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第八章 『黒龍』と『白龍』

『黒龍』と『白龍』1

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 苦しい。龍は『白龍』を見て、そんな言葉を脳裏に浮かべた。自分が苦しいわけではない。この苦しみは『白龍』のものだと、龍は気がついた。
 『白龍』の寿命が短いと見るだけでも『黒龍』である龍には分かっていた。龍は『黒龍』の老人に、転生した『白龍』のことを任されていた。今の『白龍』のことではないが、同じ『白龍』なのだ。だから、龍は対である『白龍』を助けたいと思った。しかし、今はじめてみる『白龍』に、どうすることも出来ないと分かる。寿命は、どのような生き物にも訪れるものなのだ。たとえ、『不死鳥』である悠鳥にも遅くても訪れるものだ。それが、早いか遅いかの違いなだけだ。
 そのため、弱った『白龍』はスカジの呼びかけを無視することが出来なかったのだ。自分が新たに『白龍』として転生をするか、別の存在に『白龍』となってもらうかのどちらかだったため、時間のない『白龍』は呼び出された。『白龍』の体は呼ばれたことに素直に従ってしまったのだ。
 『白龍』本人が、スカジは嫌だと思っていてもどうすることも出来ないのだ。寿命で死ぬ前に決めなければいけないこと。しかし、『白龍』はまだ決めていなかったのだ。決めていれば、呼ばれても呼び寄せられることはなかったかもしれない。
「何をするつもりだ!」
 両手を空へと掲げたままのスカジに龍が声をかける。睨みつけられているスカジは、口元に笑みを浮かべている。その目は狂気に満ちている。
 しかし、龍の言葉にスカジは何も言わなかった。まるで、見ていれば分かるとでも言うように一度龍を見てから頭上にいる『白龍』へと視線を向けて口を開いた。
「さあ、『白龍』よ! 私の呼びかけにより姿を現したのなら分かるだろう。次の『白龍』は……この、私だ!!」
 そう言いきったと同時に、スカジと『白龍』の体が光り輝いた。白く光る『白龍』と、黒く光るスカジ。だが、まるで嫌がるように『白龍』が首を振った。僅かに体も動かしているが、弱っているためにあまり動いてはいない。だが、僅かな抵抗のお陰かスカジが予想していなかったことが起こったようだった。
「くそっ! 無駄な抵抗を……。まあ、良いでしょう。弱って抵抗も出来なくなるまで……貴方と遊びましょうか」
 そう言って、スカジは黒いローブの下から一本の刀を取り出した。スカジが刀を使えるとは思っていなかった龍は、僅かに目を見開いて太刀を抜いた。両手で握りしめて、スカジが向かって来たらすぐに対応出来るように目を離さない。
「私は剣術は得意ではありません。ですが、貴方の相手ぐらいは出来るでしょう」
 そう言ってスカジは笑みを浮かべると、龍に向かって来た。見た目よりも素早い動きで龍へと迫って来るスカジは、両手で握る刀を上げて龍へと勢い良く振り下ろした。それを太刀で受け止める龍にとっては、スカジの振り下ろした刀は難無く受け止めることが出来た。
 龍の太刀とスカジの刀のぶつかる甲高い音が響いた。スカジは何度も刀を高く上げては振り下ろすという行動を繰り返す。それを受け止めながら、龍は少しずつ後ろへ下って行く。
 高笑いをしながら刀を振り下ろすスカジは、体重をかけてくる。隙があるので、隙をついて小太刀で攻撃をしても良いのだが、動きが素早いのでかわされてこちらが刀の攻撃を受けてしまう可能性が高い。
「どうしました? 反撃してこないんですか!?」
「……そんなことよりも、『白龍』を解放しろ!」
「解放? そんなことをするくらいなら、私が『白龍』になりその力を受け継ぎますよ!! だから、ここに呼んだ!!」
 そう言って、上から振り下ろしていた刀を横に薙いだ。突然の動きに龍は、右足で強く地面を後方へ向かって蹴って飛んだ。そのため、スカジの攻撃を受けずにすんだ。まさか、振り下ろしていた刀の向きを突然変えてくるとは思わないだろう。
 もしもスカジの行動を注意して見ていなければ、気がつくことに遅れて腹に刀が食い込んでいたことだろう。龍はゆっくりと息を吐く。
