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【5】親と子どものカタチ

戦う理由と守る理由

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 貿易都市ノア。空は明るくなろうとしていた。一行はこれから、街道に出現した歪みを鎮圧しに行く。
 
 話の流れは、情報収集で訪れたギルドの緊急依頼だった。この先の王都フィリップスへ向かう街道に『卵』のようなものが出現したというものだった。実際には、人間界と魔界に歪みが発生し、道を遮るようになっていた。この歪みは放置すると瘴気を撒き散らし、魔界からよからぬものが出現すると賢人は注意する。
 サキの師匠であるアイラもその依頼を請けており、一時的に協力する流れになった。確認へ向かったときは、すでにサキとアイラだけでは手に負えない規模になっていた。そこでキッドが猛勉強をし、魔封じを試みることになった。時間を稼ぐ作戦も練って体を休め、今にいたる。

 サキとキッドは夜通しで勉強をしたせいで眠たそうにしていた。
 仲間のうち、竜次とミティアは孤児院への用事で同行しない。
 一同が揃ったところで外に出た。
 
 宿の前では、すでにアイラが待っていた。彼女も眠たそうだ。
「お師匠様、おはようございます」
 サキはアイラに会えてうれしそうだ。サキの挨拶に反応をするも、アイラは緊張を高めているようだ。
「あぁいやだ、武者震いしちまうね」
 アイラを先頭に街道へ足を進めた。まだ静かな街中を抜けるのは幸いにも、街中に瘴気は流れ込んでいない。悪化はしていなかった。

 街道の禍々しい雰囲気に恐怖心が芽生える。街道の上空は夜とも言えない、黒紫の瘴気が雲のように覆っている。人の恐怖心を煽る要因はこれだけではない。
「アイラさん、どうやって進むつもりなの?」
 コーディはわらわらと動く蔦や枝を前に嫌な顔をしていた。
 この意志を持った植物が行く手を阻む。この先は結界の範囲を越える。いよいよこの植物を切り開き、歪みまで進まなくてはいけない。
 アイラは懐中時計を見て答えた。
「昨日張った超結界はあと一時間くらいで解けてしまうよ。その前に強行突破、歪みまで突っ走って一気に塞ぐ! そいで今日はおしまいだよ」
 その言葉にジェフリーとキッドが前に出た。
「主役は下がってろよ」
 ジェフリーはキッドを気遣った。眠っていない上にキッドは魔封じの重要な役割を担っている。
 キッドはジェフリーの気遣いを聞き入れないようだ。無言のまま、右脚から猟剣を引き抜いている。
「聞く耳なしか。博士、コーディ援護してくれ。サキは前に出ず、温存しておけよ」
 ジェフリーが指示を言い終える前に、キッドとアイラは前を走った。
「お、おい、集団行動って言葉の意味をだな……」
 舌打ちをしながら、ジェフリーが後を追った。
 アイラとキッドは、立ちふさがる植物を切り伏せていた。ジェフリーが不足や取りこぼしがないかの確認。そのあとをローズが氷の魔法で再生や追い打ちを防ぐように封じる。コーディは足並みが揃っているかの確認をしていた。誰も出遅れることがなく、連係プレイで道中苦しむことはなかった。
 しかし妙だ。いくら作戦を練って来たとはいえ、こんなに順調でいいのだろうか。ジェフリーは周囲を警戒した。うまく言葉では言い表せられないが、気分も悪い。
 サキの足元にいた圭馬も異変を察知した。
「何かおかしいね。昨日より瘴気が少ないと思うよ」
 サキも明らかに昨日と様子が違うと思っていたようだ。
「僕も、何か違和感を覚えます。違いますか?」
「多分だけど……瘴気を取り込んだ奴がいるんじゃないかな」
 サキの顔が『冗談ですよね?』とでも言いたそうな表情になる。圭馬はあいまいながらも推測を話した。
「多分だけど、歪みから何か出てきてしまった。おそらくは魔界の鬼……鬼は瘴気を取り込んでしまう。だから、先に歪みを……」
 圭馬が言いかけたところで、前方で大きな音がした。地鳴りのような音がし、木が倒れる。その先に黒々した大きい存在が見えた。
 圭馬が言っていた鬼だ。この世の中で明らかに異常な存在。
「何、こいつ……」
 キッドもさすがに怯んだ。
 漆黒の体に光る金色の眼、とがった耳、鋭い牙。体調は三メートルくらいだろうか、もう少しあるかもしれない。街道の木より少し高く感じた。いびつに曲がった大剣を持っている。
 鬼の向こうに歪みが見える。昨日見たときは道を塞ぐ程度だったが、広がっていた。ただ、瘴気はあまり出ていないように思える。
 ジェフリーはフィラノスの大図書館で見た本の悪魔に似ていると思った。もし同じ類ならば、ここにいる皆で叩けば勝てるかもしれないと思っていた。だが、そう甘くはないようだ。
 圭馬が皆に向かって叫ぶ。
「そいつは魔界の鬼だよ。物理でねじ伏せられるかもしれないけど、瘴気を吸収して再生する! だから、先に歪みを塞ぐんだ!!」
 意志を持った植物と鬼以外には敵はいないようだ。ジェフリーは指示を出した。
「おばさんとキッドは先に行け!! 博士はそっちに邪魔が入らないように、サポートを頼む!」
 圭馬もサキに指示を出した。やけに具体的だ。
「キミも先に行くんだ。キッドお姉ちゃんがうまく魔封じをできるように、ちゃんと支えてあげなよ。ここはドラグニーの子とあのお兄ちゃんに任せて!」
「わかりました。ジェフリーさん気をつけて……」
 サキも鬼の脇をうまく抜け、走って行った。それを確認したジェフリーが剣を抜き、苦笑いをしながら構えた。
「死んでたまるか。こうなったら、非日常の果てまで付き合ってやるさ!!」
 ジェフリーの横では、トランクを置いて羽ばたいているコーディが肩を回している。顔を見ず、ジェフリーは訊ねた。
「コーディ、こういうのは得意か?」
「どうかな……」
「つか、お前って戦えるのか?」
 ジェフリーにはコーディが戦うところが想像つかなかった。ギルドのハンターだとは聞いていた。トランクで殴るのかと思ったが、違うようだ。
「私、結構強いよ?」
 コーディは飛び上がって鬼の背後に回り込んだ。飛べる時点でチートだ。
「はぁぁぁぁぁ!!」
 急降下からの蹴りが直撃した。何か折れるような音もした。骨……は、あるのだろうか。まさかの超攻撃に、ジェフリーが顔をしかめた。
「嘘だろ……飛べて馬鹿力ってアリかよ」
 ジェフリーは驚愕のあまり、眠気が吹っ飛んでしまった。
 鬼が木々をなぎ倒しながら、前のめりに倒れた。
 現実なのだろうか。いや、これは夢ではない。ジェフリーは一緒に行動をしている仲間について、気がついてしまった。深く考えたら負けの気がするが、『普通の人』って自分だけかもしれない。と。
「おー……コーディは派手にやるねぇ」
 アイラは道を切り崩しながら、恨めしそうに振り返った。実際にコーディの戦っているところを見る機会などないものだ。
 歪みを前にし、サキがキッドのアシストに立った。キッドは魔法に関してベースしか入っていない。
 キッドはまずは何をすればいいのかと、サキに指示をお願いしていた。
「で、あたしはどうしたらいいか、教えてくれる?」
「まずは僕とお師匠様で歪みの縁に塞ぐためにベースを張ります。こんなに大きいと、僕たちがどんなに頑張っても僅かにしか塞がらないと思います。ちゃんと塞ぐためにはキッドさんの魔封じの力が必要です。具体的には……」
 サキの説明は長ったらしく、キッドは理解が追いつかない。危機的状況を前に、やるせなくなってしまったようだ。どうしても難しいことを言われるとわからない。
 キッドの表情を読み取ったのか、圭馬がフォローを入れた。
「この子とお師匠さんが糊付けをするから、お姉ちゃんがくっつける役だよ。って、カンジかな」
 アバウトすぎる説明だ。だが、アバウトなのにわかりやすい。さすが賢人、要点は伝わりやすくシンプルだ。
 キッドはこれに頷いて理解を示した。いくら教養がなくても、これならわかる。
「ローズちゃん、ここが正念場だよ。この変な植物を近寄らせないでね!」
「かしこまりデス! とっておきの強いものを混ぜておきましたヨ!!」
 圭馬が珍しくローズにも指示をしている。
 ローズは白衣のポケットから小さい試験管の媒体を両手で取り出しては投げている。氷漬けにし、植物の動きを遅らせていた。中には広範囲に広がる媒体も使用されている。これは助かる人手、ローズは大活躍だ。
 もともとローズは戦力として期待は持てない。それは本人も自負している。サポートとしてジェフリーがお願いしたのだが、この判断は正しかったのかもしれない。
 サキとアイラがタイミングを合わせ、歪みを囲うように周回した。それぞれの役割を担っている。
 サキは両手で杖を抱えながら息を切らせているが、本人はこれでも奮起している。まだまだ体力がないのがこれからの課題だ。

