ゾンビになった妹を救うため、終末世界で明日に向かってゴールをめざす

戸影絵麻

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第1章 あずみ

action 1 後悔

「やばいな」

 冷蔵庫を覗き込んで、僕はため息をついた。

 食料が尽きかけている。

 中に入っているのは、飲みかけの牛乳パックと、冷凍食品の枝豆。

 それと缶ビールが2本とミネラルウォーターのペットボトルが3本だけ。

 牛乳と枝豆は捨てるしかなさそうだ。

 なんせ、昨日の夜から電気が止まっているので、季節柄、腐っている可能性が高いからだ。

 カップ麺の類いはまだいくつか残っているけれど、これもだめだった。

 ガスも水道も止まっているので、調理できないのだ。

 よほどの時は生で齧るしか手はなさそうだった。

 1DKの部屋は、窓を閉め切っているため、蒸し風呂のように暑い。

 奥の洋間に戻ると、僕はベッドの脇に座り込んだ。

「あずみ、食べるもの、なくなっちゃったよ」

 シーツから覗いているカサブタだらけの手を取って、つぶやいた。

 もちろんあずみは答えない。

 3日前からずっと寝たきりだ。

 いや、正確には、死んだきりとでもいうべきか。

 のろのろと立ち上がり、手を握ったまま、ベッドに横たわるあずみの顏を見下ろした。

 あずみの顔は、今やびっしりと松かさのようなカサブタに覆われてしまっている。

 あんなに可愛かったのに…これじゃ、あまりにもひどすぎる。

 シーツをめくると、大柄なあずみの身体が現れた。

 白い夏服のセーラー服をまとった、17歳の健康そのものの少女の肢体。

 でも、半袖の上着から突き出た腕も、超ミニのひだスカートから突き出している足も、やはり一面のカサブタで見る影もない。

 仰向けに寝ていてすらも盛り上がっている豊かな胸も、その谷間から覗く皮膚の様子からして、おそらく同じ状況に違いない。

「どうしよう」

 僕はため息をついた。

 もう限界だということは、十分にわかっている。

 これ以上ここに留まっていても、やってくるのは”死”のみだろう。

 水と食料を補給しなければ、いずれ僕は死ぬ。

 しかし、と思う。

 あずみをここに置いて行けるのか。

 確かにあずみは息をしていない。

 3日前のあの日から、呼吸は止まったままだ。

 でも、不思議なことに身体は腐敗していなかった。

 ただカサブタに覆われているだけなのである。

 生き返るかもしれない。

 頼むから、生き返ってくれ。

 そう祈り続けた3日間だった。

 だが、いよいよ決断の時が来たようだ。

「ごめんな」

 僕はあずみの冷たい手を強く握りしめた。

「俺がおまえを残して下宿なんてしなければ…」

 あずみがこうなってしまってから、何度そう後悔したことだろう。

 僕の実家は岐阜である。

 ”ドーム”の外にあるから、ゾンビ化現象も起こっていない。

 せめて僕が地元の大学に進学していれば、あずみはこの地獄に巻き込まれることもなかったはずなのだ。

 いや、そこまでいかなくても、僕がこのゴールデンウィークにちゃんと帰省さえしていれば…。

「怖かったんだよ」

 仮死状態のあずみに向かって、僕は語りかけた。

 生きている彼女の前では、決して口にできない台詞だった。

「どんどん女らしく、綺麗になっていくおまえと一緒に暮らすのが、俺は怖くてならなかったんだ」

 何のとりえもない僕に比べ、すべてにハイスペックな妹。

 それがあずみだった。

 母が乳がんで死んだ翌年、親父が再婚した。

 今から6年前、僕が中2.あずみが小6の時である。

 あずみは僕の2番目の母、ヨシコさんの連れ子だったのだ。

 当時僕は学校でけっこうひどいいじめに遭っていて、半ば不登校状態だった。

 頭も悪いし、運動神経も良くないし、気が弱い。

 いじめられる条件をすべて備えた僕は、いわば人間サンドバック状態だったのだが、不思議なことになぜか初対面の時から、あずみは僕になついていた。

 1年経ち、僕が中3になると、あずみは同じ中学校の1年生に進級した。

 学校でも僕について歩くあずみを見て、いじめっ子集団はなおのことエキサイトしたものだ。

 その当時からあずみは、アイドル顔負けの美少女だったからである。

 いつものように校舎裏に呼び出されて、金をせびられていた時である。

 金属バットを片手に、あずみが現れた。

「お兄ちゃんをいじめるやつは、容赦しない」

「金の代わりに、おまえを犯してやってもいいんだぜ」

 リーダー格の少年がにやにや笑って言った時だった。

 ダッとばかりにあずみがダッシュした。

 それからのことはよく覚えていない。

 気がつくと、周囲には額から血を流した悪ガキ連中が倒れ、僕の右手にはあずみがしがみついていた。

「これ、おまえがやったの?」

 呆然とする僕を見上げて、あずみは真顔で言ったものである。

「怖かったよぉ、お兄ちゃん」

 
 そのあずみが、今、目の前で死んでいる。

 僕の最愛の妹、あずみが。

 涙が頬を伝った。

 堪え切れず、嗚咽が漏れた。

 そして僕は思い出していた。

 3日前の、あの日の出来事を。






 

 

 
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