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好きな顔

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今思うと不思議な距離感だった。
確かにお互いを求めていたはずなのに、まるで逆を向いた磁石のように近付けば離れていく関係だったように思う。
互いに帰る場所があり、それでも"彼女"の意識は常に様々な方向を向いていた。
本気になったらおしまい。
私はなるべく彼女との関係を深く考えないように意識して、楽しいところだけ感じていようと必死だった。

一方、彼女はいつでも自由奔放な人だった。
何か気に入らないことがあるとすぐに顔をしかめ、彼氏と別れたとなると怒りながらよく泣いていた。
同じくらいよく笑ってたな、と思い出すと同時にその笑い声が今でも鮮明に思い出せるほど、あの声と表情が好きだった。
反面、自分でも当時から不思議に思っていたのだが、なぜだか私は笑顔以上に彼女の不機嫌そうなしかめっ面が好きだった。
眉間に皺を寄せ、思ったことをズバズバと容赦ない言葉でマシンガンのように愚痴を飛ばす彼女に対して、静かに相槌をうち続け、その表情をしばらく楽しんでいると

「…って、ねぇ!ちゃんと聞いてる?」

と最終的に私が怒られていた。
笑顔が似合う、という言葉はよく聞くが、なんだか怒った顔の方が笑顔よりも一層、彼女を綺麗にさせていた。

「そんなしかめっ面してると美人が台無しだよ」

と、余計に厶っとする表情見たさにわざと意地悪を言う私。

「からかってないでちゃんと聞いてよ」

喜怒哀楽がハッキリとしていて、コロコロと変わるその表情は、いつも新鮮で私に飽きさせる暇を与えなかった。

当時の私は、たぶん、彼女の多くを理解しているのはきっと自分だけだろう、と何となく自分が彼女にとって特別な存在であるような気でいたんだろうなと今になって感じる。
特に、泣きながら怒っている彼女を抱き寄せ、身も心も慰めている時間は
『今だけは自分のものだ』
と少しだけ、本当にほんの少しだけだが優越感に浸ることができた。
優越感の後に襲ってくる、虚無感。
どうしようもなく寂しく、切なく、泣きたくなるのだ。
それは彼女を"どうすることも出来ない"、それでいて"どうにもしてはいけない"という葛藤からだった。
それ以上でも以下にも出来ない、今がちょうどいい、壊れない距離。
どれだけ葛藤しようが、また性懲りも無く何度も彼女を抱いたのは、やはり愛していたのだろうと今では確信しているが、当時はその事実に目を向けようとはしなかった。
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