『はみ出し者』の愛の卵

丸井まー(旧:まー)

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5:ちょっと語り合い

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 ガチガチに緊張しているヤニクの尻に、少しひんやりとした手が触れた。瞬間、幼い頃の恐怖がぶわっと頭の中に強烈に蘇ってきて、身体が勝手に震え出し、ぼたぼたと涙が零れ始めた。ヤニクは、情けなく嗚咽をもらしながら、本格的に泣きじゃくり始めた。


「……おい。泣くな。萎える」

「うっ、うぇっ、ふぐぅ、な、ないて、ねぇ……」

「泣いているだろうが」

「う、う、うーーっ」


 背後から、大きな溜め息が聞こえた。尻に触れていた手が離れて、ちょっとだけほっとするが、怖くて怖くて、今すぐに逃げ出したい。逃げたいのに、身体が情けなく震えて、身動きができない。
 ヤニクが顔をシーツに押しつけて泣きじゃくっていると、ぽんと腰に手を当てられた。


「おい。少し話すぞ。お前の怯え方は異常だ」

「うっ、うっ、うぐぅ……」

「起き上がれ。こちらを向いて座れ」


 ヤニクは、のろのろと伏せていた上体を起こし、涙も鼻水も垂れ流しのまま、のろのろと身体ごと振り返って、胡坐をかいた。情けない顔を見られたくなくて顔を伏せるが、どんどん涙が溢れてきて、止まる気配がない。

 ヤニクが嗚咽をもらしながら、ぼたぼたと涙を流していると、ヴィーターが小さく溜め息を吐いて、ベッドから下りる気配がした。ヴィーターはすぐに戻ってきて、顔を伏せているヤニクの手に、タオルを握らせた。


「とりあえず泣き止め。話ができん」

「……っ、うっ、っうぇっ、ひ、ひ、ふぐぅっ……」

「……ちょっと待っていろ」


 ヴィーターがまたベッドから下りる気配がした。泣き止もうにも、自分じゃどうにもできない。ただ、怖くて怖くて仕方がない。自分でも情けないし、恥ずかしいと思うが、頭の中を犯されそうになった恐怖がぐるぐる回っていて、涙も身体の震えも止まらない。
 ヤニクはお山座りをして小さく縮こまり、ぎゅっと自分の身体を抱きしめた。ヤニクを助けてくれる者なんていない。ヤニクを救えるのは、ヤニク自身だけだというのに、恐怖が身体を支配して、ただ泣くことしかできない。

 ヴィーターがベッドに戻ってくる気配がした。思わずビクッと身体を震わせると、ヴィーターに声をかけられた。


「おい。顔を上げろ。まずはこれを飲んで落ち着け」


 おずおずと少しだけ顔を上げれば、ヴィーターの手にはマグカップが握られていた。ふんわりと微かに甘い匂いがする。ヤニクは、ずずっと鼻を啜って、おずおずとヴィーターからマグカップを受け取った。マグカップの中身を見れば、どうやら温めたミルクのようである。ヴィーターから受け取っていたタオルでざっと顔を拭き、マグカップに口をつける。少しだけミルクを飲めば、温かくて、ほんのり甘くて、何故だか妙にほっとした。

 ヤニクがちびちび温かくて甘いミルクを飲んでいると、正面に胡坐をかいているヴィーターが口を開いた。


「で? お前のその怯えようの原因はなんだ」

「……ガキの頃、貴族のガキに皆が見てる前で犯されそうになった」

「いくつの時の話だ」

「……7歳」

「その貴族のガキは変態か。周りの者は止めなかったのか」

「誰も助けてくれなかった。無理やり脱がされて、押さえつけられた。ガキの従者が見かねて止めなかったら、そのまま犯されてた。……男も女も嫌いだ。性行為なんて吐き気がする」

「なるほど。とはいえ、私と性行為をして卵を産まなければ、もっと悲惨な目に合うことも分かっているな」

「……おう」

「いきなり抱くのはやめだ。怯えられると私が萎える。私は嫌がる相手を無理矢理犯す趣味はない。まずは私に触れられることに慣れろ」

「……どうやって」

「とりあえず、握手からか? 先が長いな。時間制限がある以上、できるだけ早く私に触れられることに慣れてもらわないと、お互いに困る」

「……なんで、アンタが困るんだ」

「貴族のしがらみも色々ある。それに、戦力になる伴侶を手放したくない。デリークから毎日報告を受けている。もう新人程度の腕前になっているようだな。剣を習い始めた期間を考えれば、かなりいい線をいっている。あのデリークが見どころがあると言っていたからな。デリークの扱きに耐えられているのも評価に値する。お前はよくやっている」

