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第9部 倒錯のイグニス
#95 サイキック⑤
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ヤチカの寝室ももぬけの殻で、結局新しい発見は何もなかった。
ヤチカの姿はおろか、1階を滅茶苦茶にした襲撃者の気配もなく、3人は屋敷を出ることにした。
外に出ると、濃厚な花の香りが鼻孔をくすぐった。
屋敷の敷地の半分は、森に囲まれた広い庭園である。
主人を失って雑草が伸び始めているが、植えられた花々の勢いはまだ衰えていないようだ。
アトリエで杏里の絵を目にして以来、ルナは不機嫌そうに黙りこんでいる。
さっさとひとりで先を行こうとするルナを、重人が呼び止めた。
「待って。あっちだ。あっちに何か、いる」
「あっちって?」
足を止め、杏里は重人の視線を負った。
重人が見つめているのは、秋の花の咲き乱れる庭園の向こうである。
そこは隣家の農地との境で、ひと際深い森になっている。
ルナが戻ってきた。
「何かって、なんだ?」
アクアマリンの瞳がすっと細くなる。
「わかんない。でも、ヤチカさんじゃない。あれはひょっとして…」
「外来種か。ここを襲ったやつだな」
杏里には目もくれず、早足で歩き出す。
進んでいくルナの手前で、草花たちが突風にあおられたかのように道を開ける。
「待ってよ」
重人に続いて、杏里も駆け出した。
「ルナったら、何怒ってるの?」
庭園は明らかに荒らされていた。
ブルドーザーでも通ったかのように、何重もの花の同心円の真ん中を、土を掘り返した道が伸びている。
森に近づくにつれて、杏里の耳にも、その異様な音が聞こえてきた。
音というより、獣のうめき声に近い。
森の入口の樹々の間から、地面にうずくまる黒っぽい影が垣間見えた。
男だ。
背広姿の大柄な男が、地面に四つん這いになって、しきりに頭を動かしている。
う。
男の身体の下にのぞいているものを目にするなり、杏里は危うく声を上げそうになった。
ほっそりとした裸の手足は、明らかに女性のものだ。
ヤチカさん…?
一瞬、その思いが脳裏をかすめた。
反射的に足を踏み出しかけた時、動きを止めて、男が振り向いた。
犬か狼のそれのように尖った鼻づら。
その下で耳まで裂けた口が半開きになり、血で濡れそぼった分厚い舌がだらりと垂れている。
顔の両脇でぴんと立った耳。
顔面をふちどる灰色のたてがみ状の体毛。
間の離れた目は、完全に白濁して、黒目の部分がない。
「下がってろ」
ルナが杏里のスカートの裾をつかんで、乱暴に引き戻した。
男がのっそりと立ち上がり、こちらに向き直る。
グルルルル。
獣じみた唸り声が次第に高まっていく。
犬の体臭を何十倍にも濃縮したような獣臭い匂いが、ほとんど物質と化して正面から吹きつけてくる。
ビリッ。
男の肩が徐々に盛り上がり、背広が裂けていく。
まるでCG合成のホラー映画のワンシーンだ。
布がはじけ飛び、毛皮に覆われたたくましい胸板が現れた。
狼の顔をしたヒグマ。
そんな生き物が存在するとすれば、今目の前に立ちはだかる巨獣が、まさにそれだった。
素手で心臓を鷲掴みにされたような恐怖が、杏里を襲った。
これも、外来種?
まるで…獣人じゃない!
それにしても、もっと気になるのは、怪物の後ろに倒れている裸の女性のほうである。
死んでるのだろうか。
もしかして、急いで治癒すれば、まだ助かるかも…。
「こいつはわたしに任せろ」
短くルナが言った。
「その隙に、おまえはその人を助けるんだ」
ルナも、同じことを考えていたらしい。
アクアマリンの眼が光った。
ルナがかすかに顎を上げると、獣人の巨体がふっと地面から離れた。
金髪のポニーテールをなびかせ、首を振る。
見えない腕で投げ飛ばされたかのように、獣人が杏里の頭上をかすめ過ぎた。
ずざざっ。
振り返ると、ちぎれた花弁と草葉をまき散らして、怪物が花壇に落下するところだった。
サイキック・ルナの本領発揮である。
「重人はルナのサポートを」
杏里は立ちすくむ少年の肩を押した。
「テレパシーで、あいつの動きを鈍らせて」
「あ、杏里は、どうするんだい?」
黒縁眼鏡の奥で、重人がつぶらな瞳をぱちくりさせた。
「私はあの人を助けるから! さあ、早く!」
「わ、わかった」
ふたりに背を向けると、杏里は女性に駆け寄り、その傍らに膝をついた。
ほっそりした、髪の長い、若い女である。
ヤチカでないということは、すぐにわかった。
乳房を噛みちぎられたらしく、右の胸が血まみれだ。
ひどい傷…。
まだ息まだがあるかどうか確かめようとして、女の口元に顔を寄せた時だった。
だしぬけに、女が起き上がった。
「え?」
杏里は凍りついた。
その杏里の顔を両手で挟むと、女がカッと口を開き、長い舌を吐き出した。
