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第6部 淫蕩のナルシス

#31 ドールズ・ネットワーク

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 ところどころつっかえながら、杏里は話し始めた。
 人間社会の中に、人間にそっくりでありながら全く別の起源を持つ”外来種”なる種族が混在していること。
 外来種は未知の臓器を備え、身体能力・生命力の面で人間をしのいでいること。
 中でも数の少ない雌の外来種は、雄を凌駕する能力を備えた、更なる上位種であること。
 その雌と滅多に遭遇できない雄は、仕方なく人間の女性を襲って子孫を増やそうとすること。
 が、肉体的な適合性に問題があり、それがなかなかうまくいかないこと。
 そのため、多くの側面で人間より優れているにもかかわらず、外来種は繁殖が遅いという事実。
 そのうち人間の側に、外来種殲滅のための組織がいくつも生まれたこと。
 日本では、内閣府に属する極秘機関『原種保存委員会』が、欧米と協力してタナトスとパトスを開発し、外来種狩りに乗り出しているということ。
 タナトスとパトスは、外来種のミトコンドリアを人間の死体に移植してつくり出された、ある種の生物兵器であること。
 タナトスは最初、いじめや民族紛争などの人間社会の中に溢れるさまざまな軋轢を解消するためにつくられたのだったが、途中から外来種を人間の中から見つけ出すことにも使えるとわかり、殲滅役のパトスと組んで外来種討伐に投入されたのだということ。
 そして、杏里こそがそのタナトスであること。
 杏里には由羅というパートナーがあり、パトスである由羅はこれまで何人もの外来種を殺してきているということ。
 その由羅でさえ、雌の外来種、黒野零には手こずっているということ。
 零はいわゆる残虐行為淫楽症で、かつて杏里も彼女の手にかかり、凄絶な目にあわされたこと。
 また、ヤチカが外来種であることは、ヤチカの性器の形状と、杏里の胸の皮膚に現れた”刻印”で明らかなのだということ・・・。
 