「私の『マンティコア』を倒したのは、あの『不死鳥』でしたよね……」
「……それが、どうした」
 スカジの言葉に、龍は僅かに言葉を詰まらせながら答えた。やはり、『マンティコア』を召喚したのはスカジだったのだ。ビトレイが召喚術を使えないのなら、スカジしかいない。自分の召喚した存在を、倒されたことによりスカジは悠鳥に腹を立てているのかもしれない。だから、龍に呟くように問いかけたのかもしれない。しかし、龍の言葉にスカジは何も返さなかった。だから、龍は問いかけた。
「あいつは、お前の使い魔だったのか」
「使い魔? 違いますよ。彼とは、条件が一致しただけです。ですから、彼は私が呼んだときに来てくれるのです」
 契約をしなくても条件が一致した場合、召喚魔のように呼んだときに現れることがあるという。しかし、それはほとんどないといっても良い。それならば、スカジと『マンティコア』はどのような条件が一致したのか。その龍の考えが分かったのか、スカジはにやりと笑い刀を振り下ろした。
 龍はその刀を受け止めた。先程よりも力強く、弾くことも出来ない。どうにかしてスカジの刀を弾こうとする龍を見て、上からさらに力を込めるスカジは口を開いた。
「知ってますか? 昔、この国の図書館から本が盗まれたことを」
「あ!? その所為で、図書館の扉が重くなったんだ、よ!」
 そう言って龍は、スカジの刀を弾き飛ばした。だが、弾き飛ばす瞬間スカジが力を抜いたことに龍は気がついていた。スカジは右手から力を抜いて、左手で顔を覆って空を見上げて小さく笑っていた。
 突然そんなことを言うということは、スカジは誰が本を盗んだのかを知っているのだろう。スカジ本人が盗んだのかとも思ったが、本が盗まれたのは昔だったはずだ。それならば、盗んだのはスカジではなく別の者となるはずだ。
 いったい、図書館の扉を重くする原因となった人物は誰なのか。魔物だけが扉を重く感じるようになったということは、盗みに入ったのは魔物ということになる。それならば、魔物は誰かの使い魔と言うことだろう。何故なら、人間の本を魔物がわざわざ盗む理由がないからだ。文字を読めない魔物が多く、本を盗む理由がない。そう考えれば、契約主の命令で本を盗んだということになる。
 誰が何の理由で盗ませたのか。スカジはそれを知っているのだろうと分かった龍は、答えてもらえるとは思っていなかったが尋ねることにした。警戒を忘れずに刀は強く握ったままだ。
「本を盗んだ魔物は何者だ!? いったい、誰の使い魔だったんだ」
「私がこちらへ来る前のことですので、私も聞いた話しですが……禁書を盗む予定で、猫型の使い魔に頼んだら違う本を持って来てしまったようなんですよ。ですから、私がこの図書館で盗む予定だった禁書を読んでいたんです」
 それは、エリスが言っていた以前スカジが読んでいたという禁書の魔物との融合方法が書かれていたもののことだろう。本来はそれを盗む予定だったが、違う本を持って行ってしまったようだ。また盗もうと思っても、すでに対策されてしまっており盗みに入ることも出来なくなってしまったのだ。
「因みに、その魔物は契約主が言った本とは別の者を持ってきたために、契約主に殺されてしまったようです。本はその男が何処かへ捨ててしまい、のちにその男は病死。さらにその男は、私の前にビトレイと共に国の乗っ取りをしようとしていた者だったそうですよ」
 スカジの前に、ビトレイは別の者と国の乗っ取りを計画していたようだ。しかし、その者が死んでしまったことにより計画を実行することが出来なくなったようだ。だから、城で召喚士見習いとしてビトレイ自身が魔物を召喚しようとしたのだろう。しかし、彼には召喚士としての能力がなかった。だから、魔法マジックアイテムを使い召喚した。
 偶然にもスカジが召喚されてしまったが、それでも漸く計画を実行することが出来ると思ったビトレイは、スカジと共に城を飛び出したのだ。
「『マンティコア』は、強い魔物、珍しい魔物を倒せれば良いと言ったのです。ですから私は、『黒龍』を倒してもらおうと考えたのです。あの日、図書館で貴方の姿を見なければ『マンティコア』を召喚することもなかった」
