メイド ナーシャの日常

うぃん

文字の大きさ
上 下
11 / 26
第一章 黒い髪のメイド

メイドの日常(5.2)

しおりを挟む
「あの戦は、本当にひどいものだったな……」

 カールさんは、苦虫をつぶしたような表情をしています。

「その始まりは突然だった」

「ルバ王国はいきなりの宣戦布告をおこなったかと思うと、ほぼ総力とみられる二万の兵をダルリアに向け進軍させた……」

「それはあり得ない行動だった。総力戦ともなると自国の守りが薄くなる。ルバ王国の背後にも敵はいたはずなのに、いったいどんな手をつかったのかわからないが、他国はまったく動かなかった」

「奇襲ともいえるルバ王国の軍勢が押し寄せ、何の戦の準備もできていないダルリアの国境付近の街は一気に攻め落とされた。それは一方的ともいえる醜いものだった」


「そのときにカールは、親兄弟を皆亡くしているの……」

 マリアさんは静かにそういいました。なにかカールさんをいたわるような雰囲気が伝わってきます。

「俺の家族だけではない、あの時国境付近に住んでいたもので最終的に生きて逃げ延びれたものは二割にも満たなかったはずだ」

「争いの前線がもうエルクの近くまで迫っていてた時、ダルリア王国はようやく二万の兵を編成して反撃に出たんだ。ただ万全の準備を講じているルバの軍に対して、ダルリアの軍はあまり脆弱だった。自国内の戦いでしかも相手とほぼ同数の兵力で立ち向かっているにもかかわらず、まったく相手を押し返せなかった」

「そして戦は一ヶ月以上硬直状態が続いていた」


「そのような混乱のなか、さらに最悪なことが重なったの……」

 そしてマリアさんは何かを考えるような瞳で私を見つめました。

「ケネス様の奥様アルネ様とカリンお嬢様の行方がわからなくなったのよ」



「突然の失踪に、お屋敷の皆は大騒ぎ。どうした、なにがあったから始まって、誰かが誘拐してルバ軍にアルネ様を売ったのではないかなどいろいろな憶測が飛び交ったわ」

「そしてケネス様の耳にすぐに情報が届けられたのです」

「ケネス様はアルネ様が何らかの罠を仕掛けたルバ軍の特殊部隊にさらわれたと結論付けられました」

「アルネ様は王国第二位の魔術師。普通ならば皆に気づかれもせず誘拐されるなど考えられないわ」

「しかしカリン様が先に何らかの罠によりさらわれたのならば話は違ってくる。脅迫されたアルネ様がカリン様を助けるために、皆にだまっていずこかへ連れ去られてしまった、そうとしか考えれなかったのよ」

「ケネス様はそうして静かに席を立つと、エルクの騎士団や剣士、魔術師の中でも選りすぐった精鋭五百名を引きつれてルバの軍勢に戦いを仕掛けたのです」

「ケネス様率いる軍はエルクの街近くまで到達していた敵の軍勢をあっという間に倒したかと思うと、それこそ破竹の勢いで敵を破っていったのです」

「それはまさに鬼の進軍であったと、そのケネス様率いる軍に所属していたものは後に語っていました。ケネス様は魔術による強制回復などなりふり構わない手段で昼夜問わず戦い続け、そして奥様を探し続けたといいます」

「その勢いは、やがてダルリア軍にも伝わり進軍の後押しとなったのです。膠着していた戦いは少しずつではありますがルバの軍勢を押し返していきました」

「まさに混乱混戦という模様で、どのように決着がつくのか誰にも予想がつかない、そんな争いだったのです」


「しかしこの両軍の戦いの終結はあっという間に訪れました……。魔物たちのスタンピートが両軍勢を飲み込んだのです」

「突然、数十万の魔物がこの争いの前線を横切るようになだれ込んできました。その魔物達はダルリア軍、ルバ軍そしてそこに住んでいた住人たちに平等に襲い掛かり、その大半の命を飲み込んでいきました」

「ケネス様の軍勢も当然この波にのまれたのですが、近くで運よく魔物たちの同士討ちが始まったそうで、魔物たちの標的にならずにすみ、万に一つの偶然により逃れられたといっておられました」

 
「結局双方の軍は撤退、ダルリア王国とルバ王国は一旦の停戦をおこなうことで合意し、戦争は終わりを迎えました」

「ただ王国はこの無様な戦いを皆に知られるわけにはいきません、ケネス様をこの大戦で亡くなった騎士団長にかわりダルリア王国騎士団団長代理として大戦を勝利に導いた英雄に祭り上げたのです」

「この後正式に王国騎士団長に任命されることになりました。事実、ケネス様の大きな活躍がきっかけとなり争いを五分にまで押し戻したのですから褒章については当然でしょう」


「ですがアルネ様とカリン様は依然行方がわからないままでした。ケネス様はダルリア王国騎士団団長に任命されたあとも、その忙しい任務の合間を縫って必死に奥様を探されておりました」

「そして停戦から一年が過ぎたころでしょうか、カリン様が見つかったとの連絡がはいったのです」

「カリン様はダルリア王国にある山間の国境近くにある、村の小さな教会に預けられておりました」

「教会にはケネス様自身が足を運び迎えにいきました。そしてカリン様の隣には生後一年はすぎたと思われるマルカム様も一緒にいたそうです」

「そのときのケネス様はカリン様が見つかった安堵と、またマルカム様がいたことに驚きと喜びを見せられていたそうです」

「ただ、アルネ様は戻られませんでした。ただお屋敷に帰ってきたケネス様はけっして失望はしていない、何かの決心をその胸に刻んだようなそんな強い心を私たちに感じさせたのです」

「そして私たちに、カリンとマルカムを頼む、と一言そうおっしゃりました。ケネス様はなにかを知っている様子ではあったのですが、われわれには何一つ事情を話してはくださいませんでした」

「今もケネス様は奥様を探されています。騎士団長を引退した今も全国各地を回っているのはそのためだ、と事情を知るものは皆そういっています」

「後でカリン様に当時のお話を聞く機会があったのですが、カリン様自身は、あの行方不明になる前の晩に自身のベッドで眠りについてから二年間の記憶がないとおっしゃられておりました」

「目が覚めるとそこは教会で、横にはマルカム様が静かに眠っていたそうです」

「そしてしばらくしてケネス様が迎えにこられ、そのときにケネス様は神父様より何か手紙のようなものを渡されていたそうです」

「その手紙をその場で読んでいそうですが、その顔は悲しみにあふれ涙がにじんでいたようにも見えたといっておられました」

「私たちもケネス様のお力になりたくて、当時アルネ様が失踪されたときに一緒になくなってしまった魔道具や装飾品などを探し回っているの」

「もし盗賊などの手にわたれば、闇市場で非常に高額で取引されるものばかりだから、必ず目につくはずなのよ、見つかればきっとアルネ様を見つける手がかりになるはずなの」

「あなたもアルネ様について、何でもいいの。なにかアルネ様に関する情報を耳にしたら教えて頂戴ね……」

 マリアさんは、静かな微笑を浮かべています。

 私は、このような重大な物事をマリアさんたちから打ち明けられたことに対して、その心に巻き起こる混乱をただただ解決できずにいたのでした……。

 
しおりを挟む

処理中です...