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第二章 辺境の村~7歳~
103.5② フィールド辺境伯家
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領都バホルム、フィールド辺境伯家。
徴税官ネチョリ・モンガー伯が拘束された日の翌日、城の一室に集まったのは、辺境伯ゲイルと辺境伯夫人カルメラ、四男アルダンと侍女ステラ。
四人はバホルムに駐在しているミテラス教会の神官長から直々に浄化の魔法を受けた。
昨夜、謎の人物からもたらされた壊れた魔導具と身に覚えのない数々の契約証書によって、モンガー徴税官に関わった多くの人間が、禁忌とされている精神支配の魔法を受けている可能性が高いと判断されたためだ。
多忙な神官長を見送り、ステラの淹れた温かい紅茶でようやく一息つく。
「ふぅ、これで一安心だな……」
テーブル上には契約証書の束がある。
カップを置いたゲイルが、やや白髪混じりになった口髭を軽く撫でながら呟くと、隣に座るカルメラは意気阻喪の面持ちで頭を下げた。
「あなた……わたくしが辺境伯夫人として至らぬばかりに、ご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした」
「旦那様! 恐れながら此度のことは、逆賊ネチョリ・モンガーの悪事を見抜けなかったわたくしに責任がございます!」
普段は侍女として勝手に発言などしないステラ。そんな彼女の必死の訴えに対して、ゲイルは軽く右手を上げて静かに制す。
「ステラ、落ち着きなさい。私はカルメラを責めてなどいないし、そのつもりもない。無論お前やアルダンも、ドルガンもアベルたちも皆、あの男の被害者であったのだと思っている」
ゲイルの言葉を受けて謝罪し控えるステラ。しかしカルメラは、自筆の署名がある身に覚えのない契約証書を瞳に映して顔を曇らせる。
「ですが、わたくしは……アベルの結婚を、貴族としての幸せを望んでいます。その為なら、たとえシュガー村に住む者たちがどうなっても構わないと……確かにそう思っているのです」
嫉妬、憎悪、そして秘めた狂気。
心の奥底に押し込めてきた負の感情をさらけ出した時、カルメラは幸福を感じてしまったことをわずかに覚えていた。
アベルの結婚やニワトリの取引について記された契約証書には、アベルが高位貴族の良家へ入るためならば、村人三百人の生活が今後どうなろうと構わないといった文言まで見られる。
そんな知りたくなかった醜い自分の本性を目の当たりにして、心が押し潰されそうだった。
「カルメラ、子供の幸せを願わない親などいない。それに、きみのその苦しみは私のせいなのだから、きみは何も悪くない、悪くないんだ」
ゲイルは震えるカルメラの手を取り、両手でしっかりと握り締める。俯いたカルメラは、小さく何度も首を横に振った。
九年前ーー。
「ソフィア・シュガー男爵令嬢を助けるために、当家に迎えるべきか悩んでいるんだ。カルメラ、きみの意見を訊かせて欲しい」
ソフィア・シュガー男爵令嬢を、第二夫人としてフィールド家に迎えるという提案をするかどうか、当然ゲイルはカルメラに相談した。
カルメラが反対するのであれば、ソフィアに提案するつもりはなかった。
だが、カルメラは笑顔で承諾した。
「わたくしはカルメラ・フィールド辺境伯夫人です。辺境伯であるゲイル様が決められることに、異を唱えることなどありませんわ」
不安や動揺など微塵も見せずに、格の違いを見せつけたかったのだ。自分は世間知らずの小娘などではない、辺境伯夫人としてのプライドを守るための嘘、虚勢だった。
本心では嫌だったから。
たとえ命の恩人に対する同情心からだとしても、自分よりも若く評判の良い男爵令嬢に、愛する夫ゲイルの心が向いてしまうのではないか、取られてしまうのではないかと、不安で堪らなかったのだ。
それほどゲイルのことを深く愛していた。