「……そ、そうか」


 まさかのヴィーターに褒められた。デリークはあまり褒めてこないので、こうも真っ直ぐに褒められると、こんな状況なのに、じわっと嬉しくなる。温かくて甘いミルクのお陰か、じわじわと身体の震えがおさまってきた。大粒の涙がぽろっと零れ落ちると、それから涙は出てこなくなった。

 ヴィーターが手を差し出してきた。ヤニクは、マグカップを片手に持ったまま、おずおずと手を伸ばし、ちょんとヴィーターの手にちょこっとだけ触れた。ヴィーターをチラッと見れば、いつもの無表情だ。何故か、そのことが逆に安心する。ヤニクは思い切って、ヴィーターの手を握った。ヴィーターの手は、ごつくて硬くて、戦う者の手をしていた。少しだけひんやりとしている手を握っても、今はそこまで怖くない。

 ヤニクがヴィーターの手を握ったまま、温かくて甘いミルクを一口飲むと、ヴィーターが話しかけてきた。


「好きなものは」

「あ?」

「会話をして、私という存在に慣れろ。で? 好きなものは」

「……アシマナの実。完熟の甘いやつじゃなくて、少し酸っぱいくらいのやつ」

「アシマナの木なら砦の敷地内にある。もうそろそろ採れる頃だろう。食べたいのなら、好きに採れ。非常時には貴重な食糧になるが、今はそうではない。食べたい者が採っていいことになっている」

「あ、うん」

「他には」

「……剣が楽しい」

「そうか。夜の稽古の時間は私との時間にするが、あとは好きに稽古していろ」

「ん」

「他は」

「……これ。美味い」

「山羊乳にキュミールの蜜を入れてある。気に入ったのか」

「うん。甘さが柔らかいから割と好き」

「そうか」

「……アンタは……」

「なんだ」

「……アンタは、何が好きなんだ」

「肉と酒」

「ふぅん。……酒は飲んだことがねぇ。酒と煙草は集落では与えられなかった。本で読んだことがあるから、存在は知ってっけど」

「飲んでみるか。緊張がほぐれるかもしれない。甘いのと辛いの、どちらが好みだ」

「飲んだことがねぇから、どっちが好きか分からねぇ」

「では、まずは飲みやすい甘いものを試すか。ちょっと手を離せ。酒とグラスを取ってくる」

「あ、うん」


 ヤニクがヴィーターの手を離すと、ヴィーターがベッドから下りて、部屋の中にあるドアから出ていった。すぐにヴィーターは戻ってきた。手には瓶とグラスを二つ持っている。

 ヴィータ―が酒の瓶の口を開け、グラスに淡い桃色の酒を注いで、ヤニクに手渡してきた。甘いミルクを飲み終えたマグカップをシーツの上に置き、両手でグラスを掴んで、じっと淡い桃色の酒の水面を見つめる。ふわふわと甘い香りがする。リニータという果実の香りに似ている。


「これ、もしかしてリニータ?」

「そうだ。リニータを発酵させて作った酒だ。酒精が軽いから飲みやすいだろう。試してみろ」

「う、うん」


 ヤニクは恐る恐るグラスに口をつけ、初めての酒を口に含んだ。爽やかな甘いリニータの香りが鼻に抜け、ほのかな甘さが口に広がる。飲みこめば、じわぁっと心地よく喉が熱くなった。ヤニクは、目をぱちぱちさせながら、グラスの中の酒を見た。


「美味い」

「そうだろう。去年のリニータの酒は例年よりも出来がいい」

「ふぅん」


 ヴィーターがくっと一息でグラスの酒を飲み干した。ヤニクも真似して、くっと一息で飲んでみる。なんだか、頭がふわふわして、身体が温かくなってきた。
 ヴィーターが、空になったヤニクのグラスにお代わりを注いでくれた。今度は、味わうようにちみちみ飲む。こんなに美味しいものを一気飲みは勿体無い。

 ヤニクは、酒の瓶が一つ空になるまで、黙々とヴィーターと一緒に初めての酒を飲んだ。
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