 鬼が伏している間にジェフリーが足をバッサリと叩き斬ってしっかり追い打ちをかけた。コーディが様子を見に降下し、作戦会議を試みる。
「お兄ちゃん、こいつ、堅いよね……」
 コーディはジェフリーを見て言った。そのジェフリーは、剣を大振りしたせいで腕が痛そうだ。鬼は瘴気を取り込んでいるせいで大きさの割に密度がある。鬼の足を斬ったが正直ここから腕も斬り落とし、攻撃も封じてしまいたい。
「どうせ再生しちゃうって言ってたよね……」
「あぁ、だから今は温存のために最小限にしておいた」
「私が腕をへし折ってもいいんだけど……」
「コーディが背中に一撃入れただろう? だからそうすぐ動けるはずがない」
 ジェフリーは体力の温存と配分を考えていた。必要以上に攻撃を加えないのは、歪みを塞がない限りは再生するおそれがあるからだ。無駄に消耗したくはない。ジェフリーの読みは概ね正解だ。鬼は伏したまま呻き声を上げるが動かない。ただ、足はしゅうしゅうと黒い煙を上げている。再生に備えたい。
「それよりお前、何気に馬鹿力じゃないか」
「人外って言いたいの?」
「差別をしたわけじゃないぞ。助かってる」
「一応仲間なんだから、助け合いは必要でしょ?」
 ジェフリーは、コーディが思いのほか協力的だったので好感を持った。仲間として加わって間もないというのに、仲間との調和を意識しているように思える。
 
「完了しました!」
「あいよ、こっちもいいよ!!」
 サキとアイラの準備が完了した。
 圭馬が説明していた、塞ぐための糊付けが完了だ。
 サキは再びキッドの隣に立った。
「キッドさん、精神を集中してください。キッドさんの力は潜在的なものなので、ちゃんと自らで念じてくれれば……」
 キッドは手をかざす。手を震わせながら、感覚を研ぎ澄ました。こんなに難しいことをしている自分が信じられない。
「何か、つかめたかもしれない……」
 キッドの指先に何かが引っ掛かって、触れている感覚がする。
 歪みが動いた。それを見たサキは、明るい声で助言をする。
「縦に閉じるよりも、横に閉じた方がいいと思います。上下に構えてください……」
 サキがキッドに手を添えた。このまま順調にいけば、歪みは塞げるかに思った。
 
「サキや!!」
 アイラの叫びだ。彼女はとっさに地面を蹴ったが、間に合わない。
 サキが振り返ると、先程まで倒れていた鬼がこちらに向かって手を伸ばしていた。何かを求めるように伸びたのではなく、手だけが意志を持ち、ヘビのように伸びたのだ。キッドに向けて、曲剣を振り下ろそうとしている。サキは自分が咄嗟にできる手段が思いつかなかった。
 サキは片手で杖を振り上げ、もう片方の手で衝撃に備えて手を添えた。
 ギィィィンッ!!
 サキの金属の杖が、曲剣の刃を受け止めた。衝撃でサキの足がキッドの足に触れる。今、彼女の邪魔をさせるわけにはいかない。
 すぐにアイラが割って入り、双剣で鬼の手首を切り落とした。追い打ちをかけるように、コーディが曲剣ごと切り落とされた手首を蹴り飛ばしに急降下した。回し蹴りもして鬼を遠ざける。
「あ、あんた……」
 キッドがサキに視線を送るが、サキは首を振った。
「つ、続けて……」
 金属の杖が地面に落ち、カラカラという音を立てた。
「よくやったよ、しっかりおし……」
 サキはアイラに抱えられている。軽く見ただけだが怪我はしていない。
 すぐにローズも駆け寄った。サキはアイラからローズに委ねられ、状態を見ていた。
 今度は圭馬が叫ぶ。
「お姉ちゃん続けて! ここで止めちゃったら、この子は何のためにお姉ちゃんを守ったのかわからないじゃないか!?」
 キッドは息を飲んだ。今やるべきことは決まっている。目の前の歪みを閉じることに集中しなくてはならない。


