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俗畜
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僕は、社長室に座っている。そして今、僕の手元には、『ニュースタイムズ』という、三流雑誌がある。
『……前社長である野間氏は、国内の雇用状況改善への貢献と、被災地復興のため、国内での営業強化と、長期的な復興支援を行う方針を打ち立てた。しかし、かねてより、海外進出計画を進めていた村井氏はこれに反発し、強引に野間氏に退任を迫った。まさしくこれは、謀反というべき行為であり、村井氏は、長年の戦友を、同志を、一夜のうちに裏切ったことになる。
かねてより、野間氏と村井氏の間には不仲説が流れており、同社の元役員A氏によると、表向きはワンマン経営者に思われていた野間氏は、実は民主的で、人情派だったと言う。反対意見も満遍なく取り入れ、一時経営不振に陥った時も、リストラによる人員整理は行わず、役員報酬の返還で、危機を乗り切ったという。一方、村井氏は、創業当初より、野間氏の参謀と言われていたが、社内での評判は芳しくなく、村井氏に敵対し、会社を去った優秀な人材も少なくないという。』
ふむ、あの三流記者にしては、上出来だ。
『とはいえ、学生ベンチャーとしての同社を、今の形にまで発展させた村井氏の経営手腕は、誰が見ても、野間氏を上回っており、今回の内紛劇も、起こるべくして起こったと言える。現に、野間氏退任の後、同社の株価は上昇しており、村井氏の進める、大規模プラントや、IT途上国への人材輸出は、今後、ジャパンピジネスの中心となっていくであろう。今後の村井新社長の経営手腕に、日本の経済力の復活がかかっていると言っても過言ではない。……』
まあ、この部分は褒めてやってもいいだろう。この記事のおかげで、僕の会社も、そして、僕の名前も、世界に広まった。
しかし、最後が気に入らない。
『私事とはなるが、私は、退任後の野間氏を取材すべく、彼に会いに行った。彼は今、在任中に運営資金を寄付した、某フリースクールの教員をしているという。退任より二ヶ月も経っていないというのに、彼は随分容貌が変化していた。かつては、数多の女性と浮名を流し、トレンドの最先端を走っていた彼が、ヘアワックスもつけない髪と、ファストファッションのTシャツに短パンで現れたのだ。このように書くと、読者の皆様は、彼が都落ちした落ち武者のような生活を送っていると思われるだろうが、まるで、その反対である。彼は、ギスギスしたビジネス界を離れ、なんとも、人間臭く、かえって輝きを増していたのだ。
彼は今、心に傷を負った少年少女と、愛妻麗子夫人と、雄大な自然の中で、生きている。間もなく、第一子が生まれるそうだ。彼は幸せそうに、満面の笑みで、私に語ってくれた。『今の僕と、妻があるのは、すべて村井くんのおかげなんですよ』と。私は、きっと、野間氏は、村井氏のことを恨んでいるだろうと思っていた。その恨み辛みを聞きたくて、書きたくて、彼に会いに行った。
そんな野間夫妻の笑顔を見て、ふと、自分がジャーナリストを志した若き日のことを、思い出した。私は、誰かを傷つけるためにジャーナリストを志したわけではない。このペンで、悪に立ち向かい、誰かを笑顔にするために、ジャーナリストになったはずだった。この五年間、遮二無二、野間氏と村井氏を追ってきた。彼らの成功と希望を壊すために、私は彼らを追い詰めてきた。何をしていたのか。私は一体、何をしているのか。
