トレジャーキッズ ~救いしもの~

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【3‐5】大切なもの

白と黒と赤の記憶

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 三晩のうち、二晩が明けた。ケーシスとの約束が明日に迫る。さらに言うと、目が覚めたのは昼前。皆の足並みが揃った。深夜の騒ぎ疲れた中、ミティアだけが律義にベッドで眠ったらしく、彼女だけ異様に目覚めがいい。
 一番顔色が悪いのはジェフリーだ。泡立て器といくつも重なったボウルが流しを支配している。
 身支度を整えながら、竜次は気遣った。
「ジェフ、顔色が悪そうですね。もしかして、寝ていません?」
 何となくジェフリーの顔色が優れない。顔が悪い、だったらいつものように言い返すかもしれないが、本当に具合が悪いようだ。しかしそれには理由がある。
「買い物リストに生クリームって書いたが、どうして液体の物を大量に買って来たんだろうな。少しはクリームにする方の身にもなってほしい。まぁ、コツがわかれば面白かったけど」
 ジェフリーは恨めしそうに竜次を見た。買い物をして来たのは竜次だ。
 文句を言っても仕方がないしもう済んでしまったこと。
 パティシエの気分も味わえてよかったのかもしれないと、ジェフリーは前向きに捉えることにした。
 トントンを階段が鳴る。襟元を整えながら、ミティアが一階に下りて来た。もう普通に歩いて大丈夫なようだ。ミティアは竜次の姿を見て催促をした。
「先生、行かないと!!」
「えっ、あっ、そっか。時間が……」
 竜次は言われて時計を見た。慌ててキッドの手を取る。キッドは何をそんなに慌てているのかわからず、目を丸くしていた。
「ど、どうしたの?」
「一緒に来てくださいっ!!」
 竜次に手を引かれ、キッドは困惑していた。一応まだ何かやるのかという顔をしている。事情は知っているが、本当にやるのかとそわそわしていた。
 竜次はキッドを連れて外出してしまった。
 主役の二人が出て行ったことにより、皆は動き出す。次に動き出したのは、ローズとハーターだった。
「さて、オニーチャン、行って仕掛けないとデス」
「おっと、そうだね。ぼくたちは先に行くよ。鍵を置いて行くから、戸締りはしっかりよろしくね」
 ローズとハーターも足早に出て行ってしまった。
 残った者たちは、料理を運び出すという重要な役割だ。何せケーキの組み立てパーツや小道具などもある。おしぼりやタオルも欠かせない。いくら寒い気候になって来たとはいえ、衛生面も注意したい。
 バタバタと慌ただしい中、ミティアは鼻歌交じりに支度を整える。そのミティアにサキは声を掛けた。
「ミティアさん、やけにご機嫌ですね。何かいいことでもありましたか?」
「へ、はぇ!? あ、あぁ、えっと、キッドがどんなドレスを着るのか、サキは楽しみじゃない?」
「も、もちろん楽しみですよ! 一般的には白いドレスって言いますよね。もちろん、本の中だけの知識なので、どういったものがいいのかわかりませんけれど」
 ミティアが機嫌よくしているのは、キッドのドレス姿もそうだが、サプライズゲストがいることだ。ジェフリーとキッドは口が堅くて助かったが、アイラは絶対に顔を出しに来るだろう。おそらくケーシスも顔を出しに来てくれる。ジェフリーと喧嘩をしないでもらえたら一番うれしいと思っていた。
 壱子は木箱に食器を詰めながら悩まし気に言う。
「せっかく坊ちゃんの晴れ舞台だと言うのに、ケーシス様はお呼びしなくてもよろしかったのでしょうか」
 食事のトレーを整えていたジェフリーの表情は暗い。
「親父が俺たちを気にするとは思えない。今までだってそうだったんだし。適当なことを言って、放置されていたわけだし」
 ジェフリーの中ではまだケーシスに対する不信感が拭えない。わかってはいたが、ミティアがいくらケーシスを慕ってもそこには見えない壁が生じていた。だが、いつまでも逃げているわけにはいかない。いずれは向き合って話さないといけないことがある。どうしても、確かめないといけないことがある。
 ケーシスの話になり、サキは個人的に感じていたことを話す。
「でも、ジェフリーさんが毒蛇にやられたとき、一生懸命に諦めないで治療をしてくれましたし、あらゆる手を施してくださいました。でもあのお父様は、ジェフリーさんに似て、あまり素直ではない気がします。本当はものすごく心配してくれているような?」
 壱子は深々と頷いた。そしてミティアもそう思っていた。ケーシスの話で、コーディも加わる。
「ジェフリーお兄ちゃんのお父さんって、すごく頭がいいんでしょ? お医者さんだし? 種族の難しい話も知っていたよね」
 壱子は軽く頭を左右に振って捕捉する。
「いえ、ケーシス様は努力家なだけで、賢いわけではございません」
 特にそういった関係ではないが、長い事付き添っていると扱い方も勝手もわかって来るものだ。壱子が言うのだからそうなのだろう。
 ジェフリーは卑屈になってしまった。
「努力家、か。家族との理解を深めようとする努力もしてほしかったな」
「ジェフリー坊ちゃん、お疲れなのですよ。変な考えはよしましょう。せっかくなのですから、いい空気でお祝いしてあげてください」
「それもそうだな。すまなかった、つまらない話をして……」
 壱子になだめられるも、ジェフリーは徹夜疲れかもしれないと解釈をした。変に考えるのはやめて支度を整える。
 ミティアは気まずそうにしながら、ジェフリーを心配していた。
「ジェフリー、大丈夫?」
「俺も純正のシロップでも舐めるか。あぁ、昨日の飴ならできているから、ミティアにも分けておこうか?」
「う、うん。ありがとう」
 ミティアは気負いしてしまう。ケーシスを招かない方がよかっただろうか。余計なことまで話してしまいそうで、言葉を選んでしまう。


 今日は憎たらしいくらいの快晴だ。冷たい空気に似合わず、太陽はぎらついている。街の中を大きな荷物を持った者たちが歩く。準備はたった一日だけの結婚式。それぞれができる範囲で準備を進めて来た。
 先頭を歩くのはサキ。大きな木箱を持っている。その足元にはショコラが歩いた。圭馬は面倒臭くなってサキのカバンの中だが、ショコラが進んで歩くのは珍しい。
「のぉん。たまにはちゃんと歩くのもいいのぉん」
「カバンが軽い。そして珍しい」
 サキはショコラを不審な目で見ていた。だが、もっと文句を言いたいのは圭馬に対してだった。
「こういうとき、圭馬さんは手伝ってくれないのですね」
「ボクは食べる専門だから」
 サキが小言を漏らす。すると、カバンの中からしっかりと声がした。フサフサの尻尾だけが見える。
 圭馬の図々しさは人間の子どもと変わらない。その気質をミエーナは主張した。
「圭馬さんは昔から興味がないものに関してはとことん興味がないので、つまらないっていつも突っ撥ねていましたよ。そこはお変わりないんですね」
「ミエーナも変なことを覚えているよね。でも色恋沙汰は追加で好きになったよ! ホント、人間臭いから大好き」
 長い年月が経過しても、圭馬はあまり変わっていないようだ。過去から来たミエーナが言うのだから間違いないだろう。だが、あまり変わらないというのもどうなのだろうか。そのあたりは、悠久のときを生きる者にしかわからない。

