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【1】変わるきっかけ
空をかける少女
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レストの街で朝を迎えた。今日は雲が少なく、晴れている。
皆は身支度を整え、出発の支度をする。
竜次が腰に下げているカバンが重そうだ。念のために買った携帯食料も彼が持っていた。せっかく剣術の勘を取り戻しつつある竜次を頼りにしていたジェフリーは厳しく注意をし、少しでも身軽になろうと試行錯誤をする。その目的もあり、ミティアにも傷薬を持たせた。目立たないが、彼女は右の腰に小さいポーチを携えている。中身はハンカチやメモ帳、絆創膏、細々したお菓子、リボンのついた可愛いポプリも入っていた。危機感のない持ち物だが、日常から非日常になり、理不尽に巻き込まれてしまったのだから仕方がない。
支度を整え、フィラノスへ向けて出発した。
寂れ、廃れた街だったが、いつか本当に温泉が掘り出され、活気が戻ってほしいと皆は思った。また訪れる機会があるのなら、楽しみにしたい。
短い間だったが、世話になった街に思い出を重ねた。
竜次が持っている地図によると、川沿いを行けば自然と北を向いているので迷うことはなさそうだ。
平原を進むので見晴らしがいい。
晴れた青空を味方に、フィラノスを目指して順風満帆……のはずだった。
「いやぁ、いいですねぇ、ピクニックみたいです」
「これのどこがピクニックなのか、神経を疑う!!」
竜次のセンスのない冗談に、ジェフリーは激しい指摘を入れた。それもそのはず、今は冗談を言っている場合ではない。
川に沿っているのだから安全だと思ったが、一行はワニに襲われていた。しかも三匹。丸々として、野生にしては大きい印象を抱く。その辺の川魚では、この巨体の空腹は満たされないらしい。だからといって人間を狙うのも疑問だ。
狂暴化した野生動物に襲われる噂を聞いたことはあるが、この襲撃は誰も予想していなかった。
「もっと可愛いの出ませんかね? ぷにっぷにで少女漫画みたいな目をしたスライムとか、お色気ムンムンな妖精さんとか」
竜次が口にしたのは、センスのない冗談だけではなかった。メルヘンチックな発言は混乱を招く。ジェフリーは、これを諫めようとした。
「人食いの黒い龍に遭遇してるから、そういうのは期待しない方がいい。というか、現実を見据えてくれないと困るんだが」
今のところ、四人はワニと向かい合っている状態だ。ワニはお腹が空いているらしく、じりじりと距離を縮めながら襲いかかる機会をうかがっている。
現実を見据えた竜次が、周囲を確認しながら注意した。
「川に引きずり込まれたら助けられないので、注意してくださいね」
臨戦態勢の中、ジェフリーは川の位置を確認していた。背後に気配を感じ、振り返る。見ると、大きいのが二匹、川から這い上がっていた。
「いきなりこういうのってないだろ……」
ジェフリーはぶつくさ言いながら剣を引き抜いて構えた。
さすがに危機を感じたのか、ミティアも剣を引き抜いた。彼女の剣は細身で先端は鋭く、レイピアのようだ。手は震え、怯えた様子で構えもしっかりしていない。このままでは戦力にならない。
ミティアが持つ剣を見て、竜次は助言をした。
「ワニは皮膚が硬いので、鱗の隙間や柔らかいところを突ければ、ミティアさんの剣は威力があるかもしれませんよ?」
そのチャンスをつかめるのかはわからないが、いい助言だ。ミティアは持ち直した。気持ちが負けているよりはずっと生存率が上がる。竜次は気をよくして、皆に聞こえるように言った。
「攻めることは考えずに身を守ることを優先してください。どうせ、向こうから襲って来るのですからね!」
「ところで兄貴、弱点を知らないか?」
指示出しは助かる。だが、ジェフリーは竜次が見せた余裕が気になり、質問をした。
「……さぁ? 口の中じゃないですか?」
答えてから竜次は低く構え、刀を鞘ごと右に移動させて踏み込んだ。同時に下から腹をざっくりと斬り裂いた。
鮮血が澄んだ青空に舞った。何をしたらこんな一撃必殺を繰り出せるのか。その一瞬の間に、空に放たれた刃が次を仕留めている。しかし、首の骨に入ってしまい、斬り抜けられずにいた。
これには竜次も唸り、顔をしかめる。
「むぅ……」
「兄貴!」
「私はいいので、二人を援護してくださいな」
竜次はジェフリーの助けを拒否し、女性二人へと向かわせた。目の前には口を大きく開けた一番大きいワニが迫っている。ところが焦る様子もなく左手で髪をかき上げ、浅く息を吸った。右の手を力強く押し込んで骨のつかえを突破し、そのまま大きく口を開けたワニも貫通させた。見事な二枚おろしだ。裂いたと同時に、今度は二歩下がった。一メートルほど先を返り血が走る。
「計算どおりですね、手が汚れましたが……」
三匹仕留め、返り血の位置まで計算していた。だが、手が汚れる計算は頭になかったと顔をしかめた。
「さて?」
竜次は息をつき、振り返った。苦戦を強いられていないかと、三人の様子をうかがう。
キッドは右脚に隠し持っていた短剣で一匹の目を潰し、川に逃走させていた。小さい武器でいい立ち回りをしていると竜次は思った。
ミティアは馬鹿正直にワニの口を狙って苦戦をしていた。横からジェフリーが首に剣を入れて助けている。
「大丈夫か?」
「はい! ジェフリーさん、ありがとう……」
その場を凌ぎ、落ち着いた三人が竜次を見て驚いた。竜次はにっこりと笑いながら乾いた布で血のついた刃を拭っている。
「もしかして、あれ全部、先生一人でやったの……?」
キッドが怪訝な顔をしながら言う。うまく言葉に表現できない恐怖を抱いていた。
「せ、先生、何歩動いたんだろう……」
ミティアの疑問が拍子抜けで別の驚きが広がった。だが、その言葉を竜次は拾った。
