35 / 251
忍び寄る怪異②
しおりを挟む
「理事長が、私に?」
乙都は、軽いパニックに陥った。
乙都は、医局付属の看護学校から派遣されている研修生に過ぎないのだ。
来春の国家試験に合格しないと、正規の看護師になれるかどうかわからないといった程度の身の上なのである。
そんな泡沫の存在にすぎない乙都に、この第七赤十字病院の理事長がじきじきに声をかけてくることなど、あり得るはずがない。
理事長と会っていたという氷見子が、乙都のことを何か告げ口でもしたのだろうか。
しかし、乙都には、告げ口されるような重大なミスを仕出かした心当たりはない。
むろん、検査器具を元の場所にしまい忘れたとか、細かい失敗なら枚挙にいとまがないが、だからといってそんな些細なことにいちいち理事長が口を出してくるとも思えなかった。
まさかさっきの・・・。
ふと思いついて、乙都は青ざめた。
乙都が、颯太に言うことをきかせるためにしたことが、氷見子や理事長にバレたのだろうか。
颯太の躰を拭くと見せかけて、いたずらに性的快感を与え、挙句の果てに射精までさせてしまったあの行為。
でも、と思い直す。
見られたはずがないのだ。
壁とカーテンで囲まれた颯太のベッドの周囲は、紛れもなく密室だった。
自分と颯太以外に人の気配はなかったし、唯一の隣人、コンドーサンも爆睡中だったのだ。
尿パッグの処理も誰にも見られていないし、新しい尿バッグを取りにナースステーションに戻った時も、先輩看護師たちに不審に思われないよう、いつもの業務のように、さりげなく振舞ったはずだった。
もちろん、颯太の部屋の床の痕跡もすべて拭き取ってある。
ましてや、あの時颯太が漏らした精の中に、無数の小人がいたなんてことを、理事長たちが知るはずないー。
「どうしたの? 気分でも悪いの? 真っ白な顔をして」
踵を返しかけて、怪訝そうに氷見子が訊いてきた。
「何でもないのなら、早くしなさい。理事長がどんなにお忙しい方か、あなたもよく知ってるでしょ?」
「い、いえ、は、はい」
あわてて後に続く乙都。
ナースステーションに赴くと、天井から例の大画面の液晶モニターが下りていた。
残っていた看護師や看護助手たちが、その前に集まっている。
「名指しされたのは、伊能さん、あなたよ」
人垣を割って、氷見子が乙都をモニター画面の前に押し出した。
画面の中には、あの市松人形が映っている。
真っ赤なビロードを敷きつめた空間に、緑色の小袖を着たおかっぱ頭の人形がちょこんと座っているのだ。
今朝のリモート朝礼の時と違い、人形は、ひどく不機嫌そうな表情をしていた。
目を眇めにして、怒ったように頬を膨らませ、口元を歪めている。
「依子さま、伊能乙都を、お連れしました」
乙都の背後に立った氷見子が言った。
と、人形がジロリと乙都を見た。
ひどく憎々しげなまなざしだった。
蛇に睨まれた蛙のような心地がして、乙都は反射的に首をすくめていた。
ふいに、市松人形が、傾いた。
乙都のほうに右半身を傾け、右手を伸ばして乙都を指差すと、甲高い声で叫び始めた。
「こは、いかに? こは、いかに? コハ、イカニ? コハ、イカニィッ?」
乙都は、軽いパニックに陥った。
乙都は、医局付属の看護学校から派遣されている研修生に過ぎないのだ。
来春の国家試験に合格しないと、正規の看護師になれるかどうかわからないといった程度の身の上なのである。
そんな泡沫の存在にすぎない乙都に、この第七赤十字病院の理事長がじきじきに声をかけてくることなど、あり得るはずがない。
理事長と会っていたという氷見子が、乙都のことを何か告げ口でもしたのだろうか。
しかし、乙都には、告げ口されるような重大なミスを仕出かした心当たりはない。
むろん、検査器具を元の場所にしまい忘れたとか、細かい失敗なら枚挙にいとまがないが、だからといってそんな些細なことにいちいち理事長が口を出してくるとも思えなかった。
まさかさっきの・・・。
ふと思いついて、乙都は青ざめた。
乙都が、颯太に言うことをきかせるためにしたことが、氷見子や理事長にバレたのだろうか。
颯太の躰を拭くと見せかけて、いたずらに性的快感を与え、挙句の果てに射精までさせてしまったあの行為。
でも、と思い直す。
見られたはずがないのだ。
壁とカーテンで囲まれた颯太のベッドの周囲は、紛れもなく密室だった。
自分と颯太以外に人の気配はなかったし、唯一の隣人、コンドーサンも爆睡中だったのだ。
尿パッグの処理も誰にも見られていないし、新しい尿バッグを取りにナースステーションに戻った時も、先輩看護師たちに不審に思われないよう、いつもの業務のように、さりげなく振舞ったはずだった。
もちろん、颯太の部屋の床の痕跡もすべて拭き取ってある。
ましてや、あの時颯太が漏らした精の中に、無数の小人がいたなんてことを、理事長たちが知るはずないー。
「どうしたの? 気分でも悪いの? 真っ白な顔をして」
踵を返しかけて、怪訝そうに氷見子が訊いてきた。
「何でもないのなら、早くしなさい。理事長がどんなにお忙しい方か、あなたもよく知ってるでしょ?」
「い、いえ、は、はい」
あわてて後に続く乙都。
ナースステーションに赴くと、天井から例の大画面の液晶モニターが下りていた。
残っていた看護師や看護助手たちが、その前に集まっている。
「名指しされたのは、伊能さん、あなたよ」
人垣を割って、氷見子が乙都をモニター画面の前に押し出した。
画面の中には、あの市松人形が映っている。
真っ赤なビロードを敷きつめた空間に、緑色の小袖を着たおかっぱ頭の人形がちょこんと座っているのだ。
今朝のリモート朝礼の時と違い、人形は、ひどく不機嫌そうな表情をしていた。
目を眇めにして、怒ったように頬を膨らませ、口元を歪めている。
「依子さま、伊能乙都を、お連れしました」
乙都の背後に立った氷見子が言った。
と、人形がジロリと乙都を見た。
ひどく憎々しげなまなざしだった。
蛇に睨まれた蛙のような心地がして、乙都は反射的に首をすくめていた。
ふいに、市松人形が、傾いた。
乙都のほうに右半身を傾け、右手を伸ばして乙都を指差すと、甲高い声で叫び始めた。
「こは、いかに? こは、いかに? コハ、イカニ? コハ、イカニィッ?」
10
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる