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第8部 妄執のハーデス

#94 最終決戦③

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「今、試してみればいいじゃないか」
 由羅が重人の頬を人差し指でつついた。
「うちか杏里の心、読んでみろよ」
「うーん」
 が、重人はゆるゆる首を横に振るばかりだ。
「今はだめっぽい。頭の中がぼんやりして、集中できないんだ。それより、何か他に手伝えること、ないかな」
 杏里はちらりと壁にかかっている時計に目をやった。
 まだ午前8時。
 ”試合”開始までには、2時間ある。
「あの、ちょっと言いにくいんだけど」
 ためらいがちに口を開いたのは、あることを思いついたからだ。
「なに? ふたりの役に立つことなら、なんでもするよ」
 重人がつぶらな瞳を向けてきた。
「あのね、ふたりで、私の身体…触ってくれないかな。今、ここで」
「は?」
「え?」
 由羅と重人が、同時に目を見開いた。
 ふたり顔を合わせ、突然何を言い出すのだ、という表情をしている。
「ううん、変な意味じゃなくて。次の試合には、万全の体勢で臨みたいのよ」
 杏里は耳の付け根まで赤くして、うつむいた。
「あのさ、それって、変な意味にしか聞こえないんだけど」
 重人がすかさず突っ込んできた。
 いつもの調子が少し戻ってきたらしい。
「わかるでしょ? 私はタナトス。身体が潤っていないと、本来の力が出せない。だから…」
 杏里が妙な提案を口にしたのには、理由がある。
 これまでの戦い方からして、今度の相手は相当に残虐な性向の持ち主のようだ。
 Xと対戦した4人は、全員、見るも無残に肉体を破壊されていたのである。
 当然、杏里と由羅も、かなりのダメージを受けるに違いない。
 その時頼りになるのは、杏里の肉体が備えた強力な治癒能力だけだろう。
 しかし、ゆうべもそうだったように、その治癒能力の源である体液は、体が官能状態になった時でないと分泌されないのだ。
 恐怖に駆られた状態では、力が十分に働かないのである。
 ならば、最初からその状態にして”試合”に臨めば…。
 杏里はそう考えたのだった。
「なるほど、ウォーミングアップというわけか」
 由羅が生真面目な顔でうなずいた。
「車で言えば、暖気運転ってやつ?」
 と、変なたとえを持ち出したのは、重人である。
「でも、どうしてここで? 部屋に帰ってからのほうが、落ち着けるんじゃないか?」
 由羅の指摘に、杏里はちらりと視線を食堂の奥に向けた。
 そこには、料理を前にして、ふたりのウェイトレスが手持ち無沙汰に佇んでいる。
「私…誰かに見られてるほうが…燃えるから」
 杏里のつぶやきに、今度は重人が赤くなった。
「やだな、杏里って、ほんと、変態なんだね」
 唇を尖らせ、怒ったような口調で言う。
「子供にはわかんないわよ。それより、どう? 手伝ってくれるかな?」
 頬を膨らませて、杏里はふたりの顔を交互に見回した。
「OK。わかった」
 あっさりと、由羅。
「い、いいけど、な、なんか、どきどきする」
 やがて、赤い顔で、重人も賛同してくれた。
「じゃ、早く朝食、食べ終えて、そうしたら、私…」
 杏里は、おもむろにセーラー服の脇のファスナーに手をかけた。
「おもしろくなってきた」
 にやりと笑うと、由羅が大盛のカレーにかぶりつく。
「まあ、勝つためには仕方がないね。そういう変態っぽいのは、あんまり僕の趣味じゃないけど、しょうがない、手伝ってあげるよ」
 すまし顔でつぶやいて、重人もスープを口に運び始める。
「寸止めでお願い。そのほうが、効果あると思うから」
 真顔で杏里は言った。
「寸止め?」
 重人がけげんそうな表情をする。
「イク寸前でやめろってことだよ。やりすぎると、杏里、すぐ潮吹いちゃうから」
 由羅がまた笑った。
「言わないで」
 制服を脱ぎかけて、その由羅を杏里はにらんだ。
「やれやれ」
 重人が肩をすくめてひとりごちた。
「かなわないな。変態同士の会話には、僕、ついていけないよ」


 

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