「一歩前に出て、二歩下がりました。いい運動です」
さわやかで好印象の笑顔のはずだが、恐怖を感じさせるような腹黒さを秘めている。
ミティアは首を傾げながら質問をした。
「先生って何者ですか?」
「私ですか……?」
竜次が質問に答えようとする。だが、三日月のピアスが揺れた。柄を浮かせて素早く回転させ、持ち直したと同時に横に飛んだ。
「人が話そうとしているときにうしろから食べようとしないでください。まったく、お行儀の悪い爬虫類ですね……」
何事かと思えば、三人が見ている前でもう一匹仕留めた。血が飛んで、巨体がどしりと沈んでいる。
二度手間を面倒に思いながら、竜次はカバンから布をもう一枚引っ張り出した。
ジェフリーが代わりに説明した。
「本人は医者だって主張しているけど、これでも昔は沙蘭の『剣神』とか『剣鬼』って呼ばれていた剣豪のはずだ」
「それは嫌いなので、『先生』でお願いしますね」
竜次が女性二人に向かってにっこりと笑った。だが、布で刃を拭った動作のまま、何かに気がついたらしい。一番に腹を裂いたワニの前で座り込み、刃を拭った布で何かを拾い上げている。血まみれの小さいサンダルだ。
「嫌ですね、こういうの、気になってしまって」
それを見たキッドが息をのんだ。
「ま、まさか、人が食べられた……の?」
さすがにこれは冗談ではない。下手をしたら、自分たちがこうなっていたかもしれない。野生動物が人間を襲うということは、味を覚えてしまったと見ていい。
一行は、ただの噂ではなかったと身をもって知った。
「おーーーーーーいっ!!」
遠くで女の子の声がした。皆は声はどこからだろうかと周囲を見渡す。
声の主は空からだった。
一同がワニと死闘を繰り広げた場所に、女の子が降り立った。
十歳か、もう少し上か、とにかく幼い。ホワイトブロンドの長い髪で、アンテナのようなくせ毛が二本、前髪の真ん中から覗くおでこがとてもチャーミングだ。赤いチョッキに緑のワンピース、素足にぺったんこの靴、革製の大きいトランクを持っている。
そして何よりも目を引いたのは、背中に翼が生えていた。コウモリやドラゴンに似た立派な翼だ。体格が小さいので、コスプレと言い張れるだろう。だが、これは本物だろうか。
一同が疑問を抱く中、女の子が歩み寄った。
「お兄ちゃんたち、冒険者さん?」
挨拶もなしにいきなり質問から入った。幼い外見と初対面への肝の据わり方にギャップを感じる。死闘を繰り広げたこの惨状にも動じていない。少なくとも、四人よりは外の世界に慣れていそうだ。
「ぼうけんしゃ?」
質問に対しミティアが首を傾げた。その反応を見て、女の子はほかの三人にも視線をおくる。
「えーっと……リーダーって誰?」
誰もリーダーなど考えたことがない。答えに迷っていると、女の子は周辺を警戒した。
「場所、移そうよ。もう少しここから離れないと」
女の子の提案に、ジェフリーが警戒した。
「ここじゃまずい話か?」
「ワニに限らないけど、血の臭いでほかの動物が来るかもしれないじゃん?」
女の子が言うような追撃を受けたくない。これにはジェフリーも納得した。
「大きなお兄ちゃん、『それ』私が預かるよ……」
女の子は竜次にハンカチを広げて差し出した。女の子が言う『それ』とは血のついたサンダルを指すようだ。持っていても仕方ないものだが、どうするのだろう。
「『ギルド』に持って行くね、持ち主がわかるかもしれないし」
女の子は言ってからハンカチをぐるぐると巻き、サンダルを包んだ。
「どうも……」
竜次がお願いする形で渡した。
『ギルド』とは何だろうか。そもそもこの子は何者なのだろう。一同は疑問を抱きつつ、場所を移した。先ほどの場所から数百メートル、川からも離れた岩場で、集まって話を始める。
キッドは女の子を警戒していたが、自分たちよりも外の世界に慣れているのはすぐに察せたようだ。彼女から質問をした。
「あなた、何者なの?」
女の子は赤いチョッキの胸ポケットからカードを取り出した。皆に両手で見せている。子どもっぽい仕草が可愛らしい。
「ギルド所属、ハンター三級、コーデリア・イーグルサント?」
竜次がゆっくり文字を読んだ。
「そ、私の名前はコーデリア」
やっと自己紹介をして軽くお辞儀をした。
「最初に言っておくけど、私は普通の人間じゃないから」
コーデリアはそう言うと、意図的に背中の翼を動かした。反応を待っていたが、間を置いて首を傾げている。
「あれ、誰も驚かない……珍しいね?」
この一行の中で、唯一普通に見えるのはキッドだ。彼女の視点から、不思議な力を持った親友のミティア。医者でハンサムでやたら強く、沙蘭という国の関係者である竜次。あと、護衛と自称する竜次の弟のジェフリー。すでに身近な人が普通ではなかった。
「その背中の……本物なのか? 今、動いたよな?」
ジェフリーが、コーデリアの背中を覗き込んだ。つられてミティアも覗き込む。二人とも目が輝いていた。
「お空飛んでたね!! すごい! いいなぁ」
コーデリアは困惑していた。想像していた反応とは違うからだ。
「こ、怖くないの?」
「さっきのワニに比べたら、全然怖くないわよ」
キッドが先ほどまでいた場所を振り返る。
ハイエナかオオカミだろうか。死骸に獣が群がってうめき声がする。少なくとも今はこちらに関心はなく、お食事に夢中のようだ。
コーデリアの背中を眺めたまま、ジェフリーが質問をする。
「お前、何歳だ?」
「んー、人間に換算すると十六歳くらい」
一同が絶句する。どう見ても幼い。それに、人間に換算の意味がわからない。
「私も質問していい?」
コーデリアがそのままジェフリーに向かって質問をした。
「もしかして、お兄ちゃんたちはビギナーさん?」
「……はぁ?」
「違うの? だったら、こんな場所で何をしていたの?」
コーデリアは眉をひそめた。このしかめた顔がどうも子どもっぽくない。
ジェフリーは背筋を伸ばし、質問に答えた。
「俺たちはこれからフィラノスに向かうつもりだけど……」
「あぁっ!! なるほどね」
やっと話がつながったと、コーデリアの表情が明るくなった。こうして見ると、普通の女の子だ。
「川沿いにフィラノスを目指しているなら、南の火山を越えて来たんでしょ? マーチンとかそのあたりの人かな?」
外の世界を知らないとこの指摘は難しい。コーデリアは自慢げに鼻を鳴らした。
「私はフィラノスから来たよ。そこで『ギルド』の依頼を受けてこのあたりを調査していたの」
調査と聞いてミティアが反応した。
「あれ? お役人さんじゃないよね?」
「ううん、ちょっと違う」
コーデリアは首を横に振って続ける。
「役人はその街のことしかしないでしょ? 私がしてるのは、人探しとか、狂暴な動物の退治とか、誰かの護衛とか、厄介な仕事を請けて生計を立てている感じかな……」
それを聞いた竜次は、何か思い出したように手を叩いた。
「そういえば、私がマーチンに左遷された際に、船を出してくれたのがギルドの人って言っていました。厄介な仕事、なるほど……」
誰も左遷には言及しなかったが、厄介な仕事を引き受けてくれるのだと理解した。だが、疑問は残る。
ジェフリーがまた質問をした。
「で、そのギルドのハンターであるお前さんがここで何を調査していたんだ?」
「お兄ちゃんたちはギルドの人じゃないんだね? じゃあ話していいか」
コーデリアは右手で指を二本立てた。
「二つ、調査中だったの。一つは、少し前にこのあたりで魔法学校の初級クラスが野外訓練中に襲われた件。生徒の大半と引率の先生が行方不明になった調査だけど、原因はお兄ちゃんたちが究明しちゃったね」
調査の内容を聞いて、ジェフリーが険しい表情を浮かべた。
「剣術学校でもそういう実習はあるけど、どうしてそんな危険なことさせるんだろうな」
「このあたりは安全だったの。狂暴化した野生動物が出て来たのは、ごく最近だよ」
コーデリアは都市の方角を指さした。この場所からは霞んだ程度にしか見えないが、注視すると大きな街のシルエットが見える。
「魔法都市だよ? あんな大きくて不自由も少ない街で平和に暮らすだけなら、外の情報なんて知る必要がない」
コーデリアが主張することはもっともだ。皆はその『平和に暮らす』に該当していた。
「私はもっとみんなに真実を知ってもらいたくて、本を書く夢を持っているの」
急に演説でもするように、力強くなった。外見は子どもだが、内容はやけに大人びている。
「黒い龍とか、魔導士狩りの首謀者が今もフィラノスに潜んでいるとか。外の世界がこんなに危険だってこともね。私はそういう情報を自分の目で見て、耳で聞いて確かめて、文章にして広めたい。みんなに読んでもらいたい。知ってもらいたい」
「黒い龍……」
ジェフリーが一層険しい表情をする。眉間のしわが深くなり、目つきが悪くなった。コーデリアから黒い龍の話が出るとは思わなかった。
「黒い龍は何年も前から話になっているけど、誰も退治できていない。ギルドでも、詳しい情報がほとんど出回らないの。これもおかしいと思うけどね」
ジェフリーが黒い龍について聞こうと思っていたが、意外にもコーデリアから話してくれた。だが、彼女は詳しい情報を持っていないようだ。
「そうだ、南から来たのなら参考までに情報がほしいんだけど、いいかな?」
コーデリアは持っていた大きなトランクの外側から、メモ帳と使い込まれた万年筆を取り出して構えた。
「これからもう一つの依頼、火山活動の調査をするの。火山って噴火した?」
空いているページを探し、めくりながら質問をしている。これには竜次が答えた。
「いえ、噴火はしていませんが、頻繁に揺れますので、足を運ぶのでしたら……」
先を言いかけて、コーデリアの翼を思い出した。
「大丈夫ですね。飛べるのは便利です」
竜次は悪い印象を抱かない独特の微笑を添えた。コーデリアはさらに質問をした。
「じゃあ、空が強く光ったのは知ってる?」
「おっと……」
思わぬ反応をしてしまい、竜次の視線がキッドに行った。山道で光を目撃したのは、この二人だけだ。
「か、雷……だと思う」
どう答えようか迷っていた竜次に、キッドが助け舟を出した。これに合わせようと試みる。ミティアの不思議な力に関する変な噂が広がって、こちらが動きにくくなるのは極力避けたい。
「そうそう、私たちが越えたときなんて嵐でした。あちこちで落石を伴う土砂崩れがあったので、これからあそこを突破しようとしている方がいたら、注意するように周知を願えますか?」
巧みな話術だった。露骨にはぐらかそうとはしない。少しずつの戦略が実った。
「崖崩れはいい話じゃないね。わかった。優しいお兄ちゃんありがとう」
「いえいえ、どういたしまして……」
竜次は微笑を浮かべたまま、コーデリアの頭を撫でた。彼女はこれに驚いていたが、つられて笑顔を見せている。竜次の気さくな人柄と笑顔が気に入った様子だ。
「優しくしてくれたから、いいことを教えてあげるね」
「おや、何でしょう? お好きな男性のタイプでも教えていただけるのですか?」
コーデリアは口を尖らせた。竜次の冗談は彼女にはまだ早いようだ。ため息もつき、呆れてしまったが、一度『いいことを教えてあげる』と言ってしまったので話を続けた。
「……まぁいいや。フィラノスにはまだ魔導士狩りの主犯がいるって噂があるから、人の話は簡単に信じちゃダメだよ。ちゃんと自分の目で見て、信じたものを情報として受け止めたらいいと思う」
きちんとした忠告だった。外見が子どもとはいえ、外の世界に慣れている先輩からの導きだ。一同は気をつける意識を持とうと思った。
「さて、コーデリアちゃんは、なぜそんな有益な情報を提供してくれるのでしょうか?」
竜次が物腰の柔らかい口調のまま疑いの眼差しを向ける。コーデリアはこの質問に素直に答えた。
「真実を追い求める目をしているから……かな?」
