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第6部 淫蕩のナルシス
#36 まがいものたちの宴
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花が咲き誇っていた。
馬蹄形をした、広大な花壇である。
いちばん手前には、真っ赤なサルビアの群生。
その次の段のピンクは、マツバボタンだろうか。
更にその上が、赤と黄色のマリーゴールド。
そして、紫のブルーデージーとラベンダー。
中央の瓢箪形の池を取り囲むようにして、同心円状に色鮮やかな夏の花々が燃えるように、一面咲き乱れている。
ヤチカの屋敷の花壇も美しかったが、断然、規模が違う。
ここでは、階段状に積み上げられた花畑が、真っ青な夏空を背景にして、いわば完璧な別世界を創り上げているのである。
花壇の間を縫い、池の周囲を巻くようにして、向日葵の列に囲まれた細い道が伸びている。
道のあちこちには、柱で屋根を支えただけの簡素なあずま屋がいくつかあり、その下の木製のベンチに、華やかなドレスをまとった少女たちが、思い思いの姿勢でくつろいでいるのが見える。
「どう? ちょっとした見ものでしょう」
杏里の手を引いて、ヤチカが自慢げにいった。
小道の中に入ると、向日葵に遮られて周囲が見えなくなる。
日陰に入ったせいで、暑さがかなり和らいだ。
「この『沼人形店』はね」
杏里の肩を軽く抱いて小道を歩きながら、ヤチカが解説した。
「元はといえば、明治時代から続く老舗の人形工房なの。1990年代に入ってからのリアル人形ブームに乗っかって、急成長を遂げたって話なんだけど。外部の有名メーカーの製品を扱ってるだけでなく、専属の人形師を何人も抱えてるっていうのが強みなんでしょうね。専属がいれば、すぐに流行にぴったりの人形をつくらせることができるじゃない。その証拠に、ここにはほんと、ありとあらゆる種類の人形があるの。お上品なのからエッチなものまで、それこそ全部ね。まあ、でも、この贅沢なジオラマは、ちょっとやりすぎって感じがしないでもないなあ。これじゃまるで、『パノラマ島奇談』だものね」
「パノラマ島って?」
きょとんとして、杏里はたずねた。
「ああ、これも最近の女子たちには通じないか」
ヤチカが額を指で押さえて嘆くジェスチュアをする。
「江戸川乱歩の小説よ。とっても耽美でゾクゾクするの」
「何ですか、タンビって?」
また杏里が訊く。
「耽美ってのはね、まあ、わたしの描く絵みたいな感じ、っていえばわかるかな」
「あ、それなら、なんとなく」
杏里は納得した。
ヤチカの絵は、一見、残酷極まりない。
なのに、美しい。
そして、その残虐な構図の中に潜むエロス。
いったんそれに気づくと、もう目を離せなくなってしまうのだ。
「この道の先が本館よ」
杏里の体に自分の身体をすりつけるようにして歩きながら、ヤチカがいう。
時折ヤチカの指先が、真っ赤なスカートから伸びた杏里の太腿を触ってくる。
つけ根まで見えそうなくらい顕わな腿を、愛おしむように指でそうっと撫で上げてくるのだ。
素肌の上にじかに薄手のベストを身につけただけの杏里は、際どいほど体のラインを浮き立たせている。
どうやらそれが、ヤチカにはたまらないらしい。
「ヤチカさん、触りすぎ」
杏里は声をひそめてヤチカをなじる。
ただでさえ、花々に囲まれて気分が高揚しているのだ。
過度なボディタッチは、またぞろ杏里の官能を引き出しかねなかった。
「人がいるでしょ」
胸に伸びてきたヤチカの手を、手首を握って制止する。
「ケチ」
ヤチカが子どものように唇を尖らせた。
池の周りを散策しているのは、杏里たちだけではなかった。
背の高い向日葵の間から、上の段を通り過ぎていく人影が時折垣間見える。
やはりあの駐車場を埋め尽くした車は、みんなこの店の客のものだったのだ。
向日葵の間から、あずま屋が見えてきた。
「うそ」
そこに坐っておしゃべりをしている少女たちをひと目見て、杏里は棒立ちになった。
「これ、人形?」
おそろいの白いふわふわのドレスに身を包んだ、十代前半と思われる少女たち。
透き通るような肌。
くるくるにカールした、柔らかそうな栗色の髪の毛。
ぱっちりと見開いた大きな目は、長い睫に縁取られている。
が、そこで楽しそうに語り合っているように見えるふたりは、よく見ると精巧につくられた人形なのだった。