 竜次とミティアは街道の厄介事解決部隊とは違い、優雅な朝を迎えていた。
 テーブルにはホットミルクとサンドイッチ。孤児院に向かう途中のカフェで、朝ご飯を食べていた。
 場所は大通りが見えるテラス席だ。二人だけではなく、早朝からコーヒーを嗜みながら読書をしている若者も見受けられる。
 二人きりというのがどうも慣れない。いつもは賑やかな仲間と食事をする。
 ミティアは竜次との食事を楽しんでいる様子ではない。
「ただのサンドイッチです。そんなに百面相なさらなくても……」
 ミティアは目を合わせると恥ずかしそうにするし、食べればおいしいという顔をするし、何も話さなかったら心配そうな顔をする。
 竜次はミティアと視線を合わせて言う。
「私と一緒では楽しくないですか?」
「そ、そうじゃないです……」
 ミティアは一瞬だけ目が合うも、すぐに逸らした。
 竜次はにやにやと怪しげな笑みを浮かべている。この仕草も表情も可愛らしいミティアを、今日はほとんど一人占めできるのがうれしくてたまらない。
 そんな竜次の気持ちなど微塵も気にせず、ミティアは心配な表情に隠れて、暗い影を落としていた。当然、竜次はその様子を見逃さない。
「そんなにジェフが心配ですか?」
「……っ!!」
 ミティアビクッとわかりやすい反応を示した。それを見た竜次は大笑いをする。
「ははは……これは困った。やっぱりそうだったんですね」
 竜次は追及をせず、ホットミルクを口にした。
 ミティアは気を逸らすように、テラスから見える道を見ている。寂しそうな目線の先に、両親と手をつないでいる子どもを見つけた。
「どこにでもあるはずの幸せですよね。両親が揃って、何不自由なく健康で、大きくなって、そしてその子もいずれは幸せを見つける。親は子育てという偉業を成し遂げ、家族に看取られながらいい人生だったと振り返る……」
 竜次はカップを置いて、ため息をついていた。
「高望みでもないのに、こんな普通のことも叶わない。私たちって何なのでしょうね」
 急に『家族』に対する考えが語られた。ミティアは眉をひそめ、首を傾げた。
「先生?」
「美味しくない話はよしましょうか」
 今は食事を楽しもうと切り替える。だが、二人のお皿にはもういくらも残っていない。
 ミティアは最後の一口をかじりながら、視線を落とした。
「本当の家族がいるだけでも、わたしは羨ましいと思います」
 家族がいないも同然。だからこそ、ミティアは人とのつながりを大切にしている。そして、今は何よりも大切に想う人がいる。
「でも、本当の家族は知らなくていいです。今は家族のことを知るよりも、もっと大切なことがあるから……」
 とても力強い顔つきだ。この言葉と表情から、竜次は首を傾げた。
「大切なこと、ですか?」
「わたし、普通の女の子になりたいです。何も不思議な力なんて持たない」
「あぁ、なるほど。そうですね。私たちはそのために頑張っているんですから!」
 竜次は言ってから、引っかかりを感じた。何かを焦っているようにも思えたからだ。
「ですが、その力、使わなければ普通の女の子なのでは?」
 ミティアは納得していないのか、ぶんぶんと激しく首を振った。
「そうじゃないです! 違うんです!! わたしはこんな力……ほしくなかった」
 ミティアのあまりにも強いこだわりに、驚かされる。竜次は腕を組んで違和感を探ろうとした。
「でもその力がなかったら、私たちは今、ここにいませんよ?」
「それは……」
 ミティアはこだわりを持った強さから一転し、悲しい顔をしてしまった。
 竜次は単純に、今を否定してはどうしてなのかと思っただけだ。だが、ミティアはもどかしく思っていた。
「何かあったら相談には乗れますので、あまり思い詰めないでくださいね?」
 
 
 何も知らない竜次の言葉がとても痛い。ミティアは考え込んでしまった。
 好きな人がいるこの想いは、簡単に話していい相談ではない。もしかしたら、仲を悪くしてしまうかもしれない。
 キッドには話したが、少し嫌な気分にさせてしまった。まとまっている仲間が、壊れてしまうかもしれない。そう思うと、進んで話そうとは思えなかった。