 長い物語だった。
 杏里は途中で、ヤチカが冷蔵庫から出してグラスに注ぎ足してくれた野菜ジュースを何杯も飲んだ。
 部屋中にお香の匂いが立ち込めており、そのせいか、やたらに喉が渇いて仕方なかったのだ。
 ヤチカだけでなく、人形のリリーも聞いているかと思うと、最初のうちはなかなか落ち着かなかったが、語りに熱中すると、次第にそれも気にならなくなっていった。
 すべて聞き終えると、ヤチカは椅子の背にもたれ、心持ち顔を上げておもむろに目を閉じた。
「そっかぁ。わたしが杏里ちゃんを見つけたんじゃなくって、逆にわたしがあなたに見つけられちゃったってことなんだね」
 ため息混じりに、そんなことをいった。
「まあ、確かに、思春期を迎えた頃からこの体には違和感を覚えてはいたけれど・・・まさか自分が、本当に人間以外の生き物だったとはねえ。きっと、”人外”って、わたしみたいな者のことをいうんでしょうね」
「それをいうなら、私や由羅も、人外なんですけど・・・」
 ヤチカを慰めようと、小声で杏里は言葉を添えた。
「それも信じられないわ。杏里ちゃん、あなたみたいに健康的でかわいい女の子が、一度死んだ人間の少女の体をベースに再生された、その・・・タナトスだなんて」
 そういって、ヤチカがテーブルの上に出していた杏里の右の手の甲に、そっと掌を重ねてくる。
 そんなふうにやさしく触れられると、杏里は尚更悲しくなる。
「とにかく、わたし、その由羅って子に見つかると、抹殺されちゃうわけね。外来種といっても、わたしは両性具有のできそこないだから、特別に力が強いわけでも、治癒能力があるわけでもない。おそらく、彼女にとっては、わたしを殺すなんて、赤子の手をひねるようなものでしょうね」
「い、いえ、それは・・・」
 杏里の中で激しい葛藤が生まれていた。
 そうなのだ。
 ヤチカの存在を知ったが最後、由羅はここに彼女を殺しに来るだろう。
 あのとき、私が泣いて止めても、何の罪もない呉秀樹を惨殺してしまったように・・・。
「でも、それも運命なのかもね。故意ではないにせよ、わたしは5人もの少女の命を奪ってしまった。これはその報いなのかも。せめて最初のひとりで過ちに気づいてやめておけばと、今でもときどき思ったりもするの」
 ヤチカがガラスケースのほうに視線を投げる。
 寂しそうな目をしていた。
「やめられなかったんですか?」
 杏里は訊いた。
 ひとりでも5人でも『人を殺した』という事実にはかわりはない。
 しかし、零のような残虐行為淫楽症でもないのに、そこまで突っ走ってしまったヤチカはやはりどこか異常なのだろう、と思わずにはいられなかった。
「満月のせいかな」
 ヤチカがだしぬけにそんなことを口にしたので、杏里はぽかんとなった。
「満月?」
 おうむ返しに訊く。
「変だっていわれるのは承知の上だけど、これは事実だから仕方ないの。毎月満月が近づくとね、わたし、自分を抑え切れなくなるのよ。おまえは狼女か、って笑いたくなるよね。でも、本当なの。女性の中には、生理が近づくと性欲が強くなる人がいるって話だけど、それと近いのかな。今晩もね、十三夜でしょう? だから、杏里ちゃん、あなたを見たらもう我慢できなくなっちゃって、あなたとしたくてしたくてたまらなくなっちゃって・・・、十五夜を過ぎるまでは、いつもこんなふうに悶々とした日々が続くのよね。だからついフラフラ街に出て、好みの家出少女をスカウトしちゃうというわけ」
 杏里の手を柔らかく握ったり離したりを繰り返しながら、ヤチカが独り言のような口調でいった。
 奇妙な告白だった。
 なるほど杏里も、月の光には魔力があると、いつか何かの本で読んだ記憶がある。
 狼男、魔女、妖精、日本ならかぐや姫・・・。
 月にまつわる怪異譚は、古来から世界各地に語り伝えられているのだ。
「だから、その由羅って処刑人がやってきたら、それがわたしの運命だったって、諦めるほかないのかも。わたしが本来受けるべき報いだってね」
 少女たちのガラスケースから、杏里の手の甲の上に重ねた自分の手に視線を戻し、ヤチカが続ける。
「いえ、大丈夫です」
 逡巡を振り切って、杏里はいった。
「私が由羅に教えなければ、そんなことにはならないですから。由羅ひとりでは、外来種を見つけられないし、第一、あの子、今、行方不明みたいで」
「行方不明?」
 ヤチカが顔を上げ、杏里を見た。
「本当は、きょうの個展も、由羅と一緒に来るはずだったんです。なのに、待っても待っても約束の場所に現れなくって。さっきも家からの電話のときに訊いたんですけど、朝から出かけたまままだ帰らないって」
 少し後ろめたかったが、杏里は正直に話した。
 由羅が一緒だったら、どうなっていただろう。
 事の成り行き次第では、ヤチカはまさにきょう、由羅の手で殺されていたかもしれないのだ。
「そうだったの・・・。そいうえば杏里ちゃん、トイレの前で泣いてたとき、その子の名前口にしてたものね」
「そ、それは・・・」
 杏里が頬を染めたときだった。
「その由羅って子は、どんな外見をしてるんだい?」
 突然、ヤチカでのものはない”声”がいった。
 甲高い、なんだか質の悪い録音を再生したような声音だった。

