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元カレの妻(4)
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目が覚めると、隣に慶太が昨日のままで、眠っていた。
もちろん、私もそのままで、いつの間にか眠っちゃったみたい。
時間は七時。朝ごはん、八時だったかな……
お風呂、入んなきゃ。
肌は、ちょっとベトベトしていて、慶太の匂いがして、昨夜のことが……よみがえっちゃう。
バスルームから出ると、慶太が起きて、テレビを見てた。
「俺も、風呂入るね」
「うん」
「なんか、ちょっと筋肉痛……がんばりすぎたかな」
慶太は笑って、お風呂へ行った。
私もちょっと筋肉痛? 昨夜のことを思い出すと、なんか、熱くなっちゃう。
あれがもし……ダメダメ。こんなこと、考えちゃあ。
メイクをする私を、お風呂上りの慶太が、隣でじっと見てる。
「どうしたの?」
「こうやって、真純はできあがるんだなぁって思って」
「もう、何それー」
「やっぱキレイだな」
キレイ……そうかな……
最近、思う。
あの人に、似てるなって……
あの人も、私に背中を向けて、こうやって鏡の前で、お化粧してた。
今思えば、歳の割にキレイだったけど、私には、薄汚い、オトコにだらしない、最低なオンナにしか見えなかった。
だから、私も……そんな風に見えてないかな。
リップを引くと、慶太がキスして、塗りたてのリップが彼の唇に移っちゃった。
「もう! ダメだよ」
「なんかキスしたくなっちゃうね、その色」
笑って、私を抱きしめて、もう一回、ちょっと長いキスをする。
「真純は、俺の自慢なんだ」
「私が?」
「だって、キレイだし、頭もいいし、上品だし。みんなさ、真純のこと、素敵な奥さんだって言うよ」
違う……本当の私は……
「嬉しい」
私は、笑った。ううん、笑ったふりをして、慶太の唇をティッシュで拭って、もう一回、リップをひいた。
「俺達、最高に、いけてるね」
私達は、鏡の中にいる。
鏡の中で、私は、ピンクの唇で、笑っている。
レストランに行くと、杉本家と中村家はもう来ていて、子供達はこぞってバイキングのお料理をお皿いっぱいにしてる。
「おはよう」
テーブルは六人がけだから、私達は、将吾と中村くんのテーブルに、二人で座った。隣のテーブルでは、聡子さんと加奈さんと子供達が賑やかに食事をしている。
「何か、とってこようか?」
なんとなく居づらくて、立ち上がった。
「俺も行くよ」
慶太も立ち上がって、私の腰に手を廻す。
「なんだよ、仲良いなあ」
中村くんが、冷やかすように言って、慶太が羨ましいか? って笑った。
私は、将吾の顔を見たけど、いつものように、彼は優しく、笑ってるだけ。
ちょっと、つまんない……
なんて、また、バカなこと考えてる。
今日はVネックの紺色のTシャツに、白のカプリパンツ、慶太はピンクのポロシャツに、グレーのバミューダ。
この日のために、二人でラルフローレンで揃えたの。
ピンクのポロシャツって、どうなんだろう。慶太って、ピンクとか、水色とか、そういう色選ぶけど、なんか……けばくない?