「みんなーっ! こっち、こっち!!」
 コーディの先導で船を着けてある海岸へ辿り着いた。砂浜に無数の穴があり、小さい蟹やトカゲなどの生物がひっくり返っている。そう言えばローズが防犯で何か仕掛けたと言っていた気がする。何も知らない人が見たら、怪奇現象でしかない。
 皆が頑張って整えた船を見上げる。調達した材質のせいだろうが、継ぎ接ぎらしきものが見える。これがまた味があっていい。外装は部分的に金属だが、木材が目立つ。
 乗船用の橋渡しがまた安っぽいベニヤ板みたいな物なのが笑える。何もかも急ピッチだったのだから、よく形になったと思うくらいだ。しかし、全然ファンタジー感はない。
 船全体は軽量化がされてある。風を切りやすくなど、専門的でわからないものまで計算されてあるのだから、ローズの計算は高く評価しなくては。
 サキがざっと説明をする。まだ表だけなのに、妙なわくわく感がある。
「中はもっと間に合わせ感があります。個人部屋とかまったく考えず、倉庫とか物置き場としか造れなくて、あとは床とか壁とか、軽量化したって言っていましたよ」
 板状の架け橋を渡り、荷物を運び込む。
 サキの案内の通り、部屋らしい部屋が少ない。間に合わせ感が漂うが移動の手段として考えるのがいいだろう。根城にするにはまだまだ工夫と改良が必要だ。もっとも、そんなこともこの先の楽しみになるのかもしれない。
 一同が運び込みをしていると、賑やかさを聞きつけて、とある人物が声をかけて来た。
「やぁ、邪魔してるよ」
 歯切れのいい女性の声、栗色の髪の毛をリボンで束ねたアイラだ。近くの大きな窓にはサテラが張り付くようにして見ている。まるで観光を楽しむようなノリだ。
 荷物を置きながら、サキは驚きの声を上げた。
「お師匠様! ど、どうしてこちらに!?」
 当然ここにいる理由は知りたい。
 アイラは一同の顔を眺め、その中からミティアと目を合わせた。
「あれ、ミティアちゃん、言ってないのかい?」
 ミティアはびくりと反応した。気まずそうに身を縮めている。
「え、えっと、お、驚かせたくて、内緒にしていたんです! ご、ごめんなさい!!」
 アイラは豪快に笑った。
「あっはは、なるほどね。あたしがいてもびっくりになんてならないだろうけどさぁ?」
 ミティアは素直に謝った。だが、このサプライズは皆もいい反応を示している。アイラはサテラを招き、ちゃんと挨拶するように躾けた。新顔がいることにもしっかり気が付いた。
「うん? そちらのポニーテールの子は?」
 ミエーナのことだ。金髪によく映える赤いリボンが何とも特徴的だ。ゆえに、目を引く存在である。紹介したのはサキだった。
「こちらはミエーナです。ちょっとわけあって、一緒に行動をともにしています」
「まーた新しいガールフレンド? あんたは好かれてるねぇ」
「いえ、そういう関係ではないです」
 紹介、茶々入れ、色ボケならずまで。そこがサキのテンプレだ。はっきり否定され、ミエーナは少し気落ちするも挨拶を交わした。
 自己紹介を終える頃合いで圭馬がアイラに質問をする。
「お師匠さん、白兄ちゃんと恵ちゃんは一緒じゃないの?」
 アイラは逆に、なぜ圭馬がここにいるのかを不思議がった。
「魔界に行ったけど、お前さんは呼ばれてないのかい?」
「魔界への鍵持ってるの恵ちゃんだし。と、言うか、何かあったの?」
「あたしゃ、何も聞いてないよ?」
「何だろ、ボクじゃなくてもいいなら別にいいけど」
 食い違いというよりは置いてけぼりだ。圭馬はサキと契約してこの一行と行動をともにしている。そろそろ人間に干渉しすぎて、魔界の閻魔様から怒られるのだろうか。そんな不安が過りつつも、いないなら仕方がないと流しておくことにした。
 ジェフリーのアイラに挨拶をする。
「おばさん、元気そうだな」
「ジェフリーも元気そうだね。あんたたちも便乗して結婚しちまえばいいのに」
「いくら何でも、便乗してするものじゃないだろ?」
 話し掛けた拍子でとんでもないことに発展しそうになった。ジェフリーはあくまでも冷静になって返した。これにはミティアも苦笑いだ。もちろん、お互いに遊びで好意を抱いているわけではないのは知っている。あくまでもノリと冗談だ。
 コーディも壱子も馴染みがあって軽く挨拶を交わす。コーディはともかくとして、壱子に振られるのは当然この話題だ。アイラは気さくに言う。
「壱子さん、もうケーシスさんには会ったのかい?」
「おや? 何のことでしょうか?」
「あれま、ミティアちゃん、これも内緒にしていたのかい?」
 アイラの視線はミティアに向く。ミティアはこれを申し訳なさそうに塞いだ。
 当然だが、ジェフリーも反応する。勢いで嫌なことを言わないように考えているところを、壱子に声を掛けられる。どうやら、口には出さなかったが、顔に出てしまったようだ。
「ケーシス様らしいですね。ちゃんとお顔を見せないというのが。竜次坊ちゃんを驚かせようとは、また幼稚でございます」
 壱子は呆れている様子だ。これがジェフリーを冷静にさせた。今日が何の日なのか、思い出せば心情も汲み取れる。ジェフリーはミティアの顔を覗き込んだ。
「……そっか。兄貴を驚かせようと思ったんだな?」
 何も言わずに塞ぎ込むミティア。彼女は怒られると思っているのか縮こまっている。ここまでされると、こちらが悪いことをしている気分だ。ジェフリーはカッとならないように自制していた。
「別に怒ったりしない。祝いの席でそういうのはやめよう」
「うっ、本当にごめんね」
 ミティアは深く詫びた。葛藤や嫉妬、キッドと喧嘩もしてタイミングを損ねた。ジェフリーに気を遣っている。
 ジェフリーは竜次に気を遣ったのかと口にはした。だが、本心は違った。心優しいミティアのことだ、おそらく自分に気を遣ってくれたのだろう。ケーシスが来るのならば直接怒ればいい。話したいこと、確認したいことだってある。
「と、言うか、ケーシスさん、まだ来てないんだね。どこ行っちまったんだろうねぇ、あの人はさ?」
 キセルを噴かす要領で右手を上げるも、手には何も持っていない。ついでにしかめた表情を見せた。アイラはまた禁煙でもしているのだろうか。
 ミティアが控えめに質問をする。
「あれ、ケーシスさんはずっと一緒じゃなかったのですか?」
 その質問に答えたのはサテラだった。
「お父様、ご馳走だけいただいて、それからは別行動です。もう少し世界の情勢についてのお話とか聞きたかったのですけれど」
「本当だよね、昔から何を考えているのかわからなかったけど、ホントに都合のいい人だよ。神様に喧嘩を吹っ掛けるとか意味がわからないことを言っちゃってさぁ?」
 アイラとサテラの持っている情報は触り程度だ。
 ケーシスはこの先、この二人を巻き込まないように気を遣っているのだろうか。一緒にいると余計なことまで話してしまいそうになるとしたら、理由は納得できる。
 アイラもケーシスに不信感を抱いているようだ。だが、話の流れがそうなら、この一行とは話しておきたいことがある。
「ま、暗い話ついでに先にっ話してもいいかもしれないね」
 暗い話のつながりで、アイラがギルドの写しを出した。最近のニュースもまとまっている便利な物だ。ギルドの賞金ハンターであるアイラが情勢を気にするのは癖みたいなものだが、弟子がついてからは小遣い稼ぎ程度の物しかやらない。
 ギルドの話になりそうだ。この話にはジェフリーが反応した。
「おばさんも見たのか?」
「耳には届いているよ。あんたたち、天空都市に行くつもりなんじゃないのかい? 一応言ってみるけど、やめておいたらどうだい?」
「そうはいかない。俺たちは招かれているんだ。しかも天空都市の主に、だ」
 アイラとジェフリーだけで話が進んでいる。一同は一気に引き離された。だが、追い付こうとするのもこの一行の特徴だ。
 天空都市に通じている可能性が高い光の柱。コーディはとあることを思い出した。
「そうだ、ギルド全体であの光の柱の調査をしてるんだっけ? 昨日丸一日、ギルドの情報を仕入れてないね?」
 コーディの思い返しに、ジェフリーが反応した。昨日ギルドでもらって来た写しを出して広げた。
「出し損ねた。タイミングも何もかも」
 ジェフリーもラジオを聞いてギルドに走ったクチだが、これも説明の機会を損ねた。覗き見た一同は、揃って険しい表情になる。
 わかっていながら、サキが記されていることを言う。
「全滅って、つまり、ギルドから調査に行った人は全員お亡くなりに……」
 調査に行って、誰も帰って来た人はいない。便りはない。そういうことだろうか。
「あいよ」
 アイラは今朝もらって来たと思われる、新しい写しを見せた。
 皆はアイラの持っている新しい方を凝視する。だが、記されてある情報量はあまり変わらない。便りはなかったが、近くを通った商船が目撃をしたようだ。
 アイラは深いため息をついた。少し呆れているようだ。
「ギルドの人間は厄介事の引受人だから、そのあたりの情報は出回らないんだよね。役人とか国の人が亡くなったらこういうのに掲載されるんだけどさ」
 これでは知っている人がなくなってもわからない。そうアイラは言いたいようだ。壱子もその話には敏感だ。
「残念ですが、ギルドの人間をよく思わない方もいらっしゃいますからね。仕事の中には盗みなども仕事にございますから。いい仕事ばかりではないのが実情です。いい仕事をされてそれなりの評価を得ている者は公表すればよろしいのに。同業者として、悲しいものです」
「ホントだよねぇ。死んだ報告って、いつも同業者から回って来るのさ。弔うことも、見舞いを出すこともできやしない……」
 壱子の捕捉にアイラもため息をもう一つ。コーディは少し違う感覚を持っていた。
「確かに何年か経ってから聞いたりもするよね。私はあんまり人と組まないからよくわからないけど。親しい人が亡くなってもすぐにわからないのは困るかも」
 人と違うからなのだろうが、コーディは感覚が違う。人と組むことは珍しいと本人も言っていたが、仲間の誰かが亡くなった際、すぐに駆け付けられないのはもどかしい。
 ひと昔前だったら、『ふぅん』で済ませたかもしれない。今は仲間が一緒だから、感覚も捉え方も変わった。
 壱子はまだ知らせがあるだけいいと解釈している。
「まぁ、フィラノスの海域は、漁船・商船・定期船、何でも通ると思いますので悪い知らせばかりではないと思います。ただ、海というのは救難信号が届きにくいですからね。まだ知らせがあっただけよかったかと思われます。我々も最悪のことだけは考えて行動しないといけません」
 壱子は天空都市へ、一行と一緒に挑むつもりなのだろうか。何も言わないが、ショコラが壱子を見上げてパタパタと尻尾を床に踊らせている。
 天空都市に挑む前に、海で溺れ死ぬかもしれない。そんな予感がサキを襲った。
「僕、溺れたくないなぁ。泳げないし、魔法も水は得意ではないので」
 何となく怖い。そう、何となくだ。
 水が怖いのはサキだけではない。ジェフリーは安心させるつもりでとんでもないことを言う。
「サキよりももっと重症がいるから、心配することはない。それに、そうならないように何とかしてくれるよな?」
「だ、誰に向かって言ってます!?」
「優秀な大魔導士」
「……」
 サキは抱いていた恐怖を忘れてしまった。
 ジェフリーはサキの扱いが巧みだ。旅で苦楽をともにした仲間というよりは、それ以上に友だちだ。
 溺れる、海に落ちる、前提で話しているが、そうはならないとジェフリーは思っていた。もし、誰も近寄ってほしくないのなら、それなりの信号を示せばいいのだろうが、ギルドの船を沈めるのは、いわゆる見せしめに近いのかもしれない。ぼんやりと思っていたことなので、あえて詳しくは話さない。
 ギルドの情勢はともかく、アイラは何となくの方針を言う。
「ま、ケーシスさんが言っていた、その、喧嘩を売りに行っている間、あたしたちは地上に残って変な刺客でもよこさないか見てた方がいいだろうと思ってるんだけど。ね?」
 アイラの呼び掛けはサテラに向けてだった。サテラは大きく頷いている。
 話し込んでしまいそうだ。壱子がいったん取りまとめて、閉めに入る。
「この辺りの話はケーシス様からもお伺いした方がよろしいですね。まぁ、のちほど」
 これを聞き、ジェフリーは複雑な思いを燻ぶらせていた。父親のケーシスから聞き出さないといけないことが多すぎて、いつも家族の話は後回しになってしまう。
 この待ちの時間で、サキがサテラに話し掛けた。
「あれ、冬季テストは? 確かこの期間じゃないですか?」
「自分、成績優秀と言われ、今期と来期はテストをパスすることになりました」
「えっ、こりゃ僕を抜かれちゃう予感がするなぁ」
 サテラはハイブリッド人間の呪縛から解かれ、一からきちんと魔法を学ぶようになってからメキメキと成長している様子。
 アイラは自慢気に言う。
「家事とお使い、人とのコミュニケーションが苦手な以外は言うことなし。お前さんよりいい成績を持って帰って来るよ?」
「うっ……何だか嫉妬しちゃうなぁ。僕だって優秀だったのになぁ」
 できのいい弟子だと自慢され、サキは項垂れた。だが、少しうれしいようだ。