 二人は食事を片付け、孤児院へと足を運んだ。朝日が眩しい。早ければ、街道は鎮圧されているだろう。瘴気が街中に広がっている様子はない。二人は皆の無事を祈った。
 ミティアは筆記用具と器具の入ったトートバッグ、竜次は紙袋を持っている。
 紙袋の中は、昨日いただいてしまった街の人の謝礼だ。確認した限りでは、旅路に持って行ける量ではなかった。いくらかは孤児院に寄付しようと、仲間の中で相談を交わした。果物や野菜、マフラーや子ども服も入っていた。少なくとも旅路で傷みやすいものを持って歩くわけにはいかない。
 柵の前でマリーは待っていた。マリーは、竜次が昨日と違う女性を連れているのを不審に思っていた。
 眉をひそめるマリーを見て、竜次は誤解をされていると察した。慌てて紹介をする。
「こ、この方は、ミティアさんです。今日はこの方にお手伝いをお願いしました」
「マリーです。竜ちゃんがお世話になっています。今日はお願いしますね」
 ミティアは軽く会釈する。すぐに子どもたちが興味を示した。
 マリーが子どもたちに待てと抑止するも、ミティアは人気者になってしまった。
「ちょー、びじんだ」
「すげー、かわいい」
「あそんでー!」
 ミティアはにっこりと笑いながら、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「わたし、ミティア。今日はみんなと一緒だよ、よろしくね」
 微笑み、自己紹介をするミティアを見て、竜次は立ち眩みを起こしかけた。目の前にいるのは女神か? 聖母か? 孤児院の子どもたちに分け隔てなく平等に接するこの姿勢。竜次は子どもたちと会話する彼女を見て、感銘を受けた。
 マリーがすかさず指摘を入れる。
「竜ちゃん、鼻の下伸びてるけど、彼女?」
「さ、さぁ、どうでしょう?」
 マリーは竜次が連れて来る人が女性ばかりで、これも不審に思った。
 竜次は話題を逸らすため、紙袋をマリーに渡した。もともと渡すつもりではあったが、わざわざ外で渡す。
「あぁー……ははは……そうだ。これ、よろしかったら受け取ってください」
 苦笑いで、わざとらしい態度だ。マリーは眉間のしわを深めながら受け取り、中を覗く。すぐに驚きの声を上げた。
「あれまぁ、街の市場で見るものばかりじゃない。どうしたの?」
「いただき物で申しわけないのですが、こちらでお役立てください」
「ひょっとして、昨日の騒動と関係があるの? 大通りの市場での……」
 マリーは昨日の騒動を知っていたようだ。同じ街の中だから、知っていてもおかしくはない。こればかりは竜次も誤魔化しようがなかった。
「えぇ、まぁそうです。ミティアさんとお友だちが率先して助けたらしいです。その際のお礼なので、やましいものではありませんよ」
 竜次はできるだけ言及されないように説明した。
 それでもマリーは渋ったが、どれもありがたいものばかりだったので受け取ることにしたようだ。
 孤児院の中に入って支度をはじめる。
 竜次は白衣を着て、聴診器を首から下げている。ミティアはじっと見惚れていた。必要以上に見るので、これには竜次も笑ってしまう。
「似合ってます?」
「はい!! かっこいいと思います!!」
 今回はフィラノスで買った伊達眼鏡が加わっている。これがさらにかっこいいと、ミティアには見えるようだ。目を輝かせている。
「白衣の先生はかっこいいです。全然怖くないし」
 ミティアは『怖くない』と言った。竜次は違和感を覚え、探ろうとする。
「怖い、とは?」
 ミティアも隠すつもりがないのか、これは素直に答えた。
「わたし、白衣の人が苦手だったんです。お医者さんもそうですが、学校の先生も」
「ふふ、白衣恐怖症ですか?」
 血圧が上がってしまうことや、気分を悪くする精神的なものならある。ミティアは白衣恐怖症という言葉に対し、心当たりがあるようだ。
「わたしにもよくわからないです。気がついたら大丈夫になっていました。でも、もしかしたら、悪い思い出があったのかもしれないですね」
 ミティアの生い立ちについては、まだまだ不明な点が多い。おそらく、研究所でひどい仕打ちを受けたのだろう。彼女の心に何が刻まれてしまったのだろうか。竜次は気になった。今は、打ち明けてくれただけでも、前向きに捉えるべきかもしれない。
「先生?」
「あ、いえ、始めましょうか」
 すぐに切り替える。竜次はミティアに子どもたちの名簿を渡した。背筋を伸ばし、健康診断を開始する。
 一度染みついてしまったイメージはなかなか抜けないもの。孤児院の子供が抱く竜次への印象は、マリーを泣かせたいじめっ子だろう。子どもたちは竜次の指示を聞いてくれなかった。だが、ミティアを通すとすんなり従った。泣きそうになっている子がいれば、手を握って大丈夫だと頭を撫でている。
 もしかしたら、ミティアはこういう仕事が向いているのかもしれない。子どもの視点で何が足りないのか見つけようとしている。なかなか意識をしてやろうとしても、できることではない。
 ミティアが一緒でなかったら、すんなり終わらなかっただろう。それくらいスムーズな運びだった。全員終わったのはお昼だった。
 竜次は机にかじりついて診断書をまとめている。普通なら何日もかかってから提出するものを、すぐに仕上げてしまうつもりだ。

 手伝いがなくなってしまったミティアは、子どもたちと庭でふれあっていた。
 孤児院の敷地は広く、裏庭もあった。広々として、マリーや子どもたちが世話をした花壇も見受けられた。
「お庭、広くていいねぇ。これなら遊ぶのに退屈しないかも?」
 ミティアはすっかり子どもたちと馴染んでいた。無理をしている様子もなく、ごくごく自然に子どもたちとふれあっていた。
 孤児院とは言え、健康な子ばかりではない。病気を抱えている子、体にハンティキャップを抱えている子、なかなかコミュニケーションが取れない子もいる。それでもミティアは根気強く子どもたちに向き合っていた。この短時間で一緒に遊べるほど親しくなっていた。
 ミティアは庭を褒めたが、その理由は孤児院が柵に囲まれているからだ。
「裏の囲いを抜けたらもっと広い運動場みたいなのがあるよ。街の人に許可をもらって、ボール遊びをすることがあるんだ」
 お兄ちゃん気質でやんちゃな子が説明した。この様子だと、あまり囲いから出られないのだろう。
 孤児院の敷地には遊具がなかった。手入れが整った花壇、無造作な砂場。この限られた庭でも、子どもは元気に遊んでいる。
 ミティアは裏庭の花壇で屈み、女の子たちと四葉のクローバーを探していた。
 何でもない遊びだって、子どもにとっては大冒険だ。見つからないが、この気持ちが楽しいに違いない。
 子どもたちの動きがぱたりと止まった。
 違和感に気が付くが、確認しなくても耳で察知した。風に混じるかすかな鈴の音。これを聞いて、ミティアは子どもたちの視線を追った。息を飲みながら立ち上がり、振り向いた。
「そん、な…………」
 銀の長髪に黒マントの男、クディフだ。
 ミティアの表情からただごとではないと読み取ったのか、子どもたちは彼女の背後に隠れた。固まっておとなしくしている。
 クディフはミティアをじっと見て言う。
「貴女は十分に自分を知る努力をした。もうよかろう。手荒なことはしたくない。一緒に来てもらう」
 手荒なこと、つまりは武力行使だ。
 クディフの左肩は完治しているようだ。戦って勝てる相手ではないのは、ミティアも承知している。
 今は黙って従うか、それとも……
 ミティアの意識は自分の腰に行った。幸いにも腰に剣は下がっているし、ポーチも身につけている。
 クディフが答えを迫るように一歩踏み出した。
 ミティアは反射的に両腕を広げた。
「この子たちに手を出さないで!!」
 震えてうまく言えなかったかもしれない。声を出しただけなのに、息が苦しくなった。この緊張感に打ち負けてしまいそうだ。寒気とも思えないが、体が震える。
「その子どもが、この先どんな運命となるか、知らぬか」
「今はそうじゃないって聞いた。だから、わたしは信じてる」
 時間稼ぎをするか? そんな見え透いた行為、この人が見逃してくれるはずがない。ミティアは自分ができることを考えていた。
 クディフはさらに一歩距離を詰めた。
「お前だって教会の子であったろうに」
 記憶にない出生に触れられた。だが、そんな話よりも、打開策を考えることで頭がいっぱいだ。ミティアは追い込まれた拍子に、やけくそになってしまった。
「わたしは世界の生贄なのでしょ? どうでもいい、誰でもよかった、そんな命……」
 今を否定していた。ミティアは自分の言葉に吐き気がした。この皮肉に、クディフは笑みひとつ見せない。
「お前の半分はそうかもしれない。俺が必要としているのは、もう半分の存在なのだから」
 言っている意味がわからない。この人が指す、『半分』とは何だろう。聞き出さなくては。ミティアは自分でも信じられない行動をした。
「お姉ちゃん、この人と話があるの。とっても危ない人だから、みんなは中に入って!!」
 ミティアの声で、後ろに隠れていた子どもたちが一斉に走り出した。
「これがわたしの答えです!! わたしに用があるのなら、あなたはこれでいいはず!!」
 言ってすぐに地面を蹴った。ミティアはそのまま裏庭の囲いを飛び跨いだ。やんちゃな子どもが言っていたことを信じて、裏庭を抜けたのだ。
 背後から足音と鈴の音がする。これで孤児院は無事だ。
 マリーも、子どもたちも。
 きっと、竜次も……。


