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第4部 ヒバナ、エンプティハート!
エピローグ
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瞬く間に1週間が過ぎた。
ヒバナたち那古野市に居を構える者にとっては、復旧に向けての多忙な1週間だった。
戦艦大和と武蔵の砲撃で二つの半島に集中する石油化学コンビナートの大半が破壊され、しかも、日本有数の出荷量を誇る那古野港が壊滅状態に陥ったため、中部地方の経済はほとんど麻痺状態に陥ってしまったのである。
加えて飲料水の問題が発生した。
市内全域に水道水を供給する浄水場が何者かの襲撃を受け、機能を停止してしまったのだ。
最初の三日間、水は配給制になり、浄水場が再稼動するまでの間、ヒバナも母と一緒に近所の小学校に水をもらいに行かねばならなかった。ヒバナの勤める深夜喫茶『アイララ』は大猫観音通り商店街のほかの店同様、臨時休業を余儀なくされ、なんとか開店にこぎつけたのは1週間たってからのことだった。
夕方5時。
しばらくぶりに出勤すると、ヒバナの顔を見るなり店長が言った。
「おお、ヒバナちゃん、無事だったか。ほんと大変だったよね。いったい世の中、どうなっちゃったんだろうねえ。映画とかマンガじゃ、ふつう宇宙人とかテロリストとかに攻撃されるのって、東京って決まってるだろ? なんで今度の敵はこんなローカル都市を目のかたきにするんだろう。しかも、何者なのか正体もさっぱりわからないっていうし」
「ですよねー」
と、適当に受け流し、メイド服に着替えるヒバナ。
「ところで、いいニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
テーブル拭きを始めたヒバナに、なおも店長が話しかけてくる。
1週間休業して、よほど人恋しかったと見える。
「いいニュースだけ。悪いほうは聞きたくないです」
苦笑いして、ヒバナが応える。
「それがそうもいかないんだなあ。この二つ、つながってるから」
「どういうことですか?」
「秋津さん、バイト辞めるって。なんでも、お母さんがずっと入院してたんだってね。そのお母さんもすっかり良くなったし、実は彼女の高校って、アルバイト禁止でね、こっそり続けるのも限界らしくてさ。きょう、挨拶に来るって言ってたから、事情は直接本人から聞きなよ。よく働くいい子だったから、残念だけどね、まあ高校生だから、しょうがないかとも思うんだ。そのかわり、北海道の実家に帰ってたクマちゃんが、戻ってきてくれるって、きのう電話があったよ。フルタイムで働きたいって言ってくれてるから、僕らとしても大助かりだね」
ヒバナの手から布巾が落ちた。
後半の話は耳に入ってこなかった。
ひみちゃんが、辞める・・・?
ショックだった。
最後の戦い以来、忙しさにかまけて彼女とはここ1週間連絡を取っていない。
ケータイを失くしたのも痛かった。
あの最後の戦闘のとき、うっかり"戦闘服"の尻ポケットに入れたままでいたため、水流に呑み込まれてどこかへ行ってしまったのである。
それでもヒバナとしては、なんとなく日常は普通に続くものとばかり、思い込んでいたのだ。
ヒバナは覚束ない足取りでいちばん奥の客用のブースまで歩いていくと、中に入り込み、へなへなと椅子に座り込んだ。
「あれ? ヒバナちゃん、どうしたの? もう休憩?」
店長のあわてる声に、
「すみません。実はきょうあの日なんで、貧血気味なんです」
と言葉を返し、テーブルに頬杖をついた。
「そっかー、女の子は大変だねえ。わかった、元気になるまでしばらくそこで休んでなよ」
店長は、数少ない従業員であるヒバナには非常に甘い。
「ありがとうございます。あ、それからわたし、しばらくひとりごと言いますけど、気にしないでお仕事しててくださいね」
「あいよ。若いと色々悩みもあるだろうから、遠慮なく愚痴ってなよ」
店長が遠ざかるのを見計らって、頭の中のレオンに話しかける。
「あーあ、悲しいよ、レオン」
涙ぐんでいる。
「わたし、緋美子ちゃんとずっと一緒にやっていけるって、勝手に思い込んでた。でも、よく考えたら、そんなことありえないよね。彼女はもともと、超エリート高校の生徒で、大学受験とかもあるだろうし、それに比べてわたしときたら、しがない喫茶店のウェイトレスにすぎないんだから。もう根の国もなくなって、わたしたち常世の戦士の出番もないもんね。お母さんが良くなれば、わたしたちとの接点もなくなっちゃうし。これでお別れかあ。店長じゃないけど、しょうがないよね」