この記事を最後に、私は、もう一度、自分の志す『ジャーナリスト』を目指したいと思う。野間夫妻のような笑顔を求めて、私は、この狭いビジネス界から、旅立ちたいと思う。(関口和真)』
やはり、三流記者だった。こんな人情劇、今時、誰が喜ぶというのか。くだらないな。彼にはもう少し、僕のシナリオ進行を手伝わせるつもりだったのだが。
「失礼します」
森江くんの声に、僕は、雑誌を閉じ、そのままゴミ箱へ投げ入れた。
「コーヒーをお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう」
カップを持った僕に、森江くんが、スマホを見せた。
「麗子さん、無事、出産されたそうです」
「ああ、そう」
写真の中には、日に焼けた、Tシャツにジーンズの直輝と、化粧もせず、パジャマで笑う麗子、そして、彼女の腕の中には、どことなく、麗子に似た、小さな赤ん坊がいる。
「かわいくないな」
「生まれたての赤ちゃんは、こんな感じですよ」
「性別すらわからない」
「男の子、です」
「そう」
「お名前は、ユウキちゃんだそうです」
「ふん」
「村井祐輔の祐に、野間直輝の輝で、祐輝、だそうです」
「……ロクな人間にはならないな」
「とっても元気な赤ちゃんだそうですよ。動画を送ってもらいました。ご覧になりますか?」
「遠慮しておこう」
森江くんは、はい、と微笑んで、後でメールでお送りしておきます、と言った。
「四時から、取材ですので」
「ああ、そうだったね。毎日毎日取材ばかりで、もう飽きてきたよ。くだらない質問ばかりで、うんざりだ」
「あら、前社長は、そんなこと、一度もおっしゃいませんでした」
コーヒーを、一口飲んだ。なかなか、コーヒーの淹れ方も上達したようだ。
「森江くん」
「はい」
「僕は、悪人だね」
「そうですね。世間は、村井祐輔は、酷い悪人だと言っていますね」
「狙い通りだ」
僕は、悪魔なんだ。痩せた体、醜い顔、ひねくれた心。こんな僕には、こんな配役がお似合いなんだ。
窓の外を見下ろすと、人間が小さく、蟻のように歩いている。彼方此方へ、せかせかと、どこへ行くのか知らないが、歩いている。
「でも、社長は悪人ではありません」
森江くんの体が、僕に触れた。柔らかい体。長い髪。甘い香り。僕は森江くんに、抱きしめられていた。
「悪人、ではない。僕は、悪魔だ」
「いいえ、本当の社長は、愛に溢れた方です。本当は、とても、誰よりも、優しい方です」
「君も愛、信者か」
「社長も、です」
森江くんが、僕を見つめている。優しい目で、まるで、あの……直輝のように、優しく、僕を見つめている。
窓の外の景色が、また、ぼやけ始めた。この、涙というものは、一体どこに溜まっているのだろう。僕はあれから、随分、この涙というものを体外に排出したのに、まだ、残っている。一体、いつになったら、この液体は枯渇するのだろう。
「愛しています」
「僕には愛など必要ない。僕は誰も愛さない。僕は誰にも愛されない。僕は一人なんだ。僕は……」
森江くんの唇が、僕の言葉の邪魔をした。
「汚らわしい」
僕はその、少し口紅でベタベタした、柔らかい唇を、引き離した。
「私では、代わりにはなりませんか」
「……何を、言っているんだ」
「社長の悲しいお顔を、もう見たくないんです」
「僕の、何を知っていると言うんだ」
「何も、存じません。ただ、おそばに、いたいんです」
森江くん、君は……僕を知っているんだね。僕がずっと、隠してきたことも、侵してきた罪も、何もかも、君は……かつての僕が、直輝をずっと見ていたように、君は、僕を、ずっと、見ていてくれていたのかい? そして、君は……あの麗子のように、僕を、許すというのかい?
