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陽彩の力
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「陽彩。まずは其方の呪力について詳細に知っておく必要があろう」
「呪力? って、このお腹のあたりでぐるぐるーってしてるやつのこと?」
「其方はそのように感じるのだな。それは内に眠る呪力だ。その力で鬼を倒してきた。そうだな?」
「うん。鬼を前にすると勝手に力がぐわーって湧いてきて、勝手に言葉が出てくるから、その言葉に力を乗せてる、みたいな感じ」
「うむ。其方はその力がとてつもなく強い。それこそ、晴明と同等、もしくはそれ以上だ」
「晴明さんって強かったんだよね?」
「ああ。晴明は呪力を制御しながら、長い時間、数十年、戦い続けた。しかし……」
「しかし?」
「いや。なんでもない。陽彩、其方は晴明と同じだけの呪力を帯びているからこそ、やらねばならぬことがある」
「その、制御ってやつ?」
「そうだ。呪力を自在に操る力を身につける」
「あやつる?」
「うむ。其方は今、湧き出る力を言霊に乗せ、その力全てを使っている状態だ。これが意味することは分かるか?」
「?」
「其方は、もうすぐ死ぬ」
「死ぬ!?」
「そうだ。強すぎる力は、やがて自身の身を滅ぼす。だから陽彩、其方は力を上手く操り、その時々に応じて、必要な呪力だけを解放する術を身につけねばならぬ」
「朧は、なんで僕にそんなこと教えてくれるの?」
「……其方には、長生きしてもらいたいからだ。それ以外にあるか?」
「……なんで、長生きしてほしいの?」
僕はずるい。ほしい回答を知っていて、この質問をしている。
そのとき、僕は思った。
朧が僕のほしい答えを言ってくれたら、呪力を操る術を覚えようと。
しかし、そうでないときは……
朧は、即答した。
「家族だからだ」
一瞬、息が詰まった。
その回答は、僕の中では半分正解で、半分間違っている。
「大切な、家族だからだ」
朧は言い直した。そして、
「おぼろ?」
「言うたであろう。私は陽彩の家族になると。それは義務でも何でもない。人間嫌いな私が、同情で『家族になる』などと言うと思うか? 有り得ぬ。私は、其方が大事なのだ」
想像以上の答えが返ってきて、陽彩は何も言えなくなった。
僕、こんな泣き虫だったかな。生まれて五年、涙の一粒も流したことのなかった僕が、朧にはもう三度も泣かされている。
人間が嫌いで、晴明の式神として生きた数百年前から、独りで鬼を討伐してきた朧。そんな朧が、同情ではなく、僕自身を案じて、こうして生きる術を教えてくれている。それがどんなに情深いことか。
朧自身はまだその感情に追いついていないとしても、僕には分かる。
朧は本来、慈愛の心を持った者であるということを。
「朧、大好き」
「!? 藪から棒にどうした」
「ん、言えるときに言っておきたいなと思って」
「そんな、これから死にに行くような言い方をするでない。悲しいではないか」
「僕が居なくなったら、寂しい?」
「ああ、寂しいとも。家族を失う寂しさがどれだけのものか、もう想像できるであろう?」
「うん。朧がいなくなったら、僕、寂しい」
ぎゅっと抱きついていた手を握られ、緋色の瞳が僕の目を見つめる。
「死ぬな、陽彩。力を調整できれば、其方は長生きできる。それだけの力があれば、鬼の壊滅も夢ではない。共に戦おう、陽彩」
「……うん。僕、頑張るね」
微笑む朧は僕を抱きしめてくれた。耳を通じて聴こえる心音は、とても優しかった。
「陽彩。これを」
「? 朧が付けてる耳飾り……くれるの?」
「ああ。片方ずつ、互いに付けていよう。これは晴明が作ってくれた特別な耳飾りでな。ある程度、呪力を制御し、貯めておけるようできている」
「す、ごい……。そんな大事なもの、僕にくれていいの?」
「もちろん。むしろ晴明も喜ぶであろう。良いか、陽彩。その耳飾りは外すな。外すのは自分の命が危うくなったとき、全呪力を解放せねば敵わぬ相手と対峙したときのみだ。でなければ、自身の身を滅ぼすことになろう。私も、いつか来る鬼の始祖との最終決戦に向けて、この耳飾りに力を貯めているのだ。しかし陽彩。其方の力も必要となってくるのは間違いない。だから、」
頼む、と、僕に向かって膝をついた。
「やめて朧! うん、分かったよ。僕もできるだけ力を貯めて、朧の役に立てるように頑張るよ」
「……感謝する」
そして、朧からもらった耳飾りを右の耳に付けた。
これは、僕が生きる証でもある。
「ありがと、朧」
今度は僕が、朧を抱きしめた。
朧、僕生きるよ。朧がくれた命、大事にするよ。
そして戦おう。どんな鬼にも負けないくらい強くなって、朧の願いは僕が叶えるんだ。
「朧、僕からもひとついい?」
「うむ、何だ?」
「これ、朧に付けててほしい」
「これは……」
「うん。僕が生まれたときから唯一持ってるもの。町の人たちは怖がって、壊すことも供養もしなかったらしくて。持ち主も特定できなかったから、ずっと僕のそばに置いといたんだって」