なんだか、胸にぽっかりと穴が開いたような気分だった。
無性にさびしい。
少し大げさな言い回しになるが、自分の存在の根幹が揺らぐような空虚感を、ヒバナは覚えていた。
ーあのな、江戸時代じゃないんだから、そういう職業格差を誇張するような発言はよくないと思うぜー
レオンがあきれたような調子で答えた。
ーそれにな、前にも言ったと思うが、オレはすべてが終わったとは考えていないんだ。まだまだ、ヒバナ、緋美子、おまえたちの力は必要になるー
「あ、そうだった。あの、茶番がどうのって、何のこと? ずっとバタバタしてて、訊くの忘れてた」
ヒバナが目を見開いて、ぽんと手をたたいた。
1週間前、マガツカミが常世細胞に侵食され、息絶えたのを見届けたとき、すべてが終わったとだれもが思ったそのときに、レオンが言ったのだ。
「今までのことはみんな、茶番だったんじゃないか」
みたいなことを。
ーオレはおまえを偶然の積み重なりから"戦士"に仕立てたと思っていたが、実はそれもあらかじめ仕組まれたことだったんじゃないかと、今はそんな気がしてならないんだ。
たとえばその腕輪だ。それには青竜以外の神獣をもすべて召喚する機能が備わっている。しかし、ふつうは、竜族なら竜だけ、不死鳥族なら鳥だけ、というのが本来の腕輪のあり方だ。つまりそれは四つの腕輪を統べる更に高位の腕輪ということになる。
おまえがその腕輪を使いこなして青竜以外の神獣をも召喚できるようになるのかどうかは、オレにはわからない。だが、巡りめぐってそれがおまえの元にやってきたこと自体が、何者かの意志のような気がしてならないんだよ。そうなると、その腕輪の機能が青竜の召喚だけで終わるはずない、とも思えてくる。それがこの世に現れた以上、その腕輪の能力に見合うだけの何か途方もないことが起こらないはずがない、そう思えてならないのさー
ヒバナは左腕にはめている腕輪をしげしげと眺めた。
もうずっと装着しているので今更気にもならないが、これにそんなにすごい力があるのだろうか。
それにしても、すべてがあらかじめ仕組まれていたというのはどういうことなんだろう?
「何者かって、誰? マガツカミは滅びたし、死天王ももういないわけでしょ? まだその後ろに大BOSSが残ってるってこと? それに、あれ以上に途方もないことって、一体全体何なのよ?」
ーそれは今のところ、オレにもわからない。緋美子の存在も謎だしな。部分的であるとはいえ、四神獣の四つの部位を併せ持つ彼女は、非常に不自然な存在なんだ。緋美子自身は非常にまっすぐな人間だ。そこはオレも評価している。しかし、彼女には何かある。本人の知らない何かとんでもない秘密が・・・ー
「そんなことはわたしにはどうでもいい。でも、そうすると、わたし、またひみちゃんと一緒に戦える可能性があるってことだね? うっし。やったあー」
ヒバナが歓声を上げ、右腕を天に突き上げる。
ーおまえはほんと、単純でいいよなー
レオンがそう嘆いたとき、
「ヒバナちゃん、秋津さんが来たよ」
店長が、入り口のほうから、そう声をかけてきた。
久しぶりに会う私服姿の緋美子は、ずいぶん大人びて見えた。
ヒバナを見ると、うれしそうに笑った。
柔和な目をしていた。
ヒバナは初めて会ったときのことを思い出した。
この店の事務室で、アルバイトの面接をしたときのことだ。
あのときの緋美子は、世界中を敵に回しているかのような、きつく厳しいまなざしをしていたものだ。
それが、ずいぶん変わった、と思う。
「ヒバナさん、今まで色々ありがとう。本当に、感謝しています」
頭を下げ、緋美子が言った。
「お母さんが良くなったのも、私が今ここにこうしていられるのも、全部ヒバナさんのおかげだと思っています。でも、私もそろそろ、自分の将来のこと、真剣に考えようと思うんです。ここのお仕事、とっても楽しかったし、いつまでもヒバナさんと一緒にいたい。その気持ちにうそはありません。ただ、学校もアルバイトも、このままではどっちも中途半端になるような気がして・・・。ほんと、ごめんなさい。何度も携帯にかけたんだけど、つながらなくて。それできょう、直接あやまろうと思って・・・」
泣いているのか、少し声がくぐもっている。
「そんなことはいいの。それより、これからもわたしたち、友達で仲間だよ」
緋美子の肩をそっと抱いて、ヒバナは言った。