まあ、そうね。私達は、見るからに、リッチなオシャレ夫婦。杉本家と中村家とは、ちょっと違う感じ。
コーヒーと、パンと、適当にお皿に入れて、テーブルに戻ると、遠くから見てもお似合いやなって、将吾が笑った。
「今日、どうする?」
中村くんが納豆を混ぜながら言った。
「観光でもしようぜ」
男三人は、スマホで検索して、盛り上がってる。
私は、さっきの将吾の発言にチクチクしてて、黙って笑って、パンを食べた。
チェックアウトする慶太を残して、駐車場に行くと、将吾の娘ちゃん二人が、私達の車に乗りたいって言い出した。
「ダメよ、ワガママいわないの」
聡子さんが言うけど、聞く様子はなくって、将吾も困ってる。
私は別にいいんだけど、慶太はどうなんだろう。
ああ、戻ってきた。うーん、こうやって見ると、慶太って……チャラい。そのでっかいサングラス……おじさんなのに、ねえ。
「ねえ、車、乗せてあげてもいいよね?」
「うん、構わないよ」
慶太が言うけど、聡子さんは、汚したら大変だから、と遠慮してる。
「そんなの気にしないでよ。さ、乗って」
慶太は笑って、ベンツのリアドアを開けた。
「ええんか?」
「いいよ、別に」
「じゃあ、頼むわ。汚したり、ワガママいうなよ」
将吾が娘ちゃん達にそう言うと、彼女達は嬉しそうに、車に乗った。
「すみません、ワガママで……」
「いえ、全然」
だって、慶太の車って、結構、汚いもん。
「シートベルト、してね」
慶太が言うと、娘ちゃん達は、はーい、だって。
最初はちょっと緊張してたけど、すぐに慣れたみたいで、いろんな話をしてくれた。
かわいいのね。ほんと、子供って、かわいい。
「ねえ、おばさんって……」
「おばさんとか、言っちゃダメなんだよ!」
碧ちゃんの言葉に、凛ちゃんが慌てて言った。
最近は、誰々ちゃんのママ、とかいう言い方しないといけないんだって。
難しいのねえ。子供にまで気を遣わせて、どうするのかしら。
「おばさんだよねえ。いいよ、おばさんで」
凛ちゃんは、ほっとした顔で、頷いた。
「おばさんって、パパのお友達なの?」
「うん、幼馴染なの」
「何歳?」
「パパと同じだよ」
「ええ、じゃあ、ママより年上! 全然違うねー」
「どう、違うの?」
「すっごく、キレイ!」
「こんなキレイなママだったら、自慢だよねー」
姉妹は顔を見合わせて言った。
「どうして? ママもキレイじゃない。優しいし、素敵よ」
正直に言うと、私は、聡子さんが、うらやましい。あんな風に、飾らなくても、将吾みたいな人と結婚して、こんなにかわいい子供がいて……
「そうかなぁ……」
「パパとママ、仲良しでしょ?」
「うーん、時々ケンカしてるよ」
「そりゃ、夫婦だもん。ケンカもしないと」
夫婦……それは、自分に言いきかせた言葉。
「パパとママの秘密、教えてあげよっか」
凛ちゃんが恥ずかしそうに、ちょっともじもじしながら言った。
「秘密?」
「うん、パパとママね……」
二人は目を合わせて笑ってる。
「寝る前に、チュウするんだよ!」
恥ずかしそうに言って、姉妹はキャッキャと笑った。
でも、私は、引きつった笑顔で、頷くのが精一杯。
そんな私の顔を、慶太が横目で見てる。
ごめんなさい……私……笑わないと……笑わなきゃ……
「へえ、仲良しなんだね!」
何も言えない私の代わりに、慶太が言った。
「おじさんとおばさんも、チュウする?」
「するよー、仲良しだもん」
「寝る前?」
「寝る前もだし、朝とかもするよ」
「今日もした?」
「したよ。なぁ、真純」
慶太は右手で私の手を握った。
その手は、そうだろ? って、言ってる。俺とお前は、仲良しで、夫婦で、チュウ、したよなって。
「うん。そうね……」
「おじさんもカッコイイから、美男美女カップルだね!」
凜ちゃんは、無邪気にそう言って、シートの間から、私達の顔を見た。
「美男美女なんて、言葉知ってるんだ!」
「昨日ね、パパとママが言ってたの」
将吾が?
「お似合いだろ?」
「うん、とっても!」
「おじさんさ、おばさんのこと、超好きなんだよ」
それはきっと、私に向けた言葉。
慶太……こんな私……許してくれるの?
「えー! ラブラブじゃん!」
姉妹は嬉しそうに笑って、慶太も一緒に笑った。
私も笑ったつもりだったけど、きっと顔は、固まったまま。
信号待ちで、将吾の車の右側に、慶太が並んで、後ろの窓から、聡子さんが手を振った。
「窓、開けていい?」
「顔とか、出しちゃダメだよ」
「ママー!」
「いい子にしとるんか!」
将吾の声が聞こえた。
「してるよー!」
私は、窓の方を見れなくて、ずっと俯いていた。
「ワガママ、してない?」
「してないよー」
聡子さんの声が聞こえる。子供たちの声も聞こえる。
将吾の声、慶太の声……みんな、楽しそう。
私以外のみんなは、楽しそう。私だけ……笑わないと。楽しそうにしないと。ダメ、泣いちゃダメ!
信号が変わって、慶太が窓を閉めて、車が動き出した。きっと、右側に座っている私の顔は、見えなかったはず。
「おばさん? どうしたの?」
私の顔を覗き込んだ、その凛ちゃんの顔は、聡子さんに似ていた。
凛ちゃんは、将吾と、聡子さんの……子供。
「やだ、車酔いしちゃったかしら。山道、苦手なの」
もうずっと、こうやって笑ってきたじゃない。楽しくなくても、つらくても、悲しくても、悔しくても、ずっと、笑ってきた。
子供のころからずっと、私は、そうやってきたのよ。
私はこうやって、ずっと、仮面をかぶってきたの。
笑うことなんて、簡単よ。
「ママと、お友達になりたいわ」
「うん、ママに言っとくね」
やっぱり、はずせない。本当の私なんて、誰にも見せない。見せられない。だって私は……
あの女の、娘。
「はい、到着ー」
なによ。あんなに車に乗りたいって言ってたくせに。
着いた途端、パパ、ママ、って。やっぱり、子供なんて、ワガママで、自分勝手で、かわいくない。
「お世話かけちゃって」
「いいえ、とっても楽しかったわ」
ねえ、あなた。そんな地味な格好で、よく恥ずかしくないわね。お化粧くらい、ちゃんとすれば? それとも何? 私はお化粧なんてしなくても、充分いけてるとでも、言いたいの?
「真純さん、そのTシャツ、ラルフローレン?」
はあ、加奈さん。あなたも、そのお腹、ちょっとはどうにかしたら? その服も、センスないわね。
「ええ、いつもはスーツだから、カジュアルな服は持ってなくて。慌てて主人と揃えちゃった」
「いいわねえ。うちなんて、ユニクロばっかよ」
そうでしょうね。だって、私はセレブですもの。あなたたちと一緒に、しないで。あなたたちとは、住む世界が違うんだから!
私は、笑っている。いつものように、私は、この笑顔で、みんなと話してる。
全然、楽じゃん。
昨日のバーベキューの時は、なんだか、自分が仲間外れになった気がしたけど、こうやって、適当に合わせてれば、ほら、たちまち私が、中心じゃない。
ねえ、将吾。見てる? 今の私、こんなにキラキラしてるのよ。そんな地味な女、捨てちゃいなさいよ。私のほうが、いい女でしょ?
