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第4部 ヒバナ、エンプティハート!

#20 カタストロフィー

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「どういうこと・・・? あんたは、"創造主"に会ったの?」
 ミミはたずねた。
 イザナギとイザナミ。
 高天原の二柱の神は、いわば蛭子であるミミの産みの親である。
 不具者として生まれたというだけで、己の子を捨てた。
 その冷酷な親の"感触"を、ミミは今も忘れてはいない。
 緋美子の潜在意識の隅に、かすかにではあるが、その気配が残っていたのだ。
 母、イザナミの気配である。
「覚えてないんです」
 目の前の少女が、悲しそうに首を振る。
「そうか・・・。記憶を消されているね」
 ミミはずるずる畳の上に戻ると、細長い体でゆっくりと円を描いて回り始めた。
 考え事をしているときの、ミミの癖だった。
「ヒバナはどこ? レオンは?」
 動きを止め、体の半分をまっすぐに立てると、目のない頭部であたりを見回した。
 ミミとレオンは同じ常世の者同士、弱い精神感応能力がある。
 それでレオンとコンタクトをとろうというのだろう。
 やがて。
「どこなの? そこは」
 レオンを探知したのか、ふいにミミが言った。
「浄水場? そんなとこで、何を?」
 どうやら、頭の中でレオンと会話を交わしているらしい。
「ちょっと待って。何なの、それは」
 ふいに、ミミの口調が尖った。
 頭部の動きが止まる。
 何かを見据えるように、宙の一点を凝視している。
「それって、もしかして・・・。レオン、そこ、浄水場だって言ったわね。大変だわ。ヒバナに至急、そいつらを殲滅するように言って。手遅れになると、とんでもないことになる・・・。
 え? できない? できないって、それ、どういうことなの?」
 後半は、半ば叫ぶような口調になっていた。
 そこに、ミミの声を聞きつけて、ひずみが顔を出した。
「どうしたの、ミミ? 朝っぱらから何興奮してるの?」
 真っ白な薄手のワンピースが、日に焼けた肌によく似合っている。
 そのひずみのほうに頭を向けると、強い口調でミミが言った。
「さ、あんたたち、出かけるよ。ひずみ、じいさまに、タクシー呼ぶように言ってきて。緋美子、あんたは早く着替えて。戦えるように準備しておきなさい」
「出かけるって、どこに?」
 ひずみが驚いて聞き返す。
「ヒバナが危ない。というか、人類が、この世界自体が危ないのさ」
 低いが、よく通る声で答えるミミ。
 そこにいるのは、いつもの落ち着いた母性の塊のようなミミではなかった。
 太古の神、蛭子の末裔のミミだった。
「世界が、危ない?」
 ひずみがつぶやいた。
「私、何と戦うんですか?」
 緋美子がたずねた。
 ミミはもう、応えなかった。
                   ◇
 愛知県は雄のクワガタムシの頭部に似ている。
 その大顎にあたる二つの半島で形成された伊勢湾と三河湾。
 その二つの湾に、それぞれ巨大な黒い影が浮かび上がった。
 長さ200メートルを超す巨艦、大和と武蔵である。
 伊勢湾に戦艦大和。
 三河湾に戦艦武蔵。
 三本の砲身を備えた46センチ砲の砲塔が、滑らかに旋回して陸地に照準を定める。
 1トンもある砲弾を、40キロ先まで飛ばせる途方もない威力を秘めた兵器である。
 まず、大和が撃った。
 続いて、武蔵の大砲が咆哮する。
 悲劇の軍艦に、70年ぶりにやっとめぐってきた、晴れ舞台だった。
                   ◇
「ムカデだあ!」
 ヒバナが叫んで、間一髪、横に反転し、敵の攻撃をかわした。
ー正確にはヤスデだな、硬い甲殻に覆われているから、ある意味、こっちのが、ムカデよりやっかいだー
 頭の中でレオンが解説する。
「そんなの、どっちも同じでしょ」
ーちがうな。ほら、ヤスデはあんな芸当もできるー
 怪物たちの形が変わり始めた。
 10メートルもの長い体を丸めると、自動車のタイヤのような形になった。
 巨大な、棘だらけのタイヤである。
 転がり始めた。
 二方向から、すさまじい勢いで迫ってくる。
 爆転を繰り返して、ヒバナは逃げた。
 森から広い敷地に出ると、翼を広げ、飛ぼうとした。
 が、草むらに足を取られ、一瞬、遅れた。
 そこに、両側からタイヤの化け物が突っ込んできた。
「ぐうっ」
 挟まれた。
 たまらず、うめいた。
 口から血反吐を吐く。
 タイヤが離れ、少し距離を置いたかと思うと、
 次の瞬間、助走をつけてまたぶつかってきた。
 骨の折れるいやな音がした。
 ヒバナの体がビクンと跳ね、やがて動かなくなる。
 三度、四度と、同じ攻撃が繰り返された。
 最後にタイヤが離れたとき、ヒバナは血にまみれ、壊れた人形のように倒れていた。
                 ◇
 レオンはうつろに開いたヒバナの目を通して、外界を見ていた。
 魔物たちの姿は視界から消え、その代わりに妙なものが見えた。
 例の、ホヤみたいな生き物の群れである。
 それは、大きくなっていた。
 最初見たときは高さ1メートルくらいだったのだが、今は2メートルを超えている。
 それが体の前面に開いた口を全開にして、ぴょん、ぴょんと一本足で歩いてくるのだ。
ーどこなの? そこはー
 ミミの声が聞こえてきたのは、そのときだった。
                  ◇
 ホヤたちは、浄水場のいちばん奥に位置する、円形の建物をめざしていた。
 配水池。
 浄化の完了した水を、いつでも市内に配水できるように貯めておく、いわばこのシステムの仕上げの場所である。
 誰かに遠隔操作されているかのように、ホヤたちが等間隔で建物を取り囲む。
 そして、またぐうっと膨らみ、大きくなった。

