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第8部 妄執のハーデス
#49 バトルロイヤル③
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自動ドアをくぐると、そこは大企業のエントランス・ホールのような空間だった。
正面奥に馬蹄型のカウンターがあり、その右横に吹き抜けの2階と地下に続くエスカレーターが2列。
スペースの左半分はガラス張りのラウンジになっていて、いくつものソファーやテーブルが配置されている。
が、内部の警備も厳重だった。
警備員に混じって、ここにも制服警官の姿が目立つ。
全員防弾チョッキを身に着けており、拳銃も携行しているようだ。
カウンターの上の壁に埋め込まれた、薔薇の花をあしらった黄金のレリーフを見上げ、杏里は慄然とした。
委員会は、やはり国家的な組織なのだ。
そもそも外来種の存在は、世間に対してはいまだに秘匿されている。
外来種を見つけ出しては狩る、杏里たちの存在も同様である。
なのに、この警官たちの数。
警察が委員会と通じている何よりの証拠ではないか。
杏里と由羅は、言ってみれば、その委員会のブラックリストに載ってしまったのだ。
となると、この研修、ただで済むとはとても思えない。
「研修は地下1階だそうだ。集合は第2会議室に10時。俺と重人は先に行くから、おまえらはその辺で休んでろ」
代表して受付を済ませ、いつものぶっきらぼうな口調で、小田切が言った。
「僕は2階の検査病棟。小田切さんは3階の本部で会議なんだって。だからふたりとは、ここでお別れだね」
重人の言葉から察するに、外からは平たいパンケーキ状に見えたこの建物は、実は細かく何層にも分かれているらしい。
地下があるというのは、以前来た時に由羅の卒業検定に立ち会ったから、よく知っている。
あの時由羅は、地下の体育館のようなところで、狂った雄外来種と戦ったのだ。
それが地下何階だったかまでは、さすがに記憶にないのだが…。
杏里の手を取る重人は、少し寂しそうだ。
「でも、杏里。約束忘れちゃだめだよ。ちゃんと帰ってきて、僕との約束、果たすんだぜ」
「約束?」
軽く眉をひそめる杏里。
重人と約束した覚えなんか、ないんだけど。
「やだな。もう忘れちゃったの?」
重人が口を尖らせる。
「気が向いたら、いつか僕の相手をしてくれるって、そう言ったじゃないか」
「ああ、あれ」
杏里はぷっと吹き出した。
そのことか。
重人ったら、そんなの真に受けてたんだ。
「気が向いたらね」
笑いをひっこめてそっけなく答えると、
「おまえら、何の話してるんだ?」
小田切がいぶかしげに訊いてきた。
「行こう」
杏里が返事に戸惑っていると、由羅が肩を叩いて言った。
「まだ集合時間まで、1時間近くある。そこでコーヒーでも飲んで待ってることにしよう。うちがおごるから」
「OK」
杏里は短く答えると、重人の頬を両手で挟み、分厚いレンズの向こうのその目をじっとのぞき込んだ。
「あのさ、重人。もしもの時は、あなたを呼ぶかもしれない。だから、その時は、お願いね」
「うんっ」
元気よくうなずく重人。
杏里に頼りにされたことが、よほどうれしいらしい。
「でも、そうならないことを祈ってるよ」
なおも名残り惜しげな重人を、
「俺たちも行くぞ」
と、小田切が急かす。
ふたりがエレベーターに乗り込のを見届けると、杏里は由羅に続いて歩き出した。
シースルーのタイトミニを穿いた杏里と、黒のフレアミニを穿いた由羅は、とにかく目立つ。
喫茶コーナーに辿り着く間にも、景観や警備員たちが不躾な視線を投げてくるのがわかった。
自動販売機でめいめい好きな飲み物を紙コップに注ぎ、窓際の席に座る。