 キッドは額に汗を浮かべながら、少しずつ歪みを動かしていた。長時間の集中は何でも疲れるが、驚くほど体の負担が大きい。
「あと少しだよ! みんな、お姉ちゃんの邪魔をさせないで!!」
 圭馬の声に、辺りにまた緊張が走った。
 歪みはあと一メートルほどだ。明らかに小さくなった。
 鬼の切り倒しを担当していたジェフリーは、時間を気にしていた。瘴気の隙間から朝日が見えたからだ。
「おばさん、結界とやらはあとどれくらいで解ける!?」
 今が必死で、誰もがその制限時間を忘れていた。
 アイラはサキを抱えながら、懐中時計に手を伸ばした。
「あと十分……ないか、くらいだよ」
 ジェフリーは皆の様子も確認しつつ、別の質問をする。
「結界が解けるとどうなる?」
「あたしが強力な魔法を打てるようになる。でも、この森の時間が動き出す。そこの変な魔物も動きが早くなる」
 いい答えは期待していなかったが、情勢もよくない。余裕を持ってあと五分か、そんなものだろう。ジェフリーは仲間の様子を気にしていた。
 現状ではキッド一人に負担が圧しかかっている。今にも倒れそうに震える脚、顔を歪ませている。サキも、本来ならサポートをするつもりだったのかもしれない。
 そのサキは気を失っていたが、意識を取り戻しつつあった。ローズいわく、サキの体に異常はない。あれほど派手に受け止めておいて、骨折もないようだ。
 寝不足と、基礎体力のなさと、極度の緊張で驚いてしまったせいではないか。気絶してしまった要素は、こんなものではなかろうかとローズは診断を下した。
 サキは目を覚まし、苦しそうに胸を押さえた。普段使わない筋肉を使い、緊張と重なったのかもしれない。
 ローズは念のため問診をする。
「サキ君、どこか動かない場所はないデス?」
 サキはローズの質問に頷き、アイラの手を離れて立ち上がろうとする。
「あぁ、こら、無茶だよ」
 アイラが心配をするが、サキは首を横に振った。
「……聞こえてました。時間、ないですよね」
 サキは杖を拾い上げ、キッドの隣に立った。その足はまだふらついている。
「ローズちゃん、あそこ解けるよ!!」
 圭馬が叫んだ。ローズも立ち上がって補助に回った。
 皆の邪魔にならないように、適度に距離を置きながら進路を遮らないようにうまく動いている。ローズなりに無理のない動きをしていた。
 アイラは後ろを振り返った。
 キッドに寄り添い、励ましながら手を重ねているサキに目を細める。
「知らないうちに大きくなるもんだね、子どもってのはさ……」
 アイラの双剣を握る手に力が入る。
「さぁて、邪魔はさせないよ!」

「もう肩の力抜いて大丈夫ですよ。ほとんど塞げています」
 キッドの震えている手に、冷たくて小さい手が重なる。キッドが目を開けると、サキが弱々しい笑みを浮かべていた。
 サキが言うように、歪みはほぼ塞がっている。あとは最後のひと踏ん張りだ。
「最後です、せぇ、の……!!」
「こなくそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 サキの合図でキッドが絶叫した。
 キッドの手が合わさって、大きくパンッと鳴った。目の前の歪みが最後の瘴気を漏らしながら、閉じて縮んでゆくのが見える。
「や、やった……!!」
 キッドは消えゆく歪みに感極まった。サキを抱きかかえている。
「うわっ、うぶぶっ……」
「あんたのおかげよ!! ありがとう!!」
 聞き間違いではないかとサキは耳を疑った。キッドがお礼を言っている。そして、この包容力がなぜか懐かしいと思っていた。
 森の禍々しい瘴気が消えた。植物が本来の姿を取り戻してゆく。
「よぉし、こうなったらこっちのモンだ。総攻撃で叩こう!!」
 圭馬が歪みの消滅を見届けて、再び叫んだ。ずいぶんと声の大きい仕切り屋さんだ。
 最後の瘴気で再生したのも、一瞬の間、ジェフリーとコーディが先制した。
「足は任せろ。コーディは上を潰せ!!」
「りょーかいっ!!」
 足から、まず左。右も、と二人が意識をした時はアイラが駆け抜けていた。
「おばさんっ!!」
「ほいっと!」
 アイラは駆け抜けたが、すぐに方向を転換をした。そのまま曲剣を握った手を裂こうとする。だが、ここで鬼が悪あがきをした。
 急降下をはじめたコーディを意識しているようだ。このままだとコーディが危ない。
「まずいっ……!!」
 ジェフリーがコーディに危険を知らせようとする。が、鬼の目に矢が飛んだ。この状況で矢を放てるのは一人しかいない。
 ジェフリーはキッドに視線をおくる。彼女は弓と、次の矢を構えていた。その横ではサキが詠唱をしている。
 ジェフリーが攻撃の確認した直後、コーディの強烈な踵落としが鬼に直撃した。
 上空から潰すように激しく入ったため、ドスンと土煙が舞った。鬼はもう悪あがきも、逃げることもできない。
「悪しき者に光の裁きを……ホーリーランス!!」
 サキが杖を振り上げ、上級魔法を放った。
 いくつもの光が宙を舞う。その光が槍となって鬼を串刺しにした。何本かわからない。針の筵のようだ。捉えた鬼は白く光り、蛍のような光の塊になった。そして、シャボン玉のようにパァンと弾け、光はばらばらに散った。
 街道は静かで平和な姿を取り戻した。
 この場の皆でつかんだ勝利だ。読みと連係プレイと補助がうまく重なった結果だ。
 皆は歓喜の声を上げ、お互いの活躍を称え合った。
 