見つめる大きな金の瞳、人を見透かすような眼だった。返事を聞いた竜次は、何度か瞬き、にっこりと自然な笑みを見せた。
「いい子ですね。先にお話が進んで申し遅れましたが、私は竜次と申します」
自己紹介から右手を差し出し、コーデリアと握手を交わした。小さいが、あたたかい手だ。
「沙蘭の人……?」
「えぇ、私と弟は……あぁ、あの目つきが悪いのが弟のジェフリーです。あちらはキッドさん、こちらはミティアさんです」
紹介されて、コーデリアが順々に見て会釈していった。
「また会うかわからないけど、今度会ったら、コーディって呼んでいいから」
手を解いた竜次はまた頭を撫でた。
「では、今から呼ばせていただきますね、コーディちゃん」
談笑している竜次とコーディ。さっそく呼び方を崩し、打ち解けていた。癒しの効果でもありそうな空気に三人も和まされた。
「あ、あの……」
ミティアが一歩、また一歩とコーディに歩み寄った。今度は何をするのだろうか。なぜかジェフリーは期待をしていた。今までのやり取りでは足りず、何か質問でもあるのだろうか。それとも、彼女の調子はずれな発言をまた聞けるのだろうかと楽しみにしていた。
竜次が気を利かせてコーディから離れ、場所を譲った。コーディは感極まっているミティアを見上げた。
「――ぎゅってしてもいい?」
ミティアは声を震わせ、コーディに飛びかかった。
仰天したコーディが声を裏返す。
「えっ、えええええええ……ひゃあわわっ!?」
ジェフリーの期待を裏切らなかった。今回のミティアの調子はずれは悪質だ。了承を得ないまま、コーディに抱きついている。
「ちょっと、ミティアったら!」
ここでブレーキ役のキッドが登場までは、出会って日の浅いジェフリーでも読めた。やっと彼女たちの気質を理解したと思っていたのに、いい意味で裏切られた。
「あ、あたしも!! きゃあ、可愛いっ!!」
「わぶっ! ちょっ、ちょっとぉ……」
キッドまで加わり、まるでぬいぐるみを弄(もてあそ)ぶようになっていた。コーディは顔を真っ赤にし、両手をばたつかせて困惑している。
慣れない外の世界、腹の探り合い、そして戦場。ジェフリーは今まで抑え込んでいた感情をあらわにした。理由は、目の前の女性二人がしていることが、なぜかどうしようもなく馬鹿馬鹿しく思ったからだ。
「ぶっ……おかし……」
ジェフリーは思わず声を出して笑った。
一同が揃って動きを停止させた。中でもキッドは、ゴキブリでも見るような蔑んだ目を向けている。
「あ、あんた……笑うんだ……?」
くだらないと今まで流していたものを見て、声に出して笑った。だがそれは、一同に驚きと動揺を与えてしまった。ジェフリーは猛省し、とっさに笑顔を噛み殺した。
「えぇ……何この空気……」
出会ったばかりのコーディまで困惑している。ジェフリーは咳払いをし、申し訳なさそうに首を垂れた。
「えへへ、わーい、いいの見ちゃったかも?」
ジェフリーの視界に、コーディを抱きしめたままのミティアが入った。正確には、目で追ってしまった。赤毛の彼女が見せたのは、青空の向こうの太陽よりも眩しい笑顔だった。今まで見ていたのは、心からの笑顔ではなかったと確信した瞬間だった。
うまく言えないが、いいものを見てしまった。ジェフリーは見とれていた。
「あんたのデレっとした顔を見たの、初めてだわ。ひょっとして、変態?」
油断を許さない、番犬のようなキッドに鋭い指摘を受ける。ジェフリーはこれを逃れるように背を向けた。だが今度は、おせっかいな兄が放っておかない。
「あぁ……私もいいものを見てしまったなぁ」
せっかくジェフリーが背を向けていたのに、竜次は回り込んだ。顔を覗いた次に、小声でささやいた。
「(笑わないと、笑ってくれませんよ?)」
もちろん三人には聞こえないように耳元で。そして、悪巧みでもするような、含み笑いを添えた。竜次の絡みはこれで終わらなかった。ジェフリーに抱きつき、わざとらしく大声で言う。
「ふふっ、ジェフ。私たちも、美しい兄弟愛を育みましょうか?」
さすがに冷静を欠く。竜次までおかしくなったのだろうか? いや、もともとおかしいか。ジェフリーは、まとわりつく竜次を剥がそうとしていた。
騒々しい兄弟のうしろで、コーディは寂しそうな表情を浮かべていた。
こんなに何でもないことで笑える一行が眩しく見えた。いくらお金を出しても得られない『仲間』が羨ましかった。いつか自分にもできるだろうか。コーディはぼんやりと考えていた。
「今はギルドのお仕事中でしたよね? 名残惜しいですが……」
竜次はコーディと別れの挨拶を交わしていた。
名残惜しいのはコーディも同じだ。でも、これは一期一会だと割り切らなくてはいけない。また会える保証はないのだから。
「まぁ、いい機会だったかな。分け隔てなく接してくれる人がいるのがわかってうれしかったよ」
コーディはそう言うと、トランクのベルトを肩にかけた。
「お兄ちゃんみたいな人たちばっかりだったら、『種族戦争』も『魔導士狩り』も起きなかったかもしれないね……」
意味深なことを言って翼をわっと横に広げた。
「お姉ちゃんたちもまたね!」
コーディは挨拶のあとにその場から上昇し、はばたいていた。
「お、助走なしで飛べるのか」
見上げながらジェフリーが軽く手を振った。竜次も突然飛べることに驚いている。
「おぉ、これはまたかっこいいですね……」
もの珍しく見られる視線を浴び、コーディは照れていた。
「そんなに見られると恥ずかしい……」
鳥のように軽く旋回した。背に翼を持って飛ぶのは夢がある。
「もう危険な川沿いを行かなくていいよ。あと少ししたら高い建物が見えてくるから、そこを目指してね」
コーディが手を振った。
「コーディちゃん、またどこかで会えるといいね!!」
ミティアも大きく手を振り返した。最初は警戒をしていたキッドも手を振っている。
青空に少女が飛んだ。少し普通の人とは違うかもしれないが、彼女は強い信念を持っていた。