 スカジの言葉に龍は納得してしまった。『マンティコア』は強い魔物や珍しい魔物を倒したいと思っていた。そしてスカジは、『黒龍』になるために現在『黒龍』である龍を倒してもらおうと考えた。国境戦争のあの日、『黒龍』だった龍に襲い掛かって来た『マンティコア』。彼は、珍しい魔物を倒せることに喜びを感じていたのだろう。
 だが、どうして背後から火炎弾ファイア・ボールで龍を狙ったのか。『マンティコア』程の強い魔物であれば、手助けは必要ないはずだ。それに、手助けをされたことに『マンティコア』は起こるのではないのか。
 珍しい魔物を倒せることに喜んでいた『マンティコア』。それを邪魔されたとは思わないのか。それに、もしも龍が『黒龍』になっていなければ、『マンティコア』を召喚しなかったというような言葉。はじめて龍と会った日、『黒龍』を見なければ今のようになっていなかったのか。
 いや、どんな道をたどっていても同じ結果になっていただろう。国境戦争が起こっていなかったとしても、スカジが『黒龍』を諦めて『白龍』を呼ぶ結果は変わっていなかった。何故なら、前代の『黒龍』だった老人は、邪な心を持つスカジの呼びかけに答えなかったのだから。龍が『黒龍』になっていなければ、彼がもう一度『黒龍』になっていただろう。そうすれば、スカジは元気な『黒龍』よりも、弱った『白龍』を狙っただろう。結果は、今と変わらない。どの道をたどっても、今のようになっていただろう。
「『マンティコア』は強い魔物や珍しい魔物を倒せれば良かった。たとえ誰かに邪魔をされようと、手伝われようと、最終的に自分の攻撃で倒せれば良かったんです。……それなのに!!」
 刀を強く握り叫ぶスカジ。彼は、もしかすると龍を倒せたかもしれない『マンティコア』を邪魔しただけではなく、一撃で倒してしまった悠鳥へ苛立ちを募らせていたようだ。
「あの『不死鳥』には、お礼をしなくてはいけませんね」
 お礼。それが言葉通りのものではないことに龍はすぐに気がついた。もしもここで龍が負けてしまい、スカジが悠鳥の元へ行ってしまったら、そこにいるであろうエリスやアレース、メモリアも被害にあうだろう。それだけは避けなくてはいけない。
 悠鳥は炎の進行を止めるために、今現在も力を使っているのだ。疲れていないはずがない。龍が負けて、スカジが向かったら。きっと悠鳥はエリスたちを守りながら戦うだろう。エリスも守られているだけではないとしても、使い魔として主であるエリスと国王であるアレースを守るだろう。たとえ、それで自分が死んでしまうとしてもだ。
「行かせるはずがないだろう!!」
「ここで私を止めることも出来ないくせに何を言うんですか? おかしな人ですね。あ、『人』ではないですね。申し訳ありません」
 くすくすと笑うスカジを睨みつける。怒りにより、刀を強く握り歯を食いしばる。だが、怒りにまかせて刀を振り上げることはなかった。そんなことをすれば、簡単に負けてしまうことが分かっていたからだ。
 スカジを止めれないのは本当なのだ。こうしてスカジと刀を交えても、『白龍』の苦しみを解消することも、炎を消すことも出来ていないのだから。
 どうしたらスカジを止められるのか。睨みつけながら考えるが、思いつかない。最悪、スカジを殺すしか方法はないのだが、刀がスカジに届くわけでもない。剣術が得意ではないと言っていたが、それは龍も同じだ。
 体が覚えていたとしても、今の龍自身には技術がない。スカジが言う通り、龍の相手は出来るのだ。得意ではないと言っても、スカジはビトレイに剣術を教えてもらっていた。しかし、龍は誰にも教えてもらっていない。それだけでも、実力には差があるのだ。
 素早いスカジの隙をついて、腹に一撃でもと思うが隙がない。逆に、隙をつこうとする龍に隙が出来てしまう。
「ねえ、龍さん」
 現状にそぐわない優しい声色でスカジは龍に声をかけた。その眼差しは、気味が悪い程優しいものだった。何を考えて、何を言おうとしているのか。龍には分からず、ただ刀を強く握るだけだった。
「勝ち目もないそちらの味方でいるよりも、私たちの味方になりません?」
「なん……だと?」