「おばさん、かにさんがいるよ」
冷えかけた私の手に、少し汗ばんだ、小さな手が、触れた。
そこには、碧ちゃんがいて、私の手を、無邪気に引っ張る。
「どこ?」
「あっち。見に行こうよ」
そこは、小さな滝で、涼くんが、一生懸命、女の子達に、沢蟹を、捕まえてあげていた。
「おにいちゃん! おばさんにも、かにさん、捕まえて!」
涼くんは黙って、私に、沢蟹を、渡してくれた。
「わあ、かわいい」
まるで、将吾みたい。
昔、こうやって、二人で遅くまで川にいて、蟹とか、魚とか捕まえて、私に見せてくれたっけ。
「おーい、写真撮るよー!」
中村くんが、近くにいた人に写真をお願いしてくれて、私達は、みんなで集まって、カメラに向かう。
「碧、おばさんの隣がいい!」
「凛も!」
私は、両手に、将吾の大切な子供達の手を握って、笑って、写真を撮った。
彼女達の手のぬくもりが、私の張りかけた氷を、とかしていく。
私の仮面を、はずしていく。
そうね……私……やっぱり、もう、できない。
嘘の笑顔も、嘘の強がりも、もう、できない。それができたら、どんなに楽だろう。半年前の私のように、仮面を被れたら、こんなに……胸が、痛くないのに。
「ごめんなさいねえ、あの子達、すっかり真純さんになついちゃって」
聡子さん……きれい。あなた、本当にきれい。私みたいに、お化粧や宝石や、ブランド品で飾らなくても、とってもきれい。
「でも、ほんと、真純さん、きれいよね。ねえ、そのスタイル、どうしてるの? 私、年中無休でダイエットしてるのに、全然ダメ」
加奈さん。幸せなのよ、あなた。あんなに優しい旦那さんに、かわいい子供達がいて……お友達も、たくさんいるでしょう? 私なんて、友達って呼べる人、一人もいない。
「会社でこき使われてるの。ストレスで痩せてるだけよ。白髪なんて、すごいんだから」
わかってる。
もう、戻らないって。わかってるじゃない。これでよかったって、あの夜、思ったじゃない。
本当の、私。
本当はね……ただの、ワガママな、バカな女よ。
そして、私たちは、連絡先を交換して、それぞれの車に乗って、東京へ帰る。
帰りのベンツには、もうあの子達は乗っていない。
あんなに賑やかだったリアシートには、もう、誰もいない。
「かわいかったね」
「子供?」
「うん」
私達は、二人だけ。二人だけの、家族。私達をつなぐものは、私達、だけ。
「……真純」
「何?」
「俺さ……」
「うん」
「真純のこと、離さないから」
慶太は、そう言った。大きなチャラいサングラスをしてるから、顔はわからないけど、たぶん、泣いていた。
「離さないで」
慶太。絶対に、私を離さないで。そうじゃないと、私……
怖いの。自分が、怖い。
あなたがいないと、あなたの手が緩むと、きっと私、全てを壊してしまう。
あの子達の笑顔を、奪ってしまう。誰もを、不幸にしてしまう。
だから慶太、私を……あなたのところに、縛り付けていて……
もちろん、私もそのままで、いつの間にか眠っちゃったみたい。
時間は七時。朝ごはん、八時だったかな……
お風呂、入んなきゃ。
肌は、ちょっとベトベトしていて、慶太の匂いがして、昨夜のことが……よみがえっちゃう。
バスルームから出ると、慶太が起きて、テレビを見てた。
「俺も、風呂入るね」
「うん」
「なんか、ちょっと筋肉痛……がんばりすぎたかな」
慶太は笑って、お風呂へ行った。
私もちょっと筋肉痛? 昨夜のことを思い出すと、なんか、熱くなっちゃう。
あれがもし……ダメダメ。こんなこと、考えちゃあ。
メイクをする私を、お風呂上りの慶太が、隣でじっと見てる。
「どうしたの?」
「こうやって、真純はできあがるんだなぁって思って」
「もう、何それー」
「やっぱキレイだな」
キレイ……そうかな……
最近、思う。
あの人に、似てるなって……
あの人も、私に背中を向けて、こうやって鏡の前で、お化粧してた。
今思えば、歳の割にキレイだったけど、私には、薄汚い、オトコにだらしない、最低なオンナにしか見えなかった。
だから、私も……そんな風に見えてないかな。
リップを引くと、慶太がキスして、塗りたてのリップが彼の唇に移っちゃった。
「もう! ダメだよ」
「なんかキスしたくなっちゃうね、その色」
笑って、私を抱きしめて、もう一回、ちょっと長いキスをする。
「真純は、俺の自慢なんだ」
「私が?」
「だって、キレイだし、頭もいいし、上品だし。みんなさ、真純のこと、素敵な奥さんだって言うよ」
違う……本当の私は……
「嬉しい」
私は、笑った。ううん、笑ったふりをして、慶太の唇をティッシュで拭って、もう一回、リップをひいた。
「俺達、最高に、いけてるね」
私達は、鏡の中にいる。
鏡の中で、私は、ピンクの唇で、笑っている。
レストランに行くと、杉本家と中村家はもう来ていて、子供達はこぞってバイキングのお料理をお皿いっぱいにしてる。
「おはよう」
テーブルは六人がけだから、私達は、将吾と中村くんのテーブルに、二人で座った。隣のテーブルでは、聡子さんと加奈さんと子供達が賑やかに食事をしている。
「何か、とってこようか?」
なんとなく居づらくて、立ち上がった。
「俺も行くよ」
慶太も立ち上がって、私の腰に手を廻す。
「なんだよ、仲良いなあ」
中村くんが、冷やかすように言って、慶太が羨ましいか? って笑った。
私は、将吾の顔を見たけど、いつものように、彼は優しく、笑ってるだけ。
ちょっと、つまんない……
なんて、また、バカなこと考えてる。
今日はVネックの紺色のTシャツに、白のカプリパンツ、慶太はピンクのポロシャツに、グレーのバミューダ。
この日のために、二人でラルフローレンで揃えたの。
ピンクのポロシャツって、どうなんだろう。慶太って、ピンクとか、水色とか、そういう色選ぶけど、なんか……けばくない?