「僕の、何がいいんだ」
「私の孤独を、埋めてくださいました」
わからない。僕がいつ、そんなことをしたのか。ふむ。やはり、女はわからない。わからないが……
直輝、君はこの風景を、どんな気持ちで眺めていたんだい? 見てごらんよ。肩がぶつかっても、声を掛け合うどころか、目を逸らし、通りすがりに、ひっそり睨み付けるだけの、あの小さな人間達。誰かが隣で、助けを求めても、見てぬふり、気づかぬふりじゃないか。かと思えば、小さな液晶画面に向かって、姿の見えない誰かと、一生懸命つながろうとしている。目の前にいる誰かよりも、見えない、どこにいるかもわからない誰かに、助けを求めている。かつての、僕のようにね。そして、君のように。
わかっていたんだ。君がこんなことを望んでいなかったことを。僕のために、君は君を殺していたことを。でも、僕はね、君を救いたかった。君は僕を、液晶画面の中から救ってくれた。僕と同じように、俗世に絶望し、君の創り上げた桃源郷のような世界に、君も逃げていた。だから僕も、君を救いたかった。
直輝。
僕たちは、俗世に生きている。嫌でも、生きていかなければいけない。どんなに辛くても、苦しくても、僕達は俗世に生きている。どうせ生きるなら、どうせ耐えなければならないのなら、成功しようじゃないか。金を稼ごうじゃないか。そして、僕達の本当に望む世界を、人生を生きようじゃないか。僕はね、ただ、そうしたかったんだ。君にも、そうして欲しかった。僕と同じ、俗世に生きて欲しかった。君となら、僕は、どんな苦しみにも、耐えられたから。
でも、いつからか、僕はすっかり、俗世に染まっていたよ。僕は結局、あの小さな人間達と同じように、やっぱり、僕の嫌う俗世の住人にしか、なれなかった。それなのに、君は、染まらなかった。君はずっと崇高だった。悔しかったんだ。僕は君が悔しかった。目の前にいる僕じゃなくて、俗世に染まっていく僕じゃなくて、その小さなロザリオに、目には見えない神とやらに、助けを求める君が、憎かった。君を見ていると、まるで僕は、愚民で、俗人で、穢れで、僕は……君を穢すことで、麻薬のような、一瞬の安静を手に入れることが、精一杯の、抵抗だったんだ。
告白するよ。
本当はね、僕も君のようになりたいんだ。誰も憎まず、誰も羨まず、僕は、君のように、麗子のように、なりたかった。こんな僕でも……誰かに、愛されたいんだ。
「森江くん」
「はい、社長」
僕は、眼鏡を外した。
「君は、僕の顔を、どう思うかな」
森江くんは、じっと僕の顔を見て、真剣に、返辞をした。
「とても、素敵で、男性的だと思います」
「イケメン、かい?」
「ええ、とても。野間社長よりも、イケメン、です」
「はっきり言おう。僕は、ゲイなんだ」
「然様ですか」
「それでも君は、僕を愛しているというのかい?」
「社長が男性しか愛せないのであれば、私を男性だと思ってください」
真面目な顔でそう言った森江くんの言葉に、僕は思わず、吹き出してしまった。
「君はどう見ても、女じゃないか。男に思えるわけがない。君はとても……」
「……とても?」
ふむ。僕は……いったいどうしてしまったのか。どうやら、あの麗子という女に出会ってから、どうもペースが乱されている。まさか僕が、女に……こんなことを、思うなんて。僕としたことが。
「とても、可愛らしい」
森江くんは、その言葉に、俯いて、泣き出した。
「どうしたんだい」
「嬉しくて……」
ふむ。こういう場合は……たぶん、こうすればいいのだろう。
抱きしめた森江くんの体は、とても柔らくて、とても細くて、少し力を入れたら、壊れてしまいそうで、僕は、とにかく、森江くんの涙が止まるまで、そして、僕の涙が止まるまで、そのまま、彼女を抱きしめていた。
「僕のそばにいることを、許そう」
「ありがとうございます」
直輝、どうやら僕にも、麗子のように、僕を全て許してくれる、女がいるようだ。君もよく知っている、あの、出来損ないの、森江くんだ。覚えているかい? どうも僕達は、出来損ないの女に好かれるようだね。そして、出来損ないの、純粋で、真直ぐな女が……好きなようだ。
