやれ、といった仕草だ。

「藁にもすがる思いで、ね。千切れたけど。 ……藁じゃないか。もうちょっと材質は良さそう」
「……ダメだったのですね」
「結局のところ魔法の実在すら朧げな世の中なのだから、そんな中で実現を目指すのは革命みたいなものなのかなーやっぱ」

 むー、と私は唸る。そこまで手を回して不可能だったのだろう? なら、私に何が出来ると言うのだろうか? こちとらスーツケース1つで世界をぷらぷらする旅人に過ぎない。魔法を知っているが、使い方は知りやしないのだ。無論、彼女の手詰まりを打開できる策なんて思いつかない。

 無意識のうちに神妙な面持おももちになってしまっていたのか、ソルエは私に笑いかけた。

「大丈夫だよ、カリュちゃん。あたしはただあたしの実験のこととか、魔法についての考察を聞いてもらったり、色々話せるだけで結構満足なんだよ? 楽しくてね、仕方ないんだ」

 グッと指を突き出すソルエ。きっと私が気負いすぎないようにとフォローしてくれているのだろう。……でも私は思ってしまうのだ。それってつまり私はアテにされていないということなのだと。そんなの当然のことだけど、事実に過ぎないけど、でも私の中に悔しさが渦巻いた。何かないのか……何か。

 私はふとスーツケースに目を向けた。私のお腹周りほどの背丈がある大きなスーツケース。魔法がかかっている賢いスーツケース。彼か彼女かも分からないソレを私は手招きした。

「わっ」

 ソルエが驚いた声を上げる。コロコロと近づいてきたスーツケースは私の前でピタリと止まった。

「……傾いたかな、家」
「スーちゃんが来てくれただけですよ」
「分かってる分かってる。魔法の力だもんね。 ……ところで、”スーちゃん”って?」
「え、あー……」

 無意識にそう言っちゃったみたいだ。

「あだ名ですよ。スーツケースにつけた」
「あだ名ね、あだ名。アレだ。小さい子がぬいぐるみに愛称をつけるみたい」
「……一緒、なのかな」
「そのスーツケースはさ、いつ手に入れたの?」
「11の時に、もらいまして」
「……ふーん」

 何か考えがあるのか、ソルエの瞳がスーツケースに注ぐ。

「カリュちゃんは、そのスーツケースとの関係ってどう考えてる?」
「関係、ですか?」
「何ていうのかな、例えばあたしから見たカリュちゃんは良きお客さんみたいなね」
「あぁなるほど……そうですね………………幼馴染み?」
「幼馴染みか。面白いね」
「面白い?」
「だってさ、モノじゃんかスーツケースって。でもカリュちゃんはソレを人のように扱っている節があるなーって思ったんだよね。あだ名をつけたり、”居る”なんて動詞を使ったり、幼馴染みと形容したり」
「……意識したことなかったです」
「ほんと興味深いよ。あたしとカリュちゃんだとそのスーツケースへの認識が全然違うんだ。あたしはさ、”魔法がかかったモノ”程度にしか考えてない……というより、考えられない」
「私は……そうですね」

 改めてスーツケース……もといスーちゃんを見た。認識の差、か。こうして魔法のスーツケースについて話し合った経験なんて少ないものだから、どうも実感が湧かない。それでも何とか、言葉を紡ぎ出す。

「私は、えっと……他のモノとは同じように扱えなくて。スーちゃんは……私が転びそうになったら支えてくれるし、落ち込んでいる時は寄り添ってくれます。私は、だから、えっと……意志? そう、意志を感じるんです。認識が全然違うっていうのは、もしかしたらそのことかもしれません」

 辿々しくだけど私は答えた。たぶん形にはなっていたと思う。形って言うとアレだけど、ちゃんと私の本心だ。しかし、ソルエの顔はどこか強張っていた。少なくとも私にはそう映った。

「えっと、ソルエさん?」
「意志……意志か。意志を……?」

 ぶつぶつと何かを呟くソルエ。じーっと床の一点を見つめる姿は、心ここにあらずといった感じだ。

「あるかもしれない」

 間も無くしてこぼれたソルエの言葉。一体、何が? 私は聞こうとしたが……

「カリュちゃん!」
「ひっ……」

 迫真の”カリュちゃん”に私の肩がビクッと跳ねた。

「……分かったかもしれないんだ」
「な、何がですか?」

 その場に立ち上がるソルエ。ぱちくりとまばたきを繰り返した後に溢れた言葉を私はすぐには理解できなかった。

「魔法をかける方法、だよ」

 襲われたのは時間が止まったような感覚。でもそんなことは実際にあるはずなくて、ランタンの炎は揺れ動いていた。進んでいるのだ。時間は……或いは研究は。

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