「ほいほい、お待たせデス」
 トントンと木の床を跳ねる音、ローズが大きなカメラを持って合流した。少し遅れてハーターも駆け付けた。アイラとの挨拶はすでに済んでいるようだ。
 二人に招かれ、船の外に出た。下船ではなく、一応不格好ながらもデッキはあるらしい。それなりのスペースが確保されている。テーブルや花が用意されていた。部分的にローズの機械を取り付けた変な所はあるが、デッキからの景色は最高だ。海を見渡すことができる。青い海、快晴の空、キラキラと光る波と飛沫。船は構造上、マストや風を受ける物がないようだ。乗ったことのある定期船よりは揺れないし、酔う心配もなさそうだ。ただ、違う心配が生まれた。
 ミエーナが下を見て卒倒しそうになっている。
「わわっ!! た、高くないですか!?」
 ミエーナがわざわざ言うのだ。景色はいいが、デッキからは高さを感じる。そして、サキも顔色が悪い。
「落ちる心配がないなら、僕は大丈夫ですけど。これって姉さんも先生も条件が悪いような気がするのですが?」
 誰しも忘れていたこと。竜次は水恐怖症、キッドは高所恐怖症だ。サキが言うように、条件は最悪かもしれない。
 嫌な予感が過りつつ、一同は絶妙な空気を堪能した。誰も言葉を発せず、波の音と水鳥やカモメの鳴き声を耳にする。
 その空気を打ち破ったのはミティアだった。
「そ、そうだ、先生もキッドも遅いね?」
 ミティアが心配の声を上げる。連なるように心配が伝染して行く。一同のどよめきが広がるのをハーターが食い止めようとする。
「先生が一緒なら大丈夫じゃないのかい?」
「いや、もしかしたら……」
 ジェフリーは柵から身を乗り出す。振り返ったのは海ではなく砂浜。船の入り口も環境が悪かったのを思い出した。どうやら正解のようだ。
 白いタキシードの男とドレスの女が立ち往生している。絶対に竜次とキッドだ。あまりにも無様なので、ジェフリーはそのまま気が抜けて落ちそうになったくらいだ。
「ぶっははは……バッカみたいだな!!」
 船に渡ることができないという、どうしようもない状況だ。総出で出迎え、手伝うことになった。まずは舞台に上がってもらわないと何も始まらない。
 一番暑い時間帯のはずだが、潮風のせいで感覚が鈍っている。遠くにぼんやりと光る柱が見える。だが、柱の周辺の天気が悪いようだ。薄雲が掛かっていて、なおかつ昼間と言うこともあり、あまり目立たない。つかの間ではあるが、現実を忘れる。