向かい合い、乾いた空気でかさつく喉を湿らせると、杏里は小声で由羅に話しかけた。
「ねえ、由羅。あなた、この研修に呼ばれた本当の理由、いつ、誰に訊いたの?」
「はん? 何だよ急に」
ブラックのホットコーヒーに目を細めていた由羅が、きょとんとした顔で杏里を見返してきた。
「私は、あなたに会いに行った日に、偶然重人から聞いたんだけど」
「うちもだよ。おまえが来た日の次の日かな。冬美が出かけた後、こっそり重人が教えてくれた」
「なのに、腹を立てなかったの? これ、勇次が言ってたみたいに、問題のあるパトスやタナトスを集めて矯正するのが目的なんでしょ? いつものやんちゃな由羅なら、怒って大暴れしそうなものだけど…」
「やんちゃはひどいな」
由羅は苦笑いするだけだ。
なんだか妙に落ちついている。
「なんかそんな大人しい由羅、気味が悪い。私の知ってる由羅じゃないみたい」
杏里は本心を口にした。
由羅の変化が、ずっと気になっていたからである。
「うちさ、言っただろ? おまえの気持ちがわかったって」
由羅が真顔になった。
杏里を見つめるシャドウに囲まれた目は、意外なほど澄み切っている。
「うん。本人もわかんないのに、どういうことかな、って思ってた」
正直にそう言うと、由羅の口元がわずかにひきつった。
「おまえは、ずうっとうちのこと怒ってて、それで嫌ってたんだなって、そう気づいたのさ」
「そ、そんな…嫌いだなんて、ひと言も…」
「言わなくてもわかる。なのにうちは、そんなおまえのことが好きなんだ。それがあの時はっきりわかった」
「由羅…」
その気持ちは知っていた。
最近の由羅の態度から、なんとなく感じ取っていた。
杏里がヤチカに魅かれ始めると同時に、由羅は嫉妬心を表情に表すようになっていたから。
でも、あの跳ねっ返りで天邪鬼な由羅が、そんなこと、平気で口にするなんて…。
「そんな時に、重人が教えてくれたんだ。この研修の目的と、それから杏里、おまえも同じ理由で呼ばれてるらしいってことを」
「冬美さんは、勇次にもぎりぎりまで伏せてたみたい。それを重人が”読んだ”のだと思う」
「ま、そんなとこだろうな。けど、それはどうでもいいんだ。その話を聞いて最初にうちが思ったのは、これで杏里とやり直せるんじゃないかってことだった」
「やり直す…? どういうこと?」
「わかんないかな。この研修は、うちがおまえに、いい所を見せるチャンスかもしれないってことさ」
「え?」
この子ったら、何を言ってるのだろう?
杏里は混乱した。
「まあ、見てなって。今は嫌いかもしれないけど、そのうちに惚れ直させてやるからさ」
「変なの」
杏里は憮然とした。
これはたちの悪い冗談なのだろうか。
由羅は私をからかっている…?
「私たち、もう子供じゃないんだよ。そんなに物事、簡単にはいかないよ」
「ほら、白状した」
由羅が笑った。
「それって、やっぱ、うちのこと嫌いだって認めたってことだろ」
「ち、違うよ、由羅。うまく説明できないけど、私の思い、きっとそんな単純じゃないんだってば」
杏里が真剣に抗議を始めた時だった。
背後で立て続けに自動ドアが開閉する気配がして、むき出しの素足に冷たい風が忍び込んできた。
すうっと由羅の目つきが鋭くなる。
「こいつらか」
吐き捨てるように言う。
今さっきまでの友好的な雰囲気は影を潜め、杏里のよく知っている攻撃的な由羅が戻ってきていた。
「なんでえ。もっとすごいの想像してたのに、餓鬼がふたりいるだけじゃんかよ」
「ちょっとマコトったら、聞こえちゃうって」
杏里の背中のほうで、声がした。
「るせえんだよ。聞こえるように言ってんだよ。てめえは黙ってりゃいいんだよ」
近づいてくる。
立ち上がろうとする由羅を、杏里は手を伸ばして押し留めた。
「だめ。気がつかないふりをして。お願いだから、無視してて」
「だけど…」
由羅が言いよどむ。
