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第8部 妄執のハーデス

#73 インターバル⑤

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 部屋に戻って、後ろ手にドアを閉めるのとほぼ同時に、外の通路を複数の足音が駆け抜けていった。

 次の対戦に出場するビアンカとチャン、そして加藤久美子と相田ももの4人に違いない。

 一瞬、顔を出して言葉をかけようかと思った。

 が、それがいかに空しいことか、杏里にはよくわかっていた。
 
 あと数十分のうちに、その4人のうち、2人が死ぬのだ。

 今更交流を深めても、後で辛さが倍増するだけである。

 明日の朝までに残るのは、4チーム。

 すでに勝利を手にした杏里と由羅のチームC、そしてたったひとりで柚木達を血祭りにあげた謎の少女X。

 残りの2チームは、これからの対戦で決まることになる。

 久美子VSビアンカ戦の勝者。

 最後は、あのアイドル3人組VS倉田彩名戦の勝者である。

 いったい、次の対戦相手はどのチームになるのだろう?

 それを考えると、どうにも落ち着かない気分になった。

 とにかく今は、できることに全力を注ぐしかない。

 杏里にできることと言えば、傷ついた由羅の治療。

 それに尽きた。

 敵がどのチームになるにせよ、明日行われる2回戦までに、由羅の体調を万全なものにしておかなければならないのだ。

「由羅、先にお風呂、入って」

 ユニットバスの浴槽にお湯を溜めながら、杏里はベッドに腰かけている由羅にそう話しかけた。

「お風呂が済んだら、裸にバスローブを巻いたままベッドに横になって、私が出るのを待っててくれない?」

「いいけど、なんか、安いラブホテルで密会でもしてるみたいだな」

 笑いを含んだ声で、由羅が言い返す。

「なんならふたり一緒に入ってもいいいけど、どうする?」

「あ、いい。遠慮しとく。おまえと一緒じゃ、いくらなんでも、そこ、狭すぎる」

「ふん。どうせ私は太ってますよ」

 軽口を叩きながらも、その実、杏里は恐怖で胸が張り裂けそうだ。

 脳裏に去来する、黒焦げになった柚木の頭部と、体育館の壁に貼りついて潰れていた美晴の頭部の残像。

 あんなふうになりたくない。

 由羅をあんなふうにしてはいけない。

 切にそう思う。

 由羅が浴室に消えるのを見定めて、杏里は服を脱ぎ始めた。

 煙の臭いが染み込んだタンクトップとスカートを脱ぎ捨て、汚れ物を入れる袋に詰める。

 ついでに汗と体液で汚れたブラとショーツも脱いで、一糸まとわぬ姿になった。

 杏里自身は、身体にほとんどダメージを受けていない。

 渇いた愛液で、太腿の内側ががさがさする程度である。

 心配なのは、由羅をうまく治癒できるかどうか、だった。

 治癒効果を持つ体液は、杏里が性的に興奮しないと分泌されないのだ。

 それには由羅の協力が必要不可欠なのだが、ここへ来る前に、杏里は一度誘いを由羅に拒まれていた。

 もしまた由羅が同じ態度を取ったら、きっと治療はうまくいかないに違いない。

 心配になって、ユニットバスのドアを開け、中をのぞきこんだ。

「ねえ、由羅、あなた…まだ、私に嫌われてると思ってる?」

「どうかな」

 シャワーの音の合間に、由羅が答えるのが聞こえてきた。

「よくわからない。ここへ来てから、とてもそんなこと考えてる暇、なかったから」

 それは、杏里も同じだった。

 でも、誤解を解くなら今しかない。

「あのね、知ってると思うけど、あなたの怪我を直すには、まず私自身が、その…」

「わかってるって。それには真っ先に、杏里が気持ちよくならないといけないんだろ?」

 言いよどんだ杏里の言葉を、代わりに由羅が引き継いだ。

 この半年の間に、杏里と由羅は何度かこの方法でお互いを癒してきた。

 杏里が零に八つ裂きにされた時には、回復を早めるために、由羅があえて杏里の性感帯を刺激することで、体液の分泌を促したこともある。

 だからわざわざ口に出さなくても、由羅は杏里の言いたいことをよく知っているのだ。

「いいよ、協力する」

 あっさり由羅がそう言ってくれたので、杏里はほっと胸を撫で下ろした。

 ドアを閉めようとした時である。

 ふと、視界にオレンジ色が見えた気がして、杏里ははっとした。

 慌ててバスのほうに眼をやると、すりガラス越しに見える由羅の裸身に、オレンジ色の斑点が散らばっていた。

 初めはそれが何を意味するのか、皆目見当がつかなかった。

 が、やがて杏里は思い出した。

 死ぬ間際の、ユウの台詞。

 -僕には、相手の性感帯が見えるんだ。性感帯は、きれいなオレンジ色をしてるから、どこがそうなのか、見ただけですぐにわかるのさー 

「どういうこと?」

 杏里は無意識のうちに、そう声に出してつぶやいていた。

 これって、ひょっとして、ユウの能力?

 まさかとは思うけど…。

 美里の触手と同様に、私、彼の特殊技能を、ラーニングしたのだろうか?

「どうしたんだ?」

 タオルで髪を拭きながら、トイレ兼浴室から由羅が姿を現した。

 身体には、浴室の備品である大きなバスタオルを巻いている。

 その耳の後ろと首筋にオレンジ色の斑点を見つけて、杏里はドキッとした。

 やっぱり、見える…。

 さっきまでは、あんなところ、何もなかったのに…。

 
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