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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!

#51 遭遇

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「だからな、おまえは本気出しちゃ、いけねーつうの」
 そのサングラスのやせた中年男は、さっきからしきりに愚痴をこぼしていた。
 新幹線に乗っているときから、改札を抜ける今の今まで、ずっと連れに絡んでいるのだった。
「いいか、明日香、その調子だと、ほんと仕事なくなっちまうぞ。おまえがマジ強いのはわかってるよ。でもな、おまえは悪役なんだ。ヒールが勝ってどうすんだよ。観客はな、みんな、おまえじゃなくて、美少女レスラーのキャリー伊藤を見に来てるんだ。そのキャリーをたたきのめしちまうなんて、いったい何を考えてんだよ」
「・・・あんまり、反則がひどいからさ」
 相棒が、ぼそりと答えた。
 明日香と呼ばれた、身長2mを超す巨漢である。
「キャリーの反則なんて、かわいいもんじゃねえか。おまえには、ハエがとまったようなもんだろ」
 男があきれたようにいう。
「弱いのは仕方ないにしても、えげつないのは許せない」
 明日香がつぶやいた。
 鎖のいっぱいついた黒の革のベストが、筋肉でぱんぱんに張っている。
 両サイドを刈り込み、頭頂の部分だけ逆立てた髪は、黄色と緑色に塗り分けられていた。
 岩崎明日香。
 通称"ブッチャー岩崎”。
 どこの団体にも属していないが、実力で言えば紛れもなく日本最強の女子プロレスラーだ。
 が、強すぎて、どこへ行っても試合にならないのが玉に瑕だった。
 相手が弱すぎる。
 そう、明日香は内心思っている。
 アイドルで売れなくて、仕方なくプロレスに転向してきたような選手が、最近多すぎるのだ。
 格闘技は顔ではない。
 それを、誰もわかっていない。
 が、そんなことを口にするほど明日香は若くも青くもなかった。
 今年でもう25歳になる。
 ビジネスの世界のことわりが、理解できない歳でもない。
 ただ、試合はある程度、正々堂々とあるべきだと思う。
 それが、たかが三流の女子プロレスでも。
 そのこだわりが、もうひとつの明日香の欠点だった。

「すまなかった。オレ的には、充分手加減したつもりだったんだが」
 結局は、明日香のほうが折れた。
 殊勝な口調で、とりあえず謝っておくことにする。
 男は最近ついてくれたマネージャーだった。
 フリーの明日香にとっては、これでもけっこうありがたい存在なのだ。
 もともと明日香は"コミュ障"の気があり、交渉事が大の苦手なのである。
 男と組むようになってから、仕事が増えたのは確かだった。
「ま、またいい仕事見つけたら連絡すっから、よーく頭を冷やしておくんだな。頼むから今度はあっさり負けてくれ。でないと、そのうち、裏で賭けてるヤー公たちに殺されるぞ」
 男は明日香の分厚い背中を平手で叩くと、その手を上げて頭の上でひらひら振った。
「今度は、男相手の試合にしてくれないか」
 立ち去ろうとする男の背中に、明日香は声をかけた。
「金網デスマッチでも、高電圧線デスマッチでも、何でもいいからさ。ガチの試合を頼むよ」
「だな」
 振り向いて、男が答えた。
「おまえはそのほうがいいかもな」
 百戦錬磨のインディアン戦士のような明日香の無表情な顔が、かすかにほころんだようだった。