だからソフィアが亡くなったと聞いた時、安堵してしまった。人の死を喜んでしまったのだ。そんな醜い心の自分が嫌いになった。カルメラは、その頃から自然に笑えなくなった。
「わたくしは、今でもハルトやマリアンヌを見たくない。そんな弱い人間なのです」
「カルメラ……」
「僕も! 僕も母上と同じで、生意気で可愛くないハルトのことなんか大嫌いです!」
重く張り詰めた空気を破ったのは、ずっと黙って話を聞いていたアルダンだった。テーブルの下ではアベルにもらった短剣を握り締める。
「父上、僕とドルガン兄様は嘘をつきました」
「嘘? なんの話だ?」
「去年、ドルガン兄様とシュガー村へ行った時、僕たちは二人がかりでハルトに勝負を挑んで負けたんです。よく覚えてないところもありますが、アベル兄様に教えてもらいました」
「そんなことがあったのか……」
「でももう二度と大嫌いなハルトなんかに負けません! 王都へ行ったら、剣術も魔法も鍛練して強くなります! だから母上も一緒に王都へ来て見ていてください! お願いします!」
勇気を振り絞って本心を告げるアルダン。
彼と兄のドルガンは、子供の頃に笑顔が変わった母カルメラの心の変化に気づいていた。そして成長とともに、その理由を知った。
二人は自然と傷ついた母に同調し、寄り添うことで救おうとしたのだ。たとえそれが嫉妬心から生まれた醜い行いだとしても。
「ごめんなさい、アルダン……ありがとう」
「アルダン、よく言った。カルメラ、アルダンの言うように来年からしばらく王都で暮らそう。もう一度、私にきみを笑顔にする機会を与えて欲しい」
バラバラになりかけていたフィールド辺境伯家は、こうして家族として再生の道を歩み始めた。ただ、近い将来訪れる大きな苦難を、この時の彼らはまだ知る由もない……。
翌年の冬。
王都の処刑場前には、元徴税官ネチョリ・モンガーと協力者たちの首が晒された。
国王直々に大規模な捜査が行われ、不自然な金の流れからヘクサル公爵家の関与が疑われたが、証拠となる決定的な物証や証言者などは何一つ出てこなかった。
また、エルフの執事の目撃証言が多数寄せられたが、当該人物に接触したと思われる関係者全員が口を揃えてその存在を否定。
事件の真相は闇の中に消えた。
徴税官ネチョリ・モンガー伯が拘束された日の翌日、城の一室に集まったのは、辺境伯ゲイルと辺境伯夫人カルメラ、四男アルダンと侍女ステラ。
四人はバホルムに駐在しているミテラス教会の神官長から直々に浄化の魔法を受けた。
昨夜、謎の人物からもたらされた壊れた魔導具と身に覚えのない数々の契約証書によって、モンガー徴税官に関わった多くの人間が、禁忌とされている精神支配の魔法を受けている可能性が高いと判断されたためだ。
多忙な神官長を見送り、ステラの淹れた温かい紅茶でようやく一息つく。
「ふぅ、これで一安心だな……」
テーブル上には契約証書の束がある。
カップを置いたゲイルが、やや白髪混じりになった口髭を軽く撫でながら呟くと、隣に座るカルメラは意気阻喪の面持ちで頭を下げた。
「あなた……わたくしが辺境伯夫人として至らぬばかりに、ご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした」
「旦那様! 恐れながら此度のことは、逆賊ネチョリ・モンガーの悪事を見抜けなかったわたくしに責任がございます!」
普段は侍女として勝手に発言などしないステラ。そんな彼女の必死の訴えに対して、ゲイルは軽く右手を上げて静かに制す。
「ステラ、落ち着きなさい。私はカルメラを責めてなどいないし、そのつもりもない。無論お前やアルダンも、ドルガンもアベルたちも皆、あの男の被害者であったのだと思っている」
ゲイルの言葉を受けて謝罪し控えるステラ。しかしカルメラは、自筆の署名がある身に覚えのない契約証書を瞳に映して顔を曇らせる。
「ですが、わたくしは……アベルの結婚を、貴族としての幸せを望んでいます。その為なら、たとえシュガー村に住む者たちがどうなっても構わないと……確かにそう思っているのです」
嫉妬、憎悪、そして秘めた狂気。
心の奥底に押し込めてきた負の感情をさらけ出した時、カルメラは幸福を感じてしまったことをわずかに覚えていた。
アベルの結婚やニワトリの取引について記された契約証書には、アベルが高位貴族の良家へ入るためならば、村人三百人の生活が今後どうなろうと構わないといった文言まで見られる。
そんな知りたくなかった醜い自分の本性を目の当たりにして、心が押し潰されそうだった。
「カルメラ、子供の幸せを願わない親などいない。それに、きみのその苦しみは私のせいなのだから、きみは何も悪くない、悪くないんだ」
ゲイルは震えるカルメラの手を取り、両手でしっかりと握り締める。俯いたカルメラは、小さく何度も首を横に振った。
九年前ーー。
「ソフィア・シュガー男爵令嬢を助けるために、当家に迎えるべきか悩んでいるんだ。カルメラ、きみの意見を訊かせて欲しい」
ソフィア・シュガー男爵令嬢を、第二夫人としてフィールド家に迎えるという提案をするかどうか、当然ゲイルはカルメラに相談した。
カルメラが反対するのであれば、ソフィアに提案するつもりはなかった。
だが、カルメラは笑顔で承諾した。
「わたくしはカルメラ・フィールド辺境伯夫人です。辺境伯であるゲイル様が決められることに、異を唱えることなどありませんわ」
不安や動揺など微塵も見せずに、格の違いを見せつけたかったのだ。自分は世間知らずの小娘などではない、辺境伯夫人としてのプライドを守るための嘘、虚勢だった。
本心では嫌だったから。
たとえ命の恩人に対する同情心からだとしても、自分よりも若く評判の良い男爵令嬢に、愛する夫ゲイルの心が向いてしまうのではないか、取られてしまうのではないかと、不安で堪らなかったのだ。
それほどゲイルのことを深く愛していた。
だからソフィアが亡くなったと聞いた時、安堵してしまった。人の死を喜んでしまったのだ。そんな醜い心の自分が嫌いになった。カルメラは、その頃から自然に笑えなくなった。
「わたくしは、今でもハルトやマリアンヌを見たくない。そんな弱い人間なのです」
「カルメラ……」
「僕も! 僕も母上と同じで、生意気で可愛くないハルトのことなんか大嫌いです!」
重く張り詰めた空気を破ったのは、ずっと黙って話を聞いていたアルダンだった。テーブルの下ではアベルにもらった短剣を握り締める。
「父上、僕とドルガン兄様は嘘をつきました」
「嘘? なんの話だ?」
「去年、ドルガン兄様とシュガー村へ行った時、僕たちは二人がかりでハルトに勝負を挑んで負けたんです。よく覚えてないところもありますが、アベル兄様に教えてもらいました」
「そんなことがあったのか……」
「でももう二度と大嫌いなハルトなんかに負けません! 王都へ行ったら、剣術も魔法も鍛練して強くなります! だから母上も一緒に王都へ来て見ていてください! お願いします!」
勇気を振り絞って本心を告げるアルダン。
彼と兄のドルガンは、子供の頃に笑顔が変わった母カルメラの心の変化に気づいていた。そして成長とともに、その理由を知った。
二人は自然と傷ついた母に同調し、寄り添うことで救おうとしたのだ。たとえそれが嫉妬心から生まれた醜い行いだとしても。
「ごめんなさい、アルダン……ありがとう」
「アルダン、よく言った。カルメラ、アルダンの言うように来年からしばらく王都で暮らそう。もう一度、私にきみを笑顔にする機会を与えて欲しい」
バラバラになりかけていたフィールド辺境伯家は、こうして家族として再生の道を歩み始めた。ただ、近い将来訪れる大きな苦難を、この時の彼らはまだ知る由もない……。
翌年の冬。
王都の処刑場前には、元徴税官ネチョリ・モンガーと協力者たちの首が晒された。
国王直々に大規模な捜査が行われ、不自然な金の流れからヘクサル公爵家の関与が疑われたが、証拠となる決定的な物証や証言者などは何一つ出てこなかった。
また、エルフの執事の目撃証言が多数寄せられたが、当該人物に接触したと思われる関係者全員が口を揃えてその存在を否定。
事件の真相は闇の中に消えた。
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