まあ、そうね。私達は、見るからに、リッチなオシャレ夫婦。杉本家と中村家とは、ちょっと違う感じ。
コーヒーと、パンと、適当にお皿に入れて、テーブルに戻ると、遠くから見てもお似合いやなって、将吾が笑った。
「今日、どうする?」
中村くんが納豆を混ぜながら言った。
「観光でもしようぜ」
男三人は、スマホで検索して、盛り上がってる。
私は、さっきの将吾の発言にチクチクしてて、黙って笑って、パンを食べた。
チェックアウトする慶太を残して、駐車場に行くと、将吾の娘ちゃん二人が、私達の車に乗りたいって言い出した。
「ダメよ、ワガママいわないの」
聡子さんが言うけど、聞く様子はなくって、将吾も困ってる。
私は別にいいんだけど、慶太はどうなんだろう。
ああ、戻ってきた。うーん、こうやって見ると、慶太って……チャラい。そのでっかいサングラス……おじさんなのに、ねえ。
「ねえ、車、乗せてあげてもいいよね?」
「うん、構わないよ」
慶太が言うけど、聡子さんは、汚したら大変だから、と遠慮してる。
「そんなの気にしないでよ。さ、乗って」
慶太は笑って、ベンツのリアドアを開けた。
「ええんか?」
「いいよ、別に」
「じゃあ、頼むわ。汚したり、ワガママいうなよ」
将吾が娘ちゃん達にそう言うと、彼女達は嬉しそうに、車に乗った。
「すみません、ワガママで……」
「いえ、全然」
だって、慶太の車って、結構、汚いもん。
「シートベルト、してね」
慶太が言うと、娘ちゃん達は、はーい、だって。
最初はちょっと緊張してたけど、すぐに慣れたみたいで、いろんな話をしてくれた。
かわいいのね。ほんと、子供って、かわいい。
「ねえ、おばさんって……」
「おばさんとか、言っちゃダメなんだよ!」
碧ちゃんの言葉に、凛ちゃんが慌てて言った。
最近は、誰々ちゃんのママ、とかいう言い方しないといけないんだって。
難しいのねえ。子供にまで気を遣わせて、どうするのかしら。
「おばさんだよねえ。いいよ、おばさんで」
凛ちゃんは、ほっとした顔で、頷いた。
「おばさんって、パパのお友達なの?」
「うん、幼馴染なの」
「何歳?」
「パパと同じだよ」
「ええ、じゃあ、ママより年上! 全然違うねー」
「どう、違うの?」
「すっごく、キレイ!」
「こんなキレイなママだったら、自慢だよねー」
姉妹は顔を見合わせて言った。
「どうして? ママもキレイじゃない。優しいし、素敵よ」
正直に言うと、私は、聡子さんが、うらやましい。あんな風に、飾らなくても、将吾みたいな人と結婚して、こんなにかわいい子供がいて……
「そうかなぁ……」
「パパとママ、仲良しでしょ?」
「うーん、時々ケンカしてるよ」
「そりゃ、夫婦だもん。ケンカもしないと」
夫婦……それは、自分に言いきかせた言葉。
「パパとママの秘密、教えてあげよっか」
凛ちゃんが恥ずかしそうに、ちょっともじもじしながら言った。
「秘密?」
「うん、パパとママね……」
二人は目を合わせて笑ってる。
「寝る前に、チュウするんだよ!」
恥ずかしそうに言って、姉妹はキャッキャと笑った。