「そうですよ。それが良いですよ。そうすれば、私は『黒龍』を手に入れたも同然。龍さんが私たちの仲間になってくだされば、『白龍』を解放しても良い。そして、一緒にこの国を乗っ取りましょう。その次はクロイズ王国。さらには他の国も乗っ取って、私たちが世界を支配するのです!! 最終的には、私と龍さんが生まれ育ったあの世界を支配しましょう!!!」
「!!!」
 いったい何を思って、国の乗っ取りをしようと考えたのか。自分たちの思い通りになる国を作り、世界をもそうしようとしているのか。それだけではなく、龍が生まれた世界――異世界までもを支配しようという。龍がスカジたちに協力すれば『白龍』を解放すると言葉では言っているが、そんな保証はどこにもない。スカジのことだから、『黒龍』を手に入れてみずからは『白龍』を手に入れようとするだろう。
 『白龍』を助けたいとは思うが、スカジたちへは協力することなんか出来ない。それに、龍は国の乗っ取りなんか興味がないのだ。誰も傷つかず、平和に暮らしていければ良いと考えているのだ。それが絶対に無理だということは分かっている。だが、龍の逆の望みでもあることに協力なんか出来るはずもなかった。
 もしも協力してしまえば、自分を信じて待つエリスたちを裏切ることになる。それだけではなく、異世界に住んでいる施設の優しい女性や親友までをも危険な目にあわせてしまう。そんなことには巻き込みたくはなかった。
「断る!! 俺は、お前を止める! そのために、ここにいるんだ!!」
 そう言って、スカジへ向かって行く。言葉と同時に無意識に両腕から黒い炎が現れ、刀に纏わりついたのが視界に映ったが気にすることはなかった。
 しかしスカジは驚いたようだった。反応が少し遅れたスカジは、右手の振り下ろされた太刀を刀で受け止めたが、左手の小太刀を受け止めることは出来なかった。
 左手の小太刀は、右手の太刀が振り下ろされたタイミングにワンテンポ遅れて横薙ぎに払ったのだ。だから、スカジは一本の刀では受け止めることが出来なかったのだ。
 受け止めた太刀を弾いて後退りをしようとするが間に合わない。それでもスカジは諦めなかった。両手で握った刀に力を入れて、黒い炎が自分の刀に纏わりついてくることにも気にすることなく弾いて、地面を蹴り後退りをしたのだ。
 だが、やはり避けるには間に合わなかった。小太刀が腹に食い込む感触を感じながら、後退りをした。左手で腹を押えるスカジだったが、血がぼたぼたと滴る。刀に纏わりついていた黒い炎を、刀を振ることで振り払い、左手で服を燃やす黒い炎を消すと、また腹を押える。今度は強めに。そうしなければ、血が勢い良く流れるのだ。
「ふははっ。やはり、避けきれませんでしたね。ですが、刀が逆だったら今の攻撃で私を殺せたのではないですか?」
 小太刀での攻撃により血が流れて止まらないスカジの言う通り、太刀であればスカジを殺せた可能性は高い。太刀であれば、もっと深く斬ることが出来たのだから。
 人間を斬った感触により、龍の手が僅かに震える。スカジを止めるには殺すしかないにしても、人間を斬るのは恐怖だった。たとえ、多くの人を助けるためだとしても殺人をしようとしているのだから。恐くないはずがないのだ。
 そんな龍の震える手を見てスカジが笑う。自分を斬りつけておいて、何を震えているのだと思ったのだ。
「刀を持っている時点で、人を殺すかもしれない事態が起こるかもしれないのに、そんな覚悟もなかったんですか? 国境戦争のときは持っていませんでしたが、3人を相手にしていたときは持っていましたよね? 殺さない自信があったのですか? それとも、ずっと峰で攻撃するつもりだったんですか? 私に刀を向けていたのに、『白龍』を解放しようとしているのに、そんな覚悟もなかったのか!!」
 覚悟はしていた。いつか、この刀で人を殺さなくてはいけないときが来ると。人ではなくても、魔物を殺さなくてはいけないときが来ることを覚悟していた。それなのに、震えが止まらないのだ。
 覚悟することと、実際にやろうとするものでは気持ちが追いつかないのだ。スカジを止めなくてはいけないのに、龍は僅かに『殺さなくて良かった』と思ってしまっていた。







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