激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【激闘編】

戸影絵麻

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第9部 倒錯のイグニス

#13 入部審査③

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「え? いきなりそれ?」
 杏里のほうを振り向いて、純が困ったような顔をした。
「まいったな、レスリングなんてやったことないってのに」
「カモーン!」
 そんな純を、アニスが手招きする。
 オレンジ色のレオタードに、黒のハーフパンツといった出で立ちの黒人少女は、細身ながら鍛え上げられたアスリートのような体つきをしている。
「がんばって」
 杏里の声援に、
「うん」
 軽くうなずいてみせると、純は果敢にマットに立った。
 両足を開き、重心を引くして構えるアニス。
 どうみても、この子、経験者だ。
 その隙のない構えを見て、杏里は思った。
 きっと、小谷先生がアメリカンスクールかどこかからスカウトしてきた現役選手に違いない。
 まだ入部もしていない私たちを、そんな選手と戦わせるなんて…。
 パイプ椅子に戻り、腕組みしている小谷先生が恨めしくなる。
 ホイッスルが鳴った。
 鳴らしたのは、いつのまにか先生の脇に立った璃子だった。
 審判のつもりなのだろう。
 持ち前の鋭い眼で、値踏みをするように純のほうを睨みつけている。
 と、その純が動いた。
 ダっとばかりにダッシュすると、両腕を伸ばし、いきなりアニスにつかみかかったのだ。
 純も素早かったが、アニスの動きはそれを更に上回っていた。
 相手の突進を紙一重の差でかわすと、躰を斜めに倒しながら右足で純の左足を払った。
「わっ」
 大柄な純の身体が宙に浮く。
 だが、さすがバレー部の副キャプテンだけのことはある。
 純は倒れなかった。
 大きくバランスを崩したものの、とっさに両手両足を大の字に広げると、綺麗なフォームでくるりと横転したのである。
 どっとどよめく野次馬たち。
 -すごーおい!ー
 -さすがバレー部!ー
 賞賛の声が異口同音に上がった。
「よし、そこまで」
 それをかき消すように、小谷先生の野太い声が響く。
 やおら立ち上がると、大股に純の元に歩み寄った。
「素晴らしい反射神経だ。腰のばねもいい」
 純の肩に両手を置き、その体をほれぼれと眺めた。
 純も長身だが、小谷小百合はその更に10センチは背が高い。
「合格だ。ぜひ入部してほしい」
 純の背中をひとつ叩くと、かすかに口角を吊り上げた。
 どうやら笑ったらしい。
「楽屋で待ってな。あとで正式な入部手続きがあるから」
 璃子が顎でステージの裏のほうを示してみせる。
 暗幕の陰からふみが半身をはみ出させていて、
「こっちよーん」
 と気味悪い声で純を手招きした。
「やったよ、杏里」
 振り向いて右の親指を立てる純。
「おめでとう」
 笑顔で見送ったものの、杏里は緊張で生きた心地がしなかった。
 次は自分の番なのだ。
 私には、とてもあんな芸当はできないのに…。
 純がステージの下手に姿を消すと、
「杏里、おまえの番だ」
 にやにや笑いながら、璃子が呼んだ。
「アニスは、小谷先生お抱えの次期オリンピック候補だ。そんなすごい選手に相手をしてもらえるなんて、幸せだと思え」
 オリンピック候補…。
 ますます目の前が暗くなる。
「カモーン」
 ニコニコしながら、人差し指をクイクイさせてアニスが杏里を招く。
 そのチョコレート色の丸顔は、愛嬌たっぷりで可愛らしく、こんな時でなかったら友達になりたいと思うほどだ。
 杏里はしぶしぶマットの端に立った。
 胸と股の間から手を外せないでいると、
「ほら、挑戦者、ちゃんと構えて」
 璃子が審判ぶって注意を促してきた。
 そんなこと言ったって…。
 しかたなく、手をどける。
 対面のアニスがただでさえ丸い目を皿のように見開き、ヒューっと口笛を吹いた。
「タマリマセンネ」
 流暢だが、妙なアクセントの日本語でつぶやいた。
「時間だ。始める」
 腕時計に目をやり、璃子がホイッスルを吹き鳴らす。
 だが、だからといって、杏里には行動のしようがない。
 だいたい、何をしていいのかわからないのだ。
 さっきと同じ構えをとったアニスが、時計回りにじりじり動き始めた。
 杏里にできることと言えば、距離が縮まらないよう、自分も同じ方向に弧を描いて移動するだけ。
「来ナイノデスカ?」
 逃げ腰の杏里を不思議そうに眺め、アニスが訊いた。
 杏里は答えられない。
 躰のラインがむき出しのレオタードが恥ずかしくてならないが、今はそれどころではなかった。
 恐怖で口の中がからからに干上がってしまっている。
 気を落ち着けるために唾を飲み下したくても、その唾さえ湧いてこないのだ。
「ドシタノデスカ? デハ、ワタシカラ行キマスヨ」
 そう口にしたとたん、だしぬけにアニスの姿が視界から消えた。
 オレンジ色が視野の隅をかすめたと思った瞬間、背中に強い衝撃が来た。
 両腕をつかまれ、後ろに引きずり倒される。
 が、完全には倒れない。
 アニスが両腕で背後から杏里の腕をつかみ、持ち上げにかかっているからだ。
 アニスの足が外側からふくらはぎに絡みつき、杏里の足を左右に押し広げていく。
 逆海老の形に反り返ったまま、杏里の身体がじわじわと上昇した。
 マットに背中をつけ、両手両足を使って、起重機のようにアニスが杏里を持ち上げているのだ。
「うは、いきなりロメロスペシャルかよ! なんて大技を! しかもこいつはめちゃエロい!」
 璃子が嬉しそうに叫ぶのが聞こえてきた。
 両腕、両足を後ろに引っ張られ、奇妙な格好で杏里は宙に浮いている。
 しなる躰で、薄いレオタードが今にも破れそうだ。
 ステージ下から異様などよめきが立ち上ってきた。
 それは純の時とは明らかに異なる、暗い興奮に満ちたざわめきだった。
 針のように突き刺さる執拗な視線を全身に感じ、杏里の股間がじっとりと濡れ始めるのに、大して時間はかからなかった。

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