夜空のラムネ

佐藤強也

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夜空のラムネ

〈先生の心〉

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    毎朝正門では先生達が交代で、登校してくる生徒達に挨拶を投げかけている。

 予備の裾が切れていないワイシャツを着て登校すると、偶然にも川澄が正門の前に立っていた。元気に登校してきた生徒達に挨拶をぶつけている。

 川澄に対して、ハッキリ「おはようございます」と元気良く門を通過して行くのは一年生。

「おはよざいまーす」と少し短縮させ、眠そうに伸ばすのが二年生だ。

 そして三年生は……。

 しっかりとズボンにワイシャツの裾を入れた僕を見つけた川澄は、仕事でなければ到底出さないであろう元気な声で僕に声をかけてきた。

「おはよう佐藤」

 なので僕が「おざす」と三年生の挨拶をしっかりと使い、ダルそうに挨拶を返すと、川澄は笑顔で僕の背中を二回叩いた。

 川澄が二回の時は気分がいい証拠だ。きっと僕がワイシャツを変えて来たからだろう。川澄の表情からは、まるで自分の思いが伝わった熱血教師のような満足感を感じた。

 下駄箱で靴を脱ぐと、戸田先生の綺麗な声が僕の名前を呼んだ。

「おっはよー。佐藤くん」

 相変わらず軽い挨拶だった。僕だけ特別というわけでもなく、戸田先生の挨拶はいつもこんな感じだ。決して先生感を出してこない。

「おざす」

 僕がそう答えると、戸田先生はまた僕の小さな変化に気付いた。

「あら佐藤君。今日は靴が違うんだね」

 はい。昨日プールに落ちたんで。なんて言えない僕は「よくそんな所に気づきますね」と、まるでどうでもいいように答えたが、また見透かされている気分で心臓が早く動いた。

「音楽やってると色んな変化を見ちゃうものよ」

 確かに戸田先生は、他の先生が気づかない細かい事によく気づく。でも本当にそれは音楽をやっているからなのだろうか。もしそれが本当ならば少しだけ僕には興味があった。

「僕も音楽やったらいろんな事に気づきますか?」

 僕の言葉に戸田先生の表情が変わった。

 戸田先生は、まるで僕にいい物を見せびらかしているかのような顔をして答えてくれた。

「もちろん。今よりもっと深く細かい所まで気付いちゃうよ」

 少しだけ僕の心が揺れた。

 なぜならば、他の人が気づかない微妙な物事の変化に気づく事が出来れば、いろんな危険や行動を先読みでき、自分への災害が少なくなる。そんな気がしたからだ。

「どう? 佐藤くん」

 少しだけ。ほんの少しだけなら。そう思った。

「とだちゃーん」

 朝練終わりの女子バレー部達だろう。

 僕の後ろからやってきた女子達は、あっという間に戸田先生を囲んだ。

 強制的に僕と戸田先生の会話は終わり、僕がその場を離れようとすると、戸田先生は目線を一瞬だけ僕に移し「ごめんね」と口だけを動かした。

 きっと僕にしっかり目線を合わせると、それに気付いた女子達が僕に目線を移すからだ。日々の学校生活から、僕が活発的な女子が苦手な事を読みとってくれている。流石だ。

 僕はサイレンのように響く女子達から、少しでも早く離れたくて、上履きのかかとを踏んだまま、いつもより一段多く階段を飛ばして教室に向かった。

 こんな学校でも自分の席は、僕にとって唯一落ち着く場所だから。

 一時間目は国語だ。

 クラスのみんなが、朝からあくびと、ため息を交えながら教科書を机に置いていると、国語の授業を請け負う女性教師。小泉圭子が教室に入ってきた。

 いちいち男子のあくびを注意している。

 小泉は生徒から嫌われており、僕も嫌いな先生のひとりだ。みんなは喋り方や細かいところが嫌いだと言うが、僕はちょっと違った。

 嫌いなのは授業のやり方だ。小泉は必ず教科書の文章を一人ずつ、その場に起立させて順番に読ませていく。漢字が読めない子や、みんなの前で発表する事が苦手な子は、ここで大体バカにされる理由を作らされる。

 なので、僕の教科書に出てくる漢字には、全てにふりがながふってあり、いつどこの文を読まされても大丈夫な仕様になっていた。

 今日も案の定その授業は始まり、僕の番には見た事もない難しい漢字がやってきた。普通なら全く読めない漢字も準備していれば大丈夫。
 席を立ち、漢字の横にあらかじめ書いたふりがなをスラスラと読み上げると、不思議に思ったのだろう。小泉は僕の教科書を手に取り、何ページかパラパラとめくった後、睨め付けるような視線を向けてきた。
 多分この準備は小泉的にアウトだったらしい。そのあと小泉は目で僕に何かを言った後、取り上げた教科書を丁寧に僕の机へ投げていった。
 
