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第8部 妄執のハーデス

#85 2回戦④

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 杏里の眼を正面から見据え、リサが華奢な右手首に左手を添えた。

 その左手の動きに合わせて、するすると引き出されてくる銀色のチェーン。

 その両端を持つと、唇を斜めに吊り上げ、リサが言った。

「タナトスだから、攻撃能力なんて、あるはずがない…。まさか、そんなこと思っていないよね?」

 リサは、膝まである赤いブーツを履いている。

 そのブーツの尖った踵が、体育館の床に当たって硬い音を立てた。

「タナトスは、人間の攻撃衝動を一身に受け、彼らのストレスが完全に消えるまで、耐え続ける…なあんてさ、いったい誰が決めたのよ? そんなの、ナーンセンス! あんただって、そう思うでしょ?」

 リサの全身から、眼に見えぬ炎のように立ち上っているのは、明らかな憎悪だった。

 これまでの頭の軽そうな少女の姿は、もはやそこにはなかった。

 杏里は無意識のうちに、その噴き出す憤怒から身を守るように、自分の身体をむき出しの両腕で抱きしめた。

「だからあたしたちは、殺してやった。あたしをただの公衆便所と間違えて寄って来る虫けらどもを、片っ端からね。いい? 悪いのは外来種なんかじゃない。勝手にあたしたちをつくったニンゲンなんだよ。外来種はただ人間社会ってゴミ溜めに湧いてきたウジ虫にすぎない。本来、死ななきゃならないのは、この糞みたいな世界をつくった自己中でオロカなニンゲンたちなのよ!」

「じゃあ…人間を殺したユニットって…あなたたちだったのね?」

 杏里は、己の不明を恥じる思いだった。

 殺人を犯したのは、久美子だけではなかったのだ。

 それどころか、ももを守るためにやむを得ず人を殺した久美子と違い、リサの殺意はぞっとするほど明確だ。

「そうだよ。まさかって顔してるよね。まあ、あたしたち、こんなチャラいキャラかぶってるからね。ふふっ。でもさ、だからいいんじゃない。馬鹿どもがコロリと騙されてハエみたいにいくらでも寄って来るから。見かけ通り、あたしたちの副業、地下アイドルなの。だからね、人間なんて、ほんと、殺し放題。うざくてきもいオッさんのドルオタたちを、これまでに何人殺してやったことか」

「く、狂ってる…」

 酸欠状態に陥ったように胸が苦しくなり、杏里はあえいだ。

「狂ってるのはおまえだろ?」

 唐突に、リサの声が凄みを帯びた。

「自分たちの勝手な都合で、あたしたちを死から蘇らせ、サンドバッグや兵器に作り変えて道具みたいに扱って、壊れたら即刻廃棄処分にする。そんな傲慢で冷酷なニンゲンたちのために身体を張ってるおまえのほうが、どう考えてもおかしいだろ? だからあたしはね、あんたみたいに優等生面してるタナトスを見ると虫唾が走るんだ。絶対、絶対、生かしてはおけないと思うわけ」

 リサの言葉は、鋭い刃物のように杏里の心をえぐった。

 それは、杏里がこれまで、努めて考えないようにしてきた究極の疑問でもあるからだ。

 でも…と思う。

 本当にそれだけだろうか。

 私たちが二度目の生を受けた意味…。

 それは、本当にリサが指摘したもの、ただひとつだけなのだろうか…?

「なあに、その顔は? あたしが間違ってるとでも言いたいの?」

 リサが右手を頭上高く上げ、チェーンを振りかぶった。

「ま、わかんないなら、いいよ。別におまえを仲間にするつもりなんて最初からなかったしね。あたしは、おまえを殺す。そして最後まで勝ち抜いて、このすべての元凶、委員会本部をぶっ潰す。やりたいことは、それだけさ」

 その台詞が終わらぬうちだった。

 空気がうなり、銀色の鞭が杏里を襲った。

「あうっ!」

 激痛に、二の腕を押さえて、杏里はその場にうずくまった。

 胸をかばっていた右腕の上腕部で、肉がぱっくりと口を開いている。

 ざくろみたいに爆ぜた白い肌の上に、赤い玉となって、ふつふつと鮮血が滲み出す。

「立ちな」
 
 憎々しげに、リサが言った。

「その可愛い顔とムチムチの身体、あたしがこの手でズタズタにしてやるから」

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