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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!
#35 月光
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それを初めて目にしたとき、ナミは、
アナログ時計の中身みたいだ、と思った。
視界の限り広がる青白い氷の平原。
その果ての断崖の上に、その建造物は建っていた。
直径が3階建てのビルほどもある、黄金色に輝く歯車の集合体である。
真ん中に空いたスペースがあり、そこに向かって階段が伸びている。
ツクヨミが先に立って、その階段を登っていく。
後に続いて建物の中に入る。
マンションでいえば1DKほどの狭い空間である。
周囲で大小の無数の歯車がゆっくりと音もなく回っている。
壁の一方が制御盤のように前方に突き出していた。
その前に立つと、ツクヨミが空中をなぞるように両手を動かした。
その動作に呼応して、壁面にに半透明の擬似ディスプレイが出現する。
その画面に、地図が映し出された。
赤い点がひとつと、青い点がひとつ、ともっている。
青が、赤のほうに向かって少しずつ動いているのがわかる。
「赤がヒバナで、青が姉さんだ」
椅子に腰を下ろし、画面を見上げると、ツクヨミがいった。
「ヒューズ1の世界がリセットされる直前に、ヒバナたちと対峙する機会があってね。そのとき、彼女らの体に線虫の一種をもぐりこませておいた。識別信号を発信する、特別な虫さ。僕が以前の"観測者"今岡の潜伏場所を知る事ができたのも、そのせいだよ。今岡も、あの場にいたからね」
「ついでに丸山にもそれをつけておけば、手間が省けたのに」
ナミが不平を漏らす。
「もちろん、僕も全員にそうするつもりだったんだよ。ただあのときは、ほんと時間がなくてさ」
ツクヨミが少し遠い目をする。
「あっという間に、世界の一部が書き換えられてしまったんだ」
丸山は、"観測者"今岡の精神のゆがんだ部分を、催眠術みたいなもので矯正してしまったらしい。
あるいは、記憶の一部を単に消してしまったのか。
ひょっとして、とナミは思う。
丸山も、ナミのような超能力者だったということなのかもしれない。
お通夜や貢たち周囲の者に、丸山はそのことをずっと隠し続けていたのではないだろうか。
そうであるならば、彼だけが観測者の正体を特定できたことも、理解できる。
「まあ、ともあれ、今はこれで十分さ。どうやらヒバナは現在職場に居て、姉さんがそこに向かっているようだ。罠を仕掛けるなら、職場周辺が良さそうだね」
「どうするの?」
「いつか使えるかなと思って、氷の中から掘り出しておいた魔物がいる。それを、盤古を使って送り込む」
「盤古って、さっきあたしたちがここまで乗ってきたあのイトマキエイ?」
「うん。盤古は何匹もいるから、ぼくたちの足の心配はしなくて大丈夫さ」
そこまでいうと、ツクヨミはコンソールに向かい、あちこちにあるタッチパネル状のものに細い指を這わせ始めた。
「まず、ヒバナを捕らえよう。それで、姉さんたちを足止めする。その隙に鬼の首をいただきに行くんだ」
「あんなぶっそうな娘を、どこに閉じ込めておくというの?」
ナミはたずねた。
「うちのラボは無理よ。そんなに頑丈にできてないし、酒呑童子はまだ完成してないし」
「ここだよ」
ツクヨミが、親指を床のほうに向けて、答えた。
「氷壁の内部にとりあえず幽閉しておこうと思う。鬼の首を回収して酒呑童子を蘇生させることができたら、"闘技場"に放り込んで、戦わせる」
「闘技場?」
「昔ね、ここがまだ氷漬けになっていない頃、鬼や妖怪同士を暇つぶしに戦わせた場所があるんだ。そこを使えるようにしておくよ」
「あんたって、ほんとに趣味悪いね」
ナミが呆れたようにいう。
「その様子を姉さんに見せてやるんだ。ナミ、君の思念波を使ってね」
「邪悪の極み」
ナミが煙草に火をつけた。
「でも、はっきりいって、すごく面白そう」
ふうっと満足げに煙を吐き出す。
「だろ?」
ツクヨミがにっこり笑う。
「君とは気が合うと思ったよ」
「似た者同士なのかも」
ナミはつぶやいた。
「だね。ナギと違い、神話の時代、君はかつて一度死んで黄泉の国に落ち、置き去りにされた。ぼくは、太陽神である天照大神と対立する存在として、やはり夜の側に追いやられた。善や光はぼくらの敵なのさ」