それは、黄金色の勾玉に真紅の球体がついた首飾りだった。ずっと身につけていたのは、なんとなく安心できたから。でも、
「今の僕には朧が居てくれるから。大切な朧に、僕の大切なものを持っててほしいの」
「わかった。では、其方が首にかけてくれるか?」
「! うん!」
屈んだ朧の首に、僕が付けていた首飾りが掛かった。
「えへへ。朧、似合うよ」
「そうか。それは良かった。ありがとう、大切にする」
僕は耳飾りを、朧は首飾りを、互いに大切なものを交換した。
絆がより深まった日であった。
◆
朧から力の制御と操る術を教わり、それを我が物と出来る頃には、陽彩は熱を出して倒れることはなくなった。
時に朧が前へ出て、時に朧が陽彩に力を与え、共に鬼を討伐する日々を過ごした。しかし、鬼は途切れることなく生まれてくる。
一体どうすればこの連鎖を断ち切れるのか、陽彩は考えるようになった。
それを朧に尋ねると、朧の顔が一瞬、曇ったのが分かった。
「ねえ朧。いつかさ、鬼がこの世から居なくなって、太平の世が来たらさ……」
続きは、言えなかった。
今の僕では無力すぎる。朧のほうがずっと強くて賢くて、僕は守られるばかり。
だから、大きくなったら言うね。
だから、早く大きくなるね。
◆
まだ腕の中にすっぽり収まり、顎を乗っける位置に頭頂部が来ていた頃が懐かしい。
それがまさか。
「朧! ただいま!」
そう言って、陽彩の胸元に額が当たった。
見上げる首が痛い。
「屈め!」
「あ、ごめんごめん。朧、ただいま」
そう言って、素直に屈んで私の手を取る青年。
まさか、こんなに大きくなるとは思いもしなかった。
屈んでも、縁側に腰掛けている私と目線が合うほど大きくなった少年、いや青年こそ、大粒の涙をぽろぽろと流していた少年陰陽師、陽彩である。
まさか、こんなに大きくなるとは思いもしなかった(二度目)。
ふたり、縁側で氷菓子を口にしながら、今日の出来事を報告し合う。
「こちらはそこまで凶暴な鬼ではなかった。一撃で仕留められたし。朧のほうは?」
「ああ。私も同じだ。ただ、数が多い。最近やたらと鬼の数が増えている」
「不吉だな。もう鬼を討伐できるのは朧と私くらいなものだ。本来、共に行動するはずの陰陽師と式神が離れて討伐していること自体、稀なのだから」
陽彩は十八になった。
出逢いから十三年。呪力の込め方、使い方、発動の威力などを一から教え、陽彩はそれをみるみる吸収し、最小限の力と最小限の被害で鬼を討伐できるまでに成長した。
陽彩が言ったように、本来、陰陽師と式神は共に行動し、共に鬼を討伐する。しかし、互いに類い稀なる力を持ったふたりは、鬼の討伐数を優先し、別行動を取っていた。
まあ、今の陽彩ならちょっとやそっとの力で敗れるほど柔ではない。百八十近い背丈に、細身の割に筋肉質な身体つき。素手で鬼と張り合えそうなものだが、陽彩は『身体に傷をつけてくると、朧が異様なほど心配するから』という理由で、肉弾戦を好まぬ陰陽師であった。
「疲れたか? 少し眠るか」
「んー……、ん。じゃあ、少し……だけ…………」
そう言いながら、朧は氷菓子の棒を握り締めて眠りについた。私はその棒をそっと手から抜き取り、陽彩の隣に横たわった。私も少々疲れた。一緒に眠るとするか。そして眠りにつく直前、陽彩の腕の感触が私を包んだ。
「陽彩?」
「……」
寝息が聞こえる。よほど疲れたようだ。無意識に私を手繰り寄せて抱きしめたのか。こういうところはまだまだ子どもっぽくて可愛らしい。陽彩は私の尻尾の一本を枕、一本を抱き枕にして寝るのが好きだった。成長してからさすがにしなくなったが、こうして人肌を求めるところは変わらない。私はその姿に安心感を覚えた。
夏とは言え、夜は涼しい。私は尻尾で陽彩を包み、目を閉じた。
「……可愛いな」
朧の寝息が聞こえたところで、陽彩は目を開け、朧の額に口付けた。
「ごめんね。私はこんなことするくらいには、大人になったんだよ」
流石に、唇に触れるのは気が咎められる。もう一度、額に口付けを落とし、朧が起きない程度の力で、朧を抱きしめた。
大切な朧。大好きな朧。その想いは昔から変わらない。
でも、その想いの種類が、昔とは異なる気がする。
朧に触れたい。
甘えてくっつくのではなく、この腕の中に朧をおさめて、甘えさせたい。
そんな想いを抱えていると知ったら、朧はどう思うだろうか。
幻滅するかもしれない。
朧にとって、私は子どもだ。いつまでも、朧の子どもなのだ。
私にとっても、朧は母だ。いつまでも、私の母であるのだが。
分かっている。この想いは伝えてはならない。
でも、想うことだけは許してほしい。
ごめんね、朧。
それでも私は、朧の隣に居たい。
あの出来事があった日から、私はそう決めたんだ。
◆
時は十年前に遡る。
陽彩が十になった夏のこと。私と陽彩が初めて別々に鬼の討伐に赴いた際、陽彩は傷だらけで帰ってきた。力はほぼ空の状態、ありとあらゆる箇所に傷をつけ、大量出血して戻ってきたのである。戻ってこられたのが奇跡と思うほどに。
「ひ、陽彩!? どうした、何があった!」
「な、っんでも、ないよ……ただ、ちょっと、つよい鬼にあたっちゃっただけ……」
私に治癒の力はない。庭先で倒れ込んだ陽彩を担ぎ、毎日懸命に看病をした。
あとは陽彩の生きる力に賭けるしかなかった。
しかし、息は荒くなるばかり。どうすればいい。どうすれば。
陽彩が居なくなるかもしれない。たったひとりの家族が。そう思うと、胸が潰れそうなほど痛んだ。
「陽彩。頼む。戻ってきてくれ……」
人の涙は見たことがある。しかし、自身が涙を流したことはなかった。
目の前の大切な人を失うかもしれない恐怖で、朧は初めて涙を流した。
その涙が、陽彩の左眼にぽつっと落ちた。
すると、
「あ、あぁ……っ!」
「陽彩!?」
突如、陽彩から生命力が漲った。
何の作用かは分からぬが、おそらく左眼に宿る“護る力 ”が働いたのであろう。
見る見るうちに傷が塞がり、意識が朦朧としていた陽彩の瞳に、魂が宿った。
「陽彩!」
「お、ぼろ……?」
「陽彩! 良かった、良かった……!」
「ふふ、朧の髪くすぐったいよ」
不思議な体験だった。陽彩を失うかもしれない恐怖が魂を揺さぶった。私の命を捧げても良い、だから陽彩を助けてくれ。そう願った瞬間、魂の一部が涙となり、陽彩に零れ落ちた感覚だった。その一部を陽彩が吸収し、自身の一部とした。拒絶することなく、ひとつとなった。
出逢ったときから思っていた。召喚に応じたのは気まぐれであったが、目が合った瞬間に魂が揺さぶられたことをよく覚えている。そのときは分からなかったが、離れ離れであった魂たちがようやく再会したとでも言うような。
私たちは出逢うべくして出逢った、そう思ったのである。
陽彩の容体が落ち着き、話せるまで回復したのち、私は陽彩をここまで追い詰めた鬼について尋ねたが、意識が朦朧とした中で記憶を落としたのか、何も覚えていなかった。ただひと言、
「鬼の“しそ ”、って言ってたような……?」
……しそ、始祖だと?
まさか、そんな……
「っ……し、そ…………」
「ねえ、しそ、って、朧が前に言ってたよね?」
隠しておくわけにはいかぬであろう。私は腹を括り、全てを話すことを決めた。
それを聞いて、陽彩がどのような決断を下そうとも。
「……始祖とは、始まり。始まりの鬼。つまり、私たちの最後の敵、ということだ」
「始まりの鬼……鬼の先祖ってことだね。そっか」
「そう。この世の鬼を生み出す鬼の母とでも言うべきか……」
話しながら、血の気が引いていくのが分かった。手は氷のように冷たい。
「朧? ねえ、顔真っ青だよ? 大丈夫?」
「あ、ああ……心配ない」
「その……ごめん、ね? 始まりの鬼ってことは、その……、朧のお母さん、ってこと?」
私は目を見開いた。出自を話したことがあったであろうか。陽彩が覗いたのは、晴明との過去だけであったはず。私が鬼であると、いつ知った?
「……知っていたのだな」
できれば知られたくなかった。
陽彩は陰陽師。鬼を討伐する者。本来、そんな陽彩と一緒に居て許される存在ではないと、とうに分かっていたはずなのに。軽蔑されるのが怖くて、恐れられるのが怖くて、私は言い出せなかった。私が鬼だと知って、陽彩にどう思われるのか、想像しただけで怖かったのだ。
「その、朧が鬼だってことは、初めから分かってたの。生き物全部、気配というか、そういうのが違うから。朧は、鬼と同じ気配だったから」
「……っ。そ、うか。初めから……」
「ごめんなさい。朧は隠したがってるの分かってたから、言い出せなくて」
「其方が謝る必要はない。謝るのは私のほうだ。黙っていて済まなかった。陽彩を騙そうと思っていたわけではないのだ。其方は鬼を倒す者。私が鬼だと知れば、其方は倒さざるを得ない。陽彩にそんな責務を負わせたくなかった……だから、言えなかった」
違う。そうではない。言えなかった本当の理由は、
「ううん、いいの! 言いたくないことは言わなくていいよ、朧。お母さんのことだってそうでしょ? 聞かされてなかったからって、僕は朧を嫌いになったりしないし、朧に対する気持ちが変わることもないよ。僕の大好きな朧だよ」
「ひ、いろ……」
その真っ直ぐな想いが、
「それに、朧はただの鬼じゃない。鬼を倒す、鬼神だよ」
「鬼神……」
「そうでしょ? 朧は、僕と一緒に鬼を倒してくれる、僕のたったひとりの身内。家族。それは変わらないでしょ?」
変わってしまうのを恐れていたからだ。
しかし、鬼と知っても、陽彩は変わらないのではないか。変わらず家族だと、言ってくれるのではないか。そう、心のどこかで信じていた。
「……ああ。変わらぬ。私は其方と共に戦う者。其方の式神。其方の、家族だ」
家族。その言葉が、今の私にどれだけの喜びを与えてくれるか。
「ありがとう、陽彩」
お礼を言うと、陽彩の温かい手が、私の冷たい手を包んだ。
「朧の手はいつも冷たいね。でも今日はいっとう冷たい。緊張、してたんだよね。ありがとう、朧。話してくれて。でも、これで分かったでしょ? 僕は朧を倒そうなんて間違っても思わないし、朧が消えるくらいなら、僕も一緒に消えるよ」