「落ち着いたら、祐輝を、見に行こうか」
「はい。そう、お伝えしておきます」
「くれぐれも、ブッキングしないようにね」
「最近はあまり、ミスしていないんですよ」
「そうか。君も、やっと、一人前に、なったんだね」
「社長の、ご指導のおかげです」
直輝。わからないけれどね。僕も、女というものを、愛してみようと思う。僕はずっと、男にしか、愛を感じなかった。もちろん、今でも、だ。
告白すれば、僕は今でも、君を愛している。昔と変わらず、君を、愛している。君と、抱き合い、キスをし、セックスをしたいと、今でも思っている。でも、君はもう、僕を愛してはいない。愛してはいけない。君は、麗子という女と、祐輝という子供を、ただ、愛さなければならない。そして君は、彼らを、愛している。それでいい。君は、それでよかった。
俗世だなんだと言っているけれどね。僕は結局、この俗世から離れられない。捨てられない。君のように、そんな、空気と木しかないような場所で、僕は生きられない。所詮僕は、こんなに狭いビルの一室で、閉め切られた空間で、小さな画面に向かって、時間に縛られて生きる、そうだね、「俗畜」とでも、言ってみようか。そんな俗畜を、彼女は愛していると言う。男しか愛せない男を、愛していると言う。はっきり言って、バカだ。こんな愚かな僕を愛しているなんて、バカの骨頂だ。
こういうことなんだね。君が、僕よりも、麗子を選んだ理由は。女だから、じゃなくて、きっと、こういうことなんだね。
だけど、もう少し、僕には時間が必要だ。頭では理解していてもね、どうも、心は比例しないようなんだ。この、涙という液体が、君のことを想っても、排出されなくなったら、そうだね、君と、君の妻と、君の子供に、会いに行くよ。それまで、直輝、待っていてよ。
「ああ、社長。これが、届いていました」
森江くんの手には、少し汚れた封筒があって、それは、関口和真からの、エアメールだった。中には数枚の写真が入っていて、一枚の写真の裏に、汚い字で、こう書いてある。
『この子たちは、戦火から逃れた、傷付いた子供たちです』
ここにも、俗畜から逃れた人間がいる。写真の中の関口は、子供達に囲まれ、迷彩服で、ニヤニヤ、ではなく、精悍に、笑っている。
「このキャンプに、いくらかしておいてくれ」
「今月で三件目です」
「下手な広告を流すより、よほど効果的だ」
森江くんは、はい、と微笑んで、会計室へ行ってきます、と部屋を出て行った。
直輝、一応ね、君の夢は、僕が叶えたつもりだよ。これで、僕を、少しは許してくれるかい。
『……前社長である野間氏は、国内の雇用状況改善への貢献と、被災地復興のため、国内での営業強化と、長期的な復興支援を行う方針を打ち立てた。しかし、かねてより、海外進出計画を進めていた村井氏はこれに反発し、強引に野間氏に退任を迫った。まさしくこれは、謀反というべき行為であり、村井氏は、長年の戦友を、同志を、一夜のうちに裏切ったことになる。
かねてより、野間氏と村井氏の間には不仲説が流れており、同社の元役員A氏によると、表向きはワンマン経営者に思われていた野間氏は、実は民主的で、人情派だったと言う。反対意見も満遍なく取り入れ、一時経営不振に陥った時も、リストラによる人員整理は行わず、役員報酬の返還で、危機を乗り切ったという。一方、村井氏は、創業当初より、野間氏の参謀と言われていたが、社内での評判は芳しくなく、村井氏に敵対し、会社を去った優秀な人材も少なくないという。』
ふむ、あの三流記者にしては、上出来だ。
『とはいえ、学生ベンチャーとしての同社を、今の形にまで発展させた村井氏の経営手腕は、誰が見ても、野間氏を上回っており、今回の内紛劇も、起こるべくして起こったと言える。現に、野間氏退任の後、同社の株価は上昇しており、村井氏の進める、大規模プラントや、IT途上国への人材輸出は、今後、ジャパンピジネスの中心となっていくであろう。今後の村井新社長の経営手腕に、日本の経済力の復活がかかっていると言っても過言ではない。……』
