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第5章 約束の地へ

action 8 魔獣

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「しゃべった」

 僕は光と顔を見合わせた。

「リサイクルは、脳はやられてないって話だったからね。それにしても、”わらわ”だなんて、どんだけ先祖返りしてるわけ?」

 なるほど、そうだった。

 あずみや堂神仁の例でも明らかなように、リサイクルゾンビには知性があるのだ。

 ゴキブリ人間たちは、複製したDNAがあまりに下等な昆虫だったから、不幸にもあんなふうだったのかもしれない、とふと思う。

 要はリサイクルされたDNAの種類によって、知能の高さも決まるということなのだろうか。

「とにかく、一平を助けないと」

 僕はM19をホルスターから抜いた。
 
 これ以上、犠牲者を出すわけにはいかないのだ。

 ヘタレにはヘタレなりに、できることがあるはずだ。

 な、そうだろう? 

 あずみ。

 呼びかけた僕を元気づけるように、心の中であずみがうなずいた。

「そうだね。行こう」

 ヨーヨーのボディを握った右手をコートの裾から出して、光が駈け出していく。

「一平、下がるんだ! おまえの歌は単なる騒音だ! 余計怪物を怒らせてる!」

 後に続きながら、僕は叫んだ。

「ち、ひどいいわれようだな」

 一平が駆け戻ってきた。

「世の中、芸術が理解できないやつが多くて困るぜ」

「このうつけ者」

 光がヨーヨーでその頭を叩く。

「おまえのおかげで手間が増えたよ」

 4本の節くれ立った足を竹馬のように操りながら、三つ首の怪物が迫ってくる。

「ヨーヨーであの足を狙えば?」

 僕の提案に、光がうなずいてみせた。

「最初からそのつもり。やつが転倒したら銃撃でとどめを」

「了解」

 うなずいた時、

「おぬしらは何者だ?」

 十数メートル先まで迫ったところで、真ん中の王妃風熟女が吼えた。

 三つの頭部は太い首に支えられ、胴体から更に数メートル上空で僕らを睨み下ろしている。

「ここがエデンと知っての上での狼藉か?」

「エデン? エデンってなんだ?」

 一平が言い返す。

「なんでこんなゾンビの巣窟が天国なんだよ?」

「ゾンビとは失礼な。わらわたちは決してそのような下等な者ではない」

 女の首が眉を吊り上げた。

 その熟女の怒りが、左右の双子マッチョにも伝わったようだった。

「エデンを汚す者は生かしておけぬ。こわっぱども、覚悟するがよい!」

 ふたりのスキンヘッドは、そう声をそろえて唱和するなり、いきなり想像を絶する攻撃に出た。

 なんと、口から火を噴いたのである。

「ぶっ」

 一平が悲鳴を上げた。

「あぢっ! ねーちゃん、熱いよォ!」

 光がとっさにコートの裾で僕らを庇う。
 
 そのコートに火が燃え移り、めらめらと音を立てて燃え上がった。

「くう!」

 コートを脱ぎ捨てる光。

 その下から現れたのは、銀色のベストにモスグリーンのパンツ。

 ノースリーブのベストから突き出た二の腕は驚くほど白く、スレンダーな肢体は妖精さながらの美しさだ。

「おまえのねえちゃん、意外にかっこいいな」

 僕が素直な感想を漏らすと、

「まあね。光姉はペチャパイのアルビノなんだ。サングラスとコートは太陽から身を守るための防具なんだよ」

 したり顏で一平が解説する。

「”意外に”って何? それに、ペチャパイはこの際関係ないだろうが」

 その声に敏感に反応して、光が振り向いた。

「そんなことより、いったん退却だよ。火を噴くゾンビなんて、聞いたことないし」

「でも、ねーちゃん、もう遅い」

 後ろを向いて、一平が言う。

「あっちからも、なんか来た」

 一平の言葉通りだった。

 いつのまにか、僕らの退路を断つように、異形の者たちがどこからともなく湧き出してきているのである。

 それはまさに化け物のオンパレードだった。

 生命の坩堝。

 ケロヨンの言葉の意味が、今こそわかった。

 僕らを取り囲むのは、色々な生物の属性を備えた新手のゾンビたちだった。

 首から上が烏賊になった女子学生。

 両手がカマキリの鎌になった白衣の男。

 腰から下が蛙と合体した白髪の老人。

 雄牛の肉体を備えたOL風の若い女性。

 むき出しの腹にオオサンショウウオの頭が生えている、小太りのオタク風青年。

 そんな異形たちが、十数人、僕らの周りに輪をつくり、じりじりと近づいてくるのだ。

「飛んで火に入る夏の虫、だな」

 ケルベロスの熟女首が嗤った。

「観念しろ。きさまらも、じきにわらわのしもべにしてくれる」

 万事休す、とはまさにこのことだった。

 もうだめか。

 絶望で目の前が真っ暗になった、その時である。

 だしぬけに、横から何かが唸りを上げて飛んできた。
 
 それは一気にケルベロスの3つの首を切断すると、派手な音を立てて地面に転がった。

 マンホールの蓋である。

 円盤のように猛スピードで回転しながら飛来した、分厚く頑丈な鋼鉄の蓋。

 それが瞬時にして、化け物の息の根を止めたのだった。
 
 ゾンビたちの間からどよめきが起こった。

 こいつら、脳が死んでいない分、人並みに動揺しているようだ。
 
 僕ら3人は、申し合わせたように、蓋の飛んできた方角に目を向けた。

 大学の敷地の隅に、マンホールの穴がぽっかりと黒い口を開けている。

 その傍らに、半裸の少女が立っていた。

 ぼろぼろに焼けた布切れが、豊満な肢体をかろうじて覆い隠している。

 髪型はなぜかショートボブになっているけれど…。

 でも、間違いなかった。

 僕の心臓が、コトリと鳴って、停止した。

「あうううう」

 次の瞬間、一平が泣き出した。

 今度は紛れもなく、うれし泣きだった。

「ごめんね。遅くなって」

 元気よく右腕を振って、あずみが叫んだ。

「ちょっと、下水道で迷子になっちゃってさ。あずみってば、実をいうと方向音痴なんだよね」

 



 

 




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