「これが今流行の、限りなくリアル志向のスーパードール。フィギュアより大きくって、いろんなポーズを取らせることができるから、老若男女問わず大人気なのよ」
「ずっと本物だと思ってた・・・」
杏里は感嘆の吐息を漏らした。
ということは、さっき見えていた他のあずま屋の少女たちも、みんな人形ということなのか・・・。
杏里は目の前の人形をしげしげと眺めた。
ほんとによくできてる。
そう、感心しないではいられない。
もちろん人形だから動かないのだが、表情といい、その生き生きした瞳といい、愛らしい唇といい、しゃべっている声が実際に聞こえてきそうなくらいリアルなのだ。
人形に負けないで。
ヤチカの言葉の意味が、初めてわかった気がした。
確かに、こんな美しい人形たちの中に居たら、生身の人間の存在感なんて、あっという間にかすんでしまうに違いない。
花壇を登り切ると、目の前に横に長い平屋建ての建物が立っていた。
古い木造のその建築物は、歴史の教科書で見た寝殿造りの宮殿に似ていた。
平安の昔、清少納言が女房として勤めていた、中宮のお屋敷みたいな印象なのである。
屋敷の両端で長い回廊が手前に曲がり、池と花壇を遠巻きにして、コの字型に取り囲んでいるのだ。
その通廊を、かなりの人数の客たちが歩いていた。
通廊に沿って並ぶ部屋がどうやら展示室になっているらしく、みんなちょっと歩いては立ち止まり、その一つひとつを熱心に覗き込んでいるのだった。
ヤチカはというと、杏里の手を引いて、ずんずんと正面玄関に近づいていく。
何の遠慮もなくガラッと横開きの引き戸を開けると、
「こんにちはぁ」
明るい声で挨拶して、杏里を中に引き入れた。
正面に銭湯の番台のような木製のカウンターがあり、その向こうに坐っていた男が顔を上げる。
「あ、ヤチカちゃん」
その顔を一目見るなり、杏里はあやうく吹き出しそうになった。
年の頃は、ヤチカと同じ、三十代半ばくらいだろうか。
およそこの場にふさわしくないアフロヘア。
まん丸の小さな眼鏡。
顔の形は上下から力を加えて押し潰した饅頭みたいである。
しかも鼻の頭にはソバカスが散り、脹らんだ頬はニキビでいっぱいだ。
「お、また新しい恋人かい?」
ヤチカから杏里のほうに視線を向けると、からかうように男がいった。
杏里は短すぎるスカートの前を押さえて、お辞儀を返した。
「まあね」
ヤチカが満更でもなさそうにいう。
「こちら、このお店の主人の、沼正二さん。こちら、わたしの大切な、笹原杏里ちゃん」
「なんだよ、その『大切な』って」
いいかけたところで、男の視線が杏里の上で固まった。
「あれ? この子って、ひょっとして・・・」
「ふふ、気づいた?」
意味ありげにヤチカが笑う。
「え? やっぱりそうなの?」
男が目をまん丸にして、素っ頓狂な声を上げる。
「うん。わたしの絵の、想像上のモデルさん」
「想像上の?」
「うん。顔だけ借りたから」
「そうなんだ。だからだね」
まじまじと杏里を見つめ、ため息をつく男。
「ヤチカちゃんの絵の女の子に、そっくりなんだもん」
長い間見つめられて、杏里は耳まで赤くなった。
「杏里ちゃん、だったっけ? 君、ほんと、可愛いなあ」
しみじみとした口調でいい、またため息をつく。
「正一のやつが、ヤチカちゃんの真似、したがるはずだよ」
「正一くんが、わたしのまね? それ、どういうこと?」
ヤチカが訝しげにたずねた。
「いやね」
正二がアフロヘアの頭をぼりぼりと掻いた。
「ヤチカちゃんの画集買って以来、正一のやつ、あんたの絵がよっぽど気に入ったのか、その中の女の子にそっくりの人形を一体、即席でつくっちまったんだよ。おいらは、ヤチカちゃんに許可もらってからにしろって、止めたんだけどね」
「へーえ」
ヤチカは怒った風もない。
「それ、すごく見たいわあ。だって、彼の腕、現代の人形師の中でも超一流だもんね」
「それがさあ。無理なんだよ」
すまなさそうな表情になって、正二がいった。
「無理って?」
「盗まれちまったのさ。数日前に」
「え? 盗まれた?」
「なかなかいい出来だったから『耽美の部屋』に飾っておいたんだけど、展示して2、3日したら、なくなってやんの」
ふたりのやりとりを訊きながら、杏里は思った。
ヤチカの絵の中の少女に似せてつくられたということは、その人形、私と同じ顔をしていたはず。
それが、盗まれた?
いったい、どういうことだろう。
「なんだ、残念」
ヤチカが肩を落とした。
「正一くんってのはね、この正二さんの弟で、人形師なの。兄と違ってかなりのイケメンなんだけど、すごい変人でさ、わたし今まで、彼の声、一度も聞いたことないんだよね」
[弟なのに、正一?」
杏里はこらえきれなくなって、訊いた。
ふつう、逆じゃないかと思ったのだ。
「うん。ここの一家は天邪鬼でね。兄が正二、弟が正一なの。おそらく、『正三』って名前に敬意を表してのことだと思うんだけど」
沼正三。
それが高名な小説家の名前だということを知らない杏里は、またしてもきょとんとするだけだった。
「兄と違ってイケメン、はないんじゃないの?」
正二が泣き笑いのような表情をニキビだらけの顔に浮かべて、抗議する。
「ごめん」
ヤチカがはっと口に手を当てた。
「つい、ほんとのこと、いっちゃって」
「いいよいいよ」
正二がふてくされる。
「どうせおいらは奴と違って不細工ですよ」
「まあまあ、人間、顔じゃないから。正二さんには、正一くんにない、商才や事務能力があるじゃない」
が、ヤチカのフォローはほとんど逆効果のようだった。
「はいはい、どうせおいらは世俗にまみれた小市民ですって」
正二はカウンターの後ろに引っ込むと、ごろりとその場に寝てしまった。
裸足の足が脇から出てきたので、それとわかる。
「じゃ、真布ばあさんによろしくね。わたしは杏里ちゃんを案内してくるから」
あわてた口調でいうヤチカ。
「あ、ばあさんなら、リリーから厄介事を頼まれたって、朝からずいぶんおかんむりだったぜ。リリーって、ヤチカちゃんとこにいる、あの局様だろ?」
ぴょこんと飛び起きて、正二がいった。
「そうよ」
ヤチカがひきつった笑顔でうなずく。
「ばあさんに、何頼んだんだい?」
正二が身を乗り出してきた。
「人探し」
短く、ヤチカが答えた。
「杏里ちゃんの恋人、探してるのよ」
馬蹄形をした、広大な花壇である。
いちばん手前には、真っ赤なサルビアの群生。
その次の段のピンクは、マツバボタンだろうか。
更にその上が、赤と黄色のマリーゴールド。
そして、紫のブルーデージーとラベンダー。
中央の瓢箪形の池を取り囲むようにして、同心円状に色鮮やかな夏の花々が燃えるように、一面咲き乱れている。
ヤチカの屋敷の花壇も美しかったが、断然、規模が違う。
ここでは、階段状に積み上げられた花畑が、真っ青な夏空を背景にして、いわば完璧な別世界を創り上げているのである。
花壇の間を縫い、池の周囲を巻くようにして、向日葵の列に囲まれた細い道が伸びている。
道のあちこちには、柱で屋根を支えただけの簡素なあずま屋がいくつかあり、その下の木製のベンチに、華やかなドレスをまとった少女たちが、思い思いの姿勢でくつろいでいるのが見える。
「どう? ちょっとした見ものでしょう」
杏里の手を引いて、ヤチカが自慢げにいった。
小道の中に入ると、向日葵に遮られて周囲が見えなくなる。
日陰に入ったせいで、暑さがかなり和らいだ。
「この『沼人形店』はね」
杏里の肩を軽く抱いて小道を歩きながら、ヤチカが解説した。
「元はといえば、明治時代から続く老舗の人形工房なの。1990年代に入ってからのリアル人形ブームに乗っかって、急成長を遂げたって話なんだけど。外部の有名メーカーの製品を扱ってるだけでなく、専属の人形師を何人も抱えてるっていうのが強みなんでしょうね。専属がいれば、すぐに流行にぴったりの人形をつくらせることができるじゃない。その証拠に、ここにはほんと、ありとあらゆる種類の人形があるの。お上品なのからエッチなものまで、それこそ全部ね。まあ、でも、この贅沢なジオラマは、ちょっとやりすぎって感じがしないでもないなあ。これじゃまるで、『パノラマ島奇談』だものね」
「パノラマ島って?」
きょとんとして、杏里はたずねた。
「ああ、これも最近の女子たちには通じないか」
ヤチカが額を指で押さえて嘆くジェスチュアをする。
「江戸川乱歩の小説よ。とっても耽美でゾクゾクするの」
「何ですか、タンビって?」
また杏里が訊く。
「耽美ってのはね、まあ、わたしの描く絵みたいな感じ、っていえばわかるかな」
「あ、それなら、なんとなく」
杏里は納得した。
ヤチカの絵は、一見、残酷極まりない。
なのに、美しい。
そして、その残虐な構図の中に潜むエロス。
いったんそれに気づくと、もう目を離せなくなってしまうのだ。
「この道の先が本館よ」
杏里の体に自分の身体をすりつけるようにして歩きながら、ヤチカがいう。
時折ヤチカの指先が、真っ赤なスカートから伸びた杏里の太腿を触ってくる。
つけ根まで見えそうなくらい顕わな腿を、愛おしむように指でそうっと撫で上げてくるのだ。
素肌の上にじかに薄手のベストを身につけただけの杏里は、際どいほど体のラインを浮き立たせている。
どうやらそれが、ヤチカにはたまらないらしい。
「ヤチカさん、触りすぎ」
杏里は声をひそめてヤチカをなじる。
ただでさえ、花々に囲まれて気分が高揚しているのだ。
過度なボディタッチは、またぞろ杏里の官能を引き出しかねなかった。
「人がいるでしょ」
胸に伸びてきたヤチカの手を、手首を握って制止する。
「ケチ」
ヤチカが子どものように唇を尖らせた。
池の周りを散策しているのは、杏里たちだけではなかった。
背の高い向日葵の間から、上の段を通り過ぎていく人影が時折垣間見える。
やはりあの駐車場を埋め尽くした車は、みんなこの店の客のものだったのだ。
向日葵の間から、あずま屋が見えてきた。
「うそ」
そこに坐っておしゃべりをしている少女たちをひと目見て、杏里は棒立ちになった。
「これ、人形?」
おそろいの白いふわふわのドレスに身を包んだ、十代前半と思われる少女たち。
透き通るような肌。
くるくるにカールした、柔らかそうな栗色の髪の毛。
ぱっちりと見開いた大きな目は、長い睫に縁取られている。
が、そこで楽しそうに語り合っているように見えるふたりは、よく見ると精巧につくられた人形なのだった。
「これが今流行の、限りなくリアル志向のスーパードール。フィギュアより大きくって、いろんなポーズを取らせることができるから、老若男女問わず大人気なのよ」
「ずっと本物だと思ってた・・・」
杏里は感嘆の吐息を漏らした。
ということは、さっき見えていた他のあずま屋の少女たちも、みんな人形ということなのか・・・。
杏里は目の前の人形をしげしげと眺めた。
ほんとによくできてる。
そう、感心しないではいられない。
もちろん人形だから動かないのだが、表情といい、その生き生きした瞳といい、愛らしい唇といい、しゃべっている声が実際に聞こえてきそうなくらいリアルなのだ。
人形に負けないで。
ヤチカの言葉の意味が、初めてわかった気がした。
確かに、こんな美しい人形たちの中に居たら、生身の人間の存在感なんて、あっという間にかすんでしまうに違いない。
花壇を登り切ると、目の前に横に長い平屋建ての建物が立っていた。
古い木造のその建築物は、歴史の教科書で見た寝殿造りの宮殿に似ていた。
平安の昔、清少納言が女房として勤めていた、中宮のお屋敷みたいな印象なのである。
屋敷の両端で長い回廊が手前に曲がり、池と花壇を遠巻きにして、コの字型に取り囲んでいるのだ。
その通廊を、かなりの人数の客たちが歩いていた。
通廊に沿って並ぶ部屋がどうやら展示室になっているらしく、みんなちょっと歩いては立ち止まり、その一つひとつを熱心に覗き込んでいるのだった。
ヤチカはというと、杏里の手を引いて、ずんずんと正面玄関に近づいていく。
何の遠慮もなくガラッと横開きの引き戸を開けると、
「こんにちはぁ」
明るい声で挨拶して、杏里を中に引き入れた。
正面に銭湯の番台のような木製のカウンターがあり、その向こうに坐っていた男が顔を上げる。
「あ、ヤチカちゃん」
その顔を一目見るなり、杏里はあやうく吹き出しそうになった。
年の頃は、ヤチカと同じ、三十代半ばくらいだろうか。
およそこの場にふさわしくないアフロヘア。
まん丸の小さな眼鏡。
顔の形は上下から力を加えて押し潰した饅頭みたいである。
しかも鼻の頭にはソバカスが散り、脹らんだ頬はニキビでいっぱいだ。
「お、また新しい恋人かい?」
ヤチカから杏里のほうに視線を向けると、からかうように男がいった。