「あのカエルのスタンプ、覚えてる? もしものことがあったら、必ず送ってよね。わたし、すぐに駆けつけるから。まあ、その前にスマホの新しいの、買わないといけないんだけど・・・。それから、たまには極楽湯にも遊びに来てよ。ひずみちゃんの勉強、みてやってほしいし」
しゃべっているうちに、泣けてきた。
「ヒバナ・・・」
緋美子がヒバナの背に腕を回し、強く抱きしめてくる。
緋美子の身体は温かく、そしてやわらかかった。
ヒバナは声を上げて泣いた。
我ながら、涙もろすぎる、と思ったが、流れる涙を止めることはできなかった。
◇
帰り道。
車の通りのない、街路灯だけが照らす舗道を、緋美子が歩いている。
薄い白のブラウスに、くるぶしまである長いスカートといった、清楚な出で立ちである。
ふと、何かを思い出したように、ショーウインドウの前で立ち止まった。
バッグからピンクのフレームの大きな眼鏡を取り出して、顔にかける。
ナミの面影が、緋美子の顔の上に、一瞬重なったかに見えた。
「あーあ、よく寝た。緋美子、あたし、やっと目が覚めたよ」
いかにも今起きたばかりのように、両腕を伸ばし、大きく伸びをした。
ショーウインドウに清楚な少女の姿が映っている。
緋美子の瞳が、猫の目のように縦に細くなる。
鏡代わりのガラスを前に、ファッションモデルのようにポーズを取る。
思い切って、ブラウスのボタンをはずす。
下着を取った。
上半身裸になると、自分の肉体をじっくり鑑賞する。
胸の形も大きさも、申し分ない。
腰のくびれも完璧だ。
更にスカートを太腿の辺りまでまくりあげ、長く形のいい脚を心ゆくまで眺めた。
細すぎもせず、太すぎもせず、足首もよく締まっている。
「いいね、この体。前のより、ずっといい」
唇の両端を吊り上げ、三日月型の笑いをつくった。
機嫌がいいときのナミ特有の、悪魔めいた笑い方だ。
ショーウインドウの中の自分に向かって、いたずらっぽい口調で言う。
「緋美子、よろしくね。これからはあたしたち、一心同体だよ」
ナミのくすくす笑いだけが、いつまでも深夜の街にこだましていた。
ヒバナたち那古野市に居を構える者にとっては、復旧に向けての多忙な1週間だった。
戦艦大和と武蔵の砲撃で二つの半島に集中する石油化学コンビナートの大半が破壊され、しかも、日本有数の出荷量を誇る那古野港が壊滅状態に陥ったため、中部地方の経済はほとんど麻痺状態に陥ってしまったのである。
加えて飲料水の問題が発生した。
市内全域に水道水を供給する浄水場が何者かの襲撃を受け、機能を停止してしまったのだ。
最初の三日間、水は配給制になり、浄水場が再稼動するまでの間、ヒバナも母と一緒に近所の小学校に水をもらいに行かねばならなかった。ヒバナの勤める深夜喫茶『アイララ』は大猫観音通り商店街のほかの店同様、臨時休業を余儀なくされ、なんとか開店にこぎつけたのは1週間たってからのことだった。
夕方5時。
しばらくぶりに出勤すると、ヒバナの顔を見るなり店長が言った。
「おお、ヒバナちゃん、無事だったか。ほんと大変だったよね。いったい世の中、どうなっちゃったんだろうねえ。映画とかマンガじゃ、ふつう宇宙人とかテロリストとかに攻撃されるのって、東京って決まってるだろ? なんで今度の敵はこんなローカル都市を目のかたきにするんだろう。しかも、何者なのか正体もさっぱりわからないっていうし」
「ですよねー」
と、適当に受け流し、メイド服に着替えるヒバナ。
「ところで、いいニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
テーブル拭きを始めたヒバナに、なおも店長が話しかけてくる。
1週間休業して、よほど人恋しかったと見える。
「いいニュースだけ。悪いほうは聞きたくないです」
苦笑いして、ヒバナが応える。
「それがそうもいかないんだなあ。この二つ、つながってるから」
「どういうことですか?」
「秋津さん、バイト辞めるって。なんでも、お母さんがずっと入院してたんだってね。そのお母さんもすっかり良くなったし、実は彼女の高校って、アルバイト禁止でね、こっそり続けるのも限界らしくてさ。きょう、挨拶に来るって言ってたから、事情は直接本人から聞きなよ。よく働くいい子だったから、残念だけどね、まあ高校生だから、しょうがないかとも思うんだ。そのかわり、北海道の実家に帰ってたクマちゃんが、戻ってきてくれるって、きのう電話があったよ。フルタイムで働きたいって言ってくれてるから、僕らとしても大助かりだね」
ヒバナの手から布巾が落ちた。
後半の話は耳に入ってこなかった。
ひみちゃんが、辞める・・・?