まあ、この部分は褒めてやってもいいだろう。この記事のおかげで、僕の会社も、そして、僕の名前も、世界に広まった。
しかし、最後が気に入らない。
『私事とはなるが、私は、退任後の野間氏を取材すべく、彼に会いに行った。彼は今、在任中に運営資金を寄付した、某フリースクールの教員をしているという。退任より二ヶ月も経っていないというのに、彼は随分容貌が変化していた。かつては、数多の女性と浮名を流し、トレンドの最先端を走っていた彼が、ヘアワックスもつけない髪と、ファストファッションのTシャツに短パンで現れたのだ。このように書くと、読者の皆様は、彼が都落ちした落ち武者のような生活を送っていると思われるだろうが、まるで、その反対である。彼は、ギスギスしたビジネス界を離れ、なんとも、人間臭く、かえって輝きを増していたのだ。
彼は今、心に傷を負った少年少女と、愛妻麗子夫人と、雄大な自然の中で、生きている。間もなく、第一子が生まれるそうだ。彼は幸せそうに、満面の笑みで、私に語ってくれた。『今の僕と、妻があるのは、すべて村井くんのおかげなんですよ』と。私は、きっと、野間氏は、村井氏のことを恨んでいるだろうと思っていた。その恨み辛みを聞きたくて、書きたくて、彼に会いに行った。
そんな野間夫妻の笑顔を見て、ふと、自分がジャーナリストを志した若き日のことを、思い出した。私は、誰かを傷つけるためにジャーナリストを志したわけではない。このペンで、悪に立ち向かい、誰かを笑顔にするために、ジャーナリストになったはずだった。この五年間、遮二無二、野間氏と村井氏を追ってきた。彼らの成功と希望を壊すために、私は彼らを追い詰めてきた。何をしていたのか。私は一体、何をしているのか。
この記事を最後に、私は、もう一度、自分の志す『ジャーナリスト』を目指したいと思う。野間夫妻のような笑顔を求めて、私は、この狭いビジネス界から、旅立ちたいと思う。(関口和真)』
やはり、三流記者だった。こんな人情劇、今時、誰が喜ぶというのか。くだらないな。彼にはもう少し、僕のシナリオ進行を手伝わせるつもりだったのだが。
「失礼します」
森江くんの声に、僕は、雑誌を閉じ、そのままゴミ箱へ投げ入れた。
「コーヒーをお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう」
カップを持った僕に、森江くんが、スマホを見せた。
「麗子さん、無事、出産されたそうです」
「ああ、そう」
写真の中には、日に焼けた、Tシャツにジーンズの直輝と、化粧もせず、パジャマで笑う麗子、そして、彼女の腕の中には、どことなく、麗子に似た、小さな赤ん坊がいる。
「かわいくないな」
「生まれたての赤ちゃんは、こんな感じですよ」
「性別すらわからない」
「男の子、です」
「そう」
「お名前は、ユウキちゃんだそうです」
「ふん」
「村井祐輔の祐に、野間直輝の輝で、祐輝、だそうです」
「……ロクな人間にはならないな」
「とっても元気な赤ちゃんだそうですよ。動画を送ってもらいました。ご覧になりますか?」
「遠慮しておこう」
森江くんは、はい、と微笑んで、後でメールでお送りしておきます、と言った。
「四時から、取材ですので」
「ああ、そうだったね。毎日毎日取材ばかりで、もう飽きてきたよ。くだらない質問ばかりで、うんざりだ」
「あら、前社長は、そんなこと、一度もおっしゃいませんでした」
コーヒーを、一口飲んだ。なかなか、コーヒーの淹れ方も上達したようだ。
「森江くん」
「はい」
「僕は、悪人だね」
「そうですね。世間は、村井祐輔は、酷い悪人だと言っていますね」
「狙い通りだ」
僕は、悪魔なんだ。痩せた体、醜い顔、ひねくれた心。こんな僕には、こんな配役がお似合いなんだ。
窓の外を見下ろすと、人間が小さく、蟻のように歩いている。彼方此方へ、せかせかと、どこへ行くのか知らないが、歩いている。
「でも、社長は悪人ではありません」