でも、私は、引きつった笑顔で、頷くのが精一杯。
そんな私の顔を、慶太が横目で見てる。
ごめんなさい……私……笑わないと……笑わなきゃ……
「へえ、仲良しなんだね!」
何も言えない私の代わりに、慶太が言った。
「おじさんとおばさんも、チュウする?」
「するよー、仲良しだもん」
「寝る前?」
「寝る前もだし、朝とかもするよ」
「今日もした?」
「したよ。なぁ、真純」
慶太は右手で私の手を握った。
その手は、そうだろ? って、言ってる。俺とお前は、仲良しで、夫婦で、チュウ、したよなって。
「うん。そうね……」
「おじさんもカッコイイから、美男美女カップルだね!」
凜ちゃんは、無邪気にそう言って、シートの間から、私達の顔を見た。
「美男美女なんて、言葉知ってるんだ!」
「昨日ね、パパとママが言ってたの」
将吾が?
「お似合いだろ?」
「うん、とっても!」
「おじさんさ、おばさんのこと、超好きなんだよ」
それはきっと、私に向けた言葉。
慶太……こんな私……許してくれるの?
「えー! ラブラブじゃん!」
姉妹は嬉しそうに笑って、慶太も一緒に笑った。
私も笑ったつもりだったけど、きっと顔は、固まったまま。
信号待ちで、将吾の車の右側に、慶太が並んで、後ろの窓から、聡子さんが手を振った。
「窓、開けていい?」
「顔とか、出しちゃダメだよ」
「ママー!」
「いい子にしとるんか!」
将吾の声が聞こえた。
「してるよー!」
私は、窓の方を見れなくて、ずっと俯いていた。
「ワガママ、してない?」
「してないよー」
聡子さんの声が聞こえる。子供たちの声も聞こえる。
将吾の声、慶太の声……みんな、楽しそう。
私以外のみんなは、楽しそう。私だけ……笑わないと。楽しそうにしないと。ダメ、泣いちゃダメ!
信号が変わって、慶太が窓を閉めて、車が動き出した。きっと、右側に座っている私の顔は、見えなかったはず。
「おばさん? どうしたの?」
私の顔を覗き込んだ、その凛ちゃんの顔は、聡子さんに似ていた。
凛ちゃんは、将吾と、聡子さんの……子供。
「やだ、車酔いしちゃったかしら。山道、苦手なの」
もうずっと、こうやって笑ってきたじゃない。楽しくなくても、つらくても、悲しくても、悔しくても、ずっと、笑ってきた。
子供のころからずっと、私は、そうやってきたのよ。
私はこうやって、ずっと、仮面をかぶってきたの。
笑うことなんて、簡単よ。
「ママと、お友達になりたいわ」
「うん、ママに言っとくね」
やっぱり、はずせない。本当の私なんて、誰にも見せない。見せられない。だって私は……
あの女の、娘。
「はい、到着ー」
なによ。あんなに車に乗りたいって言ってたくせに。
着いた途端、パパ、ママ、って。やっぱり、子供なんて、ワガママで、自分勝手で、かわいくない。
「お世話かけちゃって」
「いいえ、とっても楽しかったわ」
ねえ、あなた。そんな地味な格好で、よく恥ずかしくないわね。お化粧くらい、ちゃんとすれば? それとも何? 私はお化粧なんてしなくても、充分いけてるとでも、言いたいの?