瞳が凶悪なほど、据わってしまっている。
「こいつらも、パトスとタナトスなのか? まさか…そんな…ありえない」
正面奥に馬蹄型のカウンターがあり、その右横に吹き抜けの2階と地下に続くエスカレーターが2列。
スペースの左半分はガラス張りのラウンジになっていて、いくつものソファーやテーブルが配置されている。
が、内部の警備も厳重だった。
警備員に混じって、ここにも制服警官の姿が目立つ。
全員防弾チョッキを身に着けており、拳銃も携行しているようだ。
カウンターの上の壁に埋め込まれた、薔薇の花をあしらった黄金のレリーフを見上げ、杏里は慄然とした。
委員会は、やはり国家的な組織なのだ。
そもそも外来種の存在は、世間に対してはいまだに秘匿されている。
外来種を見つけ出しては狩る、杏里たちの存在も同様である。
なのに、この警官たちの数。
警察が委員会と通じている何よりの証拠ではないか。
杏里と由羅は、言ってみれば、その委員会のブラックリストに載ってしまったのだ。
となると、この研修、ただで済むとはとても思えない。
「研修は地下1階だそうだ。集合は第2会議室に10時。俺と重人は先に行くから、おまえらはその辺で休んでろ」
代表して受付を済ませ、いつものぶっきらぼうな口調で、小田切が言った。
「僕は2階の検査病棟。小田切さんは3階の本部で会議なんだって。だからふたりとは、ここでお別れだね」
重人の言葉から察するに、外からは平たいパンケーキ状に見えたこの建物は、実は細かく何層にも分かれているらしい。
地下があるというのは、以前来た時に由羅の卒業検定に立ち会ったから、よく知っている。
あの時由羅は、地下の体育館のようなところで、狂った雄外来種と戦ったのだ。
それが地下何階だったかまでは、さすがに記憶にないのだが…。
杏里の手を取る重人は、少し寂しそうだ。
「でも、杏里。約束忘れちゃだめだよ。ちゃんと帰ってきて、僕との約束、果たすんだぜ」
「約束?」
軽く眉をひそめる杏里。
重人と約束した覚えなんか、ないんだけど。
「やだな。もう忘れちゃったの?」
重人が口を尖らせる。
「気が向いたら、いつか僕の相手をしてくれるって、そう言ったじゃないか」
「ああ、あれ」
杏里はぷっと吹き出した。
そのことか。
重人ったら、そんなの真に受けてたんだ。
「気が向いたらね」
笑いをひっこめてそっけなく答えると、
「おまえら、何の話してるんだ?」
小田切がいぶかしげに訊いてきた。
「行こう」
杏里が返事に戸惑っていると、由羅が肩を叩いて言った。
「まだ集合時間まで、1時間近くある。そこでコーヒーでも飲んで待ってることにしよう。うちがおごるから」
「OK」
杏里は短く答えると、重人の頬を両手で挟み、分厚いレンズの向こうのその目をじっとのぞき込んだ。
「あのさ、重人。もしもの時は、あなたを呼ぶかもしれない。だから、その時は、お願いね」
「うんっ」
元気よくうなずく重人。
杏里に頼りにされたことが、よほどうれしいらしい。
「でも、そうならないことを祈ってるよ」
なおも名残り惜しげな重人を、
「俺たちも行くぞ」
と、小田切が急かす。
ふたりがエレベーターに乗り込のを見届けると、杏里は由羅に続いて歩き出した。
シースルーのタイトミニを穿いた杏里と、黒のフレアミニを穿いた由羅は、とにかく目立つ。
喫茶コーナーに辿り着く間にも、景観や警備員たちが不躾な視線を投げてくるのがわかった。
自動販売機でめいめい好きな飲み物を紙コップに注ぎ、窓際の席に座る。
向かい合い、乾いた空気でかさつく喉を湿らせると、杏里は小声で由羅に話しかけた。
「ねえ、由羅。あなた、この研修に呼ばれた本当の理由、いつ、誰に訊いたの?」
「はん? 何だよ急に」
ブラックのホットコーヒーに目を細めていた由羅が、きょとんとした顔で杏里を見返してきた。