 二時間目の英語を担当する太田圭吾先生は、隣の席とペアを組ませ、教科書に出てくる男子と女子の会話を、自分の前で読ませる授業がほとんどだ。

 僕の隣はクラスで二番目に英語が得意な女の子。大勝さんが座っている。

 基本的に勉強が苦手な僕は、隣の席とペアを組む授業では、いつも大勝さんに迷惑ばかり掛けてしまい、僕のペアのところだけ授業にならなかった。

 僕が勉強できないのがいけないのだが。

 国語のときのように、ふりがなを振ろうとも思ったが、英語の文章は、国語ほど答えを簡単に調べる事もできないので、英語の授業のときは、適当な理由をつけて保健室へ逃げている。

 英語の太田先生は、毎回なにも聞かず保健室に行く許可を出してくれるのだが、先生の中で一番若いという事もあり、やたらと心配の目で接してくる熱い部分が僕は少し苦手だった。

 でも僕が保健室に行く事でペアがいなくなった大勝さんは、先生と組んで授業をしているらしいので、英語の得意な大勝さんにもこっちの方が僕はいいと思う。

 次の数学は担任の川澄が担当しているので、僕が問題を解けなくても、別に何も言わなかった。それに数学が苦手な生徒が目立たないよう、ほとんどがプリントをつかった授業なので、僕以外のおバカな生徒も、わかるところだけ埋めて後はおとなしく座っていれば授業は終わる。

 さすが担任だけあってクラスの流れをよく知っている。

 一旦給食と昼休みを挟んでから掃除だ。班ごとに分かれて教室を掃除するが、ほとんどが遊びのような時間。見えるところだけを綺麗にすればそれで良い。

 最後の授業は音楽の戸田先生だ。音楽室に移動すると、授業の半分が面白おかしく話す戸田先生の話で、残りの半分はクラスで合唱を行う。

 だるそうに歌っても戸田先生に悪いし、張り切って歌えばクラスのネタが一つ増えるだけ。なので間をとって歌うことで何事もなく終わることができる。

 全ての授業が終わり教室に戻ると、帰りの会が始まり、川澄から明日の持ち物や、連絡事項が告げられる。

 幸い憂鬱にさせられる連絡はなく、最後に日直が号令をかけ、帰りの会を閉めると、あっという間に教室内から人が消えていった。

 部活動がある子も、そうでない子も放課後は忙しいらしい。

 誰もいなくなった居心地の良い教室で待っていると、やっとスピーカーから自分の名前が聞こえてきた。

 声からして、たぶん国語の小泉だ。内容はおそらく僕の教科書の事だろう。授業中に見せた小泉の態度で、呼び出されるのはもうわかっていた。

 放課後の校舎は人が少なくて良い。何よりまず歩きやすい。

 いつものように最短で職員室に着くと、やっぱり小泉が待っていた。

 僕に気づくなり口を開いた。

「佐藤くん。私はびっくりしましたよ。あの教科書は何ですか?」

 怒りを隠すように、小泉はわざと驚いて、僕を油断させるように笑っていた。

「読めない漢字にふりがなをふっただけです」

 堂々と言う僕の態度に、小泉はムッとした表情を見せた。

「授業でやってないところまで、ふってありましたけど、私がやれと言いましたか?」

 相変わらず面倒くさい。僕的には授業に対して用意していた事を感心して欲しかったのだが。それにその言い方は僕も頭にくる。

「いえ。でもダメとも言われていなかったので」

 僕の苛立ちが見えたのだろう。小泉の目はさらに鋭くなる。

「あれではカンニングしているのと変わりがありません」

 大人で仕事だからきっと正直に言えないのだろうけど、多分。あらかじめ用意された事が気に入らなかっただけだろう。

「わからなくて授業が止まるよりはいいと思ったのですが」

「それも授業です」

 僕は一瞬何も言えなかった。それは小泉の顔から笑いの仮面が外れていたからでも、小泉の言葉が心に刺さったからでもない。面倒くさい事全てをひっくるめるような言葉に心が冷めたのだ。

 先生の言う事だからきっと正しいのだろう。大人ならきっとわかるのだろう。

 でもわからない問題にぶつかり、授業中止立ち尽くしてしまって、それが原因でクラスの皆にいじめられる事だってあり、現にそれはクラスで起きている。

 それはいじめられる事も授業だと言う事なのだろうか。

 いじめられたくないから勉強する。言葉ではわかるが理解ができなかった。

 そんな事を考えているうちに職員室は、授業の終わった他の先生達が戻って来ていて、まるで僕が怒られてその場に立ちすくんでいるかのような状況になっていた。

 僕は先生と話したい会話の流れではなかったので、先読みして小泉の機嫌が直るような言葉を探した。

 そんなものはすぐに見つかる。

「ごめんなさい。ちゃんと消して、わからない漢字を勉強してきます」

 多分小泉にはこれが正解だろう。本当に僕がやるなんて思っていないのは知っている。ただ、折れて謝るという事を重要視する先生だ。

 思った通り小泉の目はすっと熱が冷め、顔周りのシワが少し消えた。

「えらい。そうですね。もし必要でしたら、前に使ったプリントも差し上げるので言ってくださいね」

 別にいらないけど。

「はい、ありがとうございます」

 元気良く頭をさげると、今度は小泉が僕の機嫌を伺いに来た。相変わらず面倒くさい。

「佐藤くん。部活動は何もしてないのですか?」

 知っているくせに。

「はい、運動が苦手なんで」

「え、以外ですね。走ったり飛んだりと、得意そうな感じなのに」

 いつも体育を見学している事も知っているくせによく言う。

 それから小泉は、いくつかの質問を僕にぶつけ、なんの違和感もない会話の終わり方をすると、次回の授業内容を言い、置きっ放しで忘れた事もない教科書を「忘れ物をしないように」と忠告し話は終わった。

 廊下に出ると職員室前はすごく静かな大人の空間になっていて、学校のどの場所よりも空気が悪く重い気がした。

 学校で一番嫌いな場所のひとつだ。

 僕は、早くその場から離れたくて、階段に腰を下ろしている女子達の群れを横切り三階に上がると、職員室前とはうって変わり、同じ静かさの中に自由があった。

 誰もいなくなった薄暗い教室に入ると、人がいないせいか、窓が開いているからか、いつもの教室とは匂いが変わっていた。なんとも言えない放課後の香りだ。

 ベランダから入る風が、抜け道を見つけたかのように、僕が開けた教室の扉から、勢い良く廊下へと吹き出ていく。

 すると風は、カーテンと一緒に、ベランダから一人の少女を教室内に吸い込んだ。

「わ、うお、にゃあ、なんだ。なんだこのカーテンめっ」

 暴れる程にカーテンは、少女にしがみ付くように絡んでいく。

「わーーー。なんだなんだ、この、この! やんのか、お? お?」

 このままでは荒っぽい少女がカーテンを引きちぎってしまいそうだったので、教室の扉を閉めてあげると、風は行き場をなくし、暴れていたカーテンも怒られた子供が落ち込むようにしょんぼりと静まった。

「ぬーーーぶぁ」

 カーテンの中から出てきたのは、今日は欠席の渡辺さんだった。

 両手に黒板消しをはめ、顔や制服を白く濁らし、犬のように髪を振り終わると僕に気づいた。

「あー佐藤くん。いたの」

「うん。渡辺さん来てたんだ」

「いま登校してきた所だよ。おはよう」

 おはようって。放課後に何を言っているんだと初めての人は思うだろうけど、もうこのクラスでは普通の出来事だ。

 渡辺さんは両手にはめた黒板消しを元の場所へ戻すと、今度は黒板の下に付いている小さな引き出しを開き、中に入っているチョークを取り出し始めた。

「もう掃除は終わってるよ?」

 一応クラスのみんなで掃除し、黒板もそれなりに綺麗だった。

「へへへー。甘いなぁ、これじゃダメなんだよねー。チョークは小さい順に並べなきゃ」

 それが何のこだわりなのか分からなかったが、渡辺さんはまるでイタズラを仕掛けている子供のように、不気味に笑いながらチョークを小さな引き出しに並べると「よし」と、中のチョークが崩れないようにそっと引き出しを閉めた。

 それから時間を確認し、自分のロッカーから雑巾を持ち出すと。

「じゃぁね佐藤くん。わたし、今日は忙しいんだ」

 そう言うと雑巾をプロペラみたいに頭の上で回し、教室を出ていった。

 扉を開けた事で再びカーテンが風で暴れだすが、なんだか渡辺さんに手を振っているようにも見えた。

 
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