 船の上というのに新郎新婦は落ち着かない。特にキッドは慣れないドレスという衣装に百面相をしている。きちんと着飾れば可愛らしく、同じくらいの年齢のモデルに引けを取らない。砂浜での立ち往生で崩れた化粧は、普段から化粧をしているローズが直し、軽い作法やドレスの持ち方を壱子が指導した。世間知らずで田舎の村で育ったキッドにはこんな格好が信じられない。
 竜次はスーツや礼装には慣れているが、シルエットを重視したベストがきつそうだ。動き方は慣れていないのでネクタイはすぐに曲がるし、胸に挿している花はすぐに風で煽られる。
 せっかく外の舞台を用意したが、風が出て来たので結局不格好な船内でやる事になった。着替えて来たはいいが街中を歩いたせいか、キッドが早くも靴に足を痛めている。
 キッドは怪我から復帰したばかりだ。まだ、痣も残る、痛々しい背中を隠すようにヴェールが分厚い。戦場ではめていたグローブとは違うレースの付いた可愛らしいアームカバーも、腕っぷしを誤魔化すように綺麗な装飾がある。レンタルとは言え、高そうだ。そして、着る人間に合わせた気遣いがされてある。
「いいなぁ、わたしも着たい」
 年頃の女性ならお決まりのセリフだ。口を尖らせながらミティアがジェフリーに視線を向ける。だが、ジェフリーはこれをわざと見流した。下手に先の見えない口約束をするのはどうかと思っての判断だ。想像しなくても、素材がいいのだから何を着ても似合うに決まっている。
 壱子はスーツフェチなのだろうか。竜次本人ではなく、スーツの裾を摘まんではため息を漏らしていた。『うっとり』という言葉がよく似合う。
 このままでは話が散らかってしまう。ハーターは皆をまとめようとする。
「で、ぼくたちの中に、既婚者も式の経験者もいないんだけど、先生たち、愛の誓いとかするのかい?」
 からかうような軽いノリでハーターは問う。着飾った二人を囲んでただ談笑しているだけなのだからまとまりがない。場所が場所なだけあって、そんな雰囲気でもないが、何となくキッドと竜次が向かい合った。だが、照れてばかりで何を話し、何を誓ったらいいものかわからない。ノリと勢いだけで衣装を借りて来たと言ったら嘘でも何でもない。突然持ち上がった話なのだ。このまま食事をして写真でも撮ればそれで万歳。それでもよかったはずだ。
 まるでこの頃合いを見計らったような、粋な登場をする者がいた。
「汝、右の者、クレアを妻として、よき日悪い日、病めるとき健やかなとき、ともに人生を歩み、死してもなお添うことを誓うか?」
 革靴の底を鳴らし、渋い顔をした白髪交じりの金髪ウルフカットに四角い眼鏡、ネクタイを締めた男性、ケーシスだ。
 一番驚いていたのは竜次だった。
「お、お父様ぁ!?」
「誓うのは俺じゃねぇだろうが、馬鹿息子!!」
 竜次が驚くのも無理はない、こんな登場を誰が予想しただろうか。竜次は質問をされているのを思い出した。
 キッドも恥ずかしそうに見上げている。竜次の返事を待っているようだ。
 竜次は大きく息を吸って覚悟を決める。
「ち、誓いますっ!!」
 通る声ではっきりと答えた。もじもじとしながら小声で言うよりは潔い。
 竜次の誓いは済んだ。残るはキッド。ケーシスはもちろんキッドにも振る。
「汝……めんどくせぇ、以下同文。誓えるか、こんなポンコツ竜次に!?」
「なっ、ここまでしておいて、嫌なんて言うわけがないじゃないっ!!」
 挑発するような物言いに、キッドは強気で返した。その顔は緊張や戸惑いではなく、かえって素直になれた。ケーシスは舌打ちをする。
「チッ、いい女になりやがって…………」
 舌打ちの他に何か言っていたようだったが、小声で誰も聞き取れない。
 勢いで誓いは立てた。ケーシスはまだ挨拶もしていない。竜次はケーシスに目で訴えかける。
「お父様……」
「誓いのキスとか今さらだろうから、みんなが見てるこの場でちゃんとプロポーズをしろよ。いいかお前ら、全員が証人だ。耳の穴かっぽじって、目ん玉よく広げて見てろ」
「えっ、えっ?」
 イレギュラーに弱い竜次だけが動揺する。注目の中、ミティアは手の平サイズの小箱を取り出し、竜次に渡した。いつの間にか、この役割をお願いしていたようだ。
 キッドは固唾を飲んで深呼吸をする。
 竜次は小箱を持って身震いをした。緊張しているのは目に見えて明らかだ。竜次も天井を仰ぎ深呼吸をする。数秒して大きく息が吸われた。覚悟を決めたのだ。
「わ、私は、飾らず真っすぐなあなたと一緒にいて、いつしかあなたの強さに惹かれていました。あなたは身分を気にしていましたが、私には関係ありません。私と、死ぬまで一緒にいてくださいっ!! あなたを……愛しています!!」
 言った。
 精いっぱいの想いの丈だ。竜次は小箱を開け、頭を下げてキッドに差し出した。中は指輪だ。向けられたキッドは指輪越しの竜次を見て泣きながら笑った。目尻からはすでに溢れている。
 キッドは小さく首を振って答えた。
「嫌だなぁ……」
 吐かれた『嫌』という言葉に耳を疑った。竜次は頬を赤くして顔を上げる。
「死ぬまで一緒じゃなくて、死んでも一緒って誓ってくれたじゃないですか」
「クレア……」
「こんなあたしだけど、よろしく、お願いします」
 キッドは小箱ごと手を取って、竜次の頬にキスをした。何も偽りのない純愛にここにいる誰もが歓喜した。