「ならぬ! それはならぬ、陽彩。鬼を倒せるのはもう其方しかおらぬのだ。他の陰陽師は当てにならぬ。陽彩、其方の責務はいささか重すぎるかもしれぬが、それでも、其方しかおらぬ。私の母、鬼の始祖を倒せるのは」
「朧……、お母さんを倒すって……、本気なの?」
「無論。私はそのために生きてきた。母を倒して全てが終わるわけではなかろう。母の放った鬼は闊歩し続ける。しかし、母を倒せば新たな鬼が生まれることはもうない。だから陽彩。頼む」
額を床につけ、声を絞り出し、懇願した。
「母を……共に倒してほしい」
太平の世を築くために。
「……うん。分かった。分かったよ、朧。倒そう、ふたりで。僕、今回は思いっきり負けちゃったけど、もっと力をつけるから。朧と一緒ならできる気がする。僕、頑張るよ」
だから顔を上げてと、陽彩は優しく声をかけた。
出逢った頃より、緋色は深く、瑠璃色はより美しく輝いていた。
まだ十の少年が、自身の命をかけた戦いに身を投じている。そのことには胸が痛んだが、陽彩ほどの力を持った陰陽師が、今後生まれてくるとは思えない。
だから私は陽彩に賭けた。私の全ての力と陽彩の力を合わせて、母を倒す。
陽彩と共に、未来を生きるために。
◆
僕はその戦いのことをよく覚えていない。
とても強い気配を感じ駆けつけると、他の鬼とは佇まいが異なるような、異様な鬼が立っていた。立っているだけなのに、鳥肌が立った。
勝てない。
直感的にそう思った。
でも、僕は戦った。どう戦ったかは覚えていない。
ただ、呪力を解放し、全力で戦ったのに足元にも及ばなかったことだけは覚えている。
「貴様。もしや……の……か。であれば、再び巡り会うことだろう」
「ま、て。なんて……今、なんて言った……。おまえ、は……」
「私は鬼の始祖。今の貴様では話にならぬ。鍛え直してこい」
森に霧が立ち込め、晴れたときには鬼は消えていた。
肝心なところが聞き取れず、でも「しそ」という言葉だけはやたら耳についた。
どういうことだろうか。しそとは何だろう。
いや。考えるのはあとだ。帰らなきゃ、朧のところへ。
遅くなってきっと心配してる。家の外で、今か今かと待っているに違いない。
僕は鉛のような足を前へ前へと動かし、夜明け頃にようやく、家まで辿りついた。
「ひ、陽彩!? どうした、何があった!」
「な、っんでも、ないよ……ただ、ちょっと、つよい鬼にあたっちゃっただけ……」
何か言ってた気がするけど、聞こえなくて。
ごめんね朧、心配かけて。
ごめん、ごめんね。
その言葉は口から発せられることなく、僕は重い瞼を閉じた。
夢を見ていた。朧と初めて出逢った日のこと。
僕は、僕を殺してもらうために朧を召喚した。
でも朧は、僕を生かした。心の奥底に秘めた願いを叶えてくれた。
朧が僕に触れたとき、僕は不思議な体験をした。
僕の心が、魂が、叫んだ。
“この人は僕。僕はこの人 ”
僕たちは出逢うべくして出逢ったんだと分かった。
僕に欠けていたものは、この人が埋めてくれるんだって分かった。
この人じゃないとだめなんだって、分かったんだ。
遠くから、僕を呼ぶ声が聞こえた。
ひいろ? 僕を名前で呼ぶのは、ひとりしかいない。
「陽彩」
僕に名を与えてくれた、朧しかいない。
そのとき、左眼に温もりを感じた。
朧、泣いてるの?
大丈夫、僕は死なないよ。だって、約束したもん。
僕は生きる。朧がくれた命を大切にする。
何があっても、僕は朧のもとへ帰るんだ。
「あ、あぁ……っ!」
朧の記憶を視たとき、晴明が左眼の力を朧に与えて、命を繋いだことを思い出した。
この瑠璃色の瞳は、護る力。
朧の涙が瑠璃色に零れ落ち、左眼から頭へ、そして全身へ巡る。
生命力が湧いてくる。
朧の涙は、朧の魂の一部。それが、自分の一部となって溶けて混じった。
僕の中に、朧が生きている。
「お、ぼろ……?」
「陽彩! 良かった、良かった……!」
「ふふ、朧の髪くすぐったいよ」
朧は額を床につけ、艶めいた綺麗な髪が床に散らばった。そして願ったのだ。母を一緒に倒してほしいと。僕はその願いを引き受けた。僕は母の愛情を知らない。だから、朧の気持ちが痛いほど分かる。実の親を憎まなければならない苦しみが。
僕には朧という母が居るが、朧には居ないのだ。だったら僕が。僕が朧の家族として、朧の願いを叶える。
朧と共に、未来を生きるために。
だから、朧。
僕ね、朧の話を聞いたときから決めてたことがあるんだ。
もしも、もしもね、朧が、窮地に陥るようなことがあったとしたら。
僕は迷わず、僕の左眼を差し出す。
晴明さんのように、朧を護る。
でもね、それだけじゃきっとだめで。
鬼は、倒したら塵となって消えてしまう。
もしも、もしもね、朧がそんなふうに、塵になってしまったら、
僕は悲しみの奥底から、もう二度と戻ってくることはできない。
だから、そのときは。
僕の中に眠る、もうひとつの力を、朧に捧げる。
それで、僕の命が尽きようとも。
◆
ふたりで過ごしたときは決して長くはない。
十三年。本当はもっと一緒に居たかった。
共に太平の世を歩みたかった。
しかし、母に逆らった天罰なのであろうか。
私には、願う資格さえもなかったのであろうか。