 サキはその空気に溶け込むわけではなく、アイラを気にかけていた。アイラは自分の懐中時計をじっと見つめている。
「お師匠様?」
 サキの呼びかけに応じず、アイラは顔を上げた。
 時間を気にしているわけではないようだ。結界が解ける時間なら、とうに過ぎている。
 アイラは懐中時計をしまってサキに歩み寄った。
「あたしゃ金稼ぎが目的だ。報告したらこの件はおしまい」
「そ、そうですよね……」
 サキは別れが近いことを察し、気を落とした。こうなることはわかっていたはずなのに、物悲しさが押し寄せる。
 ジェフリーもアイラに声をかけた。
「おばさんがいてくれたおかげで、誰も大きな怪我をしないで済んだ。助かった」
 きっとアイラは行ってしまう。金を稼ぐ目的が優先されているのは、もちろんジェフリーも耳にしている。それでもあえて引き留めようとした。
「よかったら、食事くらいは付き合ってくれないか?」
「いや……」
 アイラはジェフリーの誘いを断った。その代わり、言いたいことがあるようだ。
 ジェフリーは眉をひそめる。アイラから殺気のような圧を感じたからだ。
「ジェフリー、あたしがサキを連れて行ってもいいかい?」
「な、に……?」
 ジェフリーは聞き間違いかと思った。サキも目を見開いている。
 アイラは皆の視線も感じながら、腕を組んだ。まるでこれから、説教でもするかのようだ。
「あんたたち、危険なことに首を突っ込んでいるんだろう?」
 ジェフリーは答えないまま唇を噛み締め、サキに視線をおくる。どうやらアイラは、サキが今のような危険な目に遭うのをよく思っていないようだ。
 皆もその意思を汲み取った。
「そっか、アイラさんって、サキお兄ちゃんの育ての母親だもんね」
「自己紹介で言ってましたネ……」
 コーディとローズも納得した。だが、キッドは納得していなかった。
「アイラさん、待って。この子を、もう少しあたしたちに預けてくれませんか!!」
 キッドはサキを庇うように割って入った。深く頭を下げている。
「お願い、します……」
 信じられない。気が強く、プライドの塊のようなキッドが、自分のために頭を下げている。サキは動揺し、視線を泳がせる。
「えっ、あの……」
 キッドは頭を下げたまま動かない。アイラは冷めた眼差しを閉じ、腰のカバンに手を回した。のちに金属の音がした。
 アイラはカバンから銀の懐中時計を出した。本来彼女が持っていたのは、金の懐中時計のはずだ。その銀の懐中時計をキッドに渡し、持たせた。
「えっ……?」
 キッドは懐中時計の名前を見て、手を震わせた。『ユッカ・エールシア』という名が刻まれている。キッドが顔を上げるとアイラが目を細めていた。
「もう隠せないよ。嘘をついて生きるのは、おやめ……」
「……っ!?」
 キッドは手を震わせる。そのせいで懐中時計のチェーンがぶつかり、カタカタと音がした。
 動揺するキッドを前に、アイラは皆に聞こえるように語りかけた。
「あたしゃ、お母さんと同期だったんだよ。どっちがいい成績で卒業できるか、競ってた。恋の相談までするくらい、仲良しだった」
 アイラは一区切りし、今度はサキに目をやった。
「サキ、どうして魔導士狩りで自分が生き残ったのか、理由がわかるかい?」
 サキは何度か瞬いて首を傾げた。いくら賢くても、それはわからない。どうして自分が生き残ったのかは、前々から不思議に思っていた。だが、具体的な理由があるとは思ってもいない。サキは考えた末に、絞り出した心当たりを口に出した。
「拾ったラーニャ母さんの……気まぐれですか?」
 あやふやなものだったが、アイラにずっとそう言われ続けていた。それよりも、懐中時計から、サキの話になり、どうも不穏だ。
 圭馬がサキの足元で跳ねながら発言権を求めた。
「はーい、ボクいいですか?」
 性格なのか、ズバズバと客観的な意見を述べる。
「この子が女の子と思われた!」
「それ、ぜってー違う……」
 すかさずジェフリーは指摘を入れた。想像していなかった事案だ。圭馬の意見は間違えであると誰もが思った。
「そうさ……」
 ジェフリーの指摘はあっという間に覆された。アイラはキッドを睨むような強い眼光で続けた。
「あたしの姉、ラーニャはいわゆる雇われの殺し屋。そして魔導士狩りの首謀者。なぜ魔導士狩りが起きたか、誰を探していたのかって? それはあんただよ」
 まるで探偵が犯人を追い詰めるような行為だ。アイラはキッドに一歩迫った。
「クレア・ハーテス……魔法無効能力者。近年で確認されている唯一のノイズ……」
 キッドは懐中時計を握りしめ、目を見開いた。懐中時計を握る手が震えを増す。
「サキ、あんたの……本当のお姉ちゃんさ」
「おかしいとは思っていました……」
 サキは俯き、振り絞るように語り出した。
「だって、何も特別じゃない僕が生きてるなんておかしい。僕は間違えられた。間違って助かった。間違っていたとしても、利用価値があるかもしれなかった」
 魔導士狩りの首謀者がなぜサキを助け、拾ったのか、答えはもう見えていた。
「ノイズの人は魔法協会もほしがるほどです。僕はノイズのお姉ちゃんと間違えられた。お師匠様、そうですよね?」
 サキは思った。これはアイラの策だ。アイラはどうして今、このような形でキッドを追い込むようなことをするのか。真実を突きつけるのか。それはキッドを無力化するためだ。
「うそ!! こんなの……こんなの……」
 キッドの手から懐中時計が零れ落ちた。
「じゃあ、魔導士狩りは……父さんは、あたしのせいで……」
 キッドの中で負の感情が渦巻いた。思い出される惨劇。たくさんの魔導士、魔法使いが殺された。魔法都市なのだから人口の大半はそうだろう。中には関係ない一般の人も多く含まれた。たった一人の、魔法無効能力者を探し出すために。この場のジェフリーも体験した、理不尽な大量殺人。