 いい空気のまま、持ってきた料理を広げて会食にする。その前に大きなケーキを背景に記念写真を撮ろうという雰囲気になった。どさくさに紛れてケーシスは早々に立ち去ろうとしているが、もちろんそんなことは許されない。ケーキや料理の運び出しはジェフリーが受け持った。その間に、ミティアが壱子と一緒にケーシスを帰らせないように食い止めている。ケーシスを帰らせるわけにはいかない。
 美女二人につきまとわれているケーシスを見て、ハーターは呆れる。
「うわぁ、ケーシスさんモッテモテだな。こりゃホントに何人、泣かせたんだろう」
 積もる話はハーターもしたいが、どうもやりづらい。仕事での因縁があると割り切ればプライベートに区切りくらいはつけられるかもしれない。なあなあになって流してしまいそうだが、妹のローズの件もあってどうしてもいいように見れないのが残念だ。
 ミティアはケーシスに猛アタックを仕掛けている。
「まだ帰っちゃダメ!!」
「こういうのは苦手なんだよ。だから明日って割り切ったのによぉ」
「ダ・メっ!!」
「ほぉら、お鬚剃って来てやったんだ。もう見ただろ? いいだろ姉ちゃん」
 ミティアのリクエスト通り髭を剃って来た。見たからもういいだろうなど、ミティアが納得するはずがない。しがみ付いてケーシスの足を重くした。
 そのケーシスの前に、壱子が立ちはだかる。
「ケーシス様も混ざるべきです。やり逃げはよろしくないと思います」
「壱子も見ねぇうちにずいぶんと生意気を言うようになったな」
「今にわかったようなことをおっしゃられましても」
「クソがっ!」
 ケーシスは二人を振り切ろうとする。だが、新たに立ち塞がれる。純白のドレスを身に纏ったキッドだ。ヴェールを外し、ティアラのようなカチューシャがよく似合う。
「あの、おじさん……って呼んでいいのかわかんないけど。ありがとう」
「…………」
 ミティアにしがみ付かれながら、ケーシスはキッドに向き直った。睨み付けるというよりは、目を合わせるのが申し訳ないと思っている様子だ。
 キッドは一歩、また一歩とケーシスに歩み寄った。まるで詰め込む厄介な脱兎を追い詰めるようだ。
「間違っていたらごめんなさい。一つ、聞きたいの」
「何だっつーんだ?」
「あたしの母さんと友だちだったんでしょう?」
「さぁな?」
「お願いだから、誤魔化さないで!」
 ケーシスはとある言葉に弱い。それは『お願い』だ。ミティアを剥がそうとする手がぴたりと止まった。キッドの母親の話になって、この女性が黙っていない。
「友だちと言うか、幼馴染でフィラノスだけに限定すれば、ご近所さんだったのさ?」
 アイラは腕を組みながら、ケーシスの足止めに加担した。
「同じ年の卒業生。ケーシスさんは三番、ユッカちゃんは二番、あたしが一番だったのさ? ね、ケーシスさん?」
「胸糞悪ぃな! てめぇ、昔からそうだよな。元からできる人間なんだから、努力で上り詰めようとする人間の苦労をまるで知らない」
 壱子が努力家と言っていた理由がここでわかった。またつながった。ケーシスもキッドに話があるようだ。目を合わせ、態度をあらためた。
「話ついでに俺からも質問がある。お前さんが生きてるってことは、ユッカはフィラノスから無事に逃げられたんだろうが、ユッカはどうして死んだんだ?」
 暗い質問に思えたが、キッドは笑って答えた。
「逃げ延びたけど、田舎の村だったから情報は全然入って来ない。残してしまったこの子や父さんを心配して体を悪くしちゃったんです。持ってたお金はあたしの怪我を治すために使っちゃって、自分のことは粗末になって、ただでさえ弱っていたのに、追い打ちを掛けるように流行り病で亡くなりました」
 キッドはサキに視線を向ける。サキは生き別れた弟だ。ケーシスにとっても、忘れることができない記憶の一つ。何かがつながった気がした。
「あいつらしいな」
 ケーシスは観念するように息をつき、ミティアを振りほどいた。
「逃げねぇから、ちったぁゆっくりさせてくれ。お前らも、腹の中にご馳走入れてりゃいいだろう?」
 ケーシスは観念するように肩を落としている。離れたついでに、ジェフリーに声を掛けた。
「ちょっとツラ貸せ」
「なっ!? どうして俺?」
「お前に大事な話があるんだよ」
 ケーシスがわざわざ呼び出したのがジェフリーというのが気になる。ジェフリーは竜次と一瞬だけ目が合った。だが、何も言わない。
 ジェフリーはケーシスと話す場所を探すべく連なって歩いて行った。
 
 キッドはドレスのスカートをぎゅっと握った。
 遠くなるケーシスの背中。魔導士狩りで母親を逃がしてくれた人がケーシスなら、あのとき、自分が足に負った大怪我を手当てしてくれたのもケーシスかもしれない。どうしてあのとき、学校のステンドグラスの真下にいたのだろう。ガラスの破片を被ったせいで目を開けるなと言われ、大きな音で耳もやられて何もわからなかった。
 うっすらと覚えている。母は自分をおぶり、走り、誰かと話していた。それがケーシスだったなんて。この旅で遭遇し、声が似ているとは思っていた。
 自分と母を助けてくれたのがケーシス。そのケーシスの息子と一緒に旅をし、友人となり、恋人になった。この巡り合わせに、キッドは感傷に浸る。亡き母親に思いを馳せた。叶うのなら、母親に報告がしたいと思っていた。

 ケーシスは自分ではなくジェフリーを呼び出した。竜次は気持ちを燻ぶらせていた。
「お父様……」
 竜次は眉間にシワを寄せる。壱子が竜次の心配をフォローした。
「あのお顔のときは意外とご機嫌です。何か話す気になったのかもしれませんね。このまま坊ちゃんとの誤解が解けてくれるといいのですが」
 付き合いの長い壱子が言うのだ。今はそっとしておいてもいいかもしれない。竜次は自分が父親に嫌われているのかと、幼稚な発想をしていた。
 暗くなりそうな空気の中、ローズはカメラを持って陽気に呼びかける。
「と、とりあえず部分的にでもお写真をデス!!」
 ローズは場の空気を和ませようとする。
 この間に、細々した料理なんかは食べていてもいいだろう。ケーキはまだ部分的にしか組み立てられていないので、ジェフリーの帰りを待つことにした。