陽彩。其方の、君の母として、家族して、最期の言葉を遺しておきたい。
「呪力? って、このお腹のあたりでぐるぐるーってしてるやつのこと?」
「其方はそのように感じるのだな。それは内に眠る呪力だ。その力で鬼を倒してきた。そうだな?」
「うん。鬼を前にすると勝手に力がぐわーって湧いてきて、勝手に言葉が出てくるから、その言葉に力を乗せてる、みたいな感じ」
「うむ。其方はその力がとてつもなく強い。それこそ、晴明と同等、もしくはそれ以上だ」
「晴明さんって強かったんだよね?」
「ああ。晴明は呪力を制御しながら、長い時間、数十年、戦い続けた。しかし……」
「しかし?」
「いや。なんでもない。陽彩、其方は晴明と同じだけの呪力を帯びているからこそ、やらねばならぬことがある」
「その、制御ってやつ?」
「そうだ。呪力を自在に操る力を身につける」
「あやつる?」
「うむ。其方は今、湧き出る力を言霊に乗せ、その力全てを使っている状態だ。これが意味することは分かるか?」
「?」
「其方は、もうすぐ死ぬ」
「死ぬ!?」
「そうだ。強すぎる力は、やがて自身の身を滅ぼす。だから陽彩、其方は力を上手く操り、その時々に応じて、必要な呪力だけを解放する術を身につけねばならぬ」
「朧は、なんで僕にそんなこと教えてくれるの?」
「……其方には、長生きしてもらいたいからだ。それ以外にあるか?」
「……なんで、長生きしてほしいの?」
僕はずるい。ほしい回答を知っていて、この質問をしている。
そのとき、僕は思った。
朧が僕のほしい答えを言ってくれたら、呪力を操る術を覚えようと。
しかし、そうでないときは……
朧は、即答した。
「家族だからだ」
一瞬、息が詰まった。
その回答は、僕の中では半分正解で、半分間違っている。
「大切な、家族だからだ」
朧は言い直した。そして、
「おぼろ?」
「言うたであろう。私は陽彩の家族になると。それは義務でも何でもない。人間嫌いな私が、同情で『家族になる』などと言うと思うか? 有り得ぬ。私は、其方が大事なのだ」
想像以上の答えが返ってきて、陽彩は何も言えなくなった。
僕、こんな泣き虫だったかな。生まれて五年、涙の一粒も流したことのなかった僕が、朧にはもう三度も泣かされている。
人間が嫌いで、晴明の式神として生きた数百年前から、独りで鬼を討伐してきた朧。そんな朧が、同情ではなく、僕自身を案じて、こうして生きる術を教えてくれている。それがどんなに情深いことか。
朧自身はまだその感情に追いついていないとしても、僕には分かる。
朧は本来、慈愛の心を持った者であるということを。
「朧、大好き」
「!? 藪から棒にどうした」
「ん、言えるときに言っておきたいなと思って」
「そんな、これから死にに行くような言い方をするでない。悲しいではないか」
「僕が居なくなったら、寂しい?」
「ああ、寂しいとも。家族を失う寂しさがどれだけのものか、もう想像できるであろう?」
「うん。朧がいなくなったら、僕、寂しい」
ぎゅっと抱きついていた手を握られ、緋色の瞳が僕の目を見つめる。
「死ぬな、陽彩。力を調整できれば、其方は長生きできる。それだけの力があれば、鬼の壊滅も夢ではない。共に戦おう、陽彩」
「……うん。僕、頑張るね」
微笑む朧は僕を抱きしめてくれた。耳を通じて聴こえる心音は、とても優しかった。
「陽彩。これを」
「? 朧が付けてる耳飾り……くれるの?」
「ああ。片方ずつ、互いに付けていよう。これは晴明が作ってくれた特別な耳飾りでな。ある程度、呪力を制御し、貯めておけるようできている」
「す、ごい……。そんな大事なもの、僕にくれていいの?」
「もちろん。むしろ晴明も喜ぶであろう。良いか、陽彩。その耳飾りは外すな。外すのは自分の命が危うくなったとき、全呪力を解放せねば敵わぬ相手と対峙したときのみだ。でなければ、自身の身を滅ぼすことになろう。私も、いつか来る鬼の始祖との最終決戦に向けて、この耳飾りに力を貯めているのだ。しかし陽彩。其方の力も必要となってくるのは間違いない。だから、」
頼む、と、僕に向かって膝をついた。
「やめて朧! うん、分かったよ。僕もできるだけ力を貯めて、朧の役に立てるように頑張るよ」
「……感謝する」
そして、朧からもらった耳飾りを右の耳に付けた。
これは、僕が生きる証でもある。
「ありがと、朧」
今度は僕が、朧を抱きしめた。
朧、僕生きるよ。朧がくれた命、大事にするよ。
そして戦おう。どんな鬼にも負けないくらい強くなって、朧の願いは僕が叶えるんだ。
「朧、僕からもひとついい?」
「うむ、何だ?」
「これ、朧に付けててほしい」
「これは……」
「うん。僕が生まれたときから唯一持ってるもの。町の人たちは怖がって、壊すことも供養もしなかったらしくて。持ち主も特定できなかったから、ずっと僕のそばに置いといたんだって」
それは、黄金色の勾玉に真紅の球体がついた首飾りだった。ずっと身につけていたのは、なんとなく安心できたから。でも、
「今の僕には朧が居てくれるから。大切な朧に、僕の大切なものを持っててほしいの」