 すべては、自分のせいで――
「いや……こんな、そんなのって……」
 キッドは完全にパニック状態に陥った。
 アイラはキッドにとどめの一言を刺した。
「何も知らないあなたのせいで、サキがこんな子になった。あなたにサキを返すわけにはいかない!!」
「いやあああああぁぁぁぁぁぁーっ!!」
 キッドは絶叫し、膝から崩れて座り込んだ。頭を抱え、壊れた人形のように首をぶんぶんと振り、激しく震えている。
 それを黙認して、アイラがサキの腕をつかんだ。
「この子は、あたしの子だ。連れて行く!!」
「おばさん、待ってくれ!!」
 ジェフリーは咄嗟にアイラの前を遮った。
「やり方が汚いじゃないか!!」
 怒りに染まった低い声だ。この声に連なるように目つきも鋭い。ジェフリーは自分が止めなくてはいけないと躍起になった。なぜなら、キッドがショック状態だからだ。
 コーディも止めに入ろうとする。
「アイラさんらしくないよ。人を陥れるなんて」
「部外者は黙っておくれ……」
 アイラは声を低くし、コーディを威圧した。
 ローズは気を利かせてキッドの介抱をしている。背中をさすって落ち着かせるように声をかけるが、今のところ耳に届いても、心には届いていないようだ。
 ジェフリーはアイラの進行を阻止する。足を向ける方へ素早く回り込んだ。
「ジェフリー、よしなさい」
「おばさん、自分が何をしているのか、わかってるのか!?」
 ジェフリーが説得を試みるも、アイラは聞き入れない様子だ。サキをつなぐ手とは逆の手が背後に回された。
 ジェフリーは身構える。
「やめろっ!!」
 アイラの腰に銀の刃が光る。ジェフリーは、剣を抜いて受け身を取った。
 刃が交わった。金属の軋む音が悲しく響く。
「こんなの、誰が望むんだ!」
「ジェフリーさん……」
 手を引かれているサキは、目線だけジェフリーへ向ける。真実を知って放心状態のようだ。
 サキの足元で、圭馬は煽るような発言をする。
「ほっほー、醜い争いだね。別に争いは勝手にやっていてかまわないけれど。それで、キミはどっちなんだい? どうしたいんだい?」
 アイラは手を払い、サキを後退させる。
 サキは刃を交えるアイラとジェフリーを見て、心を痛めた。なぜ、さっきまで一緒に戦った人同士が戦わねばならないのか。ましてや戦っているのは、自分の友だちと師匠だ。争う理由がない。
「こんなの間違ってる! これじゃあ『拾った親』がした仕打ちと変わらない! サキはまだ何も言っていないだろう!?」
「あんたたちがしようとしていることは危険すぎるんだよ!! そんなことに、サキを巻き込むことはできない!!」
 アイラは刃を跳ね除け、間合いを取った。このままサキを一行から引き離し、引き込むつもりだ。
 アイラは無言のまま、ジェフリーを睨みつけている。その構えに、離した手を後ろに忍ばせ、二本目を抜いた。それを見たサキはジェフリーを庇うように間に入った。
「お師匠様、もうやめてください」
 サキはアイラの目の前で両腕を広げる。すすり泣くキッドの声を耳にし、サキは声を震わせた。
「ぼ、僕は何があってもお師匠様の子です。心配かけることばかりして、悪い子で本当にすみません!」
 サキは頭を深く下げた。涙声で訴える。
「僕の大切な友だちや仲間……姉さんを、これ以上傷つけないでください。お願い……します!」
 ジェフリーは自己嫌悪に陥った。サキにこんなことを言わせ、何が友だちだ。もう少し自分が感情を抑えていれば、話し合いで済んだかもしれない。手を出すのが早かったのだろうか、などと考え込んでしまった。
 サキは身を縮める。今から叱られるのをわかっている子どものようだ。
「僕は……僕は、お師匠と一緒には行けません!」
 サキは身震いを起こし、力強く言う。反抗とも捉えられるだろう。アイラに鉄槌でも食らうのを、覚悟しているかのようだ。
「僕は、もっと強くなりたい! いつか、僕がお師匠を守れるくらいに……」
「サキ……」
「旅の危険は承知しています。だからこそ、僕は知らないことを知りたい。お師匠様が僕に教えてくれたでしょう?」
 アイラは何度か瞬き、双剣を鞘に収めた。
 可愛い子には旅をさせよと、出したものの、危険なことに首を突っ込んでしまっていた。母親として、気が気でないのは当然だ。
 やり方が荒くなったのは、愛情が歪みつつあったからだ。力ずくでもサキを連れて行きたいゆえに、キッドを深く傷つけてしまった。してしまったことはやり直せない。
 アイラはゆっくりとキッドに歩み寄った。
「恨むだろうね。この因果を……」
 キッドはぴくりと反応し、泣き筋の残る顔を上げた。
「ユッカちゃんにいったんあんたたちを返すよ……すまなかったね」
 アイラは謝ったが、キッドは放心状態だ。皆にも頭を下げた。
「あたしは冷静じゃなかった。騒がせてすまなかったね。もう少しこの子をお願いするよ……」
 コーディ、ローズ、それからジェフリーとも目を合わせ、最後にサキに向き合った。
「だけど、自分たちの進む道が必ずしいと思っちゃいけないよ。『今』ってのは、何年も前から築き上げられたものだ。それを捻じ曲げることは難しいんだよ……」
 アイラは表情で詫びながら踵を返した。去る足も速い。街の方へ走って行った。
 物悲しい別れ方をしてしまった。サキは見えなくなるまでアイラを見送った。一度も振り返らなかったのだから、覚悟を決めた行動なのだろう。
 ジェフリーはフィラノスでアイラに別れの挨拶をした際、『親子』としてのやり取りを見ている。アイラは本当にサキを大切に思っていた。だが、強硬手段と実力行使があまりにも醜かった。アイラが一行に与えたのは、疑惑ばかりだ。キッドが隠していた素性を暴き、サキと血縁関係があることを認めた。キッドを陥れるようなことをしたのは、本気でサキを連れて行くつもりだったのだろう。だが、疑惑の中にヒントと答えが散りばめられている。