「真純さん、そのTシャツ、ラルフローレン?」
はあ、加奈さん。あなたも、そのお腹、ちょっとはどうにかしたら? その服も、センスないわね。
「ええ、いつもはスーツだから、カジュアルな服は持ってなくて。慌てて主人と揃えちゃった」
「いいわねえ。うちなんて、ユニクロばっかよ」
そうでしょうね。だって、私はセレブですもの。あなたたちと一緒に、しないで。あなたたちとは、住む世界が違うんだから!
私は、笑っている。いつものように、私は、この笑顔で、みんなと話してる。
全然、楽じゃん。
昨日のバーベキューの時は、なんだか、自分が仲間外れになった気がしたけど、こうやって、適当に合わせてれば、ほら、たちまち私が、中心じゃない。
ねえ、将吾。見てる? 今の私、こんなにキラキラしてるのよ。そんな地味な女、捨てちゃいなさいよ。私のほうが、いい女でしょ?
「おばさん、かにさんがいるよ」
冷えかけた私の手に、少し汗ばんだ、小さな手が、触れた。
そこには、碧ちゃんがいて、私の手を、無邪気に引っ張る。
「どこ?」
「あっち。見に行こうよ」
そこは、小さな滝で、涼くんが、一生懸命、女の子達に、沢蟹を、捕まえてあげていた。
「おにいちゃん! おばさんにも、かにさん、捕まえて!」
涼くんは黙って、私に、沢蟹を、渡してくれた。
「わあ、かわいい」
まるで、将吾みたい。
昔、こうやって、二人で遅くまで川にいて、蟹とか、魚とか捕まえて、私に見せてくれたっけ。
「おーい、写真撮るよー!」
中村くんが、近くにいた人に写真をお願いしてくれて、私達は、みんなで集まって、カメラに向かう。
「碧、おばさんの隣がいい!」
「凛も!」
私は、両手に、将吾の大切な子供達の手を握って、笑って、写真を撮った。
彼女達の手のぬくもりが、私の張りかけた氷を、とかしていく。
私の仮面を、はずしていく。
そうね……私……やっぱり、もう、できない。
嘘の笑顔も、嘘の強がりも、もう、できない。それができたら、どんなに楽だろう。半年前の私のように、仮面を被れたら、こんなに……胸が、痛くないのに。
「ごめんなさいねえ、あの子達、すっかり真純さんになついちゃって」
聡子さん……きれい。あなた、本当にきれい。私みたいに、お化粧や宝石や、ブランド品で飾らなくても、とってもきれい。
「でも、ほんと、真純さん、きれいよね。ねえ、そのスタイル、どうしてるの? 私、年中無休でダイエットしてるのに、全然ダメ」
加奈さん。幸せなのよ、あなた。あんなに優しい旦那さんに、かわいい子供達がいて……お友達も、たくさんいるでしょう? 私なんて、友達って呼べる人、一人もいない。
「会社でこき使われてるの。ストレスで痩せてるだけよ。白髪なんて、すごいんだから」
わかってる。
もう、戻らないって。わかってるじゃない。これでよかったって、あの夜、思ったじゃない。
本当の、私。
本当はね……ただの、ワガママな、バカな女よ。
そして、私たちは、連絡先を交換して、それぞれの車に乗って、東京へ帰る。
帰りのベンツには、もうあの子達は乗っていない。
あんなに賑やかだったリアシートには、もう、誰もいない。
「かわいかったね」
「子供?」
「うん」
私達は、二人だけ。二人だけの、家族。私達をつなぐものは、私達、だけ。
「……真純」
「何?」
「俺さ……」
「うん」
「真純のこと、離さないから」
慶太は、そう言った。大きなチャラいサングラスをしてるから、顔はわからないけど、たぶん、泣いていた。
「離さないで」
慶太。絶対に、私を離さないで。そうじゃないと、私……
怖いの。自分が、怖い。
あなたがいないと、あなたの手が緩むと、きっと私、全てを壊してしまう。
あの子達の笑顔を、奪ってしまう。誰もを、不幸にしてしまう。
だから慶太、私を……あなたのところに、縛り付けていて……
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「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
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