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第4部 ヒバナ、エンプティハート!
#5 コネクト
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翌日、学校は突如として沈没した戦艦武蔵の話題でもちきりだった。すでにインターネットの動画サイトに映像が流出しており、それをスマホで閲覧してはみんな大騒ぎしていた。
「滑走路のとこにさ、ほら誰か立ってるみたいに見えるでしょ。それが次の瞬間さ、ほら、飛んだ!」
「わー、なにこれ? ひょっとしてバットマン的なスーパーヒーローってやつ?」
「うちには女の子みたいに見えるんだけど、この子が武蔵やっつけたのかな」
「まさかー、でも、いったい何なんだろうね」
緋美子は騒ぎに加わることもなく、終業のチャイムとほぼ同時に教室を出た。
隣のクラスが気になったが、乾ナミと顔を合わせる勇気はなかった。
自転車を駆って、病院に急ぐ。
ロビーを駆け抜け、エレベーターで10階に上がる。
きのうのお金が効いたのか、母には立派な個室があてがわれていた。
病室に飛び込むと、母が横になったまま、緋美子のほうにやつれた顔を向けた。
おととい、手術が終わったばかりである。
幸い、両脚を切断するまでには至らなかったが、重度の脊椎の損傷で、下半身麻痺の可能性は限りなく高いという。
集中治療室から出られたのは昨夜のことである。
ゆうべ、母はほとんどの時間、眠っていた。
朝、安奈を保育園に連れて行くために緋美子はいったん家に帰らねばならず、意識の戻った母と対面するのはきょうが初めてだった。
「悪かったね、ひみちゃん。迷惑かけたね」
頭に包帯を巻き、顔のあちこちに絆創膏を貼った母は、見るからに痛々しかった。
「お母さん・・・」
緋美子は口ごもった。
言いたいことはたくさんあるのに、何かにせき止められたかのように言葉が出ない。
そんな感じだった。
「安奈はだいじょうぶ? だだをこねてあなたを困らせたりしていない?」
母が、かすれた声で言った。
答える代わりに、緋美子はシーツから出た母のやせた手をそっと握った。
こみあげてくるものに、必死で耐えていた。
「なんにも心配いらないから。お母さんは、ここでゆっくり体を治して」
やっとのことで、それだけ言えた。
「そうも言っていられないよ。入院費だって馬鹿にならないだろ。早く退院して、仕事に戻らなきゃ」
母の言葉に、緋美子の口元がかすかにひきつった。
やがて、ゆっくりと、一語一語言葉を押し出すようにして、言った。
「お金のことは、いいの。私、きょうからアルバイトすることにしたし、貯金もまだあるから」
「あれはひみちゃんの大学進学用だよ。使っちゃダメだよ」
母が眉をひそめる。
「いいんだって」
緋美子は無理やり笑顔をつくってみせた。
「明日は安奈を連れてくるから、楽しみに待っててね。それから、ほしいものがあったら何でも言って。来る途中で買ってくるから」
椅子から腰を上げ、母の手をシーツの中に戻す。
「ごめんね。でも、あんまり無理しないでね。ひみちゃんは、わたしなんかにかまわず、自分のやりたいこと、優先すればいいんだから」
気弱そうな表情に戻って、母が緋美子を見上げる。
「無理なんて、してないよ。じゃあ安奈を迎えに行く時間だから、もう行くね」
廊下に出たとたん、頬を熱いものが伝った。
緋美子は拳を難く握りしめて、ともすれば喉から漏れそうになる嗚咽を懸命に押し殺した。
◇
出勤してまず初めに驚いたのは、緋美子が小さな女の子を連れてきていたことだった。
「すみません。どうしてもおうちにひとりでいたくないって、聞かないものですから・・・」
眉の太い、ふっくらした顔の幼女である。
「わー、かわいい! ねえ、名前なんて言うの?」
腰をかがめて、ヒバナは子供の顔を覗き込んだ。
が、幼女はよほど機嫌が悪いのか、ぶすっとして、横を向いてしまう。
「こら、アンナ、ちゃんとご挨拶しなさい」
緋美子が幼女の後頭部に手をやり、無理やりお辞儀をさせる。
「アンナちゃんっていうんだ」
ヒバナはかわいくてたまらないというように、幼女の頭をなでている。
「事務所に置かせてもらっていいですか。絵本持ってきてるので、おとなしくしてると思います」
緋美子がすまなさそうに言う。
「いいよいいよ、こう見えても子供は大好きでね」
店長が言い、
「さあ、お嬢ちゃん、こっちでおじさんとテレビでも見ようか」
と意外に子煩悩なところを見せて、アンナを奥の事務所に連れて行った。
「あ、それから、これ、お返しします」
二人の姿が見えなくなると、緋実子がポシェットから封筒を取り出した。
この前ヒバナが渡した給料袋である。
「え、もういいの?」
驚くヒバナに向かって、
「はい。でも、おかげさまで本当に助かりました」
深々と頭を下げる。
この少女、一見とっつきにくそうに見えるが、義理堅い性格のようだった。
「んー、何かわかんないけど、とにかくよかったね。また困ったことがあったら、何でも相談してちょうだい」
ヒバナは少し釈然としない気分で、そう言った。
あれからこの子に何があったのだろう?