「わかった。では、其方が首にかけてくれるか?」
「! うん!」
屈んだ朧の首に、僕が付けていた首飾りが掛かった。
「えへへ。朧、似合うよ」
「そうか。それは良かった。ありがとう、大切にする」
僕は耳飾りを、朧は首飾りを、互いに大切なものを交換した。
絆がより深まった日であった。
◆
朧から力の制御と操る術を教わり、それを我が物と出来る頃には、陽彩は熱を出して倒れることはなくなった。
時に朧が前へ出て、時に朧が陽彩に力を与え、共に鬼を討伐する日々を過ごした。しかし、鬼は途切れることなく生まれてくる。
一体どうすればこの連鎖を断ち切れるのか、陽彩は考えるようになった。
それを朧に尋ねると、朧の顔が一瞬、曇ったのが分かった。
「ねえ朧。いつかさ、鬼がこの世から居なくなって、太平の世が来たらさ……」
続きは、言えなかった。
今の僕では無力すぎる。朧のほうがずっと強くて賢くて、僕は守られるばかり。
だから、大きくなったら言うね。
だから、早く大きくなるね。
◆
まだ腕の中にすっぽり収まり、顎を乗っける位置に頭頂部が来ていた頃が懐かしい。
それがまさか。
「朧! ただいま!」
そう言って、陽彩の胸元に額が当たった。
見上げる首が痛い。
「屈め!」
「あ、ごめんごめん。朧、ただいま」
そう言って、素直に屈んで私の手を取る青年。
まさか、こんなに大きくなるとは思いもしなかった。
屈んでも、縁側に腰掛けている私と目線が合うほど大きくなった少年、いや青年こそ、大粒の涙をぽろぽろと流していた少年陰陽師、陽彩である。
まさか、こんなに大きくなるとは思いもしなかった(二度目)。
ふたり、縁側で氷菓子を口にしながら、今日の出来事を報告し合う。
「こちらはそこまで凶暴な鬼ではなかった。一撃で仕留められたし。朧のほうは?」
「ああ。私も同じだ。ただ、数が多い。最近やたらと鬼の数が増えている」
「不吉だな。もう鬼を討伐できるのは朧と私くらいなものだ。本来、共に行動するはずの陰陽師と式神が離れて討伐していること自体、稀なのだから」
陽彩は十八になった。
出逢いから十三年。呪力の込め方、使い方、発動の威力などを一から教え、陽彩はそれをみるみる吸収し、最小限の力と最小限の被害で鬼を討伐できるまでに成長した。
陽彩が言ったように、本来、陰陽師と式神は共に行動し、共に鬼を討伐する。しかし、互いに類い稀なる力を持ったふたりは、鬼の討伐数を優先し、別行動を取っていた。
まあ、今の陽彩ならちょっとやそっとの力で敗れるほど柔ではない。百八十近い背丈に、細身の割に筋肉質な身体つき。素手で鬼と張り合えそうなものだが、陽彩は『身体に傷をつけてくると、朧が異様なほど心配するから』という理由で、肉弾戦を好まぬ陰陽師であった。
「疲れたか? 少し眠るか」
「んー……、ん。じゃあ、少し……だけ…………」
そう言いながら、朧は氷菓子の棒を握り締めて眠りについた。私はその棒をそっと手から抜き取り、陽彩の隣に横たわった。私も少々疲れた。一緒に眠るとするか。そして眠りにつく直前、陽彩の腕の感触が私を包んだ。
「陽彩?」
「……」
寝息が聞こえる。よほど疲れたようだ。無意識に私を手繰り寄せて抱きしめたのか。こういうところはまだまだ子どもっぽくて可愛らしい。陽彩は私の尻尾の一本を枕、一本を抱き枕にして寝るのが好きだった。成長してからさすがにしなくなったが、こうして人肌を求めるところは変わらない。私はその姿に安心感を覚えた。
夏とは言え、夜は涼しい。私は尻尾で陽彩を包み、目を閉じた。
「……可愛いな」
朧の寝息が聞こえたところで、陽彩は目を開け、朧の額に口付けた。
「ごめんね。私はこんなことするくらいには、大人になったんだよ」
流石に、唇に触れるのは気が咎められる。もう一度、額に口付けを落とし、朧が起きない程度の力で、朧を抱きしめた。
大切な朧。大好きな朧。その想いは昔から変わらない。
でも、その想いの種類が、昔とは異なる気がする。
朧に触れたい。
甘えてくっつくのではなく、この腕の中に朧をおさめて、甘えさせたい。
そんな想いを抱えていると知ったら、朧はどう思うだろうか。
幻滅するかもしれない。
朧にとって、私は子どもだ。いつまでも、朧の子どもなのだ。
私にとっても、朧は母だ。いつまでも、私の母であるのだが。
分かっている。この想いは伝えてはならない。
でも、想うことだけは許してほしい。
ごめんね、朧。
それでも私は、朧の隣に居たい。
あの出来事があった日から、私はそう決めたんだ。
◆
時は十年前に遡る。
陽彩が十になった夏のこと。私と陽彩が初めて別々に鬼の討伐に赴いた際、陽彩は傷だらけで帰ってきた。力はほぼ空の状態、ありとあらゆる箇所に傷をつけ、大量出血して戻ってきたのである。戻ってこられたのが奇跡と思うほどに。
「ひ、陽彩!? どうした、何があった!」
「な、っんでも、ないよ……ただ、ちょっと、つよい鬼にあたっちゃっただけ……」
私に治癒の力はない。庭先で倒れ込んだ陽彩を担ぎ、毎日懸命に看病をした。
あとは陽彩の生きる力に賭けるしかなかった。
