メイド ナーシャの日常

うぃん

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第二章 濡羽色の魔術師

魔女の過去(1)

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 蟲使いヘンリーとの戦いの明夜、再び黒い魔女とその使い魔は、男のいる森の小屋に再び現れていた。

「元気にしてる? ていうか前より調子いいくらいじゃない?」

 圧倒的な力で、ヘンリーをねじ伏せたその女は、皮肉めいた笑いを浮かべながらそういった。

 事実、男は戦いの前より、体内に流れるマナがより強く輝きを増しているのを感じていた。

「ああ、問題ない。 それで、新しい雇用主、お前はなにものなんだ?」

「あら、いきなりね。私の下僕の分際で、ずいぶんな物言いじゃない」

「こういう性分だ、嫌なら殺せばいい。」

「冗談よ、しゃべり方なんてどうでもいいわ。私の名はナージャ。そうね、昔は濡羽色の魔術師っていわれていたこともあったわね」

 濡羽色の魔術師とは、魔道大国ノルマンが生んだ天才大魔術師インダルフのたった一人の女弟子として、その名を馳せていた人物であった。

 魔術師インダルフは、魔術を学ぶものなら知らない者はいない現代魔術の父とも呼ばれる偉大な功績を残した人物だ。

 インダルフは、それまでの漠然と使われていた魔術を、自然魔術と白魔術、黒魔術の三種に体系に分類。さらに自然魔術については、月・火・水・木・金・土・日の七曜を定義し、それぞれの魔術分野の発展に寄与した。

 ただ晩年、魔物の持っている魔石について研究中に、その一人の弟子に殺害されたと伝えられていた。

「あれは二百年以上も前の話じゃないか? それにインダルフを殺害した濡羽色の魔術師は、国家への反逆罪で死罪となったのではなかったのか?」

「私はハーフエルフだから、二百年くらいじゃ死なないわよ。あと師の指示で死んだように偽装したけれど、実際は元気に生きてるってわけ」

 ナージャは師インダルフとの出会いを、思い返していた……。


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 それは現在から二百数十年ちかく前のお話……。

 魔道王国ノルマンにある教会の孤児院が、ナージャの生まれてからの記憶に残っている最初の場所だった。

 そこは見るも悲惨な場所であった。

 戦争孤児や、貧しくて育てられなくなった子供、訳があってこちらに預けられたなど様々な理由で、子供達は親とはなれこちらで生活している。

「おいナージャ、あのパン屋から食料盗もうぜ」

 ナージャはこの孤児院の仲間と、盗みを繰り返していた。

 それがここでは日常であった。

 孤児院は国からの最低限度の配給と支援者からのわずかばかりの寄付に支えられているのだが、残念ながらその生活は大変に貧しく厳しいものだった。

 日々配給される食糧は一日一回、わずかばかりのパンと水のみ。当然そだち盛りの子供達にはその量では足りはしない。


「私は今日は少し足を伸ばして、向こうの店までいくよ。あっちのほうが盗みやすいし」

 ナージャは貴族街に近くにある、少し高級な商店を狙っている。

 彼女は子供であるその身体の小ささと、年齢に見合わないすばやさで盗みには自信があった。

 のろまで間抜けな大人たちに捕まるわけがない、そう思っていた。


「泥棒だ! だれかつかまえてくれ!」

 店員が、大き目のパンをいくつか抱えて、走って逃げるナージャを見つけ叫んだ。

 (遅いよ、今日も余裕だね。みんな待ってな、今食料をもってかえるから)

  彼女は店の入り口を出ようとした、その時だった。

 気配なく、いきなり後ろから襟元をつかまれ壁にたたきつけられたのだ。


「私、子供と泥棒は嫌いなの。孤児院の子? ちゃんと教育してよね」

 ナージャを捕らえた女は背が高く、よく鍛えられた均整の取れた身体つきをもち、金色に短く整えられた髪に精悍な顔立ちをしている。

 また不意をついた泥棒の逃走をよける間も与えず完全に捕らえるなど、その身体能力についても人並みはずれたものをもちあわせていた。

「これはこれはミーナ様じゃありませんか、泥棒をつかまえていただきありがとうございました」

 店員は、常連客であり顔なじみのミーナに礼を言う。

 そのミーナと呼ばれる女はノルマン王国の騎士であった。休暇中にこの店に買い物に来ていたとき、この騒ぎに遭遇したのだった。


「このクソがき、衛兵に引き渡してやる」

 店員がナージャを逃げられないように縄で縛ろうとしていた。


「ちょっとまって。彼女の盗んだもの、俺が全部買うよ」

 ミーナの隣にいた男は突然そう言うと、店員に盗まれた商品の金額以上のお金を渡す。

「これで、彼女を許してやってもらえないか?」

「ちょっとちょっと、インダルフ。それは甘いんじゃないの」

 ミーナはあきれたような顔で、横にいる男のことを見る。

 ナージャは、変わったことを言うその男のことを見上げた。

 そこには、背の高い、凛々しさと美しさを湛えた整った顔貌をもつ一人の男がいた。

 不思議と人をひきつける魅力のある笑顔でナージャに微笑みかける。




 それがナージャとインダルフとの初めての出会いであった。
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