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第9部 倒錯のイグニス
#168 偵察⑩
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トイレから戻ってきたルナは、桜色に頬を火照らせていた。
さながらサウナから出て来たばかりといった風情だった。
ルナが10分以上トイレにこもって何をしていたのか、杏里には手に取るようにわかった。
「お待たせ」
そっけなく言って、ルナが目を逸らす。
目を合わせようとしないルナに、杏里は追い打ちをかけた。
「ルナ、匂うよ。とっても、いい匂い」
ルナがぎくりと身体を強張らせる。
「我慢できなかったんだよね」
手を取ろうとしたら、邪険に跳ねのけられた。
ルナは怒っているようだった。
薬の力で強引にその気にさせられたことが、よほど腹に据えかねているに違いなかった。
呼び止める間もなく、さっさとひとり、店を出て行ってしまった。
「じゃね。また」
肩をすくめると、杏里はもっくんに手を振った。
「ああ。杏里ちゃんも、色々と気をつけてね」
「もっくんこそ」
大あくびするもっくんに別れを告げて、店を出た。
ルナは”ドリームハウス”のロゴの入った袋を提げて、所在なげに電柱の陰に佇んでいた。
「こっち。沼人形工房は、この商店街のはずれにあるの」
杏里が歩き出すと、しぶしぶといった感じで後をついてきた。
左右の店は、大部分がシャッターを下ろしてしまっている。
閑散としたアーケードを、時折秋風が吹きすぎて、枯葉を運んでいく。
街路樹から落ちた黄色いイチョウの葉を踏んで、杏里は歩いた。
所々に銀杏の実が落ちて、潰れている。
潰れた銀杏の実の匂いは、饐えた女体の匂いに似ている。
植物というより、動物の匂いに近いのだ。
その淫靡な香りを味わいながら歩いていると、シャッター商店街が途切れるあたりに黒塗りの木の門が見えてきた。
一見すると武家屋敷に見える古びた門の前に立つ。
手を伸ばして、押してみた。
動かない。
見上げるほどの門扉も通用門も、しっかり内側から鍵がかかっているようだ。
杏里は後ろから距離を取ってついてくるルナを振り返った。
「ねえ、ルナ。この門、開けてくれない?」
数メートル離れた所で足を止め、ルナがいぶかしげに杏里を見た。
「開かないなら、休みなんじゃないのか? なのにカギを壊して中に入るつもりか? そんなの、不法侵入だぞ」
「かたいこと言わないの」
つかつかと歩み寄ると、杏里はルナの手を取った。
「ちょっと中の様子を確認するだけだから。ね、お願い」
「しょうがないな」
ルナが視線を門に向けた。
とたんに、ガタンという音が響いて、門扉が震えた。
内側の閂錠がはずれたのだ。
かろうじて身体が入るだけの隙間を開けて、中に忍び込んだ。
「ルナ、早く」
手を引いて、ためらうルナを中に引っ張り込んだ。
「ここは…?」
ルナが息を呑む気配が伝わってきた。
目の前に広がるのは、色とりどりの花々に埋め尽くされたなだらかな丘だ。
てっぺんに簡素なあずま屋が建ち、花畑の中に螺旋を描く歩道のあちこちには、ひっそりと佇む人影が見える。
上品な衣装をまとった紳士や貴婦人たち。
ウェデイング・ドレス姿の若い女性、笑いさざめくセーラー服の少女たち。
が、それらがみな、精巧につくられた人形であることを、杏里は知っている。
この人形工房は、不思議なつくりになっていた。
広大な花畑をコの字型に長い廊下が囲む、いわゆる寝殿造に近い景観を呈しているのだ。
廊下にはたくさんの部屋があって、それぞれテーマに沿って人形たちが飾られている。
ラブドールばかり集めた部屋もあれば、杏里の分身たちがひしめく部屋もある。
丘を降りた正面が本当の店の入口になっていて、銭湯の番台のようなそこに、この店の雇われ経営者、沼正二が退屈そうに座っているはずだった。
杏里はルナを従え、丘をめぐる歩道を歩いた。
角を曲がるたびに現れる人間そっくりの人形たちに、いちいち驚くルナ。
あずま屋を通り過ぎて下り坂にかかると、正面の建物が見えてきた。
引き戸に札が下がっている。
『本日休業』
達筆な墨字で、そう書いてある。
「変ね。週の半ばに休業だなんて」
杏里の記憶では、ここは月曜休みだったはずだ。
週末は見学希望者が多いので、あえて土日を避け、月曜休みにしたと正二に聞いたことがある。
いぶかしげに目を細め、もう一度周囲を見渡した時だった。
ふと、左手の廊下で、白いものが動いた。
薄物をまとった女が、音もなく部屋のひとつに消えていくのが見えたのである。
「あ」
杏里は喉の奥で、小さく叫んだ。