森江くんの体が、僕に触れた。柔らかい体。長い髪。甘い香り。僕は森江くんに、抱きしめられていた。
「悪人、ではない。僕は、悪魔だ」
「いいえ、本当の社長は、愛に溢れた方です。本当は、とても、誰よりも、優しい方です」
「君も愛、信者か」
「社長も、です」
森江くんが、僕を見つめている。優しい目で、まるで、あの……直輝のように、優しく、僕を見つめている。
窓の外の景色が、また、ぼやけ始めた。この、涙というものは、一体どこに溜まっているのだろう。僕はあれから、随分、この涙というものを体外に排出したのに、まだ、残っている。一体、いつになったら、この液体は枯渇するのだろう。
「愛しています」
「僕には愛など必要ない。僕は誰も愛さない。僕は誰にも愛されない。僕は一人なんだ。僕は……」
森江くんの唇が、僕の言葉の邪魔をした。
「汚らわしい」
僕はその、少し口紅でベタベタした、柔らかい唇を、引き離した。
「私では、代わりにはなりませんか」
「……何を、言っているんだ」
「社長の悲しいお顔を、もう見たくないんです」
「僕の、何を知っていると言うんだ」
「何も、存じません。ただ、おそばに、いたいんです」
森江くん、君は……僕を知っているんだね。僕がずっと、隠してきたことも、侵してきた罪も、何もかも、君は……かつての僕が、直輝をずっと見ていたように、君は、僕を、ずっと、見ていてくれていたのかい? そして、君は……あの麗子のように、僕を、許すというのかい?
「僕の、何がいいんだ」
「私の孤独を、埋めてくださいました」
わからない。僕がいつ、そんなことをしたのか。ふむ。やはり、女はわからない。わからないが……
直輝、君はこの風景を、どんな気持ちで眺めていたんだい? 見てごらんよ。肩がぶつかっても、声を掛け合うどころか、目を逸らし、通りすがりに、ひっそり睨み付けるだけの、あの小さな人間達。誰かが隣で、助けを求めても、見てぬふり、気づかぬふりじゃないか。かと思えば、小さな液晶画面に向かって、姿の見えない誰かと、一生懸命つながろうとしている。目の前にいる誰かよりも、見えない、どこにいるかもわからない誰かに、助けを求めている。かつての、僕のようにね。そして、君のように。
わかっていたんだ。君がこんなことを望んでいなかったことを。僕のために、君は君を殺していたことを。でも、僕はね、君を救いたかった。君は僕を、液晶画面の中から救ってくれた。僕と同じように、俗世に絶望し、君の創り上げた桃源郷のような世界に、君も逃げていた。だから僕も、君を救いたかった。
直輝。
僕たちは、俗世に生きている。嫌でも、生きていかなければいけない。どんなに辛くても、苦しくても、僕達は俗世に生きている。どうせ生きるなら、どうせ耐えなければならないのなら、成功しようじゃないか。金を稼ごうじゃないか。そして、僕達の本当に望む世界を、人生を生きようじゃないか。僕はね、ただ、そうしたかったんだ。君にも、そうして欲しかった。僕と同じ、俗世に生きて欲しかった。君となら、僕は、どんな苦しみにも、耐えられたから。
でも、いつからか、僕はすっかり、俗世に染まっていたよ。僕は結局、あの小さな人間達と同じように、やっぱり、僕の嫌う俗世の住人にしか、なれなかった。それなのに、君は、染まらなかった。君はずっと崇高だった。悔しかったんだ。僕は君が悔しかった。目の前にいる僕じゃなくて、俗世に染まっていく僕じゃなくて、その小さなロザリオに、目には見えない神とやらに、助けを求める君が、憎かった。君を見ていると、まるで僕は、愚民で、俗人で、穢れで、僕は……君を穢すことで、麻薬のような、一瞬の安静を手に入れることが、精一杯の、抵抗だったんだ。
告白するよ。
本当はね、僕も君のようになりたいんだ。誰も憎まず、誰も羨まず、僕は、君のように、麗子のように、なりたかった。こんな僕でも……誰かに、愛されたいんだ。
「森江くん」
「はい、社長」
僕は、眼鏡を外した。
「君は、僕の顔を、どう思うかな」
森江くんは、じっと僕の顔を見て、真剣に、返辞をした。