一行とは歩む道が違っていたが、また会うかもしれない。青空の下、平原を歩きながら、余韻を楽しむように話した。
皆は身支度を整え、出発の支度をする。
竜次が腰に下げているカバンが重そうだ。念のために買った携帯食料も彼が持っていた。せっかく剣術の勘を取り戻しつつある竜次を頼りにしていたジェフリーは厳しく注意をし、少しでも身軽になろうと試行錯誤をする。その目的もあり、ミティアにも傷薬を持たせた。目立たないが、彼女は右の腰に小さいポーチを携えている。中身はハンカチやメモ帳、絆創膏、細々したお菓子、リボンのついた可愛いポプリも入っていた。危機感のない持ち物だが、日常から非日常になり、理不尽に巻き込まれてしまったのだから仕方がない。
支度を整え、フィラノスへ向けて出発した。
寂れ、廃れた街だったが、いつか本当に温泉が掘り出され、活気が戻ってほしいと皆は思った。また訪れる機会があるのなら、楽しみにしたい。
短い間だったが、世話になった街に思い出を重ねた。
竜次が持っている地図によると、川沿いを行けば自然と北を向いているので迷うことはなさそうだ。
平原を進むので見晴らしがいい。
晴れた青空を味方に、フィラノスを目指して順風満帆……のはずだった。
「いやぁ、いいですねぇ、ピクニックみたいです」
「これのどこがピクニックなのか、神経を疑う!!」
竜次のセンスのない冗談に、ジェフリーは激しい指摘を入れた。それもそのはず、今は冗談を言っている場合ではない。
川に沿っているのだから安全だと思ったが、一行はワニに襲われていた。しかも三匹。丸々として、野生にしては大きい印象を抱く。その辺の川魚では、この巨体の空腹は満たされないらしい。だからといって人間を狙うのも疑問だ。
狂暴化した野生動物に襲われる噂を聞いたことはあるが、この襲撃は誰も予想していなかった。
「もっと可愛いの出ませんかね? ぷにっぷにで少女漫画みたいな目をしたスライムとか、お色気ムンムンな妖精さんとか」
竜次が口にしたのは、センスのない冗談だけではなかった。メルヘンチックな発言は混乱を招く。ジェフリーは、これを諫めようとした。
「人食いの黒い龍に遭遇してるから、そういうのは期待しない方がいい。というか、現実を見据えてくれないと困るんだが」
今のところ、四人はワニと向かい合っている状態だ。ワニはお腹が空いているらしく、じりじりと距離を縮めながら襲いかかる機会をうかがっている。
現実を見据えた竜次が、周囲を確認しながら注意した。
「川に引きずり込まれたら助けられないので、注意してくださいね」
臨戦態勢の中、ジェフリーは川の位置を確認していた。背後に気配を感じ、振り返る。見ると、大きいのが二匹、川から這い上がっていた。
「いきなりこういうのってないだろ……」
ジェフリーはぶつくさ言いながら剣を引き抜いて構えた。
さすがに危機を感じたのか、ミティアも剣を引き抜いた。彼女の剣は細身で先端は鋭く、レイピアのようだ。手は震え、怯えた様子で構えもしっかりしていない。このままでは戦力にならない。
ミティアが持つ剣を見て、竜次は助言をした。
「ワニは皮膚が硬いので、鱗の隙間や柔らかいところを突ければ、ミティアさんの剣は威力があるかもしれませんよ?」
そのチャンスをつかめるのかはわからないが、いい助言だ。ミティアは持ち直した。気持ちが負けているよりはずっと生存率が上がる。竜次は気をよくして、皆に聞こえるように言った。
「攻めることは考えずに身を守ることを優先してください。どうせ、向こうから襲って来るのですからね!」
「ところで兄貴、弱点を知らないか?」
指示出しは助かる。だが、ジェフリーは竜次が見せた余裕が気になり、質問をした。
「……さぁ? 口の中じゃないですか?」
答えてから竜次は低く構え、刀を鞘ごと右に移動させて踏み込んだ。同時に下から腹をざっくりと斬り裂いた。
鮮血が澄んだ青空に舞った。何をしたらこんな一撃必殺を繰り出せるのか。その一瞬の間に、空に放たれた刃が次を仕留めている。しかし、首の骨に入ってしまい、斬り抜けられずにいた。
これには竜次も唸り、顔をしかめる。
「むぅ……」
「兄貴!」
「私はいいので、二人を援護してくださいな」
竜次はジェフリーの助けを拒否し、女性二人へと向かわせた。目の前には口を大きく開けた一番大きいワニが迫っている。ところが焦る様子もなく左手で髪をかき上げ、浅く息を吸った。右の手を力強く押し込んで骨のつかえを突破し、そのまま大きく口を開けたワニも貫通させた。見事な二枚おろしだ。裂いたと同時に、今度は二歩下がった。一メートルほど先を返り血が走る。
「計算どおりですね、手が汚れましたが……」
三匹仕留め、返り血の位置まで計算していた。だが、手が汚れる計算は頭になかったと顔をしかめた。
「さて?」
竜次は息をつき、振り返った。苦戦を強いられていないかと、三人の様子をうかがう。
キッドは右脚に隠し持っていた短剣で一匹の目を潰し、川に逃走させていた。小さい武器でいい立ち回りをしていると竜次は思った。
ミティアは馬鹿正直にワニの口を狙って苦戦をしていた。横からジェフリーが首に剣を入れて助けている。
「大丈夫か?」
「はい! ジェフリーさん、ありがとう……」
その場を凌ぎ、落ち着いた三人が竜次を見て驚いた。竜次はにっこりと笑いながら乾いた布で血のついた刃を拭っている。
「もしかして、あれ全部、先生一人でやったの……?」
キッドが怪訝な顔をしながら言う。うまく言葉に表現できない恐怖を抱いていた。
「せ、先生、何歩動いたんだろう……」
ミティアの疑問が拍子抜けで別の驚きが広がった。だが、その言葉を竜次は拾った。
「一歩前に出て、二歩下がりました。いい運動です」
さわやかで好印象の笑顔のはずだが、恐怖を感じさせるような腹黒さを秘めている。
ミティアは首を傾げながら質問をした。
「先生って何者ですか?」
「私ですか……?」
竜次が質問に答えようとする。だが、三日月のピアスが揺れた。柄を浮かせて素早く回転させ、持ち直したと同時に横に飛んだ。
「人が話そうとしているときにうしろから食べようとしないでください。まったく、お行儀の悪い爬虫類ですね……」
何事かと思えば、三人が見ている前でもう一匹仕留めた。血が飛んで、巨体がどしりと沈んでいる。
二度手間を面倒に思いながら、竜次はカバンから布をもう一枚引っ張り出した。
ジェフリーが代わりに説明した。
「本人は医者だって主張しているけど、これでも昔は沙蘭の『剣神』とか『剣鬼』って呼ばれていた剣豪のはずだ」
「それは嫌いなので、『先生』でお願いしますね」
竜次が女性二人に向かってにっこりと笑った。だが、布で刃を拭った動作のまま、何かに気がついたらしい。一番に腹を裂いたワニの前で座り込み、刃を拭った布で何かを拾い上げている。血まみれの小さいサンダルだ。
「嫌ですね、こういうの、気になってしまって」
それを見たキッドが息をのんだ。
「ま、まさか、人が食べられた……の?」
さすがにこれは冗談ではない。下手をしたら、自分たちがこうなっていたかもしれない。野生動物が人間を襲うということは、味を覚えてしまったと見ていい。
一行は、ただの噂ではなかったと身をもって知った。
「おーーーーーーいっ!!」
遠くで女の子の声がした。皆は声はどこからだろうかと周囲を見渡す。
声の主は空からだった。
一同がワニと死闘を繰り広げた場所に、女の子が降り立った。
十歳か、もう少し上か、とにかく幼い。ホワイトブロンドの長い髪で、アンテナのようなくせ毛が二本、前髪の真ん中から覗くおでこがとてもチャーミングだ。赤いチョッキに緑のワンピース、素足にぺったんこの靴、革製の大きいトランクを持っている。
そして何よりも目を引いたのは、背中に翼が生えていた。コウモリやドラゴンに似た立派な翼だ。体格が小さいので、コスプレと言い張れるだろう。だが、これは本物だろうか。
一同が疑問を抱く中、女の子が歩み寄った。
「お兄ちゃんたち、冒険者さん?」
挨拶もなしにいきなり質問から入った。幼い外見と初対面への肝の据わり方にギャップを感じる。死闘を繰り広げたこの惨状にも動じていない。少なくとも、四人よりは外の世界に慣れていそうだ。
「ぼうけんしゃ?」
質問に対しミティアが首を傾げた。その反応を見て、女の子はほかの三人にも視線をおくる。
「えーっと……リーダーって誰?」
誰もリーダーなど考えたことがない。答えに迷っていると、女の子は周辺を警戒した。
「場所、移そうよ。もう少しここから離れないと」
女の子の提案に、ジェフリーが警戒した。
「ここじゃまずい話か?」
「ワニに限らないけど、血の臭いでほかの動物が来るかもしれないじゃん?」
女の子が言うような追撃を受けたくない。これにはジェフリーも納得した。
「大きなお兄ちゃん、『それ』私が預かるよ……」
女の子は竜次にハンカチを広げて差し出した。女の子が言う『それ』とは血のついたサンダルを指すようだ。持っていても仕方ないものだが、どうするのだろう。
「『ギルド』に持って行くね、持ち主がわかるかもしれないし」
女の子は言ってからハンカチをぐるぐると巻き、サンダルを包んだ。
「どうも……」
竜次がお願いする形で渡した。
『ギルド』とは何だろうか。そもそもこの子は何者なのだろう。一同は疑問を抱きつつ、場所を移した。先ほどの場所から数百メートル、川からも離れた岩場で、集まって話を始める。
キッドは女の子を警戒していたが、自分たちよりも外の世界に慣れているのはすぐに察せたようだ。彼女から質問をした。
「あなた、何者なの?」
女の子は赤いチョッキの胸ポケットからカードを取り出した。皆に両手で見せている。子どもっぽい仕草が可愛らしい。
「ギルド所属、ハンター三級、コーデリア・イーグルサント?」
竜次がゆっくり文字を読んだ。
「そ、私の名前はコーデリア」
やっと自己紹介をして軽くお辞儀をした。
「最初に言っておくけど、私は普通の人間じゃないから」
コーデリアはそう言うと、意図的に背中の翼を動かした。反応を待っていたが、間を置いて首を傾げている。
「あれ、誰も驚かない……珍しいね?」
この一行の中で、唯一普通に見えるのはキッドだ。彼女の視点から、不思議な力を持った親友のミティア。医者でハンサムでやたら強く、沙蘭という国の関係者である竜次。あと、護衛と自称する竜次の弟のジェフリー。すでに身近な人が普通ではなかった。
「その背中の……本物なのか? 今、動いたよな?」
ジェフリーが、コーデリアの背中を覗き込んだ。つられてミティアも覗き込む。二人とも目が輝いていた。
「お空飛んでたね!! すごい! いいなぁ」
コーデリアは困惑していた。想像していた反応とは違うからだ。
「こ、怖くないの?」
「さっきのワニに比べたら、全然怖くないわよ」
キッドが先ほどまでいた場所を振り返る。
ハイエナかオオカミだろうか。死骸に獣が群がってうめき声がする。少なくとも今はこちらに関心はなく、お食事に夢中のようだ。
コーデリアの背中を眺めたまま、ジェフリーが質問をする。
「お前、何歳だ?」
「んー、人間に換算すると十六歳くらい」
一同が絶句する。どう見ても幼い。それに、人間に換算の意味がわからない。
「私も質問していい?」
コーデリアがそのままジェフリーに向かって質問をした。
「もしかして、お兄ちゃんたちはビギナーさん?」
「……はぁ?」
「違うの? だったら、こんな場所で何をしていたの?」
コーデリアは眉をひそめた。このしかめた顔がどうも子どもっぽくない。
ジェフリーは背筋を伸ばし、質問に答えた。
「俺たちはこれからフィラノスに向かうつもりだけど……」
「あぁっ!! なるほどね」
やっと話がつながったと、コーデリアの表情が明るくなった。こうして見ると、普通の女の子だ。