杏里は短すぎるスカートの前を押さえて、お辞儀を返した。
「まあね」
ヤチカが満更でもなさそうにいう。
「こちら、このお店の主人の、沼正二さん。こちら、わたしの大切な、笹原杏里ちゃん」
「なんだよ、その『大切な』って」
いいかけたところで、男の視線が杏里の上で固まった。
「あれ? この子って、ひょっとして・・・」
「ふふ、気づいた?」
意味ありげにヤチカが笑う。
「え? やっぱりそうなの?」
男が目をまん丸にして、素っ頓狂な声を上げる。
「うん。わたしの絵の、想像上のモデルさん」
「想像上の?」
「うん。顔だけ借りたから」
「そうなんだ。だからだね」
まじまじと杏里を見つめ、ため息をつく男。
「ヤチカちゃんの絵の女の子に、そっくりなんだもん」
長い間見つめられて、杏里は耳まで赤くなった。
「杏里ちゃん、だったっけ? 君、ほんと、可愛いなあ」
しみじみとした口調でいい、またため息をつく。
「正一のやつが、ヤチカちゃんの真似、したがるはずだよ」
「正一くんが、わたしのまね? それ、どういうこと?」
ヤチカが訝しげにたずねた。
「いやね」
正二がアフロヘアの頭をぼりぼりと掻いた。
「ヤチカちゃんの画集買って以来、正一のやつ、あんたの絵がよっぽど気に入ったのか、その中の女の子にそっくりの人形を一体、即席でつくっちまったんだよ。おいらは、ヤチカちゃんに許可もらってからにしろって、止めたんだけどね」
「へーえ」
ヤチカは怒った風もない。
「それ、すごく見たいわあ。だって、彼の腕、現代の人形師の中でも超一流だもんね」
「それがさあ。無理なんだよ」
すまなさそうな表情になって、正二がいった。
「無理って?」
「盗まれちまったのさ。数日前に」
「え? 盗まれた?」
「なかなかいい出来だったから『耽美の部屋』に飾っておいたんだけど、展示して2、3日したら、なくなってやんの」
ふたりのやりとりを訊きながら、杏里は思った。
ヤチカの絵の中の少女に似せてつくられたということは、その人形、私と同じ顔をしていたはず。
それが、盗まれた?
いったい、どういうことだろう。
「なんだ、残念」
ヤチカが肩を落とした。
「正一くんってのはね、この正二さんの弟で、人形師なの。兄と違ってかなりのイケメンなんだけど、すごい変人でさ、わたし今まで、彼の声、一度も聞いたことないんだよね」
[弟なのに、正一?」
杏里はこらえきれなくなって、訊いた。
ふつう、逆じゃないかと思ったのだ。
「うん。ここの一家は天邪鬼でね。兄が正二、弟が正一なの。おそらく、『正三』って名前に敬意を表してのことだと思うんだけど」
沼正三。
それが高名な小説家の名前だということを知らない杏里は、またしてもきょとんとするだけだった。
「兄と違ってイケメン、はないんじゃないの?」
正二が泣き笑いのような表情をニキビだらけの顔に浮かべて、抗議する。
「ごめん」
ヤチカがはっと口に手を当てた。
「つい、ほんとのこと、いっちゃって」
「いいよいいよ」
正二がふてくされる。
「どうせおいらは奴と違って不細工ですよ」
「まあまあ、人間、顔じゃないから。正二さんには、正一くんにない、商才や事務能力があるじゃない」
が、ヤチカのフォローはほとんど逆効果のようだった。
「はいはい、どうせおいらは世俗にまみれた小市民ですって」
正二はカウンターの後ろに引っ込むと、ごろりとその場に寝てしまった。
裸足の足が脇から出てきたので、それとわかる。
「じゃ、真布ばあさんによろしくね。わたしは杏里ちゃんを案内してくるから」
あわてた口調でいうヤチカ。
「あ、ばあさんなら、リリーから厄介事を頼まれたって、朝からずいぶんおかんむりだったぜ。リリーって、ヤチカちゃんとこにいる、あの局様だろ?」
ぴょこんと飛び起きて、正二がいった。
「そうよ」
ヤチカがひきつった笑顔でうなずく。
「ばあさんに、何頼んだんだい?」
正二が身を乗り出してきた。
「人探し」
短く、ヤチカが答えた。
「杏里ちゃんの恋人、探してるのよ」
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