しかも1本ではない。
蛇のような舌が2本、女の口から飛び出して、突然杏里に襲いかかったのである。
ヤチカの姿はおろか、1階を滅茶苦茶にした襲撃者の気配もなく、3人は屋敷を出ることにした。
外に出ると、濃厚な花の香りが鼻孔をくすぐった。
屋敷の敷地の半分は、森に囲まれた広い庭園である。
主人を失って雑草が伸び始めているが、植えられた花々の勢いはまだ衰えていないようだ。
アトリエで杏里の絵を目にして以来、ルナは不機嫌そうに黙りこんでいる。
さっさとひとりで先を行こうとするルナを、重人が呼び止めた。
「待って。あっちだ。あっちに何か、いる」
「あっちって?」
足を止め、杏里は重人の視線を負った。
重人が見つめているのは、秋の花の咲き乱れる庭園の向こうである。
そこは隣家の農地との境で、ひと際深い森になっている。
ルナが戻ってきた。
「何かって、なんだ?」
アクアマリンの瞳がすっと細くなる。
「わかんない。でも、ヤチカさんじゃない。あれはひょっとして…」
「外来種か。ここを襲ったやつだな」
杏里には目もくれず、早足で歩き出す。
進んでいくルナの手前で、草花たちが突風にあおられたかのように道を開ける。
「待ってよ」
重人に続いて、杏里も駆け出した。
「ルナったら、何怒ってるの?」
庭園は明らかに荒らされていた。
ブルドーザーでも通ったかのように、何重もの花の同心円の真ん中を、土を掘り返した道が伸びている。
森に近づくにつれて、杏里の耳にも、その異様な音が聞こえてきた。
音というより、獣のうめき声に近い。
森の入口の樹々の間から、地面にうずくまる黒っぽい影が垣間見えた。
男だ。
背広姿の大柄な男が、地面に四つん這いになって、しきりに頭を動かしている。
う。
男の身体の下にのぞいているものを目にするなり、杏里は危うく声を上げそうになった。
ほっそりとした裸の手足は、明らかに女性のものだ。
ヤチカさん…?
一瞬、その思いが脳裏をかすめた。
反射的に足を踏み出しかけた時、動きを止めて、男が振り向いた。
犬か狼のそれのように尖った鼻づら。
その下で耳まで裂けた口が半開きになり、血で濡れそぼった分厚い舌がだらりと垂れている。
顔の両脇でぴんと立った耳。
顔面をふちどる灰色のたてがみ状の体毛。
間の離れた目は、完全に白濁して、黒目の部分がない。
「下がってろ」
ルナが杏里のスカートの裾をつかんで、乱暴に引き戻した。
男がのっそりと立ち上がり、こちらに向き直る。
グルルルル。
獣じみた唸り声が次第に高まっていく。
犬の体臭を何十倍にも濃縮したような獣臭い匂いが、ほとんど物質と化して正面から吹きつけてくる。
ビリッ。
男の肩が徐々に盛り上がり、背広が裂けていく。
まるでCG合成のホラー映画のワンシーンだ。
布がはじけ飛び、毛皮に覆われたたくましい胸板が現れた。
狼の顔をしたヒグマ。
そんな生き物が存在するとすれば、今目の前に立ちはだかる巨獣が、まさにそれだった。
素手で心臓を鷲掴みにされたような恐怖が、杏里を襲った。
これも、外来種?
まるで…獣人じゃない!
それにしても、もっと気になるのは、怪物の後ろに倒れている裸の女性のほうである。
死んでるのだろうか。
もしかして、急いで治癒すれば、まだ助かるかも…。
「こいつはわたしに任せろ」
短くルナが言った。
「その隙に、おまえはその人を助けるんだ」
ルナも、同じことを考えていたらしい。
アクアマリンの眼が光った。
ルナがかすかに顎を上げると、獣人の巨体がふっと地面から離れた。
金髪のポニーテールをなびかせ、首を振る。
見えない腕で投げ飛ばされたかのように、獣人が杏里の頭上をかすめ過ぎた。
ずざざっ。
振り返ると、ちぎれた花弁と草葉をまき散らして、怪物が花壇に落下するところだった。
サイキック・ルナの本領発揮である。
「重人はルナのサポートを」
杏里は立ちすくむ少年の肩を押した。
「テレパシーで、あいつの動きを鈍らせて」
「あ、杏里は、どうするんだい?」
黒縁眼鏡の奥で、重人がつぶらな瞳をぱちくりさせた。
「私はあの人を助けるから! さあ、早く!」
「わ、わかった」
ふたりに背を向けると、杏里は女性に駆け寄り、その傍らに膝をついた。
ほっそりした、髪の長い、若い女である。
ヤチカでないということは、すぐにわかった。
乳房を噛みちぎられたらしく、右の胸が血まみれだ。
ひどい傷…。
まだ息まだがあるかどうか確かめようとして、女の口元に顔を寄せた時だった。
だしぬけに、女が起き上がった。
「え?」
杏里は凍りついた。
その杏里の顔を両手で挟むと、女がカッと口を開き、長い舌を吐き出した。
しかも1本ではない。
蛇のような舌が2本、女の口から飛び出して、突然杏里に襲いかかったのである。
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