「川沿いにフィラノスを目指しているなら、南の火山を越えて来たんでしょ? マーチンとかそのあたりの人かな?」
外の世界を知らないとこの指摘は難しい。コーデリアは自慢げに鼻を鳴らした。
「私はフィラノスから来たよ。そこで『ギルド』の依頼を受けてこのあたりを調査していたの」
調査と聞いてミティアが反応した。
「あれ? お役人さんじゃないよね?」
「ううん、ちょっと違う」
コーデリアは首を横に振って続ける。
「役人はその街のことしかしないでしょ? 私がしてるのは、人探しとか、狂暴な動物の退治とか、誰かの護衛とか、厄介な仕事を請けて生計を立てている感じかな……」
それを聞いた竜次は、何か思い出したように手を叩いた。
「そういえば、私がマーチンに左遷された際に、船を出してくれたのがギルドの人って言っていました。厄介な仕事、なるほど……」
誰も左遷には言及しなかったが、厄介な仕事を引き受けてくれるのだと理解した。だが、疑問は残る。
ジェフリーがまた質問をした。
「で、そのギルドのハンターであるお前さんがここで何を調査していたんだ?」
「お兄ちゃんたちはギルドの人じゃないんだね? じゃあ話していいか」
コーデリアは右手で指を二本立てた。
「二つ、調査中だったの。一つは、少し前にこのあたりで魔法学校の初級クラスが野外訓練中に襲われた件。生徒の大半と引率の先生が行方不明になった調査だけど、原因はお兄ちゃんたちが究明しちゃったね」
調査の内容を聞いて、ジェフリーが険しい表情を浮かべた。
「剣術学校でもそういう実習はあるけど、どうしてそんな危険なことさせるんだろうな」
「このあたりは安全だったの。狂暴化した野生動物が出て来たのは、ごく最近だよ」
コーデリアは都市の方角を指さした。この場所からは霞んだ程度にしか見えないが、注視すると大きな街のシルエットが見える。
「魔法都市だよ? あんな大きくて不自由も少ない街で平和に暮らすだけなら、外の情報なんて知る必要がない」
コーデリアが主張することはもっともだ。皆はその『平和に暮らす』に該当していた。
「私はもっとみんなに真実を知ってもらいたくて、本を書く夢を持っているの」
急に演説でもするように、力強くなった。外見は子どもだが、内容はやけに大人びている。
「黒い龍とか、魔導士狩りの首謀者が今もフィラノスに潜んでいるとか。外の世界がこんなに危険だってこともね。私はそういう情報を自分の目で見て、耳で聞いて確かめて、文章にして広めたい。みんなに読んでもらいたい。知ってもらいたい」
「黒い龍……」
ジェフリーが一層険しい表情をする。眉間のしわが深くなり、目つきが悪くなった。コーデリアから黒い龍の話が出るとは思わなかった。
「黒い龍は何年も前から話になっているけど、誰も退治できていない。ギルドでも、詳しい情報がほとんど出回らないの。これもおかしいと思うけどね」
ジェフリーが黒い龍について聞こうと思っていたが、意外にもコーデリアから話してくれた。だが、彼女は詳しい情報を持っていないようだ。
「そうだ、南から来たのなら参考までに情報がほしいんだけど、いいかな?」
コーデリアは持っていた大きなトランクの外側から、メモ帳と使い込まれた万年筆を取り出して構えた。
「これからもう一つの依頼、火山活動の調査をするの。火山って噴火した?」
空いているページを探し、めくりながら質問をしている。これには竜次が答えた。
「いえ、噴火はしていませんが、頻繁に揺れますので、足を運ぶのでしたら……」
先を言いかけて、コーデリアの翼を思い出した。
「大丈夫ですね。飛べるのは便利です」
竜次は悪い印象を抱かない独特の微笑を添えた。コーデリアはさらに質問をした。
「じゃあ、空が強く光ったのは知ってる?」
「おっと……」
思わぬ反応をしてしまい、竜次の視線がキッドに行った。山道で光を目撃したのは、この二人だけだ。
「か、雷……だと思う」
どう答えようか迷っていた竜次に、キッドが助け舟を出した。これに合わせようと試みる。ミティアの不思議な力に関する変な噂が広がって、こちらが動きにくくなるのは極力避けたい。
「そうそう、私たちが越えたときなんて嵐でした。あちこちで落石を伴う土砂崩れがあったので、これからあそこを突破しようとしている方がいたら、注意するように周知を願えますか?」
巧みな話術だった。露骨にはぐらかそうとはしない。少しずつの戦略が実った。
「崖崩れはいい話じゃないね。わかった。優しいお兄ちゃんありがとう」
「いえいえ、どういたしまして……」
竜次は微笑を浮かべたまま、コーデリアの頭を撫でた。彼女はこれに驚いていたが、つられて笑顔を見せている。竜次の気さくな人柄と笑顔が気に入った様子だ。
「優しくしてくれたから、いいことを教えてあげるね」
「おや、何でしょう? お好きな男性のタイプでも教えていただけるのですか?」
コーデリアは口を尖らせた。竜次の冗談は彼女にはまだ早いようだ。ため息もつき、呆れてしまったが、一度『いいことを教えてあげる』と言ってしまったので話を続けた。
「……まぁいいや。フィラノスにはまだ魔導士狩りの主犯がいるって噂があるから、人の話は簡単に信じちゃダメだよ。ちゃんと自分の目で見て、信じたものを情報として受け止めたらいいと思う」
きちんとした忠告だった。外見が子どもとはいえ、外の世界に慣れている先輩からの導きだ。一同は気をつける意識を持とうと思った。
「さて、コーデリアちゃんは、なぜそんな有益な情報を提供してくれるのでしょうか?」
竜次が物腰の柔らかい口調のまま疑いの眼差しを向ける。コーデリアはこの質問に素直に答えた。
「真実を追い求める目をしているから……かな?」
見つめる大きな金の瞳、人を見透かすような眼だった。返事を聞いた竜次は、何度か瞬き、にっこりと自然な笑みを見せた。
「いい子ですね。先にお話が進んで申し遅れましたが、私は竜次と申します」
自己紹介から右手を差し出し、コーデリアと握手を交わした。小さいが、あたたかい手だ。