 明日香は町歩きを楽しんでいた。
 地方都市那古野とはいえ、ひさびさの都会だった。
 ほぼ1ケ月、田舎の公民館や廃校の体育館を巡業で渡り歩いてきた目には、聳え立つビルディングも渋滞の自動車の列も、ひどく新鮮に映った。
 道行く人々の服装自体もカラフルで、眺めていて飽きなかった。
 平日だが、駅周辺はかなりの人出である。
 昼休みのサラリーマンやOLの姿に混じって、たくさんのフリーターらしき若者が歩いている。
 明らかに高校生や中学生とわかる集団もいる。
 だが、みんなに共通していることは、明日香の近くに来ると大きくよけて道を空けてくれる点だった。
 そのおかげで、見えた。
 交差点の向こう。
 予備校のビルの陰に、白髪の少年が立っている。
 制服姿の女子高生と一緒だった。
 腕を絡め合い、人気の少ないガード下に消えようとしている。
 あいつは・・・。
 明日香の細い目が、鋭くなる。
 温和なゾウの目が、獲物を発見した肉食獣のそれに変わった。
 地響きを立てて走り出す。
 体重200キロを超える巨体からは想像もつかぬ敏捷さだった。
 信号は赤だったが、かまわず交差点を突っ切った。
 クラクションの渦が沸き起こる。
 タクシーが尻にぶつかってきたが、痛くもかゆくもない。
 ツクヨミが振り向いた。
 驚愕で真っ赤な目が丸くなるのがわかった。
 少女の腕を取って逃げ出した。
 ガードの下を、歩道に沿って必死で逃げていく。
 が、鍛えぬいた明日香の俊足にかなうわけがない。
 瞬く間に追いついた。
「くそっ」
 ツクヨミが立ち止る。
「盤古!」
 叫んだ。
 どこからかイトマキエイのような生物が降下し、ツクヨミの背後に浮遊した。
 光を放ち、次第に透明になっていく。
「出でよ、牛鬼!」
 もう一度、ツクヨミが叫んだ。
 イトマキエイの体が消え、空間に裂け目が生じていた。
 そこから、咆哮とともに、見たこともない巨大な化け物が這い出してきた。
 それを見て、明日香はにんまりと笑った。
 やっとガチで勝負できる相手が出てきやがった。
 そう思ったのだ。

「駅方面に反応あり! ひみねえ、ツクヨミだ」
 興奮した玉子が待合室に駆け込んできたのは、装置を作動させて1時間もしないうちだった。
 ソファでまどろんでいた緋美子はとっさに目を開けると、テーブルの上の水筒を肩にかけた。
 極楽湯のお湯の入った水筒である。
「むちゃ早いな」
 カーペットの上に寝転がっていた貢が、半身を起こしてぼやいた。
「車の用意はできてるよ」
 ひずみが廊下側の入口から入ってきた。
 迷彩色のトレーナーにジーンズ、野球帽をあみだにかぶっている。
「貢のアルトじゃ、みんな乗れないでしょ? じいさまのワゴン車、借りといたから」
 そういって、貢にキーを放ってよこす。
「さすがひずみちゃん、気が利くねえ。よーし。出撃するか」
 大きく伸びをして、貢がいった。

 ワゴン車は、極楽湯の結界のはずれに止まっていた。
「くれぐれも、みんな、無茶しないでね」
 車に向かいながら、緋美子はいった。
「ナミの姿が見えたら、充分な距離をとって、離れること。特に玉ちゃん、いい?」
「わかってるよ。って、ナミなんてこわくないっつーに」
「小学生がえらそーなこと、いわないの」
 ひずみに抱きかかえられて、最後部の座席に玉子が押し込まれる。
 貢が運転席、緋美子とお通夜がその後ろの座席に乗り込んだ。
「あれ? ひみちゃん、助手席に乗ってくれないの?」
 貢が悲しそうな声を出す。
「戦闘服姿の緋美子さんがとなりに坐ったら、貢君、絶対事故ると思います」
 妙にきっぱりとした口調で、お通夜がいった。
「緋美子さんの脚に気を取られて、前見ないから」
「んー」
 貢はうめいた。
 図星だったのだろう。
「脚というか、その短すぎるスカートから覗く白い三角地帯が、どうにも気になるのは確かなんだよな」
 懲りずに、そんな無礼なことを平気で口にする。
 赤くなって、緋美子はミニスカートの裾をひっぱった。
 貢がバックミラー越しに、好色そうな視線を向けていることに気づいたからだった。
「こらヘンタイ。早くクルマ出せ」
 お通夜が貢の後頭部を叩いた。
「ぶはははは」
 うれしそうに、玉子が笑った。
 ヒバナとブッチャーこそいないが、久々の人外少女隊の出撃だった。

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