レオンが言った『いやな予感』とやらに何か関係があるのだろうか。
ふと、そう思ったのである。
緋美子は仕事の覚えが早く、また要領もよかったので、ヒバナは大助かりだった。その代わり勤務時間は午後6時から10時までと短かったが、これは現役の高校生だから仕方がない。
さすが天下の曙高校に行ってるだけのこと、あるなあ。
とむやみに感心する。
ヒバナも一応中の下くらいの公立高校を出ていたが、曙高校に合格するにはプラス20以上の偏差値が必要だ。
てきぱきと働く緋美子を見て、ヒバナは同じくらいの年のころ、自分がいかに役立たずだったかを思い出し、軽い劣等感に襲われた。
ヒバナがこの日、三度目に驚いたのは、上がる時間になり、緋美子が、
「おつかれさまでした。また明日もよろしくお願いします」
とお辞儀をしたときのことだった。
姉の手にぶらさがるようにしてつかまっていたアンナが、ふいにヒバナを見上げると、びっくりするほど強い口調で言ったのだ。
「あんた、お姉ちゃんにひどいことするでしょ。アンナ、許さないからね」
「え?」
ヒバナは絶句した。
わけがわからなかった。
わたしが、ひどいことする?
・・・って、それ何?
「滑走路のとこにさ、ほら誰か立ってるみたいに見えるでしょ。それが次の瞬間さ、ほら、飛んだ!」
「わー、なにこれ? ひょっとしてバットマン的なスーパーヒーローってやつ?」
「うちには女の子みたいに見えるんだけど、この子が武蔵やっつけたのかな」
「まさかー、でも、いったい何なんだろうね」
緋美子は騒ぎに加わることもなく、終業のチャイムとほぼ同時に教室を出た。
隣のクラスが気になったが、乾ナミと顔を合わせる勇気はなかった。
自転車を駆って、病院に急ぐ。
ロビーを駆け抜け、エレベーターで10階に上がる。
きのうのお金が効いたのか、母には立派な個室があてがわれていた。
病室に飛び込むと、母が横になったまま、緋美子のほうにやつれた顔を向けた。
おととい、手術が終わったばかりである。
幸い、両脚を切断するまでには至らなかったが、重度の脊椎の損傷で、下半身麻痺の可能性は限りなく高いという。
集中治療室から出られたのは昨夜のことである。
ゆうべ、母はほとんどの時間、眠っていた。
朝、安奈を保育園に連れて行くために緋美子はいったん家に帰らねばならず、意識の戻った母と対面するのはきょうが初めてだった。
「悪かったね、ひみちゃん。迷惑かけたね」
頭に包帯を巻き、顔のあちこちに絆創膏を貼った母は、見るからに痛々しかった。
「お母さん・・・」
緋美子は口ごもった。
言いたいことはたくさんあるのに、何かにせき止められたかのように言葉が出ない。
そんな感じだった。
「安奈はだいじょうぶ? だだをこねてあなたを困らせたりしていない?」
母が、かすれた声で言った。
答える代わりに、緋美子はシーツから出た母のやせた手をそっと握った。
こみあげてくるものに、必死で耐えていた。
「なんにも心配いらないから。お母さんは、ここでゆっくり体を治して」
やっとのことで、それだけ言えた。
「そうも言っていられないよ。入院費だって馬鹿にならないだろ。早く退院して、仕事に戻らなきゃ」
母の言葉に、緋美子の口元がかすかにひきつった。
やがて、ゆっくりと、一語一語言葉を押し出すようにして、言った。
「お金のことは、いいの。私、きょうからアルバイトすることにしたし、貯金もまだあるから」
「あれはひみちゃんの大学進学用だよ。使っちゃダメだよ」
母が眉をひそめる。
「いいんだって」
緋美子は無理やり笑顔をつくってみせた。
「明日は安奈を連れてくるから、楽しみに待っててね。それから、ほしいものがあったら何でも言って。来る途中で買ってくるから」
椅子から腰を上げ、母の手をシーツの中に戻す。
「ごめんね。でも、あんまり無理しないでね。ひみちゃんは、わたしなんかにかまわず、自分のやりたいこと、優先すればいいんだから」
気弱そうな表情に戻って、母が緋美子を見上げる。
「無理なんて、してないよ。じゃあ安奈を迎えに行く時間だから、もう行くね」
廊下に出たとたん、頬を熱いものが伝った。
緋美子は拳を難く握りしめて、ともすれば喉から漏れそうになる嗚咽を懸命に押し殺した。
◇
出勤してまず初めに驚いたのは、緋美子が小さな女の子を連れてきていたことだった。
「すみません。どうしてもおうちにひとりでいたくないって、聞かないものですから・・・」
眉の太い、ふっくらした顔の幼女である。
「わー、かわいい! ねえ、名前なんて言うの?」
腰をかがめて、ヒバナは子供の顔を覗き込んだ。
が、幼女はよほど機嫌が悪いのか、ぶすっとして、横を向いてしまう。
「こら、アンナ、ちゃんとご挨拶しなさい」
緋美子が幼女の後頭部に手をやり、無理やりお辞儀をさせる。
「アンナちゃんっていうんだ」
ヒバナはかわいくてたまらないというように、幼女の頭をなでている。
「事務所に置かせてもらっていいですか。絵本持ってきてるので、おとなしくしてると思います」
緋美子がすまなさそうに言う。
「いいよいいよ、こう見えても子供は大好きでね」
店長が言い、
「さあ、お嬢ちゃん、こっちでおじさんとテレビでも見ようか」
と意外に子煩悩なところを見せて、アンナを奥の事務所に連れて行った。
「あ、それから、これ、お返しします」
二人の姿が見えなくなると、緋実子がポシェットから封筒を取り出した。
この前ヒバナが渡した給料袋である。
「え、もういいの?」
驚くヒバナに向かって、
「はい。でも、おかげさまで本当に助かりました」
深々と頭を下げる。
この少女、一見とっつきにくそうに見えるが、義理堅い性格のようだった。
「んー、何かわかんないけど、とにかくよかったね。また困ったことがあったら、何でも相談してちょうだい」
ヒバナは少し釈然としない気分で、そう言った。
あれからこの子に何があったのだろう?
レオンが言った『いやな予感』とやらに何か関係があるのだろうか。
ふと、そう思ったのである。
緋美子は仕事の覚えが早く、また要領もよかったので、ヒバナは大助かりだった。その代わり勤務時間は午後6時から10時までと短かったが、これは現役の高校生だから仕方がない。
さすが天下の曙高校に行ってるだけのこと、あるなあ。
とむやみに感心する。
ヒバナも一応中の下くらいの公立高校を出ていたが、曙高校に合格するにはプラス20以上の偏差値が必要だ。
てきぱきと働く緋美子を見て、ヒバナは同じくらいの年のころ、自分がいかに役立たずだったかを思い出し、軽い劣等感に襲われた。
ヒバナがこの日、三度目に驚いたのは、上がる時間になり、緋美子が、
「おつかれさまでした。また明日もよろしくお願いします」
とお辞儀をしたときのことだった。
姉の手にぶらさがるようにしてつかまっていたアンナが、ふいにヒバナを見上げると、びっくりするほど強い口調で言ったのだ。
「あんた、お姉ちゃんにひどいことするでしょ。アンナ、許さないからね」
「え?」
ヒバナは絶句した。
わけがわからなかった。
わたしが、ひどいことする?
・・・って、それ何?
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