ヒバナ、オーバードライブ DX!

戸影絵麻

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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!

#1 胡蝶

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「つまりさ」
 フライドポテトを尖った前歯で齧りながら、糸魚川貢(いといがわみつぐ)がいった。
 イオンモールのフードコート。
 木々の葉を通して降り注ぐ秋の日差しが、テーブルにまばゆいばかりの幾何学模様を描いている。
「宇宙がどうやってできたか、という問題に対する答えとして、これまで、『ビッグバン理論』とか『プラズマ宇宙論』とか『平衡宇宙論』とか、色々あったわけなんだけど」
「わたし、数学、苦手なんです。生まれつき」
 興味なさそうに話を聞いていた岬ヒバナが、あくび混じりに口をはさむ。
「数学っていうより、理科なんだけどね」
 貢が辛抱強くいう。
 2人は同い年の19歳。
 ただし、貢は大学2年生、ヒバナは社会人と、ステータスはかなり異なっている。
 喫茶『アイララ』の駆け出し副店長であるヒバナにとって、学生の貢の話はホラ話か夢語りくらいにしか聞こえない。
 もともと、自分の身に直接関係する事象についての話題でないと、神経が反応しないのだ。
「で、何が本当の答えかっていうとさ、それが村山先輩がいってた『人間原理』だったってわけ」
 村山とは、ヒバナと貢が所属している市立大学のサークル、『超常現象研究会』の部長である。
「観測者がどうたらこうたらって、あれ?」
「そうそう」
 我が意を得たりとばかりに貢がうなずく。
「じゃ、『シュレーディンガーの猫』の話、知ってるかな?」
「『フランダースの犬」なら見ましたよ。アニメで。でも、猫なんですよねえ。猫の話って、何かあったかなあ」
 無駄に考え込むヒバナ。
「『我輩は猫である』とか?」
「あ、そうそれ。松尾芭蕉」
「じゃなくて、夏目漱石ね。ま、いいや。とにかく、『人間原理宇宙論』ってのは、ヒバナにもわかるようにすごく単純化して説明すると」
「ちょっと糸魚川さん」
 ヒバナが睨んだ。
「糸魚川さんって、なんかわたしのこと、すっごく馬鹿にしてません?」
「え? な、なんで? なんでそうなるの?」
 貢が食べかけのポテトを吹き出した。
「ただなんとなく、です。確かにわたしは高校しか出てないし、高校生のときもバカでしたよ。でも、こう見えて、自分なりに色々考えたり悩んだりしてるんです」
 ヒバナは、顎の先だけ少しとがってはいるものの、どちらかというと丸顔である。
 目は少し垂れているが、これも円に近い形をしている。
 そのふだん丸い目が、今は三角になっていた。
「そりゃそうだと思うよ。ヒバナは俺なんかよりずっと人生経験豊かだし、かわいいし、理想的な形のお尻してるしさ」
「ほら!」
 ヒバナが、鬼の首をとったように貢を指差した。
「糸魚川さんって、わたしのこと、そういう目でしか見てないんですよね。ていうか、オンナなんて胸とお尻さえ魅力的ならそれでいい的な考えなんですよね」
「ちょ、ちょっと声が大きいよ」
 貢があわててヒバナを押しとどめる。
「まあ、否定はしないよ。だって、胸もお尻も女の子にとっては、男にない立派な武器じゃん」
「でもちゃんと中身も見てほしいんです。お尻ばっかり見ないで」
「OK、了解です。これからは極力中身の観察を先にして、それからお尻を」
「もういいから、で、用って何なんですか」
 いつも暢気なヒバナもさすがにじれてきたようだった。
 そもそヒバナが今ここにいるのは、貢にケータイで呼び出されたからなのである。
「えーと、つまり、話を戻すとさ、宇宙ができてそのあと人間が生まれたってのが従来の考え方でしょ?
ところが『人間原理宇宙論』だとこれが逆になる。『人間が見ているから宇宙が存在する』と、こういうことになるわけだ」
「そこがよくわかんないんですけど」
 ヒバナがぷうっと頬を膨らませる。
「そんなことあるわけないじゃないですか。わたしが見てなくても、世界はちゃんとありますよ。ほら、マクドもスガキヤもケンタッキーも」