「沙蘭の人……?」
「えぇ、私と弟は……あぁ、あの目つきが悪いのが弟のジェフリーです。あちらはキッドさん、こちらはミティアさんです」
紹介されて、コーデリアが順々に見て会釈していった。
「また会うかわからないけど、今度会ったら、コーディって呼んでいいから」
手を解いた竜次はまた頭を撫でた。
「では、今から呼ばせていただきますね、コーディちゃん」
談笑している竜次とコーディ。さっそく呼び方を崩し、打ち解けていた。癒しの効果でもありそうな空気に三人も和まされた。
「あ、あの……」
ミティアが一歩、また一歩とコーディに歩み寄った。今度は何をするのだろうか。なぜかジェフリーは期待をしていた。今までのやり取りでは足りず、何か質問でもあるのだろうか。それとも、彼女の調子はずれな発言をまた聞けるのだろうかと楽しみにしていた。
竜次が気を利かせてコーディから離れ、場所を譲った。コーディは感極まっているミティアを見上げた。
「――ぎゅってしてもいい?」
ミティアは声を震わせ、コーディに飛びかかった。
仰天したコーディが声を裏返す。
「えっ、えええええええ……ひゃあわわっ!?」
ジェフリーの期待を裏切らなかった。今回のミティアの調子はずれは悪質だ。了承を得ないまま、コーディに抱きついている。
「ちょっと、ミティアったら!」
ここでブレーキ役のキッドが登場までは、出会って日の浅いジェフリーでも読めた。やっと彼女たちの気質を理解したと思っていたのに、いい意味で裏切られた。
「あ、あたしも!! きゃあ、可愛いっ!!」
「わぶっ! ちょっ、ちょっとぉ……」
キッドまで加わり、まるでぬいぐるみを弄(もてあそ)ぶようになっていた。コーディは顔を真っ赤にし、両手をばたつかせて困惑している。
慣れない外の世界、腹の探り合い、そして戦場。ジェフリーは今まで抑え込んでいた感情をあらわにした。理由は、目の前の女性二人がしていることが、なぜかどうしようもなく馬鹿馬鹿しく思ったからだ。
「ぶっ……おかし……」
ジェフリーは思わず声を出して笑った。
一同が揃って動きを停止させた。中でもキッドは、ゴキブリでも見るような蔑んだ目を向けている。
「あ、あんた……笑うんだ……?」
くだらないと今まで流していたものを見て、声に出して笑った。だがそれは、一同に驚きと動揺を与えてしまった。ジェフリーは猛省し、とっさに笑顔を噛み殺した。
「えぇ……何この空気……」
出会ったばかりのコーディまで困惑している。ジェフリーは咳払いをし、申し訳なさそうに首を垂れた。
「えへへ、わーい、いいの見ちゃったかも?」
ジェフリーの視界に、コーディを抱きしめたままのミティアが入った。正確には、目で追ってしまった。赤毛の彼女が見せたのは、青空の向こうの太陽よりも眩しい笑顔だった。今まで見ていたのは、心からの笑顔ではなかったと確信した瞬間だった。
うまく言えないが、いいものを見てしまった。ジェフリーは見とれていた。
「あんたのデレっとした顔を見たの、初めてだわ。ひょっとして、変態?」
油断を許さない、番犬のようなキッドに鋭い指摘を受ける。ジェフリーはこれを逃れるように背を向けた。だが今度は、おせっかいな兄が放っておかない。
「あぁ……私もいいものを見てしまったなぁ」
せっかくジェフリーが背を向けていたのに、竜次は回り込んだ。顔を覗いた次に、小声でささやいた。
「(笑わないと、笑ってくれませんよ?)」
もちろん三人には聞こえないように耳元で。そして、悪巧みでもするような、含み笑いを添えた。竜次の絡みはこれで終わらなかった。ジェフリーに抱きつき、わざとらしく大声で言う。
「ふふっ、ジェフ。私たちも、美しい兄弟愛を育みましょうか?」
さすがに冷静を欠く。竜次までおかしくなったのだろうか? いや、もともとおかしいか。ジェフリーは、まとわりつく竜次を剥がそうとしていた。
騒々しい兄弟のうしろで、コーディは寂しそうな表情を浮かべていた。
こんなに何でもないことで笑える一行が眩しく見えた。いくらお金を出しても得られない『仲間』が羨ましかった。いつか自分にもできるだろうか。コーディはぼんやりと考えていた。
「今はギルドのお仕事中でしたよね? 名残惜しいですが……」
竜次はコーディと別れの挨拶を交わしていた。
名残惜しいのはコーディも同じだ。でも、これは一期一会だと割り切らなくてはいけない。また会える保証はないのだから。
「まぁ、いい機会だったかな。分け隔てなく接してくれる人がいるのがわかってうれしかったよ」
コーディはそう言うと、トランクのベルトを肩にかけた。
「お兄ちゃんみたいな人たちばっかりだったら、『種族戦争』も『魔導士狩り』も起きなかったかもしれないね……」
意味深なことを言って翼をわっと横に広げた。
「お姉ちゃんたちもまたね!」
コーディは挨拶のあとにその場から上昇し、はばたいていた。
「お、助走なしで飛べるのか」
見上げながらジェフリーが軽く手を振った。竜次も突然飛べることに驚いている。
「おぉ、これはまたかっこいいですね……」
もの珍しく見られる視線を浴び、コーディは照れていた。
「そんなに見られると恥ずかしい……」
鳥のように軽く旋回した。背に翼を持って飛ぶのは夢がある。
「もう危険な川沿いを行かなくていいよ。あと少ししたら高い建物が見えてくるから、そこを目指してね」
コーディが手を振った。
「コーディちゃん、またどこかで会えるといいね!!」
ミティアも大きく手を振り返した。最初は警戒をしていたキッドも手を振っている。
青空に少女が飛んだ。少し普通の人とは違うかもしれないが、彼女は強い信念を持っていた。
一行とは歩む道が違っていたが、また会うかもしれない。青空の下、平原を歩きながら、余韻を楽しむように話した。
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