 杏里は驚いて声のほうに目を向けた。
 リリーがしゃべったのだとわかるのに、少し時間がかかった。
「あたしが探してあげようか。正確な情報さえあれば、きっとみつかる」
 ビススクドールの下顎が、言葉に合わせてかすかに上下している。
 今更ながら、杏里は本当に人形が口をきいているのだと再認識して、仰天する思いだった。
「ほ、ほんとうですか?」
「この街には人形たちの情報ネットワークがあるからね。まず不可能はないよ」
「リリーって、ほんとすごいでしょ」
 横からヤチカが口を挟む。
 杏里のびっくりした顔を、面白そうに下から覗き込んでいた。
 杏里は、背筋を冷たいものが走るのを感じないではいられなかった。
 先ほどヤチカがいっていた、町中に溢れる人形たちによる監視網。
 この街には、そんなものが、本当に存在するとでもいうのだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 ふと思いついて、杏里は腰に提げたポシェットからスマートフォンを取り出した。
 待ち受け画面を切り替えると、由羅のバストショットがでかでかと現れた。
 正面を睨み据えて、『なんだよおまえ』とすごんでいる由羅。
 変にイキがっているところがアニメの悪役美少女みたいで、なんともいえずかわいいのだ。
 杏里のお気に入りの一枚である。
 あんなにひどい仕打ちを受けながらも、由羅のことになるとなぜか一生懸命になってしまう。
 そんな自分に対し、たまらなく違和感を感じながらも、
「こ、ここに写真があります。見えますか?」
 椅子から立ち上がると、杏里はおずおずとリリーのほうへと近寄った。
「いいね。じゃ、画像取り込むから、あたしの目にそのケータイ、くっつけて」
 両脚をドレスから突き出して、微動だにしない姿勢のまま、リリーがいう。
「あ、リリー、ついでに、黒野零って子も探してくれないかな」
 杏里の後ろから、ヤチカがいった。
「わたし、どうしてもその子に会ってみたいのよ」
「だめです」
 リリーの顔の前にスマホをかざしながら、首だけヤチカのほうにねじって杏里は声を荒げた。
「今さっき、説明したじゃないですか! 零は狂ってます。ヤチカさん、あなたがたとえ同類だとわかっても、何をしでかすか予想がつかないくらい、異常なんです。それに加えて、私同様の再生能力を持ってるし、力も由羅並みに強い。いわばあの子は無敵の悪魔みたいなものなんです」
「いいじゃない。ますます会ってみたいわ」
 ヤチカが平然という。
「外来種の雌って、つまりは蟷螂(かまきり)の雌みたいなものなんでしょう? 交尾の最中に雄を食い殺してしまう、あの血も涙もない雌蟷螂。その子とセックスして殺されるなら、むしろわたしは本望だわ。それなら、きっと彼女たちも許してくれる。彼女たちの、いちばんの供養になる」
「ヤチカさん・・・」
 杏里は、その後に続ける言葉を失った。
 ヤチカの心境に、微妙な変化が芽生えているような気がする。
 少女たちの死を何とも思っていなかったようだったヤチカが、今更こんな言葉を口にするとは・・・。
「このケータイの中には、それらしき画像はないみたいだね。その黒野零というのは、どんな子なんだい?」
 リリーがいった。
 機械みたいだ、と杏里は思った。
 あくまで職務を忠実に果たそうとする機械。
 それが、このしゃべる人形なのだ。
「先月、隣町であった、中学生集団昏睡事件、覚えてますか?」
 ヤチカとリリーを交互に見やって、杏里はいった。
 ヤチカと零を引き合わせるのは気が進まない。
 が、零の居場所を把握しておくのは、別の意味で必要だと思い直したのだった。
「潮見が丘中学の2年A組の全生徒が、拷問道具でいっぱいの廃病院から全員裸で発見されたっていう、あの事件です」
「ああ、あれ」
 ヤチカがうなずいた。
「拷問で誰か殺された痕跡はあるけど、生徒たちは全員無事で、いったい誰が死んだのかわからないままっていう、あのおかしな事件ね」
「あれは、私の血です」
 杏里はいった。
「あそこで私は、黒野零に体を串刺しにされておまけに手足を引きちぎられ、危うく殺されかけました。それを由羅が助け出してくれたんです」
「そ、そんな・・・」
 ヤチカが目を一杯に見開き、絶句する。
「そんな、ひどい・・・」
「そのとき零も由羅に首を切り落とされ、それっきり行方をくらましたんです。で、確かその後、週刊誌に零の顔が載ったことがあるはずなんです。『殺されたのは誰か?』というタイトルの記事でした。事件直後に行方不明になった少女ってことで、被害者扱いされた零の顔写真が載ったんです。本当は、あの子がいちばんの加害者だったのに・・・」
 杏里は頬がひきつるのを感じた。
 思い出したくない事件だった。
「わかった。まだそんなに古い事件じゃないから、工房に頼んでそのときの週刊誌を探させよう。町中の喫茶店や美容室、古本屋を当たれば、一冊くらい見つかるだろう」
 リリーがいった。
「うわ、楽しみ」
 ヤチカはうれしそうに目を細めると、自分も椅子から腰を上げ、背後から杏里の両肩をそうっと抱いてきた。
「そうと決まったら、きょうはもう寝ましょうか。色々ありすぎて、わたし、もうくたくた。明日は、そうね、個展に顔を出した後、『人形の館』を案内してあげるわ。杏里ちゃん、きっと気に入ると思う」
 杏里の髪に頬をすりつけて、いう。
「は、はい」
 ヤチカの腕の中で、杏里はぎこちなくうなずいた。
 人形の館・・・?
 もちろん、興味はある。
 しかし、自分がその人形たちを気に入るとは、杏里にはとても思えなかったのだった。
 


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