 だが、光男はそれどころではなかった。
 またしても、目の前でヒバナがやられてしまったのだ。
 助けなければ。
 タイヤ状の怪物に悟られないよう、いったん森の中に隠れ、木々の間を伝うようにして、倒れたヒバナに近づいていく。
 あと少し、という距離まできたときである。
 ポキッと足元で枯れ枝の折れる音がした。
 すぐに、二つのタイヤが反応した。
 タイヤ型の体勢を解き、元のヤスデの姿に戻ると、いきなり地を這うようにして光男に襲いかかってきたのだ。
 しまった!
 と思ったときにはもう遅かった。
 光男は右足首を鋭い牙に咥えられ、逆さ吊りにされていた。
 頭の下を、見る見る地面が遠ざかっていく。
 ヒバナちゃん、ごめん。
 やっぱり俺はダメ人間だったよ・・・。
 気を失う寸前、光男はそんなことを思っていた。
                   ◇
 石油コンビナートを砲弾が直撃し、臨海部は壮絶な火炎地獄と化した。
 武蔵はゆっくりと湾の奥深く入り込みながら、半島を火の海に変えていった。
 黒煙がもうもうと上がるなか、航空自衛隊のヘリと哨戒機が何度も旋回を繰り返している。
 装甲車や戦車が那古野港の埠頭周辺に集結しているが、攻撃命令はまだ出ていない。
 大和は三重県側の石油化学コンビナートを砲撃していた。
 途方もない量の原油や天然ガスが爆発し、こちらも地獄の様相を呈していた。
 消防車のサイレンがけたたましく聞こえているものの、あまりに爆発が激しくて、どの車両も現場に近づけないでいるようだった。
 46センチ砲がうなる。
 砲弾は、すでに市街地にまで届いている。
 ビルが崩れる。
 湾岸道路があめのように炎に溶けて曲がっていく。
 阿鼻叫喚の叫びがそこここからあがっていた。
 世界の終わりは、こうして、いかにも唐突に始まったのである。
 

  

 
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