しかし、息は荒くなるばかり。どうすればいい。どうすれば。
陽彩が居なくなるかもしれない。たったひとりの家族が。そう思うと、胸が潰れそうなほど痛んだ。
「陽彩。頼む。戻ってきてくれ……」
人の涙は見たことがある。しかし、自身が涙を流したことはなかった。
目の前の大切な人を失うかもしれない恐怖で、朧は初めて涙を流した。
その涙が、陽彩の左眼にぽつっと落ちた。
すると、
「あ、あぁ……っ!」
「陽彩!?」
突如、陽彩から生命力が漲った。
何の作用かは分からぬが、おそらく左眼に宿る“護る力 ”が働いたのであろう。
見る見るうちに傷が塞がり、意識が朦朧としていた陽彩の瞳に、魂が宿った。
「陽彩!」
「お、ぼろ……?」
「陽彩! 良かった、良かった……!」
「ふふ、朧の髪くすぐったいよ」
不思議な体験だった。陽彩を失うかもしれない恐怖が魂を揺さぶった。私の命を捧げても良い、だから陽彩を助けてくれ。そう願った瞬間、魂の一部が涙となり、陽彩に零れ落ちた感覚だった。その一部を陽彩が吸収し、自身の一部とした。拒絶することなく、ひとつとなった。
出逢ったときから思っていた。召喚に応じたのは気まぐれであったが、目が合った瞬間に魂が揺さぶられたことをよく覚えている。そのときは分からなかったが、離れ離れであった魂たちがようやく再会したとでも言うような。
私たちは出逢うべくして出逢った、そう思ったのである。
陽彩の容体が落ち着き、話せるまで回復したのち、私は陽彩をここまで追い詰めた鬼について尋ねたが、意識が朦朧とした中で記憶を落としたのか、何も覚えていなかった。ただひと言、
「鬼の“しそ ”、って言ってたような……?」
……しそ、始祖だと?
まさか、そんな……
「っ……し、そ…………」
「ねえ、しそ、って、朧が前に言ってたよね?」
隠しておくわけにはいかぬであろう。私は腹を括り、全てを話すことを決めた。
それを聞いて、陽彩がどのような決断を下そうとも。
「……始祖とは、始まり。始まりの鬼。つまり、私たちの最後の敵、ということだ」
「始まりの鬼……鬼の先祖ってことだね。そっか」
「そう。この世の鬼を生み出す鬼の母とでも言うべきか……」
話しながら、血の気が引いていくのが分かった。手は氷のように冷たい。
「朧? ねえ、顔真っ青だよ? 大丈夫?」
「あ、ああ……心配ない」
「その……ごめん、ね? 始まりの鬼ってことは、その……、朧のお母さん、ってこと?」
私は目を見開いた。出自を話したことがあったであろうか。陽彩が覗いたのは、晴明との過去だけであったはず。私が鬼であると、いつ知った?
「……知っていたのだな」
できれば知られたくなかった。
陽彩は陰陽師。鬼を討伐する者。本来、そんな陽彩と一緒に居て許される存在ではないと、とうに分かっていたはずなのに。軽蔑されるのが怖くて、恐れられるのが怖くて、私は言い出せなかった。私が鬼だと知って、陽彩にどう思われるのか、想像しただけで怖かったのだ。
「その、朧が鬼だってことは、初めから分かってたの。生き物全部、気配というか、そういうのが違うから。朧は、鬼と同じ気配だったから」
「……っ。そ、うか。初めから……」
「ごめんなさい。朧は隠したがってるの分かってたから、言い出せなくて」
「其方が謝る必要はない。謝るのは私のほうだ。黙っていて済まなかった。陽彩を騙そうと思っていたわけではないのだ。其方は鬼を倒す者。私が鬼だと知れば、其方は倒さざるを得ない。陽彩にそんな責務を負わせたくなかった……だから、言えなかった」
違う。そうではない。言えなかった本当の理由は、
「ううん、いいの! 言いたくないことは言わなくていいよ、朧。お母さんのことだってそうでしょ? 聞かされてなかったからって、僕は朧を嫌いになったりしないし、朧に対する気持ちが変わることもないよ。僕の大好きな朧だよ」
「ひ、いろ……」
その真っ直ぐな想いが、
「それに、朧はただの鬼じゃない。鬼を倒す、鬼神だよ」
「鬼神……」
「そうでしょ? 朧は、僕と一緒に鬼を倒してくれる、僕のたったひとりの身内。家族。それは変わらないでしょ?」
変わってしまうのを恐れていたからだ。
しかし、鬼と知っても、陽彩は変わらないのではないか。変わらず家族だと、言ってくれるのではないか。そう、心のどこかで信じていた。
「……ああ。変わらぬ。私は其方と共に戦う者。其方の式神。其方の、家族だ」
家族。その言葉が、今の私にどれだけの喜びを与えてくれるか。
「ありがとう、陽彩」
お礼を言うと、陽彩の温かい手が、私の冷たい手を包んだ。
「朧の手はいつも冷たいね。でも今日はいっとう冷たい。緊張、してたんだよね。ありがとう、朧。話してくれて。でも、これで分かったでしょ? 僕は朧を倒そうなんて間違っても思わないし、朧が消えるくらいなら、僕も一緒に消えるよ」
「ならぬ! それはならぬ、陽彩。鬼を倒せるのはもう其方しかおらぬのだ。他の陰陽師は当てにならぬ。陽彩、其方の責務はいささか重すぎるかもしれぬが、それでも、其方しかおらぬ。私の母、鬼の始祖を倒せるのは」
「朧……、お母さんを倒すって……、本気なの?」