ショックだった。
最後の戦い以来、忙しさにかまけて彼女とはここ1週間連絡を取っていない。
ケータイを失くしたのも痛かった。
あの最後の戦闘のとき、うっかり"戦闘服"の尻ポケットに入れたままでいたため、水流に呑み込まれてどこかへ行ってしまったのである。
それでもヒバナとしては、なんとなく日常は普通に続くものとばかり、思い込んでいたのだ。
ヒバナは覚束ない足取りでいちばん奥の客用のブースまで歩いていくと、中に入り込み、へなへなと椅子に座り込んだ。
「あれ? ヒバナちゃん、どうしたの? もう休憩?」
店長のあわてる声に、
「すみません。実はきょうあの日なんで、貧血気味なんです」
と言葉を返し、テーブルに頬杖をついた。
「そっかー、女の子は大変だねえ。わかった、元気になるまでしばらくそこで休んでなよ」
店長は、数少ない従業員であるヒバナには非常に甘い。
「ありがとうございます。あ、それからわたし、しばらくひとりごと言いますけど、気にしないでお仕事しててくださいね」
「あいよ。若いと色々悩みもあるだろうから、遠慮なく愚痴ってなよ」
店長が遠ざかるのを見計らって、頭の中のレオンに話しかける。
「あーあ、悲しいよ、レオン」
涙ぐんでいる。
「わたし、緋美子ちゃんとずっと一緒にやっていけるって、勝手に思い込んでた。でも、よく考えたら、そんなことありえないよね。彼女はもともと、超エリート高校の生徒で、大学受験とかもあるだろうし、それに比べてわたしときたら、しがない喫茶店のウェイトレスにすぎないんだから。もう根の国もなくなって、わたしたち常世の戦士の出番もないもんね。お母さんが良くなれば、わたしたちとの接点もなくなっちゃうし。これでお別れかあ。店長じゃないけど、しょうがないよね」
なんだか、胸にぽっかりと穴が開いたような気分だった。
無性にさびしい。
少し大げさな言い回しになるが、自分の存在の根幹が揺らぐような空虚感を、ヒバナは覚えていた。
ーあのな、江戸時代じゃないんだから、そういう職業格差を誇張するような発言はよくないと思うぜー
レオンがあきれたような調子で答えた。
ーそれにな、前にも言ったと思うが、オレはすべてが終わったとは考えていないんだ。まだまだ、ヒバナ、緋美子、おまえたちの力は必要になるー
「あ、そうだった。あの、茶番がどうのって、何のこと? ずっとバタバタしてて、訊くの忘れてた」
ヒバナが目を見開いて、ぽんと手をたたいた。
1週間前、マガツカミが常世細胞に侵食され、息絶えたのを見届けたとき、すべてが終わったとだれもが思ったそのときに、レオンが言ったのだ。
「今までのことはみんな、茶番だったんじゃないか」
みたいなことを。
ーオレはおまえを偶然の積み重なりから"戦士"に仕立てたと思っていたが、実はそれもあらかじめ仕組まれたことだったんじゃないかと、今はそんな気がしてならないんだ。
たとえばその腕輪だ。それには青竜以外の神獣をもすべて召喚する機能が備わっている。しかし、ふつうは、竜族なら竜だけ、不死鳥族なら鳥だけ、というのが本来の腕輪のあり方だ。つまりそれは四つの腕輪を統べる更に高位の腕輪ということになる。
おまえがその腕輪を使いこなして青竜以外の神獣をも召喚できるようになるのかどうかは、オレにはわからない。だが、巡りめぐってそれがおまえの元にやってきたこと自体が、何者かの意志のような気がしてならないんだよ。そうなると、その腕輪の機能が青竜の召喚だけで終わるはずない、とも思えてくる。それがこの世に現れた以上、その腕輪の能力に見合うだけの何か途方もないことが起こらないはずがない、そう思えてならないのさー
ヒバナは左腕にはめている腕輪をしげしげと眺めた。
もうずっと装着しているので今更気にもならないが、これにそんなにすごい力があるのだろうか。
それにしても、すべてがあらかじめ仕組まれていたというのはどういうことなんだろう?