「私は、あなたに会いに行った日に、偶然重人から聞いたんだけど」
「うちもだよ。おまえが来た日の次の日かな。冬美が出かけた後、こっそり重人が教えてくれた」
「なのに、腹を立てなかったの? これ、勇次が言ってたみたいに、問題のあるパトスやタナトスを集めて矯正するのが目的なんでしょ? いつものやんちゃな由羅なら、怒って大暴れしそうなものだけど…」
「やんちゃはひどいな」
由羅は苦笑いするだけだ。
なんだか妙に落ちついている。
「なんかそんな大人しい由羅、気味が悪い。私の知ってる由羅じゃないみたい」
杏里は本心を口にした。
由羅の変化が、ずっと気になっていたからである。
「うちさ、言っただろ? おまえの気持ちがわかったって」
由羅が真顔になった。
杏里を見つめるシャドウに囲まれた目は、意外なほど澄み切っている。
「うん。本人もわかんないのに、どういうことかな、って思ってた」
正直にそう言うと、由羅の口元がわずかにひきつった。
「おまえは、ずうっとうちのこと怒ってて、それで嫌ってたんだなって、そう気づいたのさ」
「そ、そんな…嫌いだなんて、ひと言も…」
「言わなくてもわかる。なのにうちは、そんなおまえのことが好きなんだ。それがあの時はっきりわかった」
「由羅…」
その気持ちは知っていた。
最近の由羅の態度から、なんとなく感じ取っていた。
杏里がヤチカに魅かれ始めると同時に、由羅は嫉妬心を表情に表すようになっていたから。
でも、あの跳ねっ返りで天邪鬼な由羅が、そんなこと、平気で口にするなんて…。
「そんな時に、重人が教えてくれたんだ。この研修の目的と、それから杏里、おまえも同じ理由で呼ばれてるらしいってことを」
「冬美さんは、勇次にもぎりぎりまで伏せてたみたい。それを重人が”読んだ”のだと思う」
「ま、そんなとこだろうな。けど、それはどうでもいいんだ。その話を聞いて最初にうちが思ったのは、これで杏里とやり直せるんじゃないかってことだった」
「やり直す…? どういうこと?」
「わかんないかな。この研修は、うちがおまえに、いい所を見せるチャンスかもしれないってことさ」
「え?」
この子ったら、何を言ってるのだろう?
杏里は混乱した。
「まあ、見てなって。今は嫌いかもしれないけど、そのうちに惚れ直させてやるからさ」
「変なの」
杏里は憮然とした。
これはたちの悪い冗談なのだろうか。
由羅は私をからかっている…?
「私たち、もう子供じゃないんだよ。そんなに物事、簡単にはいかないよ」
「ほら、白状した」
由羅が笑った。
「それって、やっぱ、うちのこと嫌いだって認めたってことだろ」
「ち、違うよ、由羅。うまく説明できないけど、私の思い、きっとそんな単純じゃないんだってば」
杏里が真剣に抗議を始めた時だった。
背後で立て続けに自動ドアが開閉する気配がして、むき出しの素足に冷たい風が忍び込んできた。
すうっと由羅の目つきが鋭くなる。
「こいつらか」
吐き捨てるように言う。
今さっきまでの友好的な雰囲気は影を潜め、杏里のよく知っている攻撃的な由羅が戻ってきていた。
「なんでえ。もっとすごいの想像してたのに、餓鬼がふたりいるだけじゃんかよ」
「ちょっとマコトったら、聞こえちゃうって」
杏里の背中のほうで、声がした。
「るせえんだよ。聞こえるように言ってんだよ。てめえは黙ってりゃいいんだよ」
近づいてくる。
立ち上がろうとする由羅を、杏里は手を伸ばして押し留めた。
「だめ。気がつかないふりをして。お願いだから、無視してて」
「だけど…」
由羅が言いよどむ。
瞳が凶悪なほど、据わってしまっている。
「こいつらも、パトスとタナトスなのか? まさか…そんな…ありえない」
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