 後味は悪かったが、自分たちの進む道を危険だと言っていた。そして、自分たちが追い求める真実は何かを変えようとしている。アイラはそれを止めるような言葉だった。
 ジェフリーは気になったが、ここを収める方が先だと切り替えることにした。まずはキッドを立ち直らせなくては。
「キッド、大丈夫か?」
 ジェフリーは心配の声をかけるが、キッドは答える様子もなく、反応もない。元気にいがみ合ってくれる彼女ではない。
 キッドを介抱していたローズが、状況を説明した。
「一応、落ち着きましたデス。ただ、そう簡単にショックは抜けないかと……」
 キッドがあまりにおとなしい。いつもの彼女ではないのが違和感を覚える。
 それよりも圭馬が不満を爆発させている。ウサギらしく、地団駄を踏んでいた。
「なんつーか、あのお師匠さん、やるだけやって逃げちゃったみたい。感じ悪いなぁ!! ボクのこと絶対知ってたし、混乱を招くような暴露はするし、お師匠さんは何者なんだよぅ、まったく……」
 ジェフリーは圭馬が憤慨する気持ちも理解できた。アイラが残した言葉の意味は皆が揃ってから話し合いたい。
 キッドを何とかして立ち直らせないといけない。ジェフリーは手を差し出した。だが、キッドはこれを払いのける。
「キッド!!」
「あたしのことなんて、放っておいて!!」
 先ほどまで放心状態だったキッドは、ジェフリーに噛みつくように受け答えている。ジェフリーは勢いに任せ、再び手を差し出した。
「ふざけるな。大切な仲間を放っておけるわけがないだろう!!」
「あたしなんて、死んじゃえばよかったのよ!!」
 キッドは絶叫し、顔を覆ってすすり泣いてしまった。
 ジェフリーはローズの心配そうな視線を気にしつつ、しゃがんでキッドの顔を覗き込んだ。このままでは逆効果だ。だが、ジェフリーには考えがあった。
「なぁ、簡単に生きるのを諦めるなよ。誰がキッドを恨んでるって言ったんだ? サキか? それとも俺がそう言ったのか?」
 ジェフリーは根気強くキッドに向き合おうというのだ。キッドは放心状態だったが、強気だった彼女『らしさ』を取り戻した。それでも、これ以上は難しいかもしれない。
 複雑な心境を押し殺し、サキがキッドの手に銀の懐中時計を持たせる。
「ジェフリーさんの言う通りですよ……」
 キッドは顔を上げ、サキに目を向けた。焦点が合っているのかは怪しい。合わせる顔がないと思っているのかもしれない。
 サキはジェフリーに目で『任せて』とサインした。それを確認し、ジェフリーは身を引いた。離れて周囲を警戒するコーディを見る。コーディは仲間のやり取りに口出しをせず、歪みの問題を鎮圧してからも違う襲撃がないかを警戒していた。現実を見据える立ち回りだ。
 サキはキッドを見つめたまま、照れくさそうに笑った。
「僕は魔導士狩りで家族を失ってしまった。長らくそう思っていました。だけど、姉さんが生きていてくれた」
 サキは涙を浮かべ、声を震わせた。
「その……いろいろあって、考えちゃうのは仕方がないと思います。でも、これだけは覚えていてほしいです。僕は姉さんを恨んでいません。生きていてくれて、うれしかった……です」
「どうして……どうしてそんなことが言えるの?」
「だって、僕は今が『今』が大切だと思うから」
 急に仲間から姉弟の関係にはなれないだろう。お互いが認め合うにはまだまだ時間が必要だ。サキはとある提案をした。
「えっと、急に姉さんって呼ぶのは馴れ馴れしいかもしれません。僕のことを弟だって認めてくれたら、本当の名前を教えてくれませんか?」
 キッドは目を見開き、驚いた。サキの提案を意外だと思ったようだ。
「ダメ……ですか?」
 サキはしつこくキッドの言葉を求めた。だが、そのしぐさが上目遣いであざとい。キッドはこの様子を見て笑ってしまった。
「ふふっ……あんたには負けたわ」
「えへへ、いつものキッドさんだ」
 サキによって、キッドは少しずつ話せるようになっていた。とてもジェフリーにはできなかったことだ。
 キッドを支える役目は自分ではないと、ジェフリーは察した。ジェフリーは自分がいつものように喧嘩腰になり、キッドから負の感情をぶつけてもらうつもりでいた。
 きっと今のキッドが、必要としているのはサキだ。ジェフリーは一歩引いた。
「コーディ、報告に行こう」
「ふはぇっ!?」
 コーディが腑抜けた声を出した。若者の流行り言葉にでもありそうな発音だ。ジェフリーから空気を読めと言われているような威圧感を感じたようだ。コーディは渋りながら頷いた。
 ジェフリーはローズにも声をかけ、お願いをした。
「博士は一応ここにいてやってくれ。俺たちは先に戻って念のためギルドに報告をする」
「了解デス……」
 この場にローズを残す判断をした。圭馬はともかく、彼女は適度な距離感を保ってくれるし、要所で補助をしてくれる。何かあった時の保険とジェフリーは考えていた。
 何か襲ってきたら、この二人が一緒だ。もしかしたら、今は無敵かもしれない。
 街道を吹き抜ける風が気持ちいい。
 先ほどまでの出来事が、まるで嘘のような錯覚を覚える。

 街道から街へ戻る途中、ジェフリーはアイラの『おまじない』がついた木を見かけた。
 暗い話ばかりだったかと思いきや、アイラはとんでもないヒントまで残してくれた。アイラの姉が雇われて魔導士狩りをしたのなら、まだ後ろに誰かがいる。ノイズという特殊な能力をどうしても手中に収めたい人物だ。大量殺戮を起こしてまでしても……

 点だったヒントが、またひとつ繋がった。
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