「何者かって、誰? マガツカミは滅びたし、死天王ももういないわけでしょ? まだその後ろに大BOSSが残ってるってこと? それに、あれ以上に途方もないことって、一体全体何なのよ?」
ーそれは今のところ、オレにもわからない。緋美子の存在も謎だしな。部分的であるとはいえ、四神獣の四つの部位を併せ持つ彼女は、非常に不自然な存在なんだ。緋美子自身は非常にまっすぐな人間だ。そこはオレも評価している。しかし、彼女には何かある。本人の知らない何かとんでもない秘密が・・・ー
「そんなことはわたしにはどうでもいい。でも、そうすると、わたし、またひみちゃんと一緒に戦える可能性があるってことだね? うっし。やったあー」
ヒバナが歓声を上げ、右腕を天に突き上げる。
ーおまえはほんと、単純でいいよなー
レオンがそう嘆いたとき、
「ヒバナちゃん、秋津さんが来たよ」
店長が、入り口のほうから、そう声をかけてきた。
久しぶりに会う私服姿の緋美子は、ずいぶん大人びて見えた。
ヒバナを見ると、うれしそうに笑った。
柔和な目をしていた。
ヒバナは初めて会ったときのことを思い出した。
この店の事務室で、アルバイトの面接をしたときのことだ。
あのときの緋美子は、世界中を敵に回しているかのような、きつく厳しいまなざしをしていたものだ。
それが、ずいぶん変わった、と思う。
「ヒバナさん、今まで色々ありがとう。本当に、感謝しています」
頭を下げ、緋美子が言った。
「お母さんが良くなったのも、私が今ここにこうしていられるのも、全部ヒバナさんのおかげだと思っています。でも、私もそろそろ、自分の将来のこと、真剣に考えようと思うんです。ここのお仕事、とっても楽しかったし、いつまでもヒバナさんと一緒にいたい。その気持ちにうそはありません。ただ、学校もアルバイトも、このままではどっちも中途半端になるような気がして・・・。ほんと、ごめんなさい。何度も携帯にかけたんだけど、つながらなくて。それできょう、直接あやまろうと思って・・・」
泣いているのか、少し声がくぐもっている。
「そんなことはいいの。それより、これからもわたしたち、友達で仲間だよ」
緋美子の肩をそっと抱いて、ヒバナは言った。
「あのカエルのスタンプ、覚えてる? もしものことがあったら、必ず送ってよね。わたし、すぐに駆けつけるから。まあ、その前にスマホの新しいの、買わないといけないんだけど・・・。それから、たまには極楽湯にも遊びに来てよ。ひずみちゃんの勉強、みてやってほしいし」
しゃべっているうちに、泣けてきた。
「ヒバナ・・・」
緋美子がヒバナの背に腕を回し、強く抱きしめてくる。
緋美子の身体は温かく、そしてやわらかかった。
ヒバナは声を上げて泣いた。
我ながら、涙もろすぎる、と思ったが、流れる涙を止めることはできなかった。
◇
帰り道。
車の通りのない、街路灯だけが照らす舗道を、緋美子が歩いている。
薄い白のブラウスに、くるぶしまである長いスカートといった、清楚な出で立ちである。
ふと、何かを思い出したように、ショーウインドウの前で立ち止まった。
バッグからピンクのフレームの大きな眼鏡を取り出して、顔にかける。
ナミの面影が、緋美子の顔の上に、一瞬重なったかに見えた。
「あーあ、よく寝た。緋美子、あたし、やっと目が覚めたよ」
いかにも今起きたばかりのように、両腕を伸ばし、大きく伸びをした。
ショーウインドウに清楚な少女の姿が映っている。
緋美子の瞳が、猫の目のように縦に細くなる。
鏡代わりのガラスを前に、ファッションモデルのようにポーズを取る。
思い切って、ブラウスのボタンをはずす。
下着を取った。
上半身裸になると、自分の肉体をじっくり鑑賞する。
胸の形も大きさも、申し分ない。
腰のくびれも完璧だ。
更にスカートを太腿の辺りまでまくりあげ、長く形のいい脚を心ゆくまで眺めた。
細すぎもせず、太すぎもせず、足首もよく締まっている。
「いいね、この体。前のより、ずっといい」
唇の両端を吊り上げ、三日月型の笑いをつくった。
機嫌がいいときのナミ特有の、悪魔めいた笑い方だ。
ショーウインドウの中の自分に向かって、いたずらっぽい口調で言う。
「緋美子、よろしくね。これからはあたしたち、一心同体だよ」
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