その後ろ姿に、見覚えがあった。
「ここで待ってて」
ルナにそう告げると、杏里は女の後を追って駆け出した。
さながらサウナから出て来たばかりといった風情だった。
ルナが10分以上トイレにこもって何をしていたのか、杏里には手に取るようにわかった。
「お待たせ」
そっけなく言って、ルナが目を逸らす。
目を合わせようとしないルナに、杏里は追い打ちをかけた。
「ルナ、匂うよ。とっても、いい匂い」
ルナがぎくりと身体を強張らせる。
「我慢できなかったんだよね」
手を取ろうとしたら、邪険に跳ねのけられた。
ルナは怒っているようだった。
薬の力で強引にその気にさせられたことが、よほど腹に据えかねているに違いなかった。
呼び止める間もなく、さっさとひとり、店を出て行ってしまった。
「じゃね。また」
肩をすくめると、杏里はもっくんに手を振った。
「ああ。杏里ちゃんも、色々と気をつけてね」
「もっくんこそ」
大あくびするもっくんに別れを告げて、店を出た。
ルナは”ドリームハウス”のロゴの入った袋を提げて、所在なげに電柱の陰に佇んでいた。
「こっち。沼人形工房は、この商店街のはずれにあるの」
杏里が歩き出すと、しぶしぶといった感じで後をついてきた。
左右の店は、大部分がシャッターを下ろしてしまっている。
閑散としたアーケードを、時折秋風が吹きすぎて、枯葉を運んでいく。
街路樹から落ちた黄色いイチョウの葉を踏んで、杏里は歩いた。
所々に銀杏の実が落ちて、潰れている。
潰れた銀杏の実の匂いは、饐えた女体の匂いに似ている。
植物というより、動物の匂いに近いのだ。
その淫靡な香りを味わいながら歩いていると、シャッター商店街が途切れるあたりに黒塗りの木の門が見えてきた。
一見すると武家屋敷に見える古びた門の前に立つ。
手を伸ばして、押してみた。
動かない。
見上げるほどの門扉も通用門も、しっかり内側から鍵がかかっているようだ。
杏里は後ろから距離を取ってついてくるルナを振り返った。
「ねえ、ルナ。この門、開けてくれない?」
数メートル離れた所で足を止め、ルナがいぶかしげに杏里を見た。
「開かないなら、休みなんじゃないのか? なのにカギを壊して中に入るつもりか? そんなの、不法侵入だぞ」
「かたいこと言わないの」
つかつかと歩み寄ると、杏里はルナの手を取った。
「ちょっと中の様子を確認するだけだから。ね、お願い」
「しょうがないな」
ルナが視線を門に向けた。
とたんに、ガタンという音が響いて、門扉が震えた。
内側の閂錠がはずれたのだ。
かろうじて身体が入るだけの隙間を開けて、中に忍び込んだ。
「ルナ、早く」
手を引いて、ためらうルナを中に引っ張り込んだ。
「ここは…?」
ルナが息を呑む気配が伝わってきた。
目の前に広がるのは、色とりどりの花々に埋め尽くされたなだらかな丘だ。
てっぺんに簡素なあずま屋が建ち、花畑の中に螺旋を描く歩道のあちこちには、ひっそりと佇む人影が見える。
上品な衣装をまとった紳士や貴婦人たち。
ウェデイング・ドレス姿の若い女性、笑いさざめくセーラー服の少女たち。
が、それらがみな、精巧につくられた人形であることを、杏里は知っている。
この人形工房は、不思議なつくりになっていた。
広大な花畑をコの字型に長い廊下が囲む、いわゆる寝殿造に近い景観を呈しているのだ。
廊下にはたくさんの部屋があって、それぞれテーマに沿って人形たちが飾られている。
ラブドールばかり集めた部屋もあれば、杏里の分身たちがひしめく部屋もある。
丘を降りた正面が本当の店の入口になっていて、銭湯の番台のようなそこに、この店の雇われ経営者、沼正二が退屈そうに座っているはずだった。
杏里はルナを従え、丘をめぐる歩道を歩いた。
角を曲がるたびに現れる人間そっくりの人形たちに、いちいち驚くルナ。
あずま屋を通り過ぎて下り坂にかかると、正面の建物が見えてきた。
引き戸に札が下がっている。
『本日休業』
達筆な墨字で、そう書いてある。
「変ね。週の半ばに休業だなんて」
杏里の記憶では、ここは月曜休みだったはずだ。
週末は見学希望者が多いので、あえて土日を避け、月曜休みにしたと正二に聞いたことがある。
いぶかしげに目を細め、もう一度周囲を見渡した時だった。
ふと、左手の廊下で、白いものが動いた。
薄物をまとった女が、音もなく部屋のひとつに消えていくのが見えたのである。
「あ」
杏里は喉の奥で、小さく叫んだ。
その後ろ姿に、見覚えがあった。
「ここで待ってて」
ルナにそう告げると、杏里は女の後を追って駆け出した。
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