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文芸部の小野塚眞緒は無口
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「小野塚、持ってきたぞ」
部室に入ってきた藤先生は、僕たちの微妙な空気を察す。
「入ってはまずかったか?」
「大丈夫、ですよ」
「小野塚?」
僕が何か言う前に、先輩が言う。
「目、赤いぞ。それに君、」
声出せたのか、と先生が言う。
あ、と今更ながらに先輩が口を押さえる。
そうしても言葉が戻るはずもなく、
「小野塚の声って、」
先生の耳にも届く。
「かわいいな」
「かわいくないです!!」
先輩が叫ぶ。
「そうか」
先輩は顔を赤くしたまま、先生を睨む。
その顔は怒っている中にも、どこか哀しさを含んでいるように見えた。
「小野塚、下巻だ」
「ありがとうございます……」
小声になった先輩が言う。
「じゃあ、頑張れよ」
「せ、先生!」
部室から出ようとした先生を、先輩が止める。
ん、と先生が振り向く。
「あの、……」
「どうした」
先輩は先生の目を見て、手のあたりを見て、床を見る。
無言の空間が通り過ぎる。
なんでもないです、と先輩が消えそうな声を出す。
「そうか」
先生が部室を出る。
先輩はまだ、顔を上げない。
「先輩……?」
その肩が震えているのに気付いたのは、遅すぎたのかもしれない。
「もしかして、先輩の好きな人、って」
こくん。
俯いたまま、首だけがかすかに動く。
「ごめん。顔、洗ってくる」
先輩はそれだけ言うと、部室から出ていく。
ぽふ、と空気が押し出される音がする。
不意に、藤先生の左手が脳裏に浮かぶ。
そこには、光を反射する銀色の。
そうか。
だから先輩は。先輩、は。
先輩は叶わない恋をしていたのだと、僕は気付く。
なんで、僕の告白を受けなかったのだろう。
嘘をつきたくないと、先輩は言っていた。
嘘をつくことは悪いことだ。
でも、その嘘が相手を喜ばせるためなら、誰かが幸せになるのなら、嘘をついてもいいと、僕は思う。
その嘘を一生守り続けることができたら、の話だけれど。
理屈をこねたところで、僕は先輩に言って欲しいだけなのだと思う。
一回だけでもいいから、嘘でもいいから。
先輩の口から、先輩の声で。
すき、のたった2文字だけを聴きたい、と思う。
できることなら、
キィ。
「ただいま」
先輩がドアを開ける。
できることなら。
「もう、大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫。落ち着いた」
まだ赤い目のまま、先輩の表情が緩む。
「なんで、」
「え?」
小声で聞こえなかったです。
「なんで、恋してるんだろうね?」
先輩が、困ったような顔で言う。
僕は言葉に詰まる。こういう時、何と言えばいいのだろう。
「楽しいから、じゃないですか?」
「楽しく、ないじゃん」
先輩がまた俯く。
「じゃあ、恋する意味って、ないのかな」
「ありますよ!」
ある、と僕は信じたかった。
「何?」
「わからないですけど、きっとあるはずです」
「わからないなら、それはないってことなんじゃない?」
ないのなら、僕は恋ができなくなってしまう。
「でも、」
「でも?」
わからないけど。
わからないから。
わかりたいから。
「そのために、小説があるんじゃないですか?」
小説か、と先輩が呟く。
「そうだね」
先輩の顔がゆっくりと明るくなる。
「小説、書こっか」
先輩は椅子に座り、原稿用紙と鉛筆を取り出す。
鉛筆を止めたり動かしたりしている先輩を見ながら、僕は唐突に。
自分でもわからないほど、本当に唐突に。
小説を書こう、って。
裏設定も何もない、普通の小説を。
書いてみよう、と。
僕はそう思った。
完
部室に入ってきた藤先生は、僕たちの微妙な空気を察す。
「入ってはまずかったか?」
「大丈夫、ですよ」
「小野塚?」
僕が何か言う前に、先輩が言う。
「目、赤いぞ。それに君、」
声出せたのか、と先生が言う。
あ、と今更ながらに先輩が口を押さえる。
そうしても言葉が戻るはずもなく、
「小野塚の声って、」
先生の耳にも届く。
「かわいいな」
「かわいくないです!!」
先輩が叫ぶ。
「そうか」
先輩は顔を赤くしたまま、先生を睨む。
その顔は怒っている中にも、どこか哀しさを含んでいるように見えた。
「小野塚、下巻だ」
「ありがとうございます……」
小声になった先輩が言う。
「じゃあ、頑張れよ」
「せ、先生!」
部室から出ようとした先生を、先輩が止める。
ん、と先生が振り向く。
「あの、……」
「どうした」
先輩は先生の目を見て、手のあたりを見て、床を見る。
無言の空間が通り過ぎる。
なんでもないです、と先輩が消えそうな声を出す。
「そうか」
先生が部室を出る。
先輩はまだ、顔を上げない。
「先輩……?」
その肩が震えているのに気付いたのは、遅すぎたのかもしれない。
「もしかして、先輩の好きな人、って」
こくん。
俯いたまま、首だけがかすかに動く。
「ごめん。顔、洗ってくる」
先輩はそれだけ言うと、部室から出ていく。
ぽふ、と空気が押し出される音がする。
不意に、藤先生の左手が脳裏に浮かぶ。
そこには、光を反射する銀色の。
そうか。
だから先輩は。先輩、は。
先輩は叶わない恋をしていたのだと、僕は気付く。
なんで、僕の告白を受けなかったのだろう。
嘘をつきたくないと、先輩は言っていた。
嘘をつくことは悪いことだ。
でも、その嘘が相手を喜ばせるためなら、誰かが幸せになるのなら、嘘をついてもいいと、僕は思う。
その嘘を一生守り続けることができたら、の話だけれど。
理屈をこねたところで、僕は先輩に言って欲しいだけなのだと思う。
一回だけでもいいから、嘘でもいいから。
先輩の口から、先輩の声で。
すき、のたった2文字だけを聴きたい、と思う。
できることなら、
キィ。
「ただいま」
先輩がドアを開ける。
できることなら。
「もう、大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫。落ち着いた」
まだ赤い目のまま、先輩の表情が緩む。
「なんで、」
「え?」
小声で聞こえなかったです。
「なんで、恋してるんだろうね?」
先輩が、困ったような顔で言う。
僕は言葉に詰まる。こういう時、何と言えばいいのだろう。
「楽しいから、じゃないですか?」
「楽しく、ないじゃん」
先輩がまた俯く。
「じゃあ、恋する意味って、ないのかな」
「ありますよ!」
ある、と僕は信じたかった。
「何?」
「わからないですけど、きっとあるはずです」
「わからないなら、それはないってことなんじゃない?」
ないのなら、僕は恋ができなくなってしまう。
「でも、」
「でも?」
わからないけど。
わからないから。
わかりたいから。
「そのために、小説があるんじゃないですか?」
小説か、と先輩が呟く。
「そうだね」
先輩の顔がゆっくりと明るくなる。
「小説、書こっか」
先輩は椅子に座り、原稿用紙と鉛筆を取り出す。
鉛筆を止めたり動かしたりしている先輩を見ながら、僕は唐突に。
自分でもわからないほど、本当に唐突に。
小説を書こう、って。
裏設定も何もない、普通の小説を。
書いてみよう、と。
僕はそう思った。
完
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