「とても、素敵で、男性的だと思います」
「イケメン、かい?」
「ええ、とても。野間社長よりも、イケメン、です」
「はっきり言おう。僕は、ゲイなんだ」
「然様ですか」
「それでも君は、僕を愛しているというのかい?」
「社長が男性しか愛せないのであれば、私を男性だと思ってください」
真面目な顔でそう言った森江くんの言葉に、僕は思わず、吹き出してしまった。
「君はどう見ても、女じゃないか。男に思えるわけがない。君はとても……」
「……とても?」
ふむ。僕は……いったいどうしてしまったのか。どうやら、あの麗子という女に出会ってから、どうもペースが乱されている。まさか僕が、女に……こんなことを、思うなんて。僕としたことが。
「とても、可愛らしい」
森江くんは、その言葉に、俯いて、泣き出した。
「どうしたんだい」
「嬉しくて……」
ふむ。こういう場合は……たぶん、こうすればいいのだろう。
抱きしめた森江くんの体は、とても柔らくて、とても細くて、少し力を入れたら、壊れてしまいそうで、僕は、とにかく、森江くんの涙が止まるまで、そして、僕の涙が止まるまで、そのまま、彼女を抱きしめていた。
「僕のそばにいることを、許そう」
「ありがとうございます」
直輝、どうやら僕にも、麗子のように、僕を全て許してくれる、女がいるようだ。君もよく知っている、あの、出来損ないの、森江くんだ。覚えているかい? どうも僕達は、出来損ないの女に好かれるようだね。そして、出来損ないの、純粋で、真直ぐな女が……好きなようだ。
「落ち着いたら、祐輝を、見に行こうか」
「はい。そう、お伝えしておきます」
「くれぐれも、ブッキングしないようにね」
「最近はあまり、ミスしていないんですよ」
「そうか。君も、やっと、一人前に、なったんだね」
「社長の、ご指導のおかげです」
直輝。わからないけれどね。僕も、女というものを、愛してみようと思う。僕はずっと、男にしか、愛を感じなかった。もちろん、今でも、だ。
告白すれば、僕は今でも、君を愛している。昔と変わらず、君を、愛している。君と、抱き合い、キスをし、セックスをしたいと、今でも思っている。でも、君はもう、僕を愛してはいない。愛してはいけない。君は、麗子という女と、祐輝という子供を、ただ、愛さなければならない。そして君は、彼らを、愛している。それでいい。君は、それでよかった。
俗世だなんだと言っているけれどね。僕は結局、この俗世から離れられない。捨てられない。君のように、そんな、空気と木しかないような場所で、僕は生きられない。所詮僕は、こんなに狭いビルの一室で、閉め切られた空間で、小さな画面に向かって、時間に縛られて生きる、そうだね、「俗畜」とでも、言ってみようか。そんな俗畜を、彼女は愛していると言う。男しか愛せない男を、愛していると言う。はっきり言って、バカだ。こんな愚かな僕を愛しているなんて、バカの骨頂だ。
こういうことなんだね。君が、僕よりも、麗子を選んだ理由は。女だから、じゃなくて、きっと、こういうことなんだね。
だけど、もう少し、僕には時間が必要だ。頭では理解していてもね、どうも、心は比例しないようなんだ。この、涙という液体が、君のことを想っても、排出されなくなったら、そうだね、君と、君の妻と、君の子供に、会いに行くよ。それまで、直輝、待っていてよ。
「ああ、社長。これが、届いていました」
森江くんの手には、少し汚れた封筒があって、それは、関口和真からの、エアメールだった。中には数枚の写真が入っていて、一枚の写真の裏に、汚い字で、こう書いてある。
『この子たちは、戦火から逃れた、傷付いた子供たちです』
ここにも、俗畜から逃れた人間がいる。写真の中の関口は、子供達に囲まれ、迷彩服で、ニヤニヤ、ではなく、精悍に、笑っている。
「このキャンプに、いくらかしておいてくれ」
「今月で三件目です」
「下手な広告を流すより、よほど効果的だ」
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