ナミの記憶はほとんど今の"生"の間のことにとどまっており、さすがに記紀の頃の記憶はない。
だが、改めてそう指摘されると、そんな気がしてくるから不思議だった。
「ってことは、逆にいえば、ナギは向こうに寝返る素質を持ってるってことね」
ふと思いついて、ナミはいった。
人の良さそうな双子の兄の顔が、脳裏に浮かぶ。
「そうともいえる。まあ、正直、彼に何ができるのか、今のところ、さっぱりわからないんだけど」
「面倒を引き起こさないうちに・・・」
ナミが更にいいかけたとき、パネルの上をめまぐるしく這っていたツクヨミの指が止まった。
「OK。準備完了。罠を仕掛けたよ」
見上げると、画面に黒い点が増えていた。
ヒバナの勤務先、喫茶『アイララ』のすぐ近く、商店街の中である。
「じゃ、ぼくらもそろそろ移動することにしようか」
ツクヨミが立ち上がった。
「肉体労働用に鬼を二、三匹連れて行くけど、君には危害を加えないようにしてあるから、気にしないで」
「ケダモノと一緒なの?」
ナミが露骨に嫌な顔をした。
「ペットか家畜と思えばなんてことないさ」
歯車だらけの建物から外に出ると、眼下にあのイトマキエイが待機していた。
その脇に、筋骨隆々とした原始人のような生き物が二頭、立っていた。
あれが鬼なのだろう。
絵本の鬼のように虎の皮のパンツは穿いていない。
下半身には長い毛が密集しており、その間から男性器がだらりと垂れ下がっているのが見える。
それがいかにもけだものっぽくて、生々しい。
「盤古、頼む」
階段の上で、ツクヨミが声をかけた。
いつものように、イトマキエイが舞い上がる。
宙に静止すると、しばらく点滅を繰り返す。
やがて、エイの体の中だけ、別の空間になった。
暗い夜空。
正面の森の上に、月が上りかけている。
月光に照らされたツクヨミは、天使のように美しかった。
そのツクヨミが、振り向いて、いった。
「ナミ、ひとつだけ、お願いがあるんだけど」
「また?」
ナミは細い眉を吊り上げた。
大仕事の前に、空腹を満たそうというのだろう。
「いいけど」
ナミはコートを脱ぎ、ブラウスのボタンをはずした。
右肩を顕わにして、ツクヨミのほうに向ける。
「悪いね」
ツクヨミが微笑んだ。
天使の顔が、首筋に近づいてくる。
ちくりと、かすかな痛みが走った。
ナミが目を見開いた。
名状しがたい快感が、全身を貫いたからだった。
アナログ時計の中身みたいだ、と思った。
視界の限り広がる青白い氷の平原。
その果ての断崖の上に、その建造物は建っていた。
直径が3階建てのビルほどもある、黄金色に輝く歯車の集合体である。
真ん中に空いたスペースがあり、そこに向かって階段が伸びている。
ツクヨミが先に立って、その階段を登っていく。
後に続いて建物の中に入る。
マンションでいえば1DKほどの狭い空間である。
周囲で大小の無数の歯車がゆっくりと音もなく回っている。
壁の一方が制御盤のように前方に突き出していた。
その前に立つと、ツクヨミが空中をなぞるように両手を動かした。
その動作に呼応して、壁面にに半透明の擬似ディスプレイが出現する。
その画面に、地図が映し出された。
赤い点がひとつと、青い点がひとつ、ともっている。
青が、赤のほうに向かって少しずつ動いているのがわかる。
「赤がヒバナで、青が姉さんだ」
椅子に腰を下ろし、画面を見上げると、ツクヨミがいった。
「ヒューズ1の世界がリセットされる直前に、ヒバナたちと対峙する機会があってね。そのとき、彼女らの体に線虫の一種をもぐりこませておいた。識別信号を発信する、特別な虫さ。僕が以前の"観測者"今岡の潜伏場所を知る事ができたのも、そのせいだよ。今岡も、あの場にいたからね」
「ついでに丸山にもそれをつけておけば、手間が省けたのに」
ナミが不平を漏らす。
「もちろん、僕も全員にそうするつもりだったんだよ。ただあのときは、ほんと時間がなくてさ」
ツクヨミが少し遠い目をする。
「あっという間に、世界の一部が書き換えられてしまったんだ」
丸山は、"観測者"今岡の精神のゆがんだ部分を、催眠術みたいなもので矯正してしまったらしい。
あるいは、記憶の一部を単に消してしまったのか。
ひょっとして、とナミは思う。
丸山も、ナミのような超能力者だったということなのかもしれない。
お通夜や貢たち周囲の者に、丸山はそのことをずっと隠し続けていたのではないだろうか。
そうであるならば、彼だけが観測者の正体を特定できたことも、理解できる。
「まあ、ともあれ、今はこれで十分さ。どうやらヒバナは現在職場に居て、姉さんがそこに向かっているようだ。罠を仕掛けるなら、職場周辺が良さそうだね」
「どうするの?」
「いつか使えるかなと思って、氷の中から掘り出しておいた魔物がいる。それを、盤古を使って送り込む」
「盤古って、さっきあたしたちがここまで乗ってきたあのイトマキエイ?」
「うん。盤古は何匹もいるから、ぼくたちの足の心配はしなくて大丈夫さ」
そこまでいうと、ツクヨミはコンソールに向かい、あちこちにあるタッチパネル状のものに細い指を這わせ始めた。
「まず、ヒバナを捕らえよう。それで、姉さんたちを足止めする。その隙に鬼の首をいただきに行くんだ」
「あんなぶっそうな娘を、どこに閉じ込めておくというの?」
ナミはたずねた。
「うちのラボは無理よ。そんなに頑丈にできてないし、酒呑童子はまだ完成してないし」
「ここだよ」
ツクヨミが、親指を床のほうに向けて、答えた。
「氷壁の内部にとりあえず幽閉しておこうと思う。鬼の首を回収して酒呑童子を蘇生させることができたら、"闘技場"に放り込んで、戦わせる」
「闘技場?」
「昔ね、ここがまだ氷漬けになっていない頃、鬼や妖怪同士を暇つぶしに戦わせた場所があるんだ。そこを使えるようにしておくよ」
「あんたって、ほんとに趣味悪いね」
ナミが呆れたようにいう。
「その様子を姉さんに見せてやるんだ。ナミ、君の思念波を使ってね」
「邪悪の極み」
ナミが煙草に火をつけた。
「でも、はっきりいって、すごく面白そう」
ふうっと満足げに煙を吐き出す。
「だろ?」
ツクヨミがにっこり笑う。
「君とは気が合うと思ったよ」
「似た者同士なのかも」
ナミはつぶやいた。
「だね。ナギと違い、神話の時代、君はかつて一度死んで黄泉の国に落ち、置き去りにされた。ぼくは、太陽神である天照大神と対立する存在として、やはり夜の側に追いやられた。善や光はぼくらの敵なのさ」
ナミの記憶はほとんど今の"生"の間のことにとどまっており、さすがに記紀の頃の記憶はない。
だが、改めてそう指摘されると、そんな気がしてくるから不思議だった。
「ってことは、逆にいえば、ナギは向こうに寝返る素質を持ってるってことね」
ふと思いついて、ナミはいった。
人の良さそうな双子の兄の顔が、脳裏に浮かぶ。
「そうともいえる。まあ、正直、彼に何ができるのか、今のところ、さっぱりわからないんだけど」
「面倒を引き起こさないうちに・・・」
ナミが更にいいかけたとき、パネルの上をめまぐるしく這っていたツクヨミの指が止まった。
「OK。準備完了。罠を仕掛けたよ」
見上げると、画面に黒い点が増えていた。
ヒバナの勤務先、喫茶『アイララ』のすぐ近く、商店街の中である。
「じゃ、ぼくらもそろそろ移動することにしようか」
ツクヨミが立ち上がった。
「肉体労働用に鬼を二、三匹連れて行くけど、君には危害を加えないようにしてあるから、気にしないで」
「ケダモノと一緒なの?」
ナミが露骨に嫌な顔をした。
「ペットか家畜と思えばなんてことないさ」
歯車だらけの建物から外に出ると、眼下にあのイトマキエイが待機していた。
その脇に、筋骨隆々とした原始人のような生き物が二頭、立っていた。
あれが鬼なのだろう。
絵本の鬼のように虎の皮のパンツは穿いていない。
下半身には長い毛が密集しており、その間から男性器がだらりと垂れ下がっているのが見える。
それがいかにもけだものっぽくて、生々しい。
「盤古、頼む」
階段の上で、ツクヨミが声をかけた。
いつものように、イトマキエイが舞い上がる。
宙に静止すると、しばらく点滅を繰り返す。
やがて、エイの体の中だけ、別の空間になった。
暗い夜空。
正面の森の上に、月が上りかけている。
月光に照らされたツクヨミは、天使のように美しかった。
そのツクヨミが、振り向いて、いった。
「ナミ、ひとつだけ、お願いがあるんだけど」
「また?」
ナミは細い眉を吊り上げた。
大仕事の前に、空腹を満たそうというのだろう。
「いいけど」
ナミはコートを脱ぎ、ブラウスのボタンをはずした。
右肩を顕わにして、ツクヨミのほうに向ける。
「悪いね」
ツクヨミが微笑んだ。
天使の顔が、首筋に近づいてくる。
ちくりと、かすかな痛みが走った。
ナミが目を見開いた。
名状しがたい快感が、全身を貫いたからだった。
応援ありがとうございます!
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