「無論。私はそのために生きてきた。母を倒して全てが終わるわけではなかろう。母の放った鬼は闊歩し続ける。しかし、母を倒せば新たな鬼が生まれることはもうない。だから陽彩。頼む」
額を床につけ、声を絞り出し、懇願した。
「母を……共に倒してほしい」
太平の世を築くために。
「……うん。分かった。分かったよ、朧。倒そう、ふたりで。僕、今回は思いっきり負けちゃったけど、もっと力をつけるから。朧と一緒ならできる気がする。僕、頑張るよ」
だから顔を上げてと、陽彩は優しく声をかけた。
出逢った頃より、緋色は深く、瑠璃色はより美しく輝いていた。
まだ十の少年が、自身の命をかけた戦いに身を投じている。そのことには胸が痛んだが、陽彩ほどの力を持った陰陽師が、今後生まれてくるとは思えない。
だから私は陽彩に賭けた。私の全ての力と陽彩の力を合わせて、母を倒す。
陽彩と共に、未来を生きるために。
◆
僕はその戦いのことをよく覚えていない。
とても強い気配を感じ駆けつけると、他の鬼とは佇まいが異なるような、異様な鬼が立っていた。立っているだけなのに、鳥肌が立った。
勝てない。
直感的にそう思った。
でも、僕は戦った。どう戦ったかは覚えていない。
ただ、呪力を解放し、全力で戦ったのに足元にも及ばなかったことだけは覚えている。
「貴様。もしや……の……か。であれば、再び巡り会うことだろう」
「ま、て。なんて……今、なんて言った……。おまえ、は……」
「私は鬼の始祖。今の貴様では話にならぬ。鍛え直してこい」
森に霧が立ち込め、晴れたときには鬼は消えていた。
肝心なところが聞き取れず、でも「しそ」という言葉だけはやたら耳についた。
どういうことだろうか。しそとは何だろう。
いや。考えるのはあとだ。帰らなきゃ、朧のところへ。
遅くなってきっと心配してる。家の外で、今か今かと待っているに違いない。
僕は鉛のような足を前へ前へと動かし、夜明け頃にようやく、家まで辿りついた。
「ひ、陽彩!? どうした、何があった!」
「な、っんでも、ないよ……ただ、ちょっと、つよい鬼にあたっちゃっただけ……」
何か言ってた気がするけど、聞こえなくて。
ごめんね朧、心配かけて。
ごめん、ごめんね。
その言葉は口から発せられることなく、僕は重い瞼を閉じた。
夢を見ていた。朧と初めて出逢った日のこと。
僕は、僕を殺してもらうために朧を召喚した。
でも朧は、僕を生かした。心の奥底に秘めた願いを叶えてくれた。
朧が僕に触れたとき、僕は不思議な体験をした。
僕の心が、魂が、叫んだ。
“この人は僕。僕はこの人 ”
僕たちは出逢うべくして出逢ったんだと分かった。
僕に欠けていたものは、この人が埋めてくれるんだって分かった。
この人じゃないとだめなんだって、分かったんだ。
遠くから、僕を呼ぶ声が聞こえた。
ひいろ? 僕を名前で呼ぶのは、ひとりしかいない。
「陽彩」
僕に名を与えてくれた、朧しかいない。
そのとき、左眼に温もりを感じた。
朧、泣いてるの?
大丈夫、僕は死なないよ。だって、約束したもん。
僕は生きる。朧がくれた命を大切にする。
何があっても、僕は朧のもとへ帰るんだ。
「あ、あぁ……っ!」
朧の記憶を視たとき、晴明が左眼の力を朧に与えて、命を繋いだことを思い出した。
この瑠璃色の瞳は、護る力。
朧の涙が瑠璃色に零れ落ち、左眼から頭へ、そして全身へ巡る。
生命力が湧いてくる。
朧の涙は、朧の魂の一部。それが、自分の一部となって溶けて混じった。
僕の中に、朧が生きている。
「お、ぼろ……?」
「陽彩! 良かった、良かった……!」
「ふふ、朧の髪くすぐったいよ」
朧は額を床につけ、艶めいた綺麗な髪が床に散らばった。そして願ったのだ。母を一緒に倒してほしいと。僕はその願いを引き受けた。僕は母の愛情を知らない。だから、朧の気持ちが痛いほど分かる。実の親を憎まなければならない苦しみが。
僕には朧という母が居るが、朧には居ないのだ。だったら僕が。僕が朧の家族として、朧の願いを叶える。
朧と共に、未来を生きるために。
だから、朧。
僕ね、朧の話を聞いたときから決めてたことがあるんだ。
もしも、もしもね、朧が、窮地に陥るようなことがあったとしたら。
僕は迷わず、僕の左眼を差し出す。
晴明さんのように、朧を護る。
でもね、それだけじゃきっとだめで。
鬼は、倒したら塵となって消えてしまう。
もしも、もしもね、朧がそんなふうに、塵になってしまったら、
僕は悲しみの奥底から、もう二度と戻ってくることはできない。
だから、そのときは。
僕の中に眠る、もうひとつの力を、朧に捧げる。
それで、僕の命が尽きようとも。
◆
ふたりで過ごしたときは決して長くはない。
十三年。本当はもっと一緒に居たかった。
共に太平の世を歩みたかった。
しかし、母に逆らった天罰なのであろうか。
私には、願う資格さえもなかったのであろうか。
陽彩。其方の、君の母として、家族して、最期の言葉を遺しておきたい。
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