「いや、でもそうなんだよ。そう考えないと説明がつかないことが宇宙には多すぎるんだ。たとえば、太陽の温度が今より1度でも高かったら人間は存在していられなかったはずだし、大気中の酸素含有量にしても、プランク定数にしても、この世のすべての法則は、人間の生存に最も適するように決められているってことなのさ」
「だから何なんですか?」
「つまり、偶然そうなったと考えるより、人間が宇宙をつくったからそうなった、と考えたほうが話が早いんじゃないかということ」
「んー、信じられないけど、つまりその宇宙をつくった人ってのが。『アイララ』の元店長、今岡さんだったってことなんですよね」
「なんだ、わかってるんじゃないか」
 貢が深いため息をつく。
 ヒバナの勤めている喫茶『アイララ』の店長こそが、人間原理宇宙論における現在のキーストーン、すなわち『観測者』である、と判明したのは、つい先日のことである。
 村山が語った説明というのは、こうだ。
 もともと宇宙は、何の形も持たない”波動”にすぎない。
 それを”観測者”である人間が”視る”ことによって、初めてそこに意味が生じ、かたちができる。
 ただし、観測者はすべてを知り尽くした者でなければならない。
 そして観測者は、代々受け継がれていくものである・・・と。
 しかしヒバナには、あの人の好さそうな、往年の加藤茶によく似た中年男性が、そんな大それたものだったなどとはとても思えないのだった。
「で、その今岡さんの心が病んだせいで、世界の様子がおかしくなり、怪奇現象が連続して起こるようになった。だから丸山さんが今岡さんを隔離した、って、こういうことなんでしょ?」
「ヒバナって、思ったより頭いいね」
 貢が感心したようにいう。
「そこまでわかってて、なんでバカのふりをする?」
「糸魚川さんの説明が難しすぎるんですよ! それに”ふり”じゃなくて、わたしはほんとにバカなんです」
「ごめんごめん。どうも俺、人に物教えるの、向いてなくて。塾の生徒からもまわりくどいってよくいわれるんだ」
 貢が照れたように頭を掻いた。
 貢は週2~3回、塾講師のアルバイトをしているのだ。
「それで、ご用件は?」
 ヒバナは完全に立腹している。
「あ、い、いや、その。用件ってのはね、どうやらその観測者が、死んじゃったらしいってことなんだよ」
「観測者って・・・ひょっとして、今岡さんのこと?」
「そうそう」
「今岡さんが、死・・・どうしてそんな大事なこと、先にいってくれないんですか!」
 がばっとヒバナが立ち上がった。
 丸い目に、見る間に涙の粒が盛り上がる。
 周りの客が、何事かと一斉に2人を見た。
「い、いや、俺もついさっき、先輩から連絡もらったばかりで、その」
 ヒバナの剣幕に、貢はすっかり動揺してしまっている。
「ちょっと、場所はどこ? どうして? いったい何が起こったんです?」
 矢継ぎ早にヒバナが訊く。
「観測者がかくまわれていた警察病院が、何者かに襲撃されたらしい。建物ごと壊滅状態なんだって。敵の正体は不明、先輩はそういってた」
「たいへん! わたし、行かなきゃ」
 駆け出そうとしたヒバナの手首を、貢がぐいと握って引き止めた。
「ちょっと待てよ。これ、おかしいと思わないか?」
 押されっぱなしだった貢が、珍しく真剣な表情でヒバナにたずねた。
「おかしいって、何がです?」
 聞き返すヒバナ。
 興奮で小さな鼻の頭が赤くなっている。
「だって観測者が死んだんだぜ。なのにどうして彼が見ていた世界はなくならないんだ?」
「それは・・・そもそも、そのナントカ理論が間違ってからでしょ」
「違うね」
 貢はヒバナの手首を離そうとしない。
「この前の事件で『人間原理宇宙論』はすでに証明されている。ということは、考えられることはただひとつ。実はただの『人間原理』じゃなく、『多重人間原理』が正解だったってこと」
「ぜんぜんわかんないんですけど」
 むくれるヒバナに、噛んで含めるように貢がいう。
「簡単にいうとね、この世界には、観測者が、今岡店長の他にも存在しているってことだよ」
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