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第8部 妄執のハーデス

#113 流出②

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「由羅…」
 呆然と、杏里はつぶやいた。
 零の背後に、壁に串刺しにされたはずの由羅が立っている。
 革ジャンの前がはだけ、黒の胴着と幅広のベルトの間、むき出しの鳩尾あたりに、縁がギザギザになった大きな穴が開いている。
 その穴から流れ出る血が、レザーのミニスカートを伝い、太腿に赤い筋を引いているのが見るからに痛々しい。
「杏里、助かったぜ。時間を稼いでくれて」
 ずぼっ。
 避雷針を零の首から引き抜いて、由羅が言った。
「ったくもう、この馬鹿力めが。避雷針が壁に深くめり込みすぎてて、抜くのに苦労しちまった」
 強がってはいるものの、その声には色濃く疲労がにじんでいる。
 深手を負って、相当に体力を消耗している証拠だった。
 零が、杏里の喉を右手で締めつけたまま、ゆっくりと由羅のほうを振り返った。
「おまえ、まだ生きてたの?」
 首を軽く左右に振ると、何事もなかったようにそう言った。
 嫌な予感がした。
 かなりの太さの避雷針が貫通したというのに、零の首からは一滴の血も流れていない。
 10円硬貨大の白い穴が、ぽっかりと開いているだけだ。
 杏里が驚いたのは、その穴がみるみるうちに塞がっていくことだった。
 周囲から新たな肉が盛り上がり、粘土で蓋をするみたいに急速に空洞を埋めていく。
 メス外来種は、タナトスと同じタイプのミトコンドリアを備えている。
 だから、ある程度の治癒能力は持っているはずである。
 だけど、それにしても、これは…。
 -気をつけなー
 その時、頭の片隅で、エコーのように”声”がこだました。
 零に喉を締めつけられ、窒息しそうになりながら、杏里は反射的に心の耳をそばだてた。
 サイコジェニー。
 今度は、なに…?
 -”流出”が始まっているのは、杏里、おまえさんだけじゃないってことさー
 ジェニーが言った。
 -光あるところ闇、だからねー
 流出?
 さっきも言ってたけど、それ、何のこと?
 が、先程と同様、”声”は答えなかった。
 徐々に気配が消えていく。
 その存在ごと、どこか遠くへ去ってしまう。
 待って!
 杏里が心の中で呼び止めようと叫んだ瞬間、
「杏里を放せ」
 由羅のドスの効いた低い声が聞こえてきた。
「嫌だと言ったら?」
 零が、からかうような口調で言い返す。
「この子は私のおもちゃ。おまえの指図は受けないよ」
「なら、また死んでもらうだけさ」
 不敵な笑みを、唇の端に浮かべる由羅。
「今度こそ、生き返れないようにな」
 その言葉と同時に、由羅の右腕が一閃した。
 槍と化した避雷針が、唸りを上げてセミヌードの零の身体に襲いかかった。
 が、零の動きのほうが、一瞬速かった。
 身体に到達する寸前に、空いたほうの左手で避雷針を鷲づかみにすると、簡単に由羅の手からもぎ取った。
 ぐしゃりと折れ曲がる銀色の棒。
 左手の指だけで避雷針をぐにゃぐにゃに曲げ終えると、それを零が軽々と床へと投げ出した。
 その間も、右手は杏里の喉をがっしりつかんだままだ。
「てめえ…」
 由羅の頬から血の気が引いた。
 零の反射神経とパワーは並ではない。
 馬力はマコトをはるかに上回っているし、スピードはあの3人娘よりも更に速い。
 モデルを思わせるそのスレンダーな肉体からは、想像もつかぬ身体能力の高さだった。
「どうするの?」
 あざ笑うように、零が由羅を挑発する。
「素手で私倒せるとでも? 下等な人間に作られた、出来損ないの肉人形の分際で」
「うるせえ」
 憤怒の形相で、由羅がうなった。
「出来損ないかどうか、その身で試してみやがれ!」

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