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#351話 施餓鬼会⑯
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一睡もできず、朝を迎えた。
我ながら、未成年の少女に手を出してしまった自分が、情けなかった。
あらかじめスマホが仕掛けられていたことからして、亜季の悪意は明白だった。
私を誘惑して決定的瞬間を撮る。
最初からそのつもりだったのだ。
悪魔のような女だ、と思う。
まだ15歳なのに、自らの肉体を餌に大人の男を誘惑して、あまつさえ、罠にはめるとは。
50代まで独身でただでさえ肩身が狭いというのに、これでは完全に変質者扱いだ。
そう思うと、やりきれなかった。
病院から母が戻ってきたのは、朝9時を過ぎてからのことだった。
父の怪我は大したことがなく、一応、検査のために入院することになったのだという。
「脇腹に、何かに噛まれた痕みたい傷があったんだって」
遅い朝食を、旺盛な食欲を見せて食べながら、母は言った。
妹と亜季はすでに朝食を済ませていて、私はふたりと顔を合わせないようにタイミングを見計らって食堂兼居間に顔を出したところ、ちょうどタクシーで帰宅した母と鉢合わせたというわけだった。
「それがさ、野犬とか熊とかの歯型じゃなくて、猿か人間のに近いんだってよ。猿はわかるにしても、人間なんてねえ。そんなはずあるもんか」
私は否定も肯定もしなかった。
母は勇樹の変貌を知らないのだ。
それに、昨夜見かけた、あの複数の影。
あれは、まさしく、勇樹の仲間ではなかったのか。
食事もそこそこに家を出た。
亜季が妹に昨夜のことを話したとは思えない。
それでは脅迫の効果がなくなるからだ。
家でうろうろしていてあの小悪魔と顔を合わせる気にはなれなかった。
勇樹の正体をつかみたいが、離れには亜季が陣取って私を入れないように警戒しているに決まっている。
町まで出て喫茶店でコーヒーでも飲もうか。
そんなことを考えながら、砂利道から舗装道路に差し掛かった時だった。
左手の水田の際を流れる用水路で、長靴を履いた娘が腰をかがめて何かしているのが見えた。
あれは確か…。
覚えやすい名前だから、すぐに思い出した。
野沢菜緒。
そう、G大の大学院の学生だ。
「何してるんですか?」
好奇心に駆られてそばに行くと、
「ひ」
菜緒は文字通り蛙みたいにぴょんと飛び上がった。
「び、びっくりした。あ、あなたは…」
「きのう、河原で会いましたよね」
「ああ、そういえば、思い出しました」
改めて見ると、童顔にそばかすと眼鏡がよく似合っている。
麦わら帽子の下から飛び出た三つ編みの髪もなんとも素朴で可愛らしい。
「こんなところでも、生態系の調査ですか」
「え、ええ、はい。じ、実は、私、発見しちゃったんです」
「発見? 何をです?」
「これ」
掲げて見せてくれたのは、腰から提げていたプラスティックの水槽だ。
中に、長さ1センチほどの黒くて細長いものが、10個以上入っている。
きのう、河原で会った時も、こんなのを持っていたような…。
「なんですか? カワニナみたいな、淡水の貝に見えますが」
「当たりです。でも、カワニナではありません」
得意げに小さな鼻の頭を指でこする菜緒。
「強いてあげれば、ミヤイリガイの仲間でしょうか」
「ミヤイリガイ?」
聞いたことがある。
でも、確かあれは、日本ではもう…。
「ここから先は完全にわたくしの予想ですが、これがたぶん、今回の感染症を引き起こす寄生虫の中間宿主なのだと思います」
我ながら、未成年の少女に手を出してしまった自分が、情けなかった。
あらかじめスマホが仕掛けられていたことからして、亜季の悪意は明白だった。
私を誘惑して決定的瞬間を撮る。
最初からそのつもりだったのだ。
悪魔のような女だ、と思う。
まだ15歳なのに、自らの肉体を餌に大人の男を誘惑して、あまつさえ、罠にはめるとは。
50代まで独身でただでさえ肩身が狭いというのに、これでは完全に変質者扱いだ。
そう思うと、やりきれなかった。
病院から母が戻ってきたのは、朝9時を過ぎてからのことだった。
父の怪我は大したことがなく、一応、検査のために入院することになったのだという。
「脇腹に、何かに噛まれた痕みたい傷があったんだって」
遅い朝食を、旺盛な食欲を見せて食べながら、母は言った。
妹と亜季はすでに朝食を済ませていて、私はふたりと顔を合わせないようにタイミングを見計らって食堂兼居間に顔を出したところ、ちょうどタクシーで帰宅した母と鉢合わせたというわけだった。
「それがさ、野犬とか熊とかの歯型じゃなくて、猿か人間のに近いんだってよ。猿はわかるにしても、人間なんてねえ。そんなはずあるもんか」
私は否定も肯定もしなかった。
母は勇樹の変貌を知らないのだ。
それに、昨夜見かけた、あの複数の影。
あれは、まさしく、勇樹の仲間ではなかったのか。
食事もそこそこに家を出た。
亜季が妹に昨夜のことを話したとは思えない。
それでは脅迫の効果がなくなるからだ。
家でうろうろしていてあの小悪魔と顔を合わせる気にはなれなかった。
勇樹の正体をつかみたいが、離れには亜季が陣取って私を入れないように警戒しているに決まっている。
町まで出て喫茶店でコーヒーでも飲もうか。
そんなことを考えながら、砂利道から舗装道路に差し掛かった時だった。
左手の水田の際を流れる用水路で、長靴を履いた娘が腰をかがめて何かしているのが見えた。
あれは確か…。
覚えやすい名前だから、すぐに思い出した。
野沢菜緒。
そう、G大の大学院の学生だ。
「何してるんですか?」
好奇心に駆られてそばに行くと、
「ひ」
菜緒は文字通り蛙みたいにぴょんと飛び上がった。
「び、びっくりした。あ、あなたは…」
「きのう、河原で会いましたよね」
「ああ、そういえば、思い出しました」
改めて見ると、童顔にそばかすと眼鏡がよく似合っている。
麦わら帽子の下から飛び出た三つ編みの髪もなんとも素朴で可愛らしい。
「こんなところでも、生態系の調査ですか」
「え、ええ、はい。じ、実は、私、発見しちゃったんです」
「発見? 何をです?」
「これ」
掲げて見せてくれたのは、腰から提げていたプラスティックの水槽だ。
中に、長さ1センチほどの黒くて細長いものが、10個以上入っている。
きのう、河原で会った時も、こんなのを持っていたような…。
「なんですか? カワニナみたいな、淡水の貝に見えますが」
「当たりです。でも、カワニナではありません」
得意げに小さな鼻の頭を指でこする菜緒。
「強いてあげれば、ミヤイリガイの仲間でしょうか」
「ミヤイリガイ?」
聞いたことがある。
でも、確かあれは、日本ではもう…。
「ここから先は完全にわたくしの予想ですが、これがたぶん、今回の感染症を引き起こす寄生虫の中間宿主なのだと思います」
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