 結局デッキに出るくらいしかゆっくり話せる場所がなかった。他に誰もいないと踏んでわざわざ出て来たのだから、よほど重要な話でもあるのだろう。ジェフリーはケーシスの顔色をうかがったまま、話しが切り出されるのを待った。
 だが、待ってはみたが、ケーシスは落ち着きがない様子だ。
「悪いな、外に来ちまったが水持ってないか?」
 まるで外で一服するかのような話し方だ。
 船の上で食べ物を扱うのに、水を持っていないはずがない。ジェフリーは半分ほど残ったボトルを渡す。するとケーシスはポケットから錠剤とカプセルを引っ張り出し、パキパキと手の平に弾いた。薬を飲んでいる。ときどき咳をしているのは知っているが、何だろうか。
 ケーシスは一息つき、質問をする。
「お前、あのあと、体は大丈夫か?」
 薬を飲んでおいて、ジェフリーにこの言葉だ。ジェフリーは悪態をつきそうになって抑え込んだ。
「もう大丈夫だけど」
「そうじゃねぇけど、問題ないならいい」
 質問の意図がわからない。毒蛇の件ではないのだろうか。ジェフリーは嫌悪感を抱いていた。
 ケーシスはジェフリーの顔色をうかがいながら言う。
「違うなら違うって言ってかまわねぇ。お前、まだ自分のせいでシルビナが死んだと思っていたりしないだろうな?」
 まるでジェフリーが抱える心の闇を知っているかのようだ。だが、これはジェフリーが長年気にしていること。あくまでも『親子』としての話だ。冷静を意識した。
「思ってる。思わないようにはしているけど」
 ジェフリーは正直に答えた。一度は沙蘭で取り乱した話だ。周りからそれは違うと言われた。だが、実際にそうなのかはわからなかった。そうだと言って罵られた方が気は楽だったが、特に竜次は献身的になって支えてくれたのだ。
 自身に暗示を掛け、誤魔化し続けてでも平然を装って生きて来た。ジェフリーの抱える心の闇を、ケーシスは否定した。
「残念だが見当違いだ。シルビナは、お前を産むまでは死なないって頑張ってくれたんだ。俺は大地主だった先代の遺言と遺産を受け継いだ。遊んで暮らせるような金が懐に入ったが、街の奴らに大掛かりな話を付けられた。ところが、俺はこのナリだ。王様なんざ、御免こうむりたい。そこで、若いうちから結婚した。子どもをたくさん産めば誰かやるだろうって適当な考えだった。まぁ、今考えたら、もっと早くに養子を取ればよかった話だ。若いうちってのは、どうしても頭が足りねぇ」 
 謝っているつもりなのだろうか。ケーシスの歩みを聞いても、ジェフリーはどこか納得はしていない。ただ、若いうちは頭が足りないというのは同意せざるを得なかった。なぜなら、自分もそうだったからだ。
 何でもできる。自分の力を過信しがちな時期があるのは自身でも痛感している。父親であるケーシスにも、日常から抜け出したい気持ちがあったのかもしれない。
 難しい話だが、母親の他に祖父母も知らない。
「シルビナは、男の子は絶対に二人はほしいって言っていた。お前を身篭ったときは何があっても産みたい、お兄ちゃんを助けてあげてほしいって、そんな思いだったらしい。俺が産んだわけじゃないが」
「そうだったのか。俺は誤解をしていたのかもしれない。下手をしたら親父の子どもでもないと思っていた」
 悲しくないのに虚しい。知らなかった親の顔を見せられて、どうしたらいいのかわからない。ジェフリーは心の荷が降りたというのに困惑した。
 ケーシスは腕を組み、目を合わせないジェフリーに向かって偉そうに続けた。
「種の研究所に入り浸ったまま、俺は育児放棄。恨まれても仕方ねぇ。けどよ、お前は間違いなく俺の息子だ。シルビナが、抱っこしたくて仕方なかった忘れ形見だ」
「疑ってすまなかった。ただ、俺は名前と仕送りだけで顔も写真でしか知らない、会ったことも会話を交わしたこともない親の存在を疑った」
「会ったことない、か。まぁ、そう思われても仕方ねぇ。俺はユーレイみたいなモンだしな。だって全部俺が悪いんだし」
 歯切れが悪い、ついでに後味も悪い。ケーシスは起きているマイナスのこと、すべて、自分が悪いと背負い込むつもりだ。
 ジェフリーはケーシスが何を考えているのかが気になる。特に、天空都市に行く話についてだ。
「なぁ、親父は天空都市に何を求めたいんだ? これ、なのか?」
 天空都市というキーワード。そこを目指す準備をするようにケーシスに言われた。天空都市に何が待つのか、ジェフリーは答えを求めた。エリーシャという差出人の手紙を見せながら。
「いいモン持ってるじゃねぇか。だが、俺はもっといいモン持ってるぞ」
 ケーシスは鼻で笑う。ポケットからシワの入った紙が取り出した。広げてジェフリーに見せる。
 ジェフリーは文字を見て表情を強ばらせた。
『おとうさん、はやくわたしをころして……?』
 ジェフリーは手元の手紙と照らし合わせる。書き癖や文字の勝手が似ていることから同一人物と見ていいだろう。疑惑がもう一つつながった。
「『おとうさん』か。やっぱり、手紙の主は俺たちの姉貴だったんだな」
「そ。死産ってヤツ。原因なんて、わからねぇ。妊婦なら多からず少なからず誰にでも起こり得る。ただ、産まれたくても産まれることのできなかった小さな命だ」
 なぜ自分にだけ話すのだろうか。今からでも竜次を呼んで来るべきではなかろうかとジェフリーは戸惑う。この話は、竜次も知らないはずだ。
 特別な思いがあるとしたら別かもしれないが、ジェフリーは身構えてしまった。
 ケーシスはそんなジェフリーの思いを知らず、淡々と話す。
「シルビナは最初の子を流産して、大泣きして俺に謝ったが、それもあった反動で大家族になろうって考えに発展した。今考えりゃ、これは若気の至りだ。あほくせぇ幼稚な考えだ。その裏側で、俺が死者を生き返らせる研究と『薬』に着手していた。なかなかシルビナには言えなかった」
「薬? 技術がどうのこうのは聞いたことがある。禁忌の魔法があることも。なぁ、親父はどうしてそんな大切な話を俺にだけするんだ?」
 疑問、疑惑、いやその先のものはもっと冷たくて海のように深い。真実はときに残酷で、知るのを怖く思うことだってある。だが、ジェフリーは後悔をしなかった。
 ケーシスは潮風を受けながら、ジェフリーを恨めしそうに見た。
「俺も、お前に悪いと思っているんだろうな。だからこんなことを話している。懺悔をすることで、今まで向き合わなかったぶんの『親子の時間』を取り戻せると思っているのかのしれねぇ」
 こんな所で父親面なんて図々しい。ジェフリーはケーシスの歩み寄りにどう応えたらいいのかわからなかった。
 ケーシスは自分の靴のつま先を見ながら言う。まるで、不貞腐れた子どものような態度だ。
「自分のツケは自分で払う。道だけ示してくれればいい。俺がこの狂った女神様をぶっ殺す。罪を背負うのは俺だけでいい」
「ふさけるな! 自分勝手すぎやしないか!?」
「自分勝手でかまわない。でなかったら、お前が死ぬか?」
「はぁ!?」
 今度は『死』をキーワードに持って来た。ケーシスの言うことは突拍子のないものばかりで本当に困る。確かに竜次だったら落ち着いた話などできないかもしれない。今となっては、ケーシスをまともに相手できるのは壱子とジェフリーくらいだ。
 今度はジェフリーから歩み寄る番だ。
「家族じゃないか!! 勝手に親父だけで解決するなよ! 兄貴だって、俺だって、親父を助けたいと思っている!!」
 家族だと言われ、ケーシスの心は救われた。だが、ケーシスの表情は渋い。ジェフリーはさらに不満を募らせている。
「親父、聞いてるのか!?」
 ケーシスは左手を上げた。右の手は人差し指を立て、静かにするようにサインしている。ジェフリーも耳を澄ませた。
 風に乗って、微かな鈴の音がする。ジェフリーは眉間にしわを寄せた。
 ケーシスは大きくため息をつき、ジェフリーと同じように眉間にしわを寄せた。
「人がクソ真面目にいい話をしていたってのに、悪趣味な野郎だなぁ、白狼?!」
 ケーシスは紙をしまって、ポケットに手を突っ込んだまま船の上を見上げる。呆れた顔のクディフが座って見下ろしていた。あまりの飛び入りにジェフリーが声をひっくり返した。
「あ、あんた、やっぱりストーカーじゃないのか!?」
 クディフは立ち上がって早々に立ち去ろうとしている。
「……茶番だな」
 なぜかクディフの足元にはショコラがいる。何か話していたのだろうか。
 親子の話を邪魔され、ケーシスは牙を剥いた。
「てめぇだって人の親だろう!? いい話してたのによぉ!!」
「貴殿は違うタイプのだがな」
「ケッ、いけ好かない野郎だ!」
「それはお互いであろうな、器を持たぬ王よ」
 クディフのいちいち人を逆撫でする言動に、ケーシスは嫌悪感をむき出しにしている。舌打ちどころか顔を歪ませ過ぎて顎がしゃくれている。
「ホンットにクソだな」
「親が親なら子も子だな」
「特大のブーメランじゃねぇか。後頭部に突き刺さってんぞ、ゴルァッ!!」
「俺は成人までは面倒を見た」
「アリューン神族ってのは、ご長寿なんだろ。ガキとたいして変わんねぇよ、バァーカ」
 驚きから一転して呆れてしまう。ジェフリーは、ケーシスがここまで幼稚な言葉を発してレベルの低い喧嘩をしているのが信じられないと思っていた。もちろん、言葉にはしない。顔には出ているかもしれないが。
 幼稚な喧嘩も程々に、ケーシスは腕を組んでクディフに問う。
「どうせくっついて来るつもりなんだろう!? てめぇはどうすんだ? 持ってる正義なんざねぇか」
 ケーシスの言う『正義』が何を持って正義というのかは定かではない。ジェフリーはケーシスとクディフのやり取りを静観していた。
 クディフは全身で潮風を受けながら答えた。
「アリューン界は別離されているからこそ現在は安泰が保たれている。俺は自分の目で確かめたい。天空都市は、アリューンの世界だった可能性がある。それに、世界の統合は秩序が乱れる。それはまた、戦争が始まり、歴史を繰り返す。それを阻止したい」
「うおぇぇ……ここに来て、一番正義の味方っぽい言い回しはやめろっ!!」
 せっかくクディフが答えたのだが、ケーシスは不機嫌だ。否定するように、ビシッと人差し指を向ける。
 話を聞きながら、ジェフリーはぼんやりと考えていた。もしかしたら、ルッシェナは天空都市の女神に操られていたのではなかろうか。自分の姉の姿をした、とんでもない人が待ち構えているのかもしれない。
 世界をつなごうというのなら、それは阻止したい考えだ。クディフに加勢するっわけではないが、離れているからこそ秩序は保たれているというのは納得ができる。
 いつの間にかジェフリーの足元にショコラがいた。すりすりとズボンの裾にすり寄っている。
「天空都市には幻獣の森にあった、魔界への扉に似た不思議な広場があるのじゃよ。魔界への扉は何種類かあってのぅ。あの子の魂をはじめ、魔界から持ち去られてしまった魂はそこにあると考えておるのじゃが?」
「ばあさん、あんた……」
「再び『あの子』が世界の生贄になってもらっては困るからのぉん?」
「そんなことはさせない。させてたまるか」
 自分だけが知らないというのがどうにも解せない。だが、天空都市に行くのはミティアのためでもある。忘れてはいなかったが、それは本当にミティアのためになるのだろうか。そんな迷いもある。
 知ってか知らないのか、それとも、わざとなのか。ケーシスは小声だが、ジェフリーに聞こえるように言う。
「あー……あの姉ちゃん、魂が戻れば生殖能力でも復活するんじゃねぇの? 不安定な存在のまま生きてても、幸せかどうかなんてわかんねぇしなぁ」
 息を吐くように放たれた適当な下ネタかと思ったが、ケーシスの言葉の中にはいくつか彼女の可能性を秘めていた。つまりはミティアが本当に『普通の女の子』として生きる道だ。
 ミティアの体に手を加えるのを補助してしまったと思われるケーシスにとって、ミティアの変化は楽観視できない。ましてや、ミティアに憎まれることはなかった。普通なら、「元の体に戻してくれ」と怒り、泣き、苦しみ、訴えるだろう。だが、ミティアはそうしなかった。
 これはジェフリーも思うところがあった。
 幾度となく手を伸ばしては得られなかったもの。今は誤魔化しながら、これ以上の衰退を抑えるまでしかできていない。今のところ不便はないが、これから先は苦労するかもしれない。何かの拍子にその非現実を負い目に感じられては困る。
 ケーシスはクディフを見上げ、いやらしく言う。
「さっさと帰った方がいいぞ。また殺し合いをするのなら、ここじゃなくてヨソでやってくれ。今度は両成敗どころか、俺らに近づくの禁止にすっからな!?」
 ケーシスの指す『殺し合い』とはクディフとアイラとの不仲を指す。かつて恋仲だったことは、ケーシスも知っている。
「テメェの正義の真意は知らねーけど、ジャマだけはすんなよ?」
 ケーシスは吐き捨てるように言い、船内へ戻って行った。クディフが一行に助力しているのも、関わろうとしているのも知っての対応だ。

 デッキに残されたジェフリーはクディフと睨み合うような形になってしまう。今となっては悪意があるわけではないが、何かにつけて助力を添えてくれるのが気になって仕方がない。
 クディフはジェフリーに用はないと言わんばかりに背中を向けた。銀髪の髪と黒いマントが潮風に煽られている。
 だが、ジェフリーはクディフに用があった。
「ちょっと待ってくれ!! あんたに渡したいものがある」
 ジェフリーはどこにしまっただろうかと、ポーチやポケットを探る。クディフは律義に待っていた。その甲斐あって、ポーチの底から発見された。
「投げ渡しですまないが、これはあんたのものじゃないのか?」
 ジェフリーは下手投げでクディフに向かって渡した。多少は風に流れたが、それをクディフは身を乗り出して受け取った。クディフが受け取ったのは、腐食の進んだ小さい金属のブローチだ。ジェフリーが圭馬と地下書庫で見つけたユリのブローチである。
 クディフはこれを見て目を細めた。
「よい行いというものはそれなりの形になって返って来るのだな」
「なぁ、これはあんたのものじゃないのか?」
 距離があるせいでよく見えないが、ジェフリーの目には、クディフが少し笑っているように見えた。意味深な言葉を呟いたと思ったら、クディフはデッキに降り立った。向かい合って優しい目を向けられる。こんなクディフをジェフリーは見た記憶がない。
「礼を言おう」
「は、はぁっ?」
「耳が遠いらしいな」
「い、いや、お前、頭おかしくなったのか?」
 ジェフリーは聞き間違いかと思った。思わず放ったひどい言葉に、クディフは優しかった顔を崩し、眉間には深いシワを作った。
「嫁にやったものだ。懐かしいな」
「えっ、悪かったか?」
「いや? そうか、その話はいずれしよう」
 ジェフリーまで調子を崩す。徹夜明けのせいか、それとも、根本的におかしいのは自分の方なのか。今日は理解に苦しむことが多い。
 前向きに捉えるとすれば、クディフとはいずれは凝った話ができるという口約束がされたことになる。去り行く黒い影。止めても無駄なのは知っていたが、今回は少し違った一面を見ることができた。そしてもう一つ、この場に疑問が残った。
「惚けて逃げてもいいが、ばあさんは俺たちに何をさせたいんだ? そろそろ話してもらわないと、敵だと疑われても仕方がないと思うけど?」
「そうじゃなぁん。お祭りが終わったら話してやろうなぁ?」
 これも口約束だ。徹夜明けで頭の回らないジェフリーは、今日はそういう日なのだろうと割り切ることにした。もしかしたら今日が夢なのではないかと思うくらいには地面に足を着いて生きている実感がない。ショコラがその足にすり寄って来た。
「別に悪いようにはせんのぉん」
「どうだろうな?」

 ケーキはまだかと急かされ、写真を撮ろうと言われ、料理を褒められた。暗い話はいったん置いておいて、宴を楽しむ。一緒に写真を撮ったり、くだらない世間話をしたり。こんな日が多かったらどんなに楽しい旅だろう。
 自分を高めることなど何も考えず。
 
『何を言っているんだ?』
 
 何も苦労をしないで生きて来た結果、自分は何を失った? 
 不意に襲って来る恐怖。胸焼けにも似た胸を押し付けられる感覚、徹夜のせいか異様なほど頭が重い。

 談笑し騒ぐ中、ジェフリーはふらっと席を外した。彼の様子がおかしいと、ミティアはあとを追う。
 ジェフリーは再びデッキに出て外の空気を吸う。だが、堪らず気分を悪くして屈んだ。ひどい眩暈が襲う。
「ジェフリーっ!! ねぇ、どうしたの!? 大丈夫?」
 ミティアの声で皆も集まって来た。
 せっかくの空気を台無しにした。だが、それよりも気分が悪くて仕方がない。寒いと思うくらいの陽気なのに、ジェフリーは額に大粒の汗をかき、息は乱れた。
 駆け付けた中には当然ケーシスもいた。具合の悪そうなジェフリーを見て言う。
「やっぱりお前、どうして生きているんだろうな」
 ケーシスの見下すような視線。諦めにも思える声。たびたびジェフリーの体を気遣っていたが、いざ崩したら哀れむような態度だ。
「そうか。お前、いよいよ、か」
 ローズはケーシスの顔を覗いた。心当たりがあるからだ。
「ケーシス? アナタ、もしかして」
 介抱するミティアもケーシスを見上げた。疑惑が確実になる。
 ケーシスは取り乱さず、冷静だ。ミティアに問う。
「姉ちゃん、禁忌の魔法を使った者がどんなことになるか、調べたんだよな?」
「え、えっ? ケーシスさん? ど、どうしてジェフリーを助けてくれないんですか?」
 質問の意図がわからず、ミティアは困惑しながら首を振った。
 ケーシスの質問に反応したのはサキだ。
「すみません。僕が答えを言ってもいいですか?」
 この少ないやり取りでサキは何をつかんだというのだろうか。ケーシスは辛辣な表情を浮かべながら答えを待った。腕を組んで背筋を伸ばす。
「言えるのか、お前?」
 確認の合図だ。サキは誰とも視線を合わせず、頷いたまま俯いた。
「禁忌の魔法は普通の魔法よりもハイリスクです。命を削る、倫理を外れることになります。ミティアさんが元々していた腕輪はほとんど極限状態でした。反動を抑えると言っても昔の技術なんてたかが知れています。人間に使ったらせいぜい一回か二回が限度。もしかしたら僕たちが知らないところでも、ミティアさんは自然に禁忌の魔法を使っていたかもしれません。それこそ、道端で死にかかっている命に向かって。人に何回も使っていたら耐えられず、魔法さえ叶わずにその術主の命は尽きるでしょう」
 サキの情報整理を聞き、キッドは心当たりを口にした。
「えっ、そうよ。この子、猫や小鳥にだって使っていた。あたしはずっと一緒に暮らしていたんだもの。見たことがあるわ。ミティアは覚えていないかもしれないけど」
 親友としてずっと見て来た仲なのだから信頼できる情報だ。知る限り、旅の道中で禁忌の魔法を使った直後は気を失い、一時的な記憶喪失や深い眠りなどの反動を受けていた。キッドが過度に心配しなかったのは、何度かその光景を見ていたのかもしれない。
 ケーシスは眉を吊り上げ、サキの推理を待った。
「……それで?」
 舌打ちでもするのかと思ったが意外な反応だ。
 一同が不安に思う中、サキは続けた。
「どう考えても、『命の計算』が合いません。僕が知っている限り、ミティアさんは三回も人に向かって使っています。一回はセティ王女だったから違うかもしれませんけれど。少なくとも僕と出会う前にジェフリーさんに使ったと聞いたことがあります」
「答えを聞こうか?」
 ケーシスは何も否定しない。サキは俯いたまま結論を口にした。
「僕はずっと疑問に思っていました。ミティアさんの命が半分しかなかったのなら、ノアで禁忌の魔法を使い、倒れてしまったのは納得がいきます。その際にダメージが大きく、記憶障害を起こしていた。ですが、僕が出会う前の話ではそんなことはなかった。おそらくジェフリーさんの命は、もともと半分しかない。いいえ、半分以下かもしれません」
 サキの推理を聞き、ケーシスは一息ついた。否定しないところを見ると、正解のようだ。聞いて取り乱していたのは竜次だった。
「ま、まさか、ジェフがそんな!? お父様、嘘って言ってくださいっ!! どういうことですか!? ジェフは、生きているじゃないですか」
 竜次がジェフリーを庇うように前に出た。
 ケーシスはポケットから短い試験管を取り出した。黒いゴム栓がされている中には赤黒い液体が入っている。微かに反射してオレンジ色のようにも見える。光の屈折で不思議な色を見せる液体だ。それを見た壱子が息を飲んだ。どうやら見覚えがあるようだ。
 そしてローズも。なぜか、コーディも険しい表情だ。
「ケーシス様、そんな忌まわしい物、まだお持ちでしたか」
 壱子の言葉にケーシスは眉を上げる。ケーシスはジェフリーに試験管を突き付けた。
「飲めばあと十年は生きられる」
「何を言ってるんだ?」
「お前、おめでたいな。やっぱり自分が死んだこと、覚えていないのか」
 場が凍り付く言葉。
 ジェフリーは今、目で見てるものすべてが偽りのような絶望を感じた。

 思えば、何も不思議なことはない。
 魔導士狩りに遭ってからの記憶が部分的に抜けている。気が付いたときには、剣術学校で高みを目指していた。ただ、自分がどうして生き延びられたのかを疑問に持つことはあった。そのたび、自分に暗示をかけ、生き延びた、考えないようにしようと避けていた。同時に掘り起こされる許嫁を見捨ててしまった思い出がそれ以上考えないように遮っていた。

 今がある。それは、通常ならありえなかった。そう、『通常なら』。
「そうか。俺は、どうして生きてるんだ?」
 生きているではなく、生かされている。

 ここで絶望させまいと、ミティアはジェフリーを強く抱き締めた。呆然とするジェフリー。日が暮れようとしている。
 